21・飛竜タクシー
翌朝、私はやけにスッキリとした目覚めを迎えた。昨日の不調は、ホント何だったんだろう。
大きく伸びをしながら気付く。隣に、デューが居ない。
「あれ、もう起きてるの?」
いつもは私に抱き着いたまま、うだうだしてるクセに……。
耳を澄ますと、キッチンで何かしている音が聞こえる。そして、何だかとっても良い匂いがする。
香草か何かの香り。何だろう。スープか何かかな?
その匂いを嗅いでいる内に、お腹がギュルギュルと音を立てた。
よく考えたら私、昨日夕ご飯食べずに寝てた気がする。
ベッドから降り、ふらふらとキッチンに向かう。ひょこっと顔を覗かせると、デューがお鍋の中身をかき混ぜていた。
「デュー、おはよう」
声をかけると、デューはビクリと肩を震わせて弾かれた様にこっちを向いた。
「おはよう……ってカノン!?まだ寝てて良いんだよ?大丈夫!?」
慌てて私の方に向かって来るデューに笑顔で応えて見せながら、私はお腹を2、3度撫でた。
「もう平気。お腹空いちゃったから起きたの」
「じゃあ野菜スープ食べる?あんまり食欲無いかもって思って、作っておいたんだ」
デューは今までかき混ぜていたお鍋を指差した。食欲はそこそこあるんだけど、せっかく作ってくれたんだし何よりもこんな良い香りなんだもの。きっと美味しいに違いない。
「うん、ありがとう。じゃあスープ頂いても良い?」
「直ぐに準備するね」
テキパキと動くデューを横目に、私はダイニングテーブルに座った。ところで昨日から思ってたけど、デューってお料理出来るのね。何だか意外。
「はい、カノン」
「わぁ美味しそう!」
”野菜スープ”と言いながら、中には少量だけど鶏肉も入っていた。
スプーンで一口掬って口に運ぶ。野菜の甘味と、鶏肉の出汁が溶け込んだスープが凄く美味しい。
「デュー!これ、信じらんない位美味しい!」
「フフ、大袈裟だなカノンは。まだ食べられるならおかわりあるからね?」
「うん!ありがとう!」
――結局、私はスープを2回おかわりをして穀物パンも一切れ食べた。
倒れた原因は病気ではないんだし、スープで身体が温まり私は随分と元気になっていた。
うん、これなら今日デューとお出かけする事は十分出来そう。
「デュー、今日は何処へ行く予定なの?」
「……いや、今回は止めておこう。カノンの体調の方が大事だから」
出かける話をした時、一瞬デューの顔がスッと曇った気がした。
直ぐに元の柔和な表情に戻ったけれど、私はその表情を見て確信した。
きっと、デューは何か大切な事を私に話そうとしている。
それはきっと、この仮結婚生活について、というかデューに対して私が色々思っている事と無関係ではない気がするのだ。
ここでデューの話を聞いておかないと、私は絶対に後悔する気がする。
私には、ううん私達にはそんなに時間は残されていないのだから。
「デュー、私は平気。連れて行きたい所があるって言ってたよね?私、そこに行ってみたい」
「カノン……。あのね、キミが倒れてるのを見た時に思ったんだ。僕はキミの為なら何でも出来る。キミが元気で平穏な生活を送ってくれるのなら、僕は何もいらない。だからカノン、無理しないで」
デューは薄く笑ったまま、食器を片付け始めた。
その姿が、何だか拒絶されてるみたいでひどく私の心を騒がせた。
「無理なんかしてない。良いわ、だったらその場所だけ教えて。私一人で行って来るから」
「えぇ?」
困った様に私を見ていたデューは、やがて諦めた様に溜息を吐いた。
よし、説得成功。
「わかった。でも日帰りだよ?それだけは譲らないからね?そうだね、泊まりで行くのはちゃんと結婚出来たらにしようか。ただでさえ今、僕の理性はギリギリなのに別の場所で気分が変わったら我慢出来なくなっちゃうかもしれないからね。僕、規約違反は絶対に避けたいんだ」
「う、うん……」
じゃあ準備しようか。
そう言ってデューは、私の頬をくすぐる様に撫でた。
◇
「え――!?飛竜に乗って行くの”!?」
「そうだよ。最初の予定ではゆっくり蒸気列車で行くつもりだったけど、日帰りだからね。早い方が良いでしょ?だから短いスカート履かないでっていったのに」
「そ、そういう事はもっと具体的に言ってよ……」
着替えてる時に、デューが服装について口出しをして来た。「あんまり短いスカート履かないでね」と。
私はそれを、デューのやきもちだと思って聞き流していたのだ。だから、「お待たせー」と出て行った時にデューが眉を顰めていたのか。
デューの後をついて玄関を出て行くと、家の前の通りに巨大な飛竜が居た。その首元には青いプレートがかかり、白髪のおじいさんが煙管を銜えて寄りかかっていた。
「うわ……大きい……」
深紅の飛竜はとても美しく、当然初めてみた私はすっかり見惚れてしまった。けれどこんなに大きな竜が道端に居ると言うのに、道行く人は誰も驚いていない。
(タクシー呼ぶ感覚なのかな)
ボーッと飛竜を眺めていると、いきなりデューに抱き上げられた。彼は戸惑う私を抱いたまま、さっさと飛竜に乗り込んで行く。飛竜の脇腹には、伸縮式の折り畳み階段?の様なものが取り付けてあった。
「ちょ、ちょっとデュー!言ってくれれば一人で上がったのに!」
日本人の感覚としては人前で抱き上げられたり何なりするのは避けたい所なのだ。
「仕方ないでしょ。この飛竜は総重量150㎏までの二人乗りなんだから。だからカノンは僕の膝に乗って。心配しなくて良いよ、僕がちゃんと抱き締めて固定してるし、この操縦士は腕が良いから」
デューの言葉に、操縦士さんとやらは肩を竦めてそれに応えていた。
操縦士さんのおじいさんは、私達が乗り込んだのを確認すると年齢に見合わない機敏さで飛竜に飛び乗った。
そして青いプレートを足で蹴る。するとプレートは青白い光を放ち、発光し始めた。
タクシーで言う「乗車」を表しているのだろうか。
飛竜に乗り上空に舞い上がると、気持ちの良い風が頬や髪を撫でる。私はデューの腕越しに、そっと地上の様子を窺った。街は小さくなり、そしてどんどん遠ざかって行く。
空には他にも数匹の飛竜がお客を乗せて飛んでいるのが見て取れ、否応なしにここが異世界なのだと実感させる。
「……あの場所で良いのか?」
今まで一言も発しなかった操縦士のおじいさんがポツリと呟いた。
「うん、良いよ」
デューは操縦士さんの方を見る事無く、即座に答えた。
私はデューと操縦士さんの顔を見比べる。あれ、この二人知り合いなの? だからさっき『この操縦士は腕が良いから』と言ってたの?
「デュー、操縦士さんとお知り合いなの?それにあの場所って?」
聞いてみても、デューは無言のまま。ただこめかみにちゅ、とキスを落とされ私を抱き締める腕に力が籠って行った。
「……」
私は返事を諦め、大人しく身体を預ける事にした。
よく分からないけど、「あの場所」とやらに着いたらきっと何かを教えてくれるのだろう。
私はいつしか、自分が彼を全面的に信頼している事に気が付いていた。
◇
キラキラと輝く虹色の湖面。飛竜に纏わりつく様に飛ぶ、橙色の鳥。大きな翼の生えた山羊。
飛竜の上から見る見た事も無い景色の数々は素晴らしく、ずっと眺めていても飽きなかった。
「すごーい!綺麗ー!」
飛竜の操縦士さんと知り合いかもしれないデューは、この景色を見慣れてるって事なのかな。
ちょっと、いやかなり羨ましいかも。
「ねぇデュー、この……」
この飛竜には何回位乗った事があるの?そう聞こうと、デューの方を振り返った。
(あ……)
初めて見る、表情の無いデューの顔。無表情と言うよりは、何処か虚無感に満ちた顔。彼はそんな顔をして、ずっと遠くを見つめていた。私は何となくはしゃいでいた自分が恥ずかしくなり、黙って前を向く事にした。何だろうこの感じ。寂しい様な、悲しい様な。
仕方なく、再び前を向いた私はふと気付いた。周囲の光景が何だか今までと違って来ている。
瑞々しい草花が生い茂っている草原ではなく、ゴツゴツとした岩場が広がり生き物の姿も見えない。岩場の間には、毒々しい色合いの沼の様な水溜まりが点在している。その上を通る度に、何かが腐った様な酷い臭いがした。
そして遠くの方に、黒い煙を吐き出す建物の様なものが見える。
「あの建物は何?それに、この辺りは……」
「あれは魔石の加工工場。市場に出回っている魔石は、ほとんどここで加工してるんだ。不純物や邪力を取り除く時に有毒物質が出てしまうから、こんな辺鄙な所に建てられてるんだよ」
「ふーん、魔石の加工工場なんだ」
「そう」
うんうんと頷いてみせながら、私は内心困惑していた。
その魔石の加工工場を私に見せる事に何の意味があるの?
「デューティ。降りるか?」
操縦士さんがデューに聞いた。やっぱり、この二人は知り合いなんだ。
「いや、まだ良いよ」
そうデューは首を振った。この辺りは正直不気味だし、降りないなら降りないで良いけどそうすると余計に意味が分からない。
操縦士さんは無言のまま、立ち並ぶ工場の上空で飛竜を旋回させ始めた。
「デュー、ここに何しに来たの?」
流石に、いい加減教えてくれないと私も困る。
「カノン」
「何?」
「愛してるよ」
「……っ!?」
急に恥ずかしい事を言われ、私は思わず狼狽えてしまった。
な、何よいきなり!それに、質問の答えになってないじゃない!
デューは綺麗な長い指を伸ばし、眼下のある一点を指差した。
指の先を辿って見ると、そこには瓦礫やゴミ屑、謎のドロドロした液体など色んなものが山積みになっているのが見えた。
「あれは……?」
「廃棄場。加工の際に出る石屑や失敗作や、封じ込めた邪力を捨てる所。月に一回、回収されて聖炎焼却炉で処理するんだけど、毎日大量の廃棄物が出るから間に合わないんだよね」
私は無言でデューを見つめた。予感があった。これから彼は、きっと何か言う。
「僕、あそこに捨てられてたんだ」
だから僕には実家も無いし親も居ない。
淡々と話す彼を、私はただ見つめる事しか出来なかった。




