18・秘密の日記帳
行きと同じ様に馬車で送って貰い、夕方前には自宅に帰り着く事が出来た。
御者さんにお礼を言い、馬車が見えなくなるまで手を振って見送った。
今日は、とても楽しかった。
色々聞いて精神的に疲れた部分もあったけど、久しぶりに同年代の女の子と喋れて気分が凄くリフレッシュしたのがわかった。
「えーと、着替えたら夕飯の準備しなきゃ。デュー、帰って来るの早いんだもの」
時計を見ると、時刻は16時。デューは大体遅くても18時前には帰って来る。
定時は17時らしい。多分、位置づけ的に公務員みたいなものなんだと思う。
アレが公務員か、と思うとちょっと生温かい笑みが零れちゃうけど。
夕飯の準備、と言っても親子丼だからそこまでやる事は無い。
玉ねぎと鶏肉を切ってだし汁を作って後はサラダとスープ作る位かな。お米は洗って鍋に入れておこう。
お風呂は朝、シャワー浴びたついでに洗っちゃったし後は洗濯物を取り込んだら終わり。
「やだー、本格的にすることが無い……」
元の世界の時は、お休みの日は友達と出かけたりテレビ見てゴロゴロしたり映画観に行ったりスマホ弄ったりして時間は普通に潰せていたのに。
今後は時間の使い方も考えないといけないなぁ。
「そうだ、日記でもつけようかな」
うん、良い考えかも。
まだ時間はあるから、日記帳でも買いに行こうかしら。
成美さんのお店に売ってる?そう言えば文房具屋さんってあるのかな。
私は一番最初に神殿から持って来たトランクを引っ張り出した。
そう言えば、自分だけで買い物に行った事は無いなぁ。いつもデューが一緒だったから。
お金の入った袋を取り出し、中を確認してみる。
受け取った時には「ある程度まとまった額」としか言われてなかったんだけど、金額の確認はしていなかったのだ。
お金は全て貨幣だった。金貨が3枚に銀貨が10枚。
数を数えた瞬間に、頭の中に「これは全部で35万円」と金額が浮かぶ。
……凄い。こんな所にも翻訳魔法が効いてるのね。
成程、金貨1枚が10万円で銀貨1枚が5千円か。
これ、銀行で両替する必要がありそう。
「まぁ今は日記帳買うだけだから、銀貨1枚持って行けば良いかな」
そして再び時計を見る。現在時刻は17時過ぎ。
買う物は決まってる訳だし、急いで行って帰ってくればデューが帰宅するまでには十分間に合う。
私は銀貨を握り締め、日記帳を買いに行くべく急いで家を飛び出した。
◇
「成美さん!」
「おー香音。どうした?」
「あの、ここ日記帳って置いてあります?」
「日記帳かー。残念だが置いてねーな。何お前、日記なんかつけんのか?」
「だって、する事無いんですもん。テレビもスマホも無いし……」
成美さんは「”すまほ”って何だ?」と言いながら、魔道具屋の場所を教えてくれた。
この世界では日記や帳簿などは魔錠がついているのが当たり前な為、そう言った物は魔道具屋に売っているらしい。
魔道具屋、かぁ……。日記帳、幾ら位するんだろう?
「ねぇ成美さん。私今銀貨1枚しか持ってないんですけど」
「あぁ、一番安い物で確か3千円位だから買えるな。但し、その値段の範囲の物だと中を他人に見られる可能性あるぜ?」
え、見られちゃうの?だって鍵ついてるんじゃないの?
「安い魔錠だと持ち主……鍵の登録者な、それよりも魔力が高ければ他人が簡単に開けられるんだよ。俺らの子供は魔力がべらぼうに高いけど、俺ら自身は魔力ゼロだからな。絶対に見られたくないなら7、8万は出さねーと」
「高っ!」
たかだか暇つぶしの日記帳にそんな値段払えない。
って言うか、高い日記帳持ってたら「秘密あります」って言い触らしてる様なものじゃない?
「うーん、見られて困る様な事書かないと思うし、一応隠すから安いので良いかな。ありがとう成美さん。じゃあこれから行って来ますー」
「おう、気をつけてな」
「はーい」
魔道具屋って、他にどんなもの売ってるんだろ。もっとお金持って来れば良かったかな。
雑貨屋アンダーソンを出た後、教えて貰った魔道具屋に向かいながら私は何だか楽しい気分になっていた。
◇
魔道具屋は、「ヤマト」や「アンダーソン」とは反対側の道沿いにあった。
石造りの建物で、表には不思議な紋様が刻まれたステンドグラスがはめ込まれている木の扉が見える。
私はワクワクとしながら扉を開け、お店の中に入った。
「うわぁ……」
――”魔道具屋”と言う名前の響きから何となくマニアックな雰囲気を想像していたけど、お店の中は広く明るく、清潔感のある空間だった。
硝子ペンや羽根ペン、羊皮紙で作られた様なノート類。
様々な紋様が象眼されている石のメダルに、奥の方にはアクセサリー類も見える。
「意外な雰囲気……素敵……」
半透明の石で作られているそのメダルを一つ、手に取って見た。
向かいに立っている男の人は、植物の蔓で編んだ籠に同じ紋様のメダルを幾つも放り込んでいる。
何これ、使い捨て?一体どんな効果のある魔道具なんだろう。
「あれれ?主任の奥さん?」
「え……?」
向かいに立っていた、大量メダル買いの男の人が私に声をかけて来た。
見上げると、そこには蜂蜜色の瞳に栗毛の若い男の人が柔和な笑みを浮かべて立っている。
あ、あの収賄容疑の大臣さんを吊るす滑車を動かしてた人だ。
えぇっと、確か名前は――
「俺、バージルです。バージル・ウィンスラップ。この前はちゃんと挨拶出来なくてすいませんでした」
えへへ、と笑いながら人差し指で鼻の頭を掻くバージルさんに、激しい罪悪感が込み上げる。
あの時、私が謎の嫉妬風なものに襲われて仮病使って帰っちゃったから……。
「いえいえ!こちらこそ先日は失礼致しました!……あの、ウィンスラップさんは今日はお休みですか?」
「バージルで良いですよ奥さん。はい、今日は休みなんです。それで母に頼まれて”温熱石”を買いに来たんです。奥さんは?」
これ、温熱石って言うんだ。何に使うのか後で聞いてみよう。
「私は日記帳買いに来たんです」
「日記帳ですかー。フフ、女の子っぽいですね」
「……女の子ですから」
「わわっ!そ、そういう意味じゃ……!」
両手をバタバタとさせ、慌てるその姿は大型犬みたいで何だか可愛い。
私は思わずクスクスと笑ってしまった。
◇
「へぇー、温熱石って便利なんですねー」
「えぇ。寒い時にポケットに入れても良いし、魔力を貯めて水に放り込んだらお湯も沸かせます。国境警備兵や魔獣ハンター達には必須の魔道具なんです。因みにコレはアイロン用に買いました。母が洋裁店を営んでるので」
――魔道具屋で花柄の日記帳を買った後、バージルさんが「ご自宅まで送りますよー」と言ってくれたので遠慮なく送って貰う事にした。
バージルさんは私の一つ下の21歳。
お父様は早くに無くなり、洋裁店を営むお母様とまだ学生の弟さんと三人暮らしらしい。
「拷問官と守護憲兵は先祖代々って言う家が多いんですよ。でも俺んちは違うんでそれなりに苦労も多いんですけど、やりがいはあります」
そう言えば、倭さんの奥様のお家も確か代々守護憲兵って言ってたな。
「ギルスさんの家とミアリー先輩の家は代々の家系なんです。で、何て言うかそういう風に代々やってる家系の方が出世しやすいんですけど、ルルス主任はそうじゃないのに異例のスピード出世で、俺達みたいな立場の人間からすると憧れなんですよ!」
その後も、バージルさんの口から出るのはデューの話題ばかり。
そんなキラキラした眼差しで見つめられると、正直戸惑ってしまう。
「主任、最近雰囲気柔らかくなったって評判なんですよー。いえ前から面倒見の良い人ではあるんですけど、ちょっと冷たい感じが無くなったって言うか。でも奥さんを見る主任を見て、その理由が良くわかりました!」
この人、これで私がデューと実は仮結婚で、もしかしたら断る可能性だってあるって事知ったらどう思うんだろう。デューに対して失望したりしないだろうか。
「奥さん?どうしました?」
「え!?あ、いえ、あの何でも無いです」
二週間後、私が出す答えによっては私達だけではなく周りの人達にも大きな影響を与えてしまうかもしれない。
デューとの生活は、彼がきっちり約束を守ってくれているのもありとても快適だし楽しい。
けれど、正式に結婚したらその「約束」は無いものになる訳だしそこは本当にしっかり考えたいのだ。
彼の何もかもを受け入れられるか。
彼と暮らす事によって、未だ心を苛む胸の痛みと劣等感に耐える事が出来るのか。
どちらにしても、私は私自身が正しいと思う行動を取りたい。
「あ!主任!」
考えている内に、いつの間にか自宅近くに帰り着いていた。
バージルさんが急に声をあげ、前方に向かって嬉しそうに手を振っている。
西日で逆光になり、良く見えないけれどあのスラッとした綺麗な立ち姿とピンヒールブーツは紛れもなくデューだ。
自宅の方を向いていたデューがバージルさんの呼び声に反応し、こちらを振り返る様子が見て取れる。
「主任ー!お帰りなさーい!お疲れ様ですー!」
両手を上げ、全力で手を振るその様子が大型ワンコがぶんぶん尻尾を振っているみたいでとっても可愛い。
微笑ましい気分になり、私はついつい声をあげて笑ってしまった。




