11・お仕事中の旦那様(仮)
デューティさんは鞭を大きく振りかぶり、大臣さんに向けて振り下ろした。
「ひぃっ!」
大臣さんは悲鳴を上げるものの、目を逸らす事なく鞭を見ている。
え、大丈夫!?このままじゃ顔面に当たっちゃうよ!?
それを気にする事無く、全くの無表情で鞭を振るうデューティさん。
あんな勢いで振られた鞭に顔を打たれたりなんかしたら、皮膚が弾けて大変な事になるんじゃ……!
しかし私の予想に反しパシンッ!と言う鋭い音と共に、鞭は大臣さんの身体スレスレを掠めた。
鞭の先端はそのまま磨き上げられた板張りの床に当たって跳ね返って来る。
「ご覧になりましたか奥様!主任の鞭捌きは超一流なんです!完璧な入射角に完璧なタイミング!惚れ惚れします!」
「……はぁ」
まるで子供が憧れのサッカー選手を間近で見た時の様なキラキラした眼差し。私はそんなミアリーさんから、そっと視線を逸らした。
そして眼前に意識を戻す。
デューティさんは華麗に右手を振り上げ、指をパチンッと鳴らした。
途端に天井からガラガラと滑車が降りて来る。
鎖の巻き付いたソレに不穏な気配を感じていると、何処からともなく現れた栗毛の若い男の人が鎖を大臣さんに巻き付け、天井から吊るす形にしていた。
上半身を裸にされた大臣さんの顔は上気し、息遣いは益々荒くなっている。
だ、大丈夫だよね?普通に怖がってるんだよね?何か期待してる訳じゃないよね?
「奥様。今来たのが私の後輩で拷問官見習いのバージル・ウィンスラップです。私含め、この4人が主任のチームなんですよ」
その声が聞こえたのか、滑車の調整をしていた男の人がこっちを向きはにかみながら会釈をしてくれた。
彼は3人の男性陣の中で一番背が高い。
少し跳ねた感じの栗毛はふわふわと柔らかそうで、垂れ気味の蜂蜜色の瞳には穏やかな光が宿っている。
勿論、顔の良さは申し分ない。
きっと、拷問官は容姿が良くないと就けない職業なのだろう。
周囲の人達を見て、それが良く分かった。
美形だけれど、それでも何だか所謂「ワンコ系」と言う感じで他の二人に比べて格段に親近感を感じた。
年も近そう。ひょっとしたら少し年下かもしれないな。
私はそんな事を考えながら、ニッコリと愛想良く微笑み会釈を返した。
……旦那様候補がこの人だったら、断らなかったかもなぁ。
よく見たら、ネイランドさんとバージルさんの軍用っぽい長靴は踵が普通だ。
なるほど、女性陣は全員ピンヒールで男性は漫画で言うと所謂「受け」に相当する容姿の職員がこのピンヒールブーツ履いてるのね。
そんなどうでも良い事を考えている内に、「拷問」は進んで行く。
デューティさんは天井から吊るされた大臣さんの顎を、鞭の柄でツーッ……と撫でながら「薄汚い豚……欲と脂に塗れたその顔の下には何が隠れているのかな?」と耳元で甘く囁いた。
大臣さんの顔が、茹蛸の様に真っ赤になって行く。
「そうだな……僕がとっても感じるのはキミの脂の匂いと……この芋虫の様な指でペンを握った、隠し帳簿の匂いがする……どう?キミも感じる……?」
耳にふっと息を吹きかけながら囁かれ、大臣さんは喜色満面で身悶えをしていた。
もう、誤魔化しが利かない位に全身に喜びが満ち溢れている。
「ねぇ、教えて?帳簿の場所……」
「わ、私は、何もしておりません……知りません……」
――嬉しそうな顔をしていた大臣さんが、一瞬にして真顔になりぶんぶんと首を左右に振る。
あら、意外と粘るのね。この調子でペラペラ喋るかと思ったのに。
「ふぅーん、そう。キミは何も知らないの……」
細い人差し指で大臣さんの胸をつん、と突いたデューティさんは再び鞭を振りかざし、吊るされてる大臣さんの周囲で鞭の乱舞を始めた。
床を叩く、パシンパシンと言う音が広間に響く。
さっきと同じ様に直接当ててはいないけど、さっきと違う所は大臣さんの肌が次第に赤くなってきている所。
「ほらほら奥様!凄くないですか!?アレさっきよりもっとギリギリなんですよ?掠った衝撃波で肌がああやって赤くなるんです」
「はぁ」
よーく見てると、大臣さんが微妙に身体を動かしているのが分かった。
うん、どう見ても鞭の方に身体動かしてるよね。デューティさんが上手く躱してるけどね。
「ホントに知らないの?教えてくれたら、コレをちょっぴり当ててあげても良いよ……?」
「えっ……」
あ、そこ迷うんだ。
「フフ……僕、今すっごく感じてるんだけど?」
隠し帳簿の匂い……と言った後、デューティさんは大臣さんの頬をペロリと舐めた。
「うわ……」
あぁもう、大臣さんデレデレになっちゃってるじゃない。
……って言うか、これの何処が拷問なのよ。
ただのSMプレイじゃない。プレイの合間に尋問風にじゃれあってるだけじゃない。
何で私が時間作ってこんなの見てないといけないの?
「あの。ずっとこんなのが続くんですか?」
「え……?」
「もう良いです。これ以上見ててもしょうがないし、私帰って良いですか?」
「か、帰るって奥様……!今主任が頑張ってらっしゃるのに」
頑張るって何をよ。
綺麗な顔で駄々洩れの色気振りまいて、鞭振り回して女王様ごっこしてるだけじゃない。
「拷問って!もっとこう、鞭とかじゃなくて鉄釘打ったこん棒でぶん殴ったりとか逆さに吊るして水の中に沈めたりとか爪剥がしたりとか焼けた鉄串を爪の間に差し込んだりとかするでしょ!?ギザギザの石の上に正座させて膝の上に重しを一枚二枚と乗せたり、熱した鉄製の牛に無理矢理跨らせたり……!」
肩で息をしながらそれだけ言い切った私は、ふと周囲が静かになったのに気付いた。
「あ、あれ?」
静まり返った大広間の中で、職員さん達のみならず”拷問を受けている”人達も皆、一斉に私を見ている。
そして次の瞬間。
「い、いやだあぁぁぁ――!!そんな、そんな目に逢わされたくない!言う!言います!隠し帳簿は妻の愛用の楽器の中に隠してます――!!」
――大臣さんのその言葉を皮切りに、他の人達も次々と泣き叫びながら何事かを担当職員さんに訴えていた。
慌てて紙とペンを用意し、その証言を書き留める職員さん達。
「お、奥様……今の……」
「ご、ごめんなさい大声で。今のはその、私達の世界で実際に行われてた拷問で……。だから私、てっきり今日はそういうの見せられるのかと思ってたのに、あんな……」
(あんな……何?あれ?私、何でこんなにイライラしとるんじゃろ。むしろ普通の拷問でなくて良かったじゃん。エンターテイメントとして楽しんどれば良くない……?)
――やだ。私、もしかして。
嫉妬したの……?彼が、大臣さんの頬っぺた舐めたりしたから……?
いやいやいや!そんな訳ないじゃない!何で私が嫉妬なんかしなきいけないの?
「カノン!!」
何故か焦った顔でこちらに向かってデューティさんが走って来る。
あ、マズい。お仕事の流れ乱しちゃったから怒られるのかも。
「ごめんなさい!お仕事邪魔するつもりなんて無かったの!」
「そんなのどうでも良い!それより、今の本当!?」
「い、今のって?」
「カノンが言ってた事だよ!本当に、そんな恐ろしい事がニホンでは行われてるの!?」
待って、私「行われてた」って過去形で言ったよ?
止めてその風評被害。
「あの、今ではそう言った目的では行われていないの、法律で罰せられちゃうから。だけど、遊び半分とかで人を傷つける人は少なからず居て……」
「あ、あんな恐ろしい事を遊び半分で!?」
ミアリーさんの言葉が胸に刺さる。
……そうだね。そう考えると、私の居た「世界」はとても残酷な世界かもしれない。
この世界は、ひょっとしたら随分と優しい世界なのかも。
「本当にごめんなさい。せっかく、お仕事見せてくれてたのに……」
私は周りに向かって深々と頭を下げた。
でも、彼には恥をかかせてしまったかもしれない。
ここはもう帰った方が良いかも。
「あの、私お邪魔だから帰るね。ごめんなさい、皆さん」
ワンピースを翻し、その場から一目散に走り去ろうとする私の腕を誰かがガシリと掴んだ。
反射的にそこに目をやると、真黒のマニキュアが塗られた女性の手。
紅いマニキュアのミアリーさんではない。
「……え」
「お待ち、ルルスの嫁。ここの見学はもう良いから、アタシとお茶でも飲もうじゃないか」
掴まれた腕を辿って目線を動かす。
私の腕を掴んでいるのは、紫の髪に金色の瞳を持つ息を飲む程の美女だった。




