最終幕 -執行者-
――――いつの日だったか、このようなことを言われた。
『逃げることが恥なんじゃない。己の力量を弁えず、無謀に突っ走ることこそが恥なんだ』と。
確か、父さんの言葉だ。
これまでの裁判において、脅威の九割というとんでもない勝率を叩きだしてきた父さんは、弁護士会から一目置かれる存在になっている。
どうしてそこまで自信と誇りを持って戦うことができたか、それは難しい理屈ではない。
単純に『負け戦』をしなかったからだ。どんなに複雑そうな案件でも、あらゆる情報を搔き集め、最善を尽くしたからこそ勝ち得た物だ。
途中で断念するくらいなら、最初から引き受けない。もとい、戦いに挑むならば先ほどの事柄を徹底してから引き受ける。それが父さんのポリシーだ。
私の――――いや、私たちの戦いはまだ始まったばかりだ。まずは敵をよく知ること。
それがきっと、凱旋するための秘訣なのだ。
――――運命の歯車はもうすでに回り始めている。おそらく『明日』にでも何か動きがあるだろう……
そう思った私は、翌日に備えて早めに休むことにしたのだった…………
――――翌日、お昼の十二時十分、楠野原大学一階食堂にて。
周囲に気を配りつつ、私はパンを頬張っていた。
いつでも動けるようにするため、お昼は軽食に。
昨日教授が教えてくれた通り、街の至る所にパトカーやら警察官が配備されていた。
黒スーツ――――おそらく刑事たちだろう、そいつらも大学内をうろうろしていた。
まるで第一級犯罪者を警戒するかのような、そんな動きだ。
私が座っている席から見て右斜め前の席に座っていた大学生たちも、その異様な光景について話をしているようだった。
やがてその大学生たちの話は『オカルト研究会』に切り替わり…………
「…………」
チラチラとこちらを伺いながら、声のトーンを落とし、ひそひそ話を始めた。
「…………ふぅ」
私は大きくため息をついておもむろに立ち上がると、そのまま食堂を後にした。
――――午後からの講義は入れてなかったのでそのまま帰ろうか迷っていたが、やっぱり菜穂ちゃんのことが気がかりだったため、三階にある音楽室へ向かうことにした。
ああ見えて菜穂ちゃんは音楽も好きで、サークル活動の合間を縫ってはここに立ち寄り、実習に参加していることもあった。
部屋の外から窓を通して中を覗いてみると、そこには他の大学生たちに交じってピアノの練習をしている菜穂ちゃんの姿があった。
よかった…………表情は明るそうだ。時々学生たちとスキンシップを取りながら、楽しそうに鍵盤を叩いている。
だったら、私がここにいる必要はない。それに、こうして他の学生たちが往来する時間帯に白昼堂々と襲撃を仕掛けてくるヤツがいるとは思えないしな。
そのまま踵を返して先ほどやってきた廊下を歩いていく。
そして階段を下りて二階へ、そこから更に一階へ下りようとした所で、踊り場から黒スーツを着た男連中が上がってきたので、思わず足を止めた。
その中にいた一人の男が、「――――倉木摩耶さんですね?」と私に問いかけながら階段から上がってきたので、反射的に二階の廊下の方へと後ずさった。
廊下にいた周りの大学生たちも何事かとこちらに視線を投げ掛けていた。
私は視線を彷徨わせながらも、平然を保とうとして、
「えっと…………どちら様?」
と、髪を掻き分けながらそんな疑問を口にしていた。
すると、男たちは一斉にチョコレート色の革製の縦開きのバッジホルダーを広げた。
「あぁ、お勤めご苦労様です。はて、私に何か?」
そう問いかけてやると、団体の中から眼鏡をかけた短髪の男が前に出てきた。立ち振る舞いからして、こいつらの責任者のようだ。
そいつは指で眼鏡の位置を直すと、私にこう告げた。
「あなたを『古畑一家殺人の罪』で逮捕することになりました。令状もあります」
そう言うと、傍で控えていた他の刑事らが令状を広げた。
別紙逮捕状請求書のコピーに逮捕状。
それらは裁判所のハンコも押印されていたので、偽物じゃない。
「何かの間違いでしょう?」
「いいえ? 間違いではありません。現場から半径百メートルほど離れた茂みの中から、凶器となったナイフが発見されました。その凶器には三人分の血痕が付着しており、照合の結果、被害者である『古畑家族』のDNAと一致しました。それだけじゃありません。その凶器の持ち手には犯行後に拭き損ねてしまったと見られる、右手人差し指の指紋が付いていまして、あなたの指紋と照合した結果――――」
…………思わず息を呑む。
「――――九十九・七パーセント一致しました。つまり……あなたが『あのナイフ』で『古畑一家』を殺害したことの何よりの証です。大人しく署までご同行願いましょうか」
刑事たちが私にゆっくりと近づいてくる。
「いや、ちょっと待ってください! 私は何もやってません!」
私は一歩後ずさり、必死に身振り手振りで無実を訴える。
これは何かおかしい! 私をハメようとしてるヤツがいる!
「あなたは、弁護士である倉木俊三さんの娘でしたね。そんな方が……非常に残念です」
眼鏡の男はとても無念の表情を浮かべ、頭を振った。
「――――あれ? ひょっとして出遅れちゃったのかなぁ……ねぇ、何の騒ぎっすか?」
聞き覚えのある声が背後から聞こえてきたので振り返ってみると、そこに立っていたのはイヤらしい目つきをした男と、ふさふさ頭の気弱そうな男。どちらも黒スーツを着て――――って!?
「ザクロと和人くんじゃないか?!」
と思わず彼らを親し気にそう呼んでしまった。
「やあ。えっとさ……僕たち、今日は聞き込みに来た所なんですけど、なにこれ、どーゆー状況?」
空気の読めないザクロくんは片手で私と刑事たちを交互に差しながらそう尋ねてくる。
しかし、私を挟み込もうとしてきた刑事たちが、
「ふんっ、お前らみたいな半人前は出る幕じゃねーっての」
と二人を邪険に扱う。
「やだなぁ、こうして現場に居合わせた以上、僕たちは仲間じゃないっすかぁ」
気さくな声色で話しかけつつ、刑事たちと私との間にすぅっと入っていくザクロくん。
そして、私の傍らにいた刑事の耳元で、
「で、今から何をするって?」
と囁く。
刑事はうんざりした様子で
「逮捕だ」
と簡潔に答えた。
するとザクロくんは刑事から少し離れるや否や、あからさまに動揺した様子を見せ――――
「えーっ??! それってなんかおかしくないっすかぁー?!」
と、突然声量を上げて周囲の学生たちに聞こえるように喋りだしたのだった。
「お、おいっ、お前っ! 声が大きいぞ!!」
「だってだって!! 凶器が判明しただけじゃんっ!? そこに血が付いてて、指紋もついてて、それぞれ被害者の物と摩耶ちゃんの物と一致しただけじゃんっ!??」
――――なぜそんなにテンションが高いんだザクロくん。まぁ、私のことを『摩耶ちゃん』と呼んでくれたので、その無礼は許してやろう。
なおもザクロくんは公衆の面前で喋り続け―――――
「ここで疑問タァアアアイムッ!!」
ビシッ、とまるで自由の女神のごとく人差し指を天に掲げた。
すると、教室の中にいたであろう学生たちも廊下にわらわらと出てきて、ギャラリーたちと一緒に混ざりだした。
「物好きなみんなも一緒に考えてみてねっ!」
ウィンクをしながらそう言って断りを入れると、ザクロくんはおでこに人差し指を一度当てた後、まるで探偵のように語り始めた。
「仮にもし摩耶ちゃんが『古畑一家』を殺害したとするなら、犯行時刻である深夜一時頃、どうやって民衆の目を盗んで被害者宅へ向かったのでしょうか?」
すると刑事は目の色を変えてザクロくんに怒鳴りだした。
「はっ! バカかお前!? 普通に行ったんだろう! 夜こっそり抜け出して犯行現場に行って、古畑一郎が出てきたところをグサッてな!!」
「ふーん? でもそれだとおかしくない? 確か摩耶ちゃんのうちってさ、『防犯設備』が充実した超高級マンションなわけじゃない? マンションの中に入ろうとすれば、その周辺に備え付けられた防犯カメラに映ってしまう、と……」
「だからどうした!?」
「ってことはさ……出る時も|カメラに映っちゃうんじゃないのかな?」
「…………っ」
刑事が一瞬動揺の色を見せた。
周りの学生たちもざわめく。
『確かにそうだよね……』『カメラを掻い潜って抜け出したってこと?』『でもあの子の家って最上階って聞いた気が…………』
とギャラリーたちも応戦してくれた。ザクロくんはニヤリと笑った後、ぱんっと柏手を一つ打って続けた。
「そうっ!! 彼女が住んでいるのはマンションの最上階! 仮にベランダから地上に降りたって言うんなら、その方法はなぁにってわけです。
つまり、あの時間帯に彼女が被害者宅に向かうことは不可能だったってことですよ。ちなみにあの日、彼女がマンションに帰宅してきたのは夜の二十一時二十五分、そして次に外出したのは翌朝の八時三十一分です。その間、彼女は一度も外出していません。裏も取れてるんですよ」
「――――『防犯カメラの映像が偽物だった』としたら、そのアリバイは崩れますが?」
と、先程からずっと黙っていた眼鏡の男がそんな無茶なことを言いだした。
ザクロくんは傍に立っていた刑事を押しのけると、今度は眼鏡の男と言い争いを始めた。
「へぇ、つまり僕たちは犯行時刻の防犯カメラの映像を弄られた物を掴まされたって言いたいんすか?」
「ええ、その通りです」
「でもその言い分だとさぁ、あんたらもその『偽物』とやらを掴まされたことを承知の上で、そんなくそみたいな暴論を突き通して彼女に逮捕状を突き付けてるってことになるんすけど……大丈夫っすか?」
「…………」
眼鏡の男が沈黙した。
「まぁ、指紋が付いたナイフが見つかってるんで疑わしい事には変わりないんすけどねー。でもさ、そもそも摩耶ちゃんの指紋ってどうやって採取したわけ?」
「…………っ」
ほんの一瞬、初めて眼鏡の男が動揺の色を見せた。痛いところを突かれたと思ったことだろう。
そう、指紋だ! おかしいと思ったのはそこだ!
こいつらはどうやって私の指紋を入手した? 何か指紋が付いたものをサンプルに取っていたとしか言いようがない。
……………………まさか。
脳裏をかすめたのは先日の記憶。指紋が付いた物を奪われたとしたら、あの時しかない…………
「――――日常生活用品から『倉木摩耶』の指紋を採取し、照合にかけた。別におかしい所など何もないでしょうに?」
と眼鏡の男は言ってのけた。
それは非常に根気のいる作業で一朝一夕に出来るものじゃない。おそらく先日、私が迂闊にも奪われてしまった例のUSBメモリーから指紋を採取したんだろう。
私をハメようとしているヤツが『闇社会』と繋がっていたら、出来なくもない芸当だ。
「まっ、そうですよねーっ! 生活用品からいくらでも採取できちゃいますもんねー!!」
おい、ザクロくん。こんなクソメガネに何を言い負かされてるんだ! きみはどっちの味方なのかはっきりしろ……!
と、心の中で必死に叫びつつ、反撃の機会を伺う。
ここには大勢の学生たちが集まっている。私も、そして刑事たちも、無茶な行動は取れないはず。
「とにかく…………詳しい事情は署に連行してからです。遅れてやってきた貴方たちには引っ込んでいてくださるとありがたい」
「あのー、実は僕、この娘に聞きたいことあるんすけどー、その後からじゃダメっすか?」
「ダメです、早く退きなさい」
「や、ちょ、待って待って?! あんたら強引過ぎっしょ?! ちょっとまーてーよぉー!」
ザクロくんは刑事たちの道を塞ぐようにして『子供』のように両手を広げながら駄々をこねだした。
刑事たちも反応に困っていたが、突然ピタッと動きを止めたザクロくんは静かな声でこう言った。
「まさか…………そんな事までしないよね……? あんたらさ……?」
――――周りの温度が急激に低くなったような気がした。
眼鏡の男も同じようにして静かな声で言い返す。
「――――もしも、する……と言ったら?」
二人は目と鼻の先まで顔を寄せていく。
私の右隣に立っていた和人くんが横眼で私をチラチラ見てくるのが視界の隅に映った。
するする……
と微かな衣擦れの音が、右隣から聞こえてくる。
私は顔を動かさないようにして、目だけを右下に向けた。
その視線の先には和人くんの左手が見える。そして――――
――――するする。その人差し指が後ろの廊下を二度指し示した。
「――――っ!」
それを合図にして、和人くんを刑事たちの前へと押しやった私は、全速力で後方の廊下へと走り出した。
「――――容疑者が逃げたぞぉおおっ!! 追えっ!! 逃がすなぁっ!!」
後ろから刑事たちの怒号が聴こえてくる。その刹那、湧き上がる学生たちの悲鳴。
向こうから歩いてくる学生たちを押しのけながら、反対側の階段へ走っていく。
「はっ、はっ……!」
ロクに走ったこともない私は階段付近までやってきたところで早くも息が上がってしまう。
後ろからは刑事たちが物凄い速さで追いかけてきているが、タイミング悪く教室から出てきた学生たちとぶつかり、躓いていた。それをチャンスと受け取り、そのまま距離を開けていく。
そして階段に差し掛かったところで、ちょうど三階の踊り場から二階に下りてきた菜穂ちゃんと目が合った。
「くら――――?」
私の名前を呼ぼうとした菜穂ちゃんと一瞬だけのアイコンタクト。
『――――こっちを見ちゃダメだ、菜穂ちゃん』
『――――はい、分かりました』
アイコンタクト成立。
彼女は道を開けるようにして立ち止まり、こちらから視線を外した。
そのまま駆け降りるようにして階段を下り、一階にやってきたところで――――
「――――うわっ!!?」
何か凄い力で私の身体はすぐ近くにあった男子トイレの中へと投げ込まれた。
そのまま地面に顔を打ち付けた私は、痛みをこらえつつ入口の方を振り返る。するとそこにはさっきの連中と同じような黒スーツの男が立っていた。
「公務執行妨害で緊急逮捕する!」
そう言って男はこちらにやってこようとして……動きを止めた。
「――――何が『公務執行妨害』だ。その女はただ逃げただけだろうに?」
聞き覚えのある声が、この男の背後から聞こえてきた。
男はホールドアップに応じるかのようにして両手を上げる。
「誰だお前は?! その容疑者の共犯者か!」
「――――残念だが違う。そしてその女は容疑者ではなく、寧ろ被害者だ。お前たちのな」
「…………」
男は無言のまま、表情を変えて――――
「――――っ!!」
息を吐くような音と共に、男は手の甲で後ろの何かに攻撃をしようとした。
「おっと」
背後の何者かは冷静にそれを受け止めると、男の腕ごとねじ曲げ、全身をそのまま個室のドアに叩きつける。
「ぐっ!?」
そしてこんな狭苦しい空間のなかで取っ組み合いを始めた二人は、やがて互いに距離を取って向かい合わせの状態になる。そうすることにより、背後にいた何者かの姿が露わになった。
――――ナナシくんだ!
「お、遅いじゃないかっ! さっさと助けに来てくれよっ!」
と私は彼に泣き叫んだ。
「……話は後だ」
そう言ってナナシくんは男と向かい合う。
黒スーツの男はマーシャルアーツの構えを取り――――
「でぇやぁっ!!」
目にもとまらぬ回し蹴りがナナシくんの顔面に襲い掛かった。
しかし、それを見越していたかのようにナナシくんは一瞬姿勢を屈めてかわす。
そこに追撃を加えるかのように男の高速ジャブが繰り出されるが、それをナナシくんは両手で上手にいなしていく。
「――――しっ!!」
ガラ空き状態のナナシくんの腹に男の右ミドルパンチが繰り出されるが、それを左手でガシッと受け止めてみせるナナシくん。
「ぐっ!!?」
ナナシくんは掴んだその右手を、そのまま裏にねし曲げつつ、空いた方の右手の掌外沿で男の顎を撥ねた。
「がっ!!?」
何か折れたんじゃないかっていうくらい変な音を立てつつ、男は自分の顎を片手で押さえて悶え苦しんだ。
状況は一変、形勢逆転。ナナシくんはすかさず男の腹に膝蹴りを食らわせると、そのまま膝の上へ転がし、横に投げ飛ばした――――
ドンッ!!
と全身をコンクリートの壁にぶち当てた男はその場で動かなくなった。
「――――よし、さっさとずらかるぞ倉木。追手が来る」
「えっ、あ、あぁっ!」
一瞬の出来事で心臓がバクバク鳴っていたが、私たちは男を踏み越えてそのまま廊下に出て走り出した。
「いたぞーっ!! 共犯者と一緒だっ!! 捕まえろーっ!!」
背後から刑事たちの声が飛んでくる。
「おいナナシくんっ! どこから逃げるつもりなんだ?! はぁっ、はぁっ、正面のロビーは押さえられてるんじゃないのかっ!?」
「考えがある! とにかく走れっ!!」
「む、無茶を言うなぁっ!」
それでも一心不乱に玄関を目指して走る私。もう息も絶え絶えで走れないのだが。
やがてロビーが見えてくる。
『えっ、なになに?!』『不審者っ!!?』
などとロビー付近にいた学生たちが騒ぎ、そしてそこで待ち伏せていたであろう刑事たちが私たちの前に立ち塞がった。
「よし、ここでいい。目を瞑っていろ」
「はっ??」
言われるがままに瞼を閉じた瞬間、強烈な光が眼球を刺激し、それはすぐに収まった。
「お、おい、今何をしたんだ?」
目を開けて周囲を見渡すと、近くにいた学生たちや刑事たちが両目を押さえて悶え苦しんでいた。
「今は知らなくていいことだ! 早く来いっ! こっちだ!」
ナナシくんに手を引かれるまま、ロビーを強行突破して外に脱出する。
そしてナナシくんは路上に停めてあった黒いバイクに跨るなり、「早く乗れ!」と促してきたので、素直に従って私も後ろの荷台に跨り、男にしっかりと掴まる。
「お、おいっ、予備のヘルメットはないのか?!」
「そんなものはないっ!!」
「嘘だろぉおおおおっ!?」
轟音を立てながら急発進したバイクは、街中を爆走し始めた。
もはやこの男には社会のルールというものは存在していないのだろう。速度制限を遥かに超えたとんでもない運転をしている。
やがて私たちのバイクは大通りに出て、赤信号の交差点に差し掛かろうとしており、その交差点では何も知らない一般車両が右往左往しているのが見えた。だが!
あろうことかこの男は、信号無視してそのまま突っ切ろうとしたのだ!
「ひゃぁあああああっ!!?」
交差点のど真ん中に突入し――――
ププーーーーーーッ!!
横からやってきた車が大きくクラクションを鳴らす。
これは死ぬ、と思ったが奇跡的にすれすれでそれを乗り越えてみせた。
「はぁっ……はぁっ……! ま、待てナナシくんっ! これじゃ命がいくらあっても足りないぞ!!」
「そんな悠長なこと言ってられるか!! 死にたいのか!!」
「せめて安全運転してくれぇえええ!!」
「それは後ろの連中に言ってやれっ!!」
私の叫びはこの男には届かなかった…………ん? 後ろ?
男に掴まったまま後ろに振り返ってみると、白バイが一台と、少し距離はあるものの後ろから見慣れない黒い車が数台やってきているのが見えた。
「そこの黒バイク、止まりなさーい!」
白バイ隊員の男が声を張りながら、こちらにどんどん距離を詰めてくる。
「止まりなさい!! 速度制限を遥かに超えてますっ!! バイクの二人乗りも非常に危険です!! 危ないので止まりなさい!!」
そう言われて再び視線を前に戻し、ナナシくんの動向を見守った。しかし、それでもナナシくんは耳を傾けず、そのまま高速道路の高架下の車道を爆走していく。
やがて後方にいた白バイはサイレンを鳴らしながら私たちを追い抜き、前方にやってくるなり少しずつスピードを落としてきた。
さすがに強行突破をするわけにも行かないと踏んだのか、ナナシくんも徐々にスピードを落としていった。
ここは歩道もない車道のど真ん中。あまり長く留まるのは得策じゃないだろう。
このタイミングで追っ手が来たら、そのまま轢き殺されておしまいだ。
私たちはいつでも発進できるように、バイクに跨がったまま待機しておくことにした。
やがて、前方で停まったバイクから白バイ隊員が下りて、こちらにやってきた。ナナシくんは後ろからやってくる車両に気を配りつつ、バッジホルダーを開きながら語りだす。
「俺はこういう者でな、訳あってこいつを警護してるんだよ。アンタも死にたくなかったら今すぐここから立ち去れ」
とナナシくんは冷静に白バイ隊員を説得するが、白バイ隊員はそのホルダーを見るなり怪訝そうな表情になり、
「…………『ナナシ』……?? そんなふざけたコードネームがあるわけないじゃないですか! ヘルメットを取って素顔を見せなさい!」
……より一層警戒を強めてしまった。
「悪いがそれは出来ない。どうしても俺たちの行く手を阻むと言うのなら、少々強引な手を使ってでも退いてもらうしかないんだが」
「脅迫ですか? ちょっとそこで待っていなさい、警察庁に問い合わせてみますので」
白バイ隊員はスマホを取り出し、電話をかけ始めた。
……………………背後からやってくる一般車両を、目を皿のようにして一台ずつじっと観察していた私は、その中に先ほどの黒い車が数台混じっているのを見つけた。しかもその数は倍以上に増えていた。
追手はすぐそこまでやってきている、ということだろう。
「お、おい……ナナシくん……」
と、声を潜めつつ彼に呼びかける。
「ああ、分かってる」
私の懸念を読み取ったのか、「掴まってろ」と言って、バイクを急発進させた――――
「ま、待ちなさぁあああいっ!!」
少しして再びサイレンを鳴らしながら白バイがこちらにやってきた。
仕事熱心なのは良い事なんだけども…………少し空気を読んでほしいところだ。
そして白バイは再び私たちを追い抜こうとしたところで――――
「ぐあっ…………!?」
突然胸を押さえ、こちらに倒れこんできた!
「きゃぁっ!!?」
私は悲鳴を上げつつナナシくんにしがみつく。
「――――ちっ!!」
倒れてきた白バイをナナシくんは足で押し返す。
それは反対側へと大きくバランスを崩し、白バイ隊員はバイクごと道路上に放り出されていったのだった……
その惨状を見た私は、再び視線を前に戻してナナシくんに泣きつく。
「なぁっ、今何が起こったんだ!? 何であの人倒れてきたんだ!?」
「気を付けろっ! 狙撃だっ!」
「ひっ――――!?」
男の緊迫した声によって、恐怖がピークに達する。
「飛ばすぞ!! 倉木っ!!」
「いやぁああああっ!!?」
バイクはどんどんスピードを上げ、何台もの一般車両を右へ左へと追い抜いていく。
やがて大型車両が見えてきたかと思うと――――
――――キュィイイイイイイッ!!
突然、耳を劈くようなスリップ音を立てながら、その大型車両が横転したのだった……!
次々に巻き込まれていく前方の一般車両。
くそ、進路を塞がれてしまった!!
「このまま突っ切る!!」
「勘弁してくれぇええええっ!!」
バイクは止まるどころか、そのままスピードを上げていく。
やがて前方に見えてきた、前の車に乗り上げていた黄色い車に向かって、ナナシくんは車体を斜め上に傾け、まるでジャンプ台のように――――
「うわぁあああああああっ!!?」
初めて味わう浮遊感。文字通りバイクは空を飛んでいた。
たった一瞬の出来事なのに、なんだかとても長く感じられて――――
そして横転した大型車両の上へと綺麗に着地し、そのまま地上へ――――
ガシャンッ!!
「ふにゃぁっ!!?」
落下したときの衝撃が強すぎて、尻が……尻が! あと腰も痛い!
「――――何とか乗り越えられたな! このまま追手を振り切るぞ!!」
「いやっ! 何とかなってないからぁあああ!!」
絶叫しすぎて喉が痛い。あとぼろぼろ流れてくる涙をどうやって止めればいい?!
交通事故で死ぬだなんて絶対に嫌だぞ!
「倉木、俺はよそ見ができん。敵を捜してくれ!」
「はいっ!?」
確かに運転中のよそ見は死につながるとも言うから、仕方がないな。
といっても、怪しい物ならすぐに見つかった。
十時の方向、その上空に浮かぶ一機の白いヘリ。
「おい、なんかあのヘリ、こっちと距離を合わせてるような気がするんだが…………」
「航空機動隊か? まさか! あの距離から動いてる対象物を狙撃できるやつなんか聞いたことがないぞ!」
「あ、あんたが敵を捜せって言ったんだろう!! 文句があるなら自分でさが――――ひゃっ?!」
コンッ!! という高い音がバイクのどこかから鳴り響き渡り、思わず悲鳴を上げてしまった。
何か降ってきたのか?!
「まずいな、敵はこのバイクを直接狙っているらしい」
「なに冷静に分析してるんだよぉっ!」
「さっきからぎゃーぎゃーうるさいな! バイクから振り落としてやろうか!?」
「そしたら絶対あんたを殺すっ! 地の果てでも追いかけてやるからな!!」
コンッ!!
「「うわっ!?」」
二人して悲鳴を上げる。
二発目がバイクに着弾しているのだから、今は言い合いをしている場合じゃない。何か対策を立てなければ!
「タイヤっ!! タイヤを狙われてるんじゃないのか!?」
「だろうな!」
そうして高速道路の下を抜け、やがて一般道路まで出てきたところで――――
パシュッ!! シュゥウウウウウッ!!
何かが破裂して、そこから何かが抜けていくような、そんな音が聞こえてきた…………
「くそっ、やられた!!」
バイクがバランスを崩す。バイクは少しずつ減速していくがまだ止まらない。
このままだと横転してしまう!
「飛び降りろっ!! 倉木っ!」
その言葉に無意識に従っていた私は、勢いをつけて歩道側へ飛んだ。
等速直線なんたらって法則によって、私の身体は道路上をコロコロと転がっていく。何十メートルふっとばされたのかは分からないが、やがて私の身体はその動きを止めた。
幸いしたのは、後方から車がやって来ていなかったことと、飛び降り方がよかったのか、全身打ち身や擦り傷程度で済んだことだった。
やがて、ガシャーンッ! という音が前方から聞こえてきた。
「うぅ……くっ…………ナナシくん……!! ナナシーーーっ!!」
私は四つん這いになりながら、必死に立ち上がり、彼の名を叫ぶ。
私たちが乗っていたあの黒いバイクは、前方約十数メートルほど離れた地点で倒れ、燃え上がっていた。
「はぁ……はぁ…………ナナシくん…………っ!」
バイクの元まで駆け寄ったが、そこにナナシくんの姿はなかった。
「上手く……災難を逃れたのか?」
だがすぐ近くには見当たらない。ひょっとしたら、私と同じようにどこか離れた場所に飛ばされたのかもしれない。
「…………?」
ふと、背後を振り返ってみると、向こうから猛スピードでこちらにやってくる数台の黒い車が。
「くそ……っ!!」
私は走った。とにかく懸命に走った。
通行人とぶつかろうと、途中で車に轢かれかけようとも、生きるために逃げた。いや、正確には違う。いつの日か勝つために逃げているのだ。
やがてサイレンの音と共にやってきたパトカーが、こちらの姿を捉えるなり、猛スピードで追いかけてきた。
幸い、この足はまだ動く。
「…………待てぇええっ!!」
遠くから警官の叫び声も聴こえてきま。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ!」
息を整える間もなく、私は街中を無我夢中で走り続けた。
途中で脇道を抜けたりしながら、どこかも分からない場所を延々と走り続けた。
とにかく身を隠せる場所を探そう、そう思って周囲に目を凝らしていると、二階建ての工場みたいなものが目に入った。窓から見えるのは汚れた鉄筋の数々。おそらく廃工場か何かだろう。
私はそこに逃げ込もうとして、外周を回って正面側にある駐車場の中へ入りこんだ。
――――カラカラカラッ!!
「うゎああぁああっ!?」
駐車場に入るや否や、いきなり横から転がってきたドラム缶にぶつかり、バランスを崩してアスファルトの上へうつ伏せに倒れこんでしまった。
「はぁ……はぁ……」
……もう走れそうにない。この身体が酸素と休息を求めている。
でもここで立ち止まれば、その先に待っているのは確実な死。
生き延びなければ――――と、上体を起こそうと腕に力を入れた所で――――
「――――ようやく相見えたな、倉木摩耶よ」
突然、ボイスチェンジャーで喋ったかのような低い声が背後から聞こえてきた。
私はゆっくりと身体を反転させて尻もちを着く態勢でそいつの姿を捉える。
「…………誰、だ?」
赤い外套に身を包み、赤いフードを被り、そのフードについている仮面で顔を隠した謎の人物が、右手でで拳銃を構えて立っていた。
「どうせ死に行く命だ…………名乗ってもいいだろう。コードネームで申し訳ないが、私は『執行者』の一人、その名を『タナトス』と言う」
『執行者』……? 『タナトス』……? どちらも聞き覚えのないフレーズだ。
私はゆっくりと身体を起こして立ち上がると、真正面から敵と対峙する。
「『タナトス』って確か死神の名前だったよね? そうか……この私に止めを刺しに来たってわけだ」
「無論。少々子供のお遊びが過ぎたということだ。悪く思わないで欲しい」
「口封じに殺すってこと…………お前が…………お前が古畑くんたちを殺したのか……!」
私は怒りと憎しみを込めて、タナトスを睨み付ける。
「『自業自得』とはこのことだ。遊び半分で足を踏み入れれば、それがどのような結果をもたらすか……身をもって知らしめてやっただけだ。
そして…………お前たちにも警告をしたつもりだったが……どうやらあのメッセージには気づいてもらえなかったようだ」
「『警告』? …………あぁ、『炙り出し』の間違いだろう? お前はそうして、私たちが尻尾を出すのをずっと待ってたんだろ!!
菜穂ちゃんに嫌がらせの紙を送り付けたり、寿先輩の財閥でクーデターを引き起こしたり、私の父さんの事務所を襲ったりしたのもお前たちだ!! そうだろ!?」
「勘違いするな倉木摩耶。私がやったのは『古畑一家』の抹殺だけだ」
「はっ……??」
…………じゃあ誰が他のメンツを…………?
「嫌がらせの紙も、クーデターとやらも、お前の父親の事務所の襲撃など、私のあずかり知るところではない。
お前の行動によって刺激された何者かたちが、一斉に牙を剝いて襲いかかってきたのだろうよ」
「…………じゃあ、私を殺そうとしたのもお前じゃないのか?」
「実行に移したのは別の人物だよ。見事に失敗したようだが……」
「ぐっ…………」
私はいつでも逃げられるようにじりじりと後ずさる。
とりあえず、落ち着いて情報を引き出していこう……
私は尋ねた。
「『闇社会』とは……いったいなんなんだ…………!! 答えろ……っ!!」
「ほう……? 冥土の土産話がそのようなことでいいのか?」
「それが一番気になることだったからな……」
だからこそ答えてはくれないだろう――――そう思っていたのだが、
「…………『あらゆる生命の残滓』だよ」
「なに…………?!」
あっさりと答えてくれた。
「あれらはすでに役目を終えた存在。この現代社会から切り離され、行き場所を失くした亡霊たち……その亡霊たちが生に執着しすぎた結果、新たな形となったものではないか……と私は考えている」
「…………?」
――――妙な答え方をするんだな。
まさか、こいつですら『闇社会』の実態を把握できてないのか?
「何に執着したのかは分からない。だがその報われることなき願いが強すぎたのか、それに呼応する者が現れたのか…………いつの間にかその者たちは『大いなる力』を手にしていたのだ」
「…………つまり、その『亡霊たち』は水面下で力を蓄え、この地上に顔を出した……と?」
「そのようなものだ。故に『あらゆる生命の残滓』と表現した。お前もまた、その『残滓』の一つになるということだ」
嘲笑するかのような物言いに、私は反論する。
「な、何を言ってるんだ! そういうお前こそ残滓なんじゃないのか?!」
「無論、私とて例外ではない。こうしてお前に死の宣告をしに来たのだから……私は私の目的で、お前を抹殺するだけだ」
「ふざけるな! 私は違う! ちゃんと生きている!! 今だってこうしてお前たちと対峙してるじゃないか!」
「……はて。周りから見れば、お前はどのような存在に映ったのだろうか? さぞかし、身の程知らずの哀れな小娘が、正義感丸出しで無謀なことに首を突っ込んだ挙げ句、多くの犠牲者を生み出した厄介者に見えたことだろうな」
「…………全部……私のせいだって言うのか……?」
「先ほどの狙撃とて、お前が生への執着を持たなければ起き得なかったことだ。現職の公務員も死ぬことはなかっただろうな」
違う、違う違うっ!! そうじゃない!!
私は頭を振って反論する。
「お前たちはそうやって、自分たちのやってきたことを正当化しようとしてるだけじゃないか!! お前たちが私を殺そうとしたから私は逃げた!! 誰だって生きる権利はあるだろ!!」
「――――社会とは常に不条理の連続で積み上げられている。先任たちのカルマを精算すべく、犠牲になった者たち。何かを得る代わりに、何かを棄てる日々。だが人という生き物は、時間を経て忘れゆくものだ。手にした安寧がどれほどの犠牲のもとで成り立っているのかを…………そうして再び過ちを繰り返し、それは輪廻していく」
「…………どういうことだ……?」
「まだ分からないのか? お前はもうすでに社会から切り捨てられているのだよ。誰もお前を護ってくれる者はいない、誰もお前を称えてくれる者もいない。仮にお前が無事に生き残れたとしても、『古畑一家』を惨殺した卑劣な殺人鬼として、その生を終えるだけだ。なにせ、『証拠』は全て揃っているのだからな。いずれまた新たな『証拠』がお前を追い詰めていくだろう……」
「…………」
「たとえお前がどれほど社会に訴えかけようとも、それに耳を傾けてくれる者など誰一人として存在しないのだ。寧ろそれをネタに笑い飛ばされるのが目に見えているよ」
……………………社会からして見れば。
私を立派な殺人犯に仕立て上げ、この事件の幕を下ろしたがるに違いない。
とにかく人は自分の益にならないことは絶対にしようとしない。たとえそれによって誰かが不幸になるとしても、自分の身の危険を冒してまでやることではない……そのために警察官や救急隊員といった者たちがいるのだと、そう考えるだろう。
しかし、私たちを守ってくれるはずの公務員でさえも、己の益にならないことや不都合なことには手を出したがらないのだ。悔しい事だが、それが今の『現代社会』。
いかにして真偽を見極めるかではなく、いかにして利益になるのかを考える連中だ。
彼らが無意識の内に『こうあるべきだ』と考えたのなら、それが『真実』になってしまう。
そう、真実なんてものは所詮解釈する相手によってどうとでも捻じ曲げられるものだ。見たいもの、聴きたいことだけを受け入れたがる。
だとしたら…………私がこれ以上足掻くことに意味なんてないのかもしれない。こいつの言う通り、この社会に切り捨てられた『生命の残滓』として、深淵を彷徨い、闇に消えていくのだろう……
想像を絶するような現実に、私は目を伏せって頭を垂れる。
「それでも私は――――」
――――覚悟を決め、顔を上げてやつに宣言する。
「――――その『不条理』に抗ってみせるさ」
「ふむ……どちらの選択肢を選ぼうと、お前に待っているのは『確実な死』だが?」
「それがどうした? 私はこれからまだまだ知らなければならないことが沢山ある。そして、それを後世に伝える義務があるんだ。だからこんなところで死ぬわけにはいかない!!」
ビシッ、とタナトスに人差し指を突き付けてやった。
「私の身の潔白は私自身で証明してやる! そして『闇社会』の深淵に潜り込み、答えを見つけ出す! 本当の『闇』とはいったい何なのかをね!」
やつはしばし黙った後、その決意表明を聞き届けたかのようにして頷き、
「いいだろう……それならば今ここで、お前の息の根を止めてやるまでだ…………と、言いたいところだがその前に」
タナトスはこちらに顔を向けたまま、左手を懐に突っ込むと、そのままもう一丁の拳銃を取り出し、私から見て六時の方向に突き付けた。
…………その六時の方向にはドラム缶が並んでいるだけで何もない。
「――――そろそろ出てこい、黒ネズミよ」
「黒ネズミ……??」
そうして並み居るドラム缶をぼけーっと眺めていると、
「――――『執行者』ってのは、尋常ならざる相手っぽいな…………アンタ、最初から俺がここにいることに気づいてたんだろ?」
ナナシくんの声だ!! よかった、無事だったんだ……!
しかし、ドラム缶の背後から出て来る様子はなく、声だけが聴こえてくる。
「あぁ、気づいていたとも」
「なんだ? 俺に倉木の演説を聴かせるために気付かないフリでもしてたのか?」
「この者の決意表明をしっかり聞き届けてからでなければ、フェアとは言えないだろう? 彼女は自分の命と引き換えにこの社会の歯車になろうとしているのだから。
さぁ、大人しくそこから出てこい黒ネズミ。さもなくば、一つ数える度に近くにいる一般人どもを射殺していく」
「――――はっ、そんな脅しに誰が乗る――――」
「――――一つ」
パンッ!!!
――――どこからか、乾いた音が聴こえてきた。それと共に一般人たちの悲鳴が上がる。
「な……なんてことをするんだっ!!」
と、私は半泣きになりながら叫んだ。
「大人しく出てこいと言ったはずだが? ふた――――」
「――――待て待て待てっ! 今出てきてやるから……!」
そう言ってドラム缶の向こうからナナシくんが立ち上がって拳銃の引き金を引くのと、タナトスが彼に視線を向けて拳銃の引き金を引くのはほぼ同時だった――――
パパンッ!!!
二発の銃声が響き渡る。
ナナシくんはうめき声を上げながら再びドラム缶の下へと崩れ落ちていった。しかし、一方のタナトスは健在だ。
「――――無駄なことを」
「ナナシ…………? おい、ナナシくんっ!!? ナナシくーんっ!!」
――――私の必死の呼び掛けにナナシくんが応じて起き上がってくる気配はなかった。くそ、やられたか……!
「――――さぁ、始めよう…………生きるか死ぬか、その選択の先にある未来を……私が見届けてやろう」
そう言ってタナトスは左手をゆっくり下げると、最初に対峙した時と同じようにして私と向かい合った。
「くっ…………!」
「どのような悪あがきをするのか見物だな…………む?」
遠くからパトカーのサイレンの音が聴こえてきた。それはこの駐車場へと向かって来ているようだった。
ひょっとしたら助かるかもしれない!
ところが、一台のパトカーがこの駐車場に入ってくるや否や――――
「――――これは私と倉木摩耶とのゲームだ。部外者にはご退場願おうか」
そう言ったタナトスはこちらに姿勢を向けたまま、やって来たパトカーのすぐ近くにあったドラム缶を左手に持つ拳銃で撃ち抜き、更にそこから漏れ出た黒い液体にめがけて銃弾を撃ち込んだ。
ボォオオオッ!!!
炎は瞬く間に燃え広がり、それはパトカーに引火し、爆発させた。
パトカーは大炎上しながら駐車場の入口を塞ぐ形で横転し、それによって退路は完全に断たれてしまった。
「う、うわぁああああああっ!!?」
私は廃工場の中へと走っていく。
後ろから狙い撃ちされるかと思ったが、幸いにも大丈夫だった。
…………廃棄されたままの鉄筋の山々に身を隠しつつ、周囲の状況を伺う。
通り道は漢字で書くと『田』の形を連続させたものが広がっているので、鉄筋から鉄筋へと素早く移動すれば、銃撃から何とか身を守れるかもしれない。
奥には上に上がる階段が見える。上を見上げてみると、吹き抜けになっているのか、二階部分が見えた。そこは通路になっていて障害物はなく、フロア全体を見渡せるようになっているみたいだった。
「――――飛んで火に入る夏の虫……ということわざを知っているか? お前のそれは自殺行為に他ならない。時間を稼げば何とかなると考えているのならば、それは大きな誤りと言えるだろう」
タナトスの声がどこかから聴こえてくる。
「…………」
私は無言のまま、取り敢えず東側の壁際へと移動し、背後を取られないように注意する。
ここからなら六時、十二時、三時の方向に気を配っていればいい。
「…………お前は私の姿が見えていないようだ。しかし、私はお前の姿をはっきり捉えているぞ」
「…………っ!」
ハッタリだ――――そう思ったが、実際のところ分からない。不思議なことに、やつの声は左右に行ったり来たりしながら聞こえてくるのだ。
「――――なぜその場から動こうとしない? 背後さえ取られなければ大丈夫だとでも思っているのか?」
――――見られている。それはやつの言葉から明らかだった。
私は視線を左右に走らせながらその場を移動しようとした。くそ、タナトスはどこにいるんだ?!
「まだ私を見つけられないのか? ならば、三つ数えるまでの間に私を見つけてみろ。さもなくば、お前の頭部が弾け飛ぶことになるだろう」
また時間制限か……!
でもヤツは言葉通り、やると言ったらやるだろう。
「さぁ、数えよう。一つ……」
どこだ!? どこにいる?!
目を皿のようにして周囲を見渡す。右手の山積みになった鉄筋の隙間にはいない。
「二つ…………」
左手に散乱した大小様々な鉄筋の所にもいない。
じゃあ……
「みっ――――」
上か?!
そう思って見上げてみると、二階正面の通路にて拳銃を片手に構えるタナトスの堂々とした姿を捉えることができた。
刹那、私は右手にあった山積みの鉄筋の影へ飛び込んだ!
――――パンッ!!
間一髪、顔面すれすれでその銃弾をかわすことに成功した。
「――――ふむ、かわしたか。戦場において敵を探知する際は、前後左右といった二次元的空間で捉えるのではなく、そこに上下を加えた三次元的空間で捉えなければ、敵に死角を突かれて命を落とすことになるぞ」
ご丁寧にご忠告どうも、と言いたいところだが、いつの間に上に移動してたんだ?! 全く気が付かなかったぞ!
「…………あれっ……??」
ふと視線を上に戻してみれば、もうそこにタナトスの姿はなかった。しまった、見失ってしまった!!
「…………くっ!」
私は右手側――――つまり正面入り口から見て奥へと忍び足で移動した。
このまま立ち止まっていたら先手を打たれて逃げ道を失ってしまう!
とにかく銃撃を免れること、それを第一に考えていればいい。
『闇社会』が早期決着を望むのであれば、パトカーや消防車がやってくる前にケリをつけようとするはずだ。
街中にいる一般市民を射殺しただけでなく、大胆にもパトカーを爆破して見せたのだ。おそらく数分もしないうちに応援がやって来るだろう。それまでの間、敵の攻撃を凌げれば私の勝ちだ。
――――やがて、壁伝いに突き当りまで移動して、四隅に背を向ける形でフロアを見渡す。
正面には入り組んだ鉄筋の通路が、右手には二階へ上る階段の右側面が、そして左手には通路が続いているのが見える。
向こう側の階段からやつが下りてくる様子はない。ひょっとしたら、さっきのようにもうすでにそこを通過している可能性がある。
どうしようか。このまま二階に上がったとしても、下から狙い撃ちをされるか、階段で待ち伏せされて終わりだ。
「――――さて、移動する時間は十分に与えてやったはずだが…………次はもう少し近い距離でお前を狙い撃つことにしよう」
――――またどこかからタナトスの声が聴こえてきた。
確かにヤツの言う通り、さっきよりも声が近くなったような気がする。
「少しずつ、死へのタイムリミットが迫りくる感覚はどうだ? といっても、それは先日体験したばかりだったか。では、三つ数えるまでに私の姿を捉え、銃撃をかわしてみせろ。一つ……」
――――二階フロアにはヤツの姿はない。ということは一階フロアのどこかにいるはず。
「――――二つ」
ひょっとしたら、一階中央付近の鉄筋と鉄筋の隙間から狙い撃ちでもしてるんじゃないだろうか?
………………いた! 十時の方向だ!!
「――――三つ」
パンッ!!
………………咄嗟に鉄筋の山の下に伏せた。
今回も銃撃を避けることに成功したが、次はどこから狙い撃ちされるのか。
一発目は遠距離、二発目は中距離、だとすると三発目は至近距離で撃たれる可能性が高い。
そして案の定だが、さっきの狙撃ポイントにそいつの姿はなかった。また移動を開始したのだろう。
――――いや待て、何か変だ。
ひょっとしてこれはもう詰んでいる状態じゃないだろうか?
一発目の狙撃ポイントとして二階フロアを選んだのは、私を階段側へ近づけさせないようにするためだ。『敵が階段から下りてくる』という先入観を持たせ、壁伝いに移動させるように誘導した。
そして私がフロアの四隅まで移動したところを見計らい、二発目の狙撃ポイントとして一階中央フロアを選んだ。
こうすれば三発目の銃撃に対し、私がどの方角に逃げたとしても"確実に追い詰めることができる"。
「――――やはりお前は甘いのだな。では次の一発でお前の息の根を止めてやろう」
「…………」
何か方法はないか考えた。私のすぐ目の前にある鉄筋の山々の中には、手ごろなサイズの鉄パイプが一本だけ。もはや勝負に出るしかなさそうだった。
「――――一つ」
――――私は1メートル少しあるその鉄パイプを手に取ると、フロアの中央を目指して静かな足取りでジグザグに走り抜けた。
「――――二つ」
――――やがて中央に差し掛かったところで――――
「――――チェックメイトだ」
――――今だっ!
私はヤツのその掛け声に合わせ、鉄パイプを振り回し、後方へと投げ飛ばした。
「――――むっ!?」
――――ゴォオオンッ!! カランカランカラン…………
――――静寂に包まれた廃工場の中で、その鉄パイプの音は響き渡った。
振り向きざま、拳銃を構えていたタナトスが防御反応を取ろうとして間に合わず、その右腕に鉄パイプが命中するのを私は確かに見届けた。
そしてさっきまで握っていたタナトスの拳銃は明後日の方向へ飛び、それは鉄筋の山々のどこかへと落ちていった…………
ヤツは左手で右腕を押さえつつ後退していく。
「――――ぬかったか…………!」
――――そう、絶対に外さない最後の狙撃ポイントとして一番相応しいのは『背後』だ。ヤツがその地点から狙ってくると推察した私は、狙撃に合わせて鉄パイプを後方へ投げ飛ばしたのだ。
まさか、これほどまでにクリーンヒットするとは思いもしなかったが。
「このゲーム、私の勝ちで良いんだよな? タナトス」
「まだだ…………まだ決着はついていない!」
「――――いいや、ついてるよっ! もうとっくにね!!」
私の後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきたかと思うと、慌ただしい足音と共に、二人組の黒スーツの男たちが、私の前に出て拳銃を構えた。
「えっ……?! ザクロくんに和人くん?! どうしてここに?! っていうかどうやって入り込んだんだ!?」
「そんな話は後回しだよ! それより、こいつを何とかしないと! ほら、キミは下がってて! おい槍杉!」
「はいっ!!」
和人くんは私のそばに駆け寄るなり、まるでSPのごとく、私の盾となる。
「――――これも黒ネズミの差し金か?」
と、タナトスは問いかけてくる。
「黒ネズミぃ? はっ! 何のことかさっぱりだね! 僕たちは独自の調査でお前たちに辿り着いた。それだけのことさ!」
「ふっ……なるほど、それならば私の完敗だな。だが倉木摩耶よ、心するがいい。一度『回りだした歯車』はもう誰にも止められまい。後は滅びに向かって進んでいくだけだ」
「…………これからテロを起こそうっていうのか!?」
「さぁな、それも私のあずかり知るところではないよ、私は私の為すべきことのために動くだけだ」
「ちょっと待ちなよ? まさかこのまま尻尾を巻いて逃げる気かい?」
「はて、私を引き留めるのは結構だが、時給は高いぞ?」
「はっ? なにごちゃごちゃと訳分かんないこと――――」
「ザクロくんっ! ダメだ! それ以上はダメなんだ!」
私は慌ててザクロくんに呼びかける。
「はぁ? どういう意味だよ?」
「ヤツが言いたいのは、『自分を引き留める代わりに、一般市民を殺害していく』ってことなんだ!」
そう伝えると、ザクロくんは引きつった表情になった。
「ま、まさか…………さっき街中から聞こえてきた銃声は…………」
「倉木摩耶は理解しているようだ。さぁ、選ぶといい。一般市民を犠牲にして戦いを続けるか、一般市民を護るために戦いをやめるか」
ザクロくんは舌打ちしながら、私の方へと後ずさってきた。
つまり『戦わない』ということだ。
「――――賢明な判断だ、では失礼するよ。…………倉木摩耶よ」
「んっ……?」
名前を呼ばれ、より一層警戒を強める。
「また相見える時を楽しみにしている」
そう言い残したタナトスは素早い身のこなしで鉄筋を駆け上がり、鉄筋から鉄筋へと飛び越えて、あっという間に二階へとたどり着き、向こう側の窓ガラスを突き破って飛び降りていった…………
悔しいが、これは手加減されていたと認めざるを得ない。『執行者』とはとんでもない化け物なんだな…………
「はぁ…………」
と私は大きく息を吐き、その場にへたれこんでしまった。
敵が完全にいなくなったことを確認したザクロくんも、拳銃を下ろしてこちらにやってくる。
「――――一応、何とかなったみたいだね」
とザクロくんは言う。
「何を言ってるんだ……ってその前に、来てくれてありがとう。きみたちがここに来てくれなければ、私は殺されていたよ」
「いや……これも知り合いの情報がなかったらどうなってたかは分からないよ」
「えっ? 知り合い?」
「その……言い辛いんだけどさ…………って言っちゃっていいのかな…………」
ザクロくんが変に言い淀んでいると、
「――――別に構わないぞ、言ってしまっても」
と、今更と言った感じであの人が鉄筋の物陰からひょっこりと姿を現した。
「おいナナシくん…………撃ち殺されたんじゃなかったのか?」
とジト目でからかってやる。
「防弾チョッキくらい着用してるに決まってるだろう。それより………」
と、ナナシくんがザクロくんに手で話を促す。
「あぁ、そうそう。この公安の人だよ、僕らに情報をくれたのは」
「えっ、ナナシくんとザクロくん、知り合いだったのか!?」
「まぁ、積もる話は車の中でゆっくりしようよ」
とザクロくんは一階の窓の方へ促した。
窓ガラスのうち一枚が完全に割られていた。聞けば、廃工場内から微かにタナトスの声が漏れていたので、私が二発目の銃撃を受けるタイミングに合わせて窓ガラスを破壊して、廃工場内に潜り込んでいたらしい。
そして三発目の銃撃を防いだ私の元に駆け付けてくれた……と。
――――人目を避けるようにして私たちは、一般車道に路上駐車していた白い車に乗り込んだ。
運転席にザクロくん、助手席に和人くん。そして後部座席の右側にナナシくん、左側に私がそれぞれ座った。
――――ある程度車を走らせたところで、ザクロくんは言った。
「僕たちってここまで巻き込まれたわけじゃん……? だから、そろそろ話してくれてもいいでしょ。あっち側の人間じゃないってことは信じてもらえたと思うんだけどね…………」
「それは…………」
私が返答に迷っていると、ザクロくんが先に切り出した。
「わかった、じゃあ僕の方から先に話してあげるよ。それなら話しやすいと思うし」
――――ザクロくんはこれまでのいきさつを話してくれた。
始まりは今からほんの三週間くらい前に起きた銀行強盗未遂事件だった。
ここ最近で起きていた連続銀行強盗事件と関連付けて、ザクロくんたち強行犯係を含め、他の県警からやってきた刑事たち、そして特別捜査係と合同で捜査に臨んだらしい。
やがて、ザクロくんと和人くんは捜査を進めていくうちに、それがただの銀行強盗事件ではないことに気付き、得体の知れない力によって全て仕組まれていたことを知ったという。
…………銀行、警察、そして得体の知れない謎の組織との関係性を疑い、危機感を覚えた時にはもう何もかも手遅れだった。
犯行当日、銀行強盗犯の仲間と思わしき者を追跡中、その犯人が何者かによって射殺されてしまった。そしてその日の昼過ぎ、会議室にて行われた緊急会議にて、刑事部長からの『ついに銀行強盗犯のアジトを突き止めた。今夜突入作戦を開始する。先陣は特別捜査係に切ってもらう』という通達を聞き届けたザクロくんは、『この作戦には何か裏がある』と勘づいたらしい。
その数時間後、再び会議室に召集され、刑事部長から突然『敵の動きが活発になっている、作戦決行日は明日の夜に延期する』と告げられるや否や、ザクロくんは真っ先に特別捜査係へ足を運んだという。
でもそこはもうすでに物気の殻で、一同が出張らった後らしい。
――――結局その日、特別捜査係は戻ってくることはなく、次の日の夜、合同捜査チームと共にアジトへ乗り込んだものの、誰もおらず、何もかも綺麗に片付けられた後だったという。
唯一の手掛かりは、西側の二階から三階にかけて、窓ガラスが割られていたことくらいだったそうだ。でも、そのおかげで"この廃墟ビルでは確かに銃撃戦があったのだという確信を持つことができた"という。なぜなら、その窓ガラスの割れ方が銃弾によるものと酷似していたからだと。
一連の流れは全て仕組まれていた――――ザクロくんは特別捜査係を先に行かせたのにも何か理由があると睨んでいた。そこに所属する係長・野原慎太郎は『元・公安部』の人間だった。そんな彼らだったからこそいち早く銀行強盗犯の変装にも見抜くことができた。しかし、追跡中にその強盗犯の仲間を死なせてしまった……
特別捜査係は犯人が殺害される直前、何か情報を得ていた……だから何者かがその口封じとしてアジトに突入させ、殉職させようとしたのではないか――――ザクロくんはそう考え、同僚の和人くんと共に独自で調査を行うことにしたそうだ。
そして――――この公安のナナシくんと出会ったのだ。
『真相を知りたきゃ、梅宮理沙の知人、倉木麻耶をマークしておけ。アンタが知りたいヤツらの情報が必ず手に入るはずだ』と意味深なことを言われたそうだ。
ヤツらとはいったい何なのか――――そんな疑問を抱えつつ、行方知れずとなった特別捜査係の一人である梅宮理沙の知人、つまりこの私をマークし始めたザクロくんと和人くん。
やがて、彼らは気になる情報を耳にすることになる。それが『何者かによる犯罪データベースへのハッキング』だ。
ハッキング元までは分からなかったが、閲覧履歴だけは入手できた。
そう、例のレポートだ。ザクロくんたちはそのレポートにアクセスした人物が、近くにいると睨んで私の周囲を見張ることにしたのだ。
そしてそのわずか一日で『古畑一家』の殺人事件が起こってしまった。これは何かあると考えたザクロくん。
何せ『対象者の知人』が殺害されたのだから、無関係とは言えない――――そう思ったザクロくんたちは楠野原大学に足を運び、この私に接触してきたのだ。
あの意味深な誘導尋問も、その『得体の知れない存在』の情報を引き出すために行ったものだった。そうして念願の『ヤツらの手掛かり』を入手することができたのだ。
「――――そこからはもう僕らの理解を遥かに超えることばっかりさ…………」
「その得体の知れない存在というのが、あの『闇社会』なんだよ…………」
「なるほどねぇ…………あぁ、そうそう。さっき、大学にいたあの連中、あれ、上層部の人間だったよ。しかも表立って出て来ること自体レアなケースってくらいのやつ」
「あぁ…………だから和人くんは『逃げろ』ってサインを出してくれてたのか…………あ、そうだ。きみたちってそもそも、『私に訊きたいこと』があって大学に来たんじゃなかったっけ?」
「…………『坂東教授』について、話を聞きたかった。だからきみに尋ねようとしたんだ」
「そうなのか? それで彼に何の用だったんだ?」
「…………」
私がそう尋ねると、ザクロくんは押し黙ってしまった。
「とりあえず、これを読んでくれ。読んだら全てを話すよ」
そう言って、片手で渡されたのは細い茶封筒。
中を開けてみると、三つ折りにされた手紙のようなものが出てきた。
そこにはこう書かれていた。
摩耶ちゃんへ
すまない、こんなことになって本当にすまない。
これを読む頃にはもうすでに私はこの世にいないだろう。
この手紙が無事にきみの元に届いていればいいんだが。
きみが闇社会に巻き込まれたことは知っている。
でもそれは大事な人を捜すためだったんだと思う。
だから私はきみを止めなかった。
きみ自身の目で、何があったのかを確かめて欲しかったからだ。
私もかつて、真理を追い求めた。
しかし、いつの間にかその真理に囚われてしまった。
引き返すことのできない場所まで堕ちてしまった。
数えきれないほどの過ちを犯し、
数えきれないほどの絶望に目を瞑ってきた。
いずれ私は闇に飲まれるだろう。
どうかきみだけは、きみのままでいてくれ。
それが私の最後の望みだ。
本当にすまない。
坂東
「なんだよ、この手紙は?」
私は手紙を片手に、ザクロくんに問い質した。
「――――間に合わなかったんだよ。きみを逃がした後で、急いで彼の研究室を探し出したんだけどさ…………」
ザクロくんたちが坂東教授を訪ねようとした理由は、『殺人未遂罪の教唆犯』としてその容疑を問うためだったという。
――――ザクロくんたちは私を暗殺しようとした実行犯を逮捕し、あの爆発物がどのようにして私の住むマンションに届けられたのか、その奇妙なトリックを自供させたという。
私を殺害しようとした黒幕――――『依頼者』は私の家に『超高級お肉』が近日中に届けられることを事前に知っていた。そこでこの地区の荷物管理センターに『実行犯』を潜り込ませ、荷物の仕分けをさせた。やがて『目標の配送物』を見つけ出すと、段ボールの裏面をこじ開け、遠隔操作で爆発するタイプの爆弾とガソリンが入った袋と盗聴器の三点を段ボールの底面二枚で挟んで仕込み、瞬間接着剤を使って再び裏面に封をしたのだ。
そして配送当日――――私の部屋に配送物が予定通りに届けられたその深夜、『実行犯』は起爆スイッチをオンにした…………
こんなの、私のことをよく知ってる人間じゃなきゃできないことだ。
『超高級お肉』が家に届くことを知ってて、片付けが面倒なことを知ってて、私がパニックに陥ったら冷静さを欠くことも知ってて、心理学に精通している人物…………それは坂東教授しかいないのだ。
――――私を逃がした後、ザクロくんたちが暗殺の黒幕である坂東教授の研究室へと駆け付けた時、ちょうどそこから出て来た不審人物と鉢合わせたという。ザクロくんはその不審人物を追い、和人くんは研究室の中へ。
そして和人くんはすでに息絶えた教授の姿を発見し、胸ポケットから見えていたこの茶封筒を持ち出したのだった。
「そんな……ことが…………どうしてなんだよ……坂東教授…………」
どうして教授が、私を殺そうとしたんだ…………
「――――坂東は教授に上り詰めるまでの間に、色々なことをやってきたらしいからな」
「えっ……?」
急にナナシくんがよく分からないことを言いだした。
「生徒を使っての様々な非人道的な実験、特殊なケースを想定しての行動実験等、俺たちの理解を越えるようなことばかりやってきた。そうして研究を進め、研究成果を発表した結果、それが学会の目に留まり、念願の教授へと上り詰めることができたわけだ」
「そんな話、聞いたことないぞ!!」
「当たり前だ。そんなの、ましてや知人の家族になんかに言えるわけないだろ。どこに手を出したかも分からん状態だったんだしな」
「…………それって……まさか」
「あぁ、そういうことだろうな。それで彼が教授になった後、そいつらが接触してきたってところか」
「そこまでして……教授になりたかったのか……!」
「さあな…………研究したかったんじゃないのか。あらゆることを想定して動くのは必要なスキルだ。だから、それが人のためになると思ったんじゃないのか」
「……………………分からない……!」
私は手紙を握りしめ、必死に思い出そうとした。
彼は本当に研究をしたいがために道を誤ったのか……?
いや、きっと違う。
『…………どうか、摩耶ちゃんは挫けないようにね…………』
教授の最後の言葉が鮮明に呼び起こされた。
彼はずっと苦しんでいたんだ。ずっと後悔してたんだ。
でも、もう後戻りは出来なかった。それとずっと向き合っていくことこそ彼なりの責任の果たし方だった。だからその研究データを元に伝え続ける道を選んだんだ。
彼が語った多くのことは、その『実験』を元にして得たものだったと思う。
彼は自分が死ぬその瞬間まで、自ら犯した罪と向き合っていくつもりだったんだろう。
「…………私は」
――――重い口を開き、言った。
「坂東教授が過去に何をしてたのかは知らない。でも…………まるで叔父のような優しい人だったことには違いないんだ…………私の知っている坂東教授のまま亡くなっていたのなら、悔いはないよ…………」
と、言葉を詰まらせながらそう語った。
すると、少ししてザクロくんは言った。
「……………………それなら、もう語れるね? 始まりは何だったのか」
私は梅宮さんから受け取った『音声データ』の内容を思い出す。
『――――これを聞いてるってことは、このメッセージは貴方の元に届いたってことでいいのかしら、倉木さん。それとも、"闇社会"の連中に渡ってしまったのかしら……とりあえず、倉木さんの元に届いたってことを信じて、話すわね』
『――――本当はあなたのお父様にこのメッセージを届ければ良かったんでしょうけど、それはむしろ危険かもしれなくて……だからあなたにこのメッセージを送ることにしたの。
さて…………要件だけど、"闇社会"のことよ。まぁ、オカルト好きのあなたのことだから、噂くらいは聞いたことがあるかもしれないけど…………力を貸してほしい。私一人の力じゃもうどうしようもできないの……大事な部下が死んだ。上司もいなくなった……ここには護らなくちゃいけない部下の家族もいるのに…………』
『――――分かっているのは、"闇社会"がこの世を蝕み、いずれあなたたちに襲い掛かるであろうこと。
"闇社会"はどこにでも潜んでいて、何食わぬ顔で一般人の中に紛れ込んでる……そいつらの目的はさっぱりわからないけど、大きな犯罪に加担してることには間違いないの。
更にそいつらは大きな権力を持ってて、警察社会ですら操作できるようなとんでもない連中で……そんなやつらが相手じゃ、警察である私たちにはどうすることもできないのよね…………情けない話だけれど、頼れるのはあなたたちのようないち市民の人たちだけ…………
倉木さん、"闇社会"というテーマをどう扱うかはあなたに一任する。情報を拡散させるなり、追求するなり…………もし危険だと思ったのなら、このメッセージを破棄して全て忘れるなり、好きにしてくれていいから。
"闇社会"という巨大なネタを、あなたに託すわ…………じゃあね、どうかお元気で……』
――――というのが音声データの内容だった。
「やっぱり、特別捜査係は壊滅してたのか…………係長は生死不明、部下は殉職。生き残ったのは梅宮さんだけ……かな? いや、部下の家族がいるって言ってたっけ」
「そういえばナナシくん、理沙さんは生きてるって言ってたよね? あれどういう意味かな? 突然話を切り上げてどっか行っちゃったから、ここで話してくれよ」
「あ? そうだったか? …………梅宮理沙は生きてる。ここ数日の間に近くで逃亡中の梅宮理沙を見かけたからな」
「それで、『要人』というのが部下の家族なんだね?」
「あぁ、連れているのは立木里佳子っていう女だ」
ナナシくんはそう答えた。
「立木……? 立木って…………あぁそうだった。立木典史ってやつが特別捜査係にいたな…………あれ、確かそいつの姉だったよね……? 何で追われてるわけ?」とザクロくん。
「『闇社会』と衝突したのが例の廃墟ビルだとすると…………その女はそこにいたってことになるな」とナナシくん。
「――――っていうかさ、そもそも『梅宮』さんはどうやって『闇社会』のことを知ったわけ?」とザクロくんは突っ込みを入れる。
「捜査会議では連中のことを何て言ってたんだっけ?」と私が訊くと、「『銀行強盗犯』だよ、『闇社会』の『や』の字ですら一言も口にしてない」とザクロくんは言った。
「逃亡中の彼女が『闇社会』のことを知れたとは思えないがな。おそらく、アジトに突入した時に知ったか、部下の誰かから聞いたんだろう」
「――――ってことはさ、係長を除いて『もう一人』、生き残りがいるんじゃない?」
とザクロくんは言った。
「は?」
「ほう? それは誰なんだ?」
「『杉森』か『立木』のどっちかだよ。その音声では『大事な部下が死んだ』と言ってたんでしょ? 『大事な部下たち』じゃないでしょ?」
「あっ……!」
と、私は思わず驚き声を上げた。
「――――じゃあその生き残りって人は今どこにいるんだろう?」と疑問を口にしてみるが、それに答えてくれる者はいなかった。
「――――とりあえず、当面の目的は決まったな」とナナシくんは言った。
「は? どういうことだよ?」とザクロくん。
「まずは石榴と槍杉、アンタたちは『もう一人の生き残り』の足取りを追うんだ」とナナシくん。
「じゃああんたらはどうすんのさ?」
「俺はひとまずこの女を連れて行こうと思う」
「おい、ちょっと待て! 私をどこに連れて行く気だ?!」
「なぁに、変な意味じゃないさ。新しく迎え入れるのさ、警察庁にな」
「「えっ!?」」
私とザクロくんは同時に驚き声を上げた。
「そして新しく組織を立ち上げる。『警察庁警備局闇社会対策室』をな。そして倉木を『室長』として迎え入れるのさ」
「いやいやいやいや! ちょっと話が飛躍しすぎてるぞ! 何で私が警察庁なんかに?! なんかこう、色々プロセスっていうのをすっ飛ばしてる気がするんだが!!」
「そうだよ! 仮にも彼女はただの女子大生じゃないか! 弁護士の娘ってだけで特に優れた能力でもあるわけじゃないし!」
「おい、それはそれでなんか酷い言い方だな!!」
「まぁまぁ落ち着け。俺たちが考えている計画には、この女が必要不可欠だ。何せこの女は一度ならず二度までも『闇社会』との戦いに『凱旋』して見せたんだからな」
「つまり、『闇社会』と戦う意志があるから招き入れるってことかな?」
「そういうことだ。歓迎するぞ、倉木摩耶」
「……………………分かった」
――――ザクロくんたちは『もう一人の生き残り』を捜すために再び調査を開始した。
そして私はナナシくんに連れられるまま警察庁へ。
何十ものセキュリティーを通過してエレベーターで地下に向かい、広々とした部屋に通された。
まだ新築されたばかりなのか、ほとんど物が置かれておらず、構造はまるでシェルターそのものだった。
――――ナナシくんは言う。『ここが闇社会対策室の部屋だ』と。『アンタはしばらくここに身を隠せ。食料なら隣の部屋に山ほどある。トイレやシャワールームも完備してるから、生活するには困らん。何かあったらそこの親機から特別任務遂行部隊に連絡を寄越せ』と言って彼は立ち去った。
部屋の中央にあるテーブルにぽつんと置かれた一台のノートパソコン。
私は『警察庁警備局闇社会対策室室長』として、最初の仕事をすることにした。
――――まさかこれほどまでとは思わなかった。
たかが情報ごときで地獄に落とされる日が来ようとは。
さすが今のこの世の中、情報化社会であることにも頷けるというものだ。
――――しかし、非常に不愉快な気持ちだ。このまま終わってしまうことではなく、このまま見過ごすことしか出来ない自分にだ。
襲撃者たちは去ってしまった。私たちに一時いっときの猶予だけを残して……
その間にできることは何なのか、それが始まってしまったらどうすればいいのか、皆目見当がつかない。
ただ生き延びるために必死だった。あらゆるものを失ってもなお、足掻き続けた。
しかし、その先に待ち受けていたものもまた、絶望だったけれど……それでも私は諦めたくない。
だからきみたちにこの物語を残しておこうと思う。
もしも、この現代社会で生きるきみたちの身に何かあった時、この情報が役立つことを信じて……
――――今の私では『闇社会』に風穴を空けることはかなわない。でも、きみたちならばきっと…………この『凱旋計画』を完遂してくれることを信じている…………