16・お茶会の朝
お茶会当日。
早起きした私は二人分の朝食とデューのお弁当を作り、そのまま洗濯に取りかかった。
招待状には「10時に迎えが行きます」と書いてあったから、それまでに家の用事を済ませついでにシャワーも浴びておきたかった。
「デュー、朝ご飯出来てるから先に食べててね?私、やる事あるから」
寝室を覗き、起きてはいるもののなかなかベッドから降りずにうだうだしているデューに一声かけておく。
「ん……カノン……早起きだね……」
「うん、だって今日朝から出かけるでしょ?だからそれまでに家の事やっておこうかと思って」
因みに、デューは「全裸で寝る派」だったらしい。
仮結婚初日、普通に全裸でベッドに入り込んで来た時には思わず悲鳴を上げてしまった。
だけど流石にそれは困るので「裸で一人で寝るか、下着をつけて私と寝るか選んで」と詰め寄った。
そうしたら彼は迷わず私と寝る事を選んだんだけど、下着がそもそもアレな感じだから状況は大して変わりない。
あんなの異世界に来て初めて見た。
本当に男の人の大事なトコだけを覆う、紐パンみたいなの。
ソコしか隠してくれてないから、お尻とかは丸出しなんだよね……。
「……一人で食べるのやだ」
「今日だけでしょ?だってお迎え10時なのよ?それまでに掃除と夕飯の準備と洗濯と、後お風呂も入りたいもの」
「何でお風呂?」
「色々やってると汗かくでしょ?」
仕方ないなぁといった気分で、子供みたいに我が儘を言う旦那様(仮)の髪をサラサラと撫でてあげる。
デューは気持ち良さそうに私の手に頬を擦りよせて来た。
ふふ、子犬みたいで可愛い。うん、これでご機嫌取り完了!
……と思ったのも束の間。
スリスリして甘えていた筈の私の手をガシリと掴み、その勢いで強引に自分の方に引き寄せる。
いきなり引っ張られ、バランスを崩した私はそのままデューの胸に倒れ込んだ。
「ちょっ……!何するのよ」
”下着姿で抱き締め、朝ご飯を共にする事を強要してはならない”という項目は無い。
だから私は拒否は出来るし、彼に対して罰則も適用されない。
でも、こういうのは何だか嫌だ。そう思った私は、彼の腕を振りほどこうとした。
けどその時、彼が微かに震えているのに気付いてしまった。
「……デュー?どうしたの?」
「カノン……朝ご飯は一緒に食べよう……?だっていつまで、いつまで一緒にこうやって過ごせるか……!」
「あ……」
――私達は、仮結婚だから。
1ヵ月間のそれは、もう2週間経ってしまっている。
情報集めに奔走する私とは別に、毎日”普通の生活”を送っているデュー。
彼は、私との生活が楽しいと言っていた。私が側に居ない生活は、耐えられないとも。
けれどデューは鈍くもないし、根拠もなく物事を楽観的に考える人じゃない様な気がする。
だから私が1ヵ月後に断る可能性も、十分に考えていたのだ。
「わかった。ごめんね?勝手な事言って。朝ご飯、一緒に食べましょ?じゃあ顔洗って来てね、準備してるから」
「……うん!」
子供の様に顔を輝かせながら、嬉しそうに私を抱き締めるデュー。
彼は以前、自分の職業を生かして私から「欲しい答えを引き出して見せる」と言っていた。
今も彼の望む通りにした訳だし、ひょっとしたら私は既に彼の術中にハマっているのかもしれない。
それでも、彼の悲しそうな顔を見なくて良かった、と私は心から思っていた。
◇
「行ってらっしゃい、デュー」
「行って来ます、カノン」
恒例の、行ってらっしゃいのキスの後にお弁当を渡す。
いつもは満面の笑みで出かけて行くのに、今日のデューには笑顔が無かった。
さっきのやり取りが尾を引いているのだろうか。
だけど、今はまだ本当の意味で彼を喜ばせてあげる事は出来ないのだ。
ならばせめて、と私は「今夜」の事を口にした。
「デュー、今日の夜は親子丼にするね?」
「本当!?僕が好きだって言ったの、覚えててくれたんだね!」
「うん」
機嫌を取り戻したのか、「今日は出来るだけ早く帰るね!」と元気良く手を振って出勤していく夫(仮)を、私はその姿が見えなくなるまで見守り続けた。
◇
「こんなもので良いかな」
家事を済ませシャワーも浴び、こっちの世界でのドライヤー的な筒を使って髪を乾かした。
その後、昨日買って貰った服に着替えた私は、鏡の前で何度も自分の格好をチェックする。
鎖骨にちょっとかかる位の髪は、側頭部で編み込みピンで留めた。
うん、悪くない感じ。
地味過ぎもせず派手過ぎもしない、”王宮お茶会ファッション”だと思う。
そして小さなバッグにハンカチなどを詰め込んでいると、玄関からドアノッカーが鳴る音が聞こえた。
時計を確認すると、10時ぴったりだった。王宮からのお迎えが来たのだろう。
私は素早く身の周りを再度チェックし、急いで玄関へと向かった。
◇
「うえぇ……」
馬車を降り、王宮の敷地内に降り立った私の第一感想は「吐きそう……」だった。
産まれて初めて乗った馬車。
とっても煌びやかで豪華な作りの馬車だったけど、物珍しくて外を見ながらはしゃいでいたら思いっ切り酔ってしまった。
この世界には、酔い止めとかは無いのだろうか。聞いてみようかな。
けど、流石に22歳にもなって、はしゃぎ過ぎて乗り物酔いしたとか言い出し辛い。
私は気分悪そうな顔に気付かれない様に注意しながら、執事さんぽい人に必死になってついて行った。
そして連れて来られたのは大きな扉の前。
「こちらが妃殿下の私室でございます」
そう言った後、執事さんは「では、ごゆっくり」とクルリと踵を返した。
え、このまま置いて行くの?
困惑した私に気付いたのか、執事さんはこっちを向いて扉の方を指し示した。
「妃殿下からのご指示で、誰も近付いてはならないと言われております。お客様はカノン様だけですからどうぞ、遠慮なく中へお入りになって下さい。妃殿下は朝早くから首を長くしてお待ちでいらっしゃいます」
それだけ言うと、執事さんは今度こそどこかに行ってしまった。
お茶会、私一人なんだ……。てっきり女子会みたいになるのかと思ってた。
誰も居ないなら居ないで、色々相談出来るかもしれない。
むしろ気が楽になった私は、勢いよく目の前の扉をノックした。
「どーぞー」
中から聞こえる、少し高めの澄んだ声。
「失礼します……」
私は扉を開け、部屋の中へと足を踏み入れた。
◇
「いらっしゃい!蘭さん!初めまして、本九条 由羅です!この国では王族の配偶者には名字はつきませんから、今は王太子妃のユラですが」
ニコニコと微笑む、サラサラとした薄茶色の長い髪のとっても綺麗な女の子。
細身のシルクドレスに身を包み、私よりもちょっとだけ身長が高くて、もう王太子妃になるのも当然って位に気品のある子が綺麗な笑顔で出迎えてくれた。
「は、初めまして、蘭 香音です。今は一応、カノン・ルルスです……」
本九条さんは「弥生さんから聞きました。縁談相手に違和感を感じて現在仮結婚中とか」と頷いていた。
何となく予想はしてたけど、やっぱり弥生さんから報告が行ってたのね。
「香音さんって呼んでも良いですか?」
「はい、勿論です」
「香音さんも私の事は由羅って呼んで下さい。私が”王太子妃”でなくなるのは皆さんと会ってる時だけだから」
ほんの少し、寂しそうに笑う由羅さん。
立場上、なかなか他の召喚者達と会えないのだと言う。
「そうだ、香音さんは広島出身なんですよね、もうご存知かと思いますが私は京都出身です。一昨年、18歳の時にこっちに来て、今は20歳です」
20歳か。私の2つ下なのね。それにしても、随分としっかりしてるわ。
私が18の時なんて、大学受験控えてて気持ちも不安定で、心配した――に優しい言葉を言われる度に、逆に冷たい言葉を浴びせたりして――――
「っ……!」
ズキン、と頭が痛む。そして、頭の中と胸の中が酷く騒めく感じがする。
異世界に来てから何度か襲って来るこの感覚。
だけど今日のは特に酷い。
断続的に襲い来る激しい頭痛に加え、ざらざらとした違和感が、頭の中を無理に擦っている感じがする。
思わず頭を押さえて蹲った私を、由羅さんは慌てるでもなく優しく抱き締めてくれた。
温かく柔らかい、この感触。
その温もりを感じれば感じる程、頭痛が酷くなって行く。
(痛い!痛いよ、――さん!……か……さ……)
「お母、さん……!」
――その言葉を発したと同時に、異世界に来てから感じていた違和感が一気に頭の中に流れ込んで来た。
「日誌」には誰も「家族」について触れていなかった。
本来なら、真っ先に「家族に会いたい」「帰りたい」と書きそうなものなのに。
デューと初めて買い物に行った時。
一瞬家族連れに気を取られた筈なのに、何故か気持ちが直ぐにそこから逸れて行った。
倭さんに頭を撫でられた時の手の感触。
私はその時お父さんの手の平を思い出していた筈。
どうして、誰も残して来た家族の事を言わないの?
私はどうして、家族を思い出しかけると身体に不調を来すの?
「香音さん……貴女は、やっぱり……」
由羅さんの言葉が随分と遠くから聞こえる様な感覚の中、私は震えを止める事が出来ないでいた。




