第一幕 -『闇社会』-
――――まさかこれほどまでとは思わなかった。
たかが情報ごときで地獄に落とされる日が来ようとは。
さすが今のこの世の中、情報化社会であることにも頷けるというものだ。
――――しかし、非常に不愉快な気持ちだ。このまま終わってしまうことではなく、このまま見過ごすことしか出来ない自分にだ。
襲撃者たちは去ってしまった。私たちに一時の猶予だけを残して……
その間にできることは何なのか、それが始まってしまったらどうすればいいのか、皆目見当がつかない。
ただ生き延びるために必死だった。あらゆるものを失ってもなお、足掻き続けた。
しかし、その先に待ち受けていたものもまた、絶望だったけれど……それでも私は諦めたくない。
だからきみたちにこの物語を残しておこうと思う。
もしも、この現代社会で生きるきみたちの身に何かあった時、この情報が役立つことを信じて……
この物語は……『凱旋計画』へと繋げるため、私たちが死力を尽くしたお話だ。
――――数日前。
――――いつもの愛用の白いバッグ、いつもの白いブラウス、いつものスキニーデニムを履いた黒髪ロングストレートのクール系美女であるこの私――――倉木麻耶が通う楠野原大学は、街や施設が多く立ち並ぶ大都会に位置している。
三階建てで、一階には食堂やら美術室、体育館といった実習を行うための教室があり、二階には講義を行うための教室が並び、三階には音楽室やレクリエーションルームといった、サークル活動や部活をするための教室や、教授たちの研究室が存在している。
この大学は偏差値が高いというわけではなく、ましてや入学条件が厳しいわけでもないので、言ってしまえば誰だって入学できる。
弁護士である私の父は「なぜあのような将来性の低い大学に入る必要がある?! お前にはもっと相応しい大学があったはずだ!」と猛反対したが、それがどうした。
将来性が低かろうと何だろうと、私がそこに行くと決めたらそれを曲げるつもりなど毛頭ない!
なぜならば……
その方が私にとって最善の道であり、やりたいことが沢山出来るからだ! 結論っ!
「――――ということで、やるぞ諸君っ!!」
と、私は高らかに宣言した。
――――しかし、ここにいるオカルト研究会――――略してオカ研――――のメンツは私の言葉を聴くなり、口を開けたままぽかんとしていた。
これだけ狭い部屋で大声を出せば、何を言ってるのかは間違いなく聞き取れているはずなのに……まったく、ノリの悪い奴らだな。ここは『応ッ!!』と起立する場面じゃないのか。
「――――えーっとですね、倉木さん?」
「"摩耶ちゃん"だっ! 何度も言わせるなっ!」
「は、はいっ! えっと、"摩耶"ちゃん……」
席に座ったままおどおどしつつこちらを見上げるのは、私の可愛い後輩の『小倉菜穂』ちゃんだ。ショートカットで、目はうるうるしてて小動物みたいで、あと胸もおっきい! 短いスカートから見える脚も細くてちょっとエロチックなところも可愛いっ!
しかしっ! そんな可愛い子なら尚更、私のことを苗字で呼ぶことは許さない!
「こ、こほんっ、何かな菜穂ちゃん?」
「あの……ここに入ってくるなり、いきなり『やるぞっ!』と言われましても……何のことやらさっぱりでございます……」
「そうだそうだ! まったく、それで何が『クール系美女』だ。ただの『クール系厨二病』だろうに」
「――――かっちーん♪ 私と菜穂ちゃんの幸せタイムに横やりを入れるアホはどこのどいつかなー?」
私は菜穂ちゃんに視線を向けたまま、私の隣にやってきた同級生の『古畑一郎』くんのほっぺたを思いっきりつねってやる。
「お、おいっ、痛い、痛いって! いだいだだだっ!? ちょっ、おまっ、手加減手加減っ!?」
そして、そのまま突き飛ばすようにして解放してやる。
「なんて怪力なんだこの女は…………」
「ん? きみは物好きなやつだね、何度もつねられたいのかな」
「いや、遠慮しとくっ! だからやめろっ!」
「よろしいっ!」
――――私はロングストレートの髪をなびかせ、優雅にモデル歩きをしながら自分の席に着席する。
そして私の席の向かい側の席に座っていたこのオカ研の代表、『寿蒼汰』がノートパソコンを弄りながら視線をこちらに投げかける。
「相変わらず元気だな……摩耶くんは」
「こら、摩耶"ちゃん"だろう。そちらも相変わらず可愛げのない代表だこと」
「ふんっ……言ってろ……」
私と同じく容姿端麗でクール系の属性を持つ黒髪短髪の彼は、この楠野原大学きっての有力者であり、その影響力は学長でさえ凌駕するほど。
そもそもこのオカ研自体、非公認で作られたサークルであり、運営資金は全て自己負担だったものをどんな力が働いたのか、彼の鶴の一声によって公認として扱われるようになったばかりか、大学から運営資金を工面してもらえるようになった。
おかげで私たちは各々好きな分野を好きなだけ追求できるようになったのだが、その分ちゃんとしたレポートを大量に書かなければならないのがとても辛い……
現在、私と菜穂ちゃん、古畑くんに寿代表の四人でサークルの運営を行っているが、なぁに、いずれ私の甘い声で学生たちを魅了して、一気に人員を増やしてみせるとも。いずれな。
「……さて、諸君!」
と、私は席を立って三人へ振り返る。
三人はノートパソコンから視線を外してこちらを振り向く。
「次のテーマが決まった」
そう言うと、私の真向かいの席に座っていた寿代表が、再びノートパソコンに視線を戻しながらこう言った。
「どうせまたロクでもないテーマだろう?」
「な、なんだと……っ!?」
私は机から身を乗り出して代表を睨みつける。しかし、彼は涼しい顔をしたままキーボードを触りながら続けた。
「『一軒家の屋上にやってきた虹色のUFO』、『廃校で彷徨う老婆の霊』、『血に染まる謎の浴槽』……興味を惹かれそうなテーマではあったが、結果はどうだ? 全部ガセネタだったじゃないか」
「ぐっ……」
私の黒歴史をここで引っ張り出してくるとは……
「きみはただ情報に釣られ、ロクに下調べ等していなかったんだろう? おかげでこっちは無用な時間を割く羽目になってしまったんだ、少しは自重しろ」
「ふっ……だったら、"これ"を聴いても同じことが言えるかなぁ?」
私は懐からスマホを取り出し、「これは昨日、私の知人である梅宮さんから届いた音声ファイルだ」
そう続けて、とある音声ファイルを再生した。
『――――これを聞いてるってことは、このメッセージは貴方の元に届いたってことでいいのかしら、倉木さん。それとも、"闇社会"の連中に渡ってしまったのかしら……とりあえず、倉木さんの元に届いたってことを信じて、話すわね』
――――声の主は梅宮理沙さん。私の知人で警察の人間だ。
『――――本当はあなたのお父様にこのメッセージを届ければ良かったんでしょうけど、それはむしろ危険かもしれなくて……だからあなたにこのメッセージを送ることにしたの。
さて…………要件だけど、"闇社会"のことよ。まぁ、オカルト好きのあなたのことだから、噂くらいは聞いたことがあるかもしれないけど…………力を貸してほしい。私一人の力じゃもうどうしようもできないの……大事な部下が死んだ。上司もいなくなった……ここには護らなくちゃいけない部下の家族もいるのに…………』
梅宮さんの声はとても弱弱しくて、聞いててとても不安にさせられるものだった。
音声はまだ続いている。
『――――分かっているのは、"闇社会"がこの世を蝕み、いずれあなたたちに襲い掛かるであろうこと。
"闇社会"はどこにでも潜んでいて、何食わぬ顔で一般人の中に紛れ込んでる……そいつらの目的はさっぱりわからないけど、大きな犯罪に加担してることには間違いないの。
更にそいつらは大きな権力を持ってて、警察社会ですら操作できるようなとんでもない連中で……そんなやつらが相手じゃ、警察である私たちにはどうすることもできないのよね…………情けない話だけれど、頼れるのはあなたたちのようないち市民の人たちだけ…………
倉木さん、"闇社会"というテーマをどう扱うかはあなたに一任する。情報を拡散させるなり、追求するなり…………もし危険だと思ったのなら、このメッセージを破棄して全て忘れるなり、好きにしてくれていいから。
"闇社会"という巨大なネタを、あなたに託すわ…………じゃあね、どうかお元気で……』
――――音声はそこで終わっている。
他のメンツも何の音声なのか気になって仕方がなかったのか、覗き込むようにして音声を聴いていたようだった。
「"闇社会"か…………ネットで検索をかけたが、まったくヒットしなかったな。情報規制でもかけているのか」と寿代表。
「なんか凄そうなネタが舞い込んできたんじゃね?」と古畑くん。
「あの…………梅宮さんって、警察の方だって仰ってましたよね? 深入りしない方がいいネタなんじゃ……?」と菜穂ちゃん。
私は古畑くんに微笑みかけ、質問を出してみる。
「さて、これがすごいネタだとしたらどうなる? 古畑くん、言ってみたまえ」
「あ? そりゃレポートに凄まじいプレミア価値が付いて、名声を得るだけじゃなく……法外な報酬が舞い込んでくることもある……のか?!」
「うむっ! 学長を通じて他の法人たちから多大なる評価を受け、我々の功績が褒めたたえられると同時に、新しいサークルメンバーを獲得することも可能というわけだ」
「そ、そんなに上手くいくんでしょうか…………」
「菜穂ちゃん、『いくかどうか』じゃなくて、『いかせる』のさ。私たちの手でね!」
「…………ふむ、なるほど」
と、重い腰を上げた寿代表が「よし、情報収集は古畑、きみに任せたぞ」といい放った。
「――――えっ? このネタ追いかけるんすか?! しかも俺が調べるんすか?! なんでなんで?!」
古畑くんは慌てふためくが、私は彼の肩に手を置き、こう言って微笑みかけてやる。
「そりゃだってきみ、『天才ハッカー』なんだろ? なんだ、所詮『天才ハッカー』も名ばかりってやつか? きみも大したことないやつだなぁ?」
挑発してやると、彼は顔を真っ赤にしながら慌てて私の手を振り払った。
「う、うるさいな! いいぜやってやるよ! この俺の腕をなめんなよ!?」
「はいはい、わかったから作業に戻るっ!」
興奮した古畑くんを席に無理やり座らせると、古畑くんはぶつぶつ言いながらキーボードを触り始めた。
――――しかし気になるな。あのメッセージが本当だとするなら、今もなお梅宮さんは危険に晒されているということになる。
無論、このファイルを受け取った昨夜、彼女のスマホにコールしてみたが、電源が切られているようで繋がらなかった。無事であればいいのだが……
――――闇社会。ここ最近、オカルト好きの間で噂になったキーワードだ。
昨今のニュースになってきたような反社会テロリストとも、選りすぐりの犯罪プロ集団とも何かが違う。
組織なのかオカルト教団なのか、どのような規模の存在なのか"ほとんど情報がない"のだ。本当に突然どこかから"沸いて出た"。
しかし、ここ最近の噂によると、どうやら『仲介業』のようなことをやっていた節があるそうだ。なんでも、とある高校生――――本当は実名らしいがその噂では伏せられていた――――を再起不能にした者には法外な報酬が与えられるのだとかどうとか。
まぁ、いわゆる闇サイトというものを仲介した物なんだろうが、実際に"殺人事件に発展した"らしい。だが不思議なことに、容疑者が逮捕されて間もなくして、その闇サイトは跡形もなく消滅してしまったそうだ。もっと不思議なのは、その被害者や被疑者の情報に一切触れられることなく、"ただの噂だった"と言わんばかりな幕の下ろし方だったこと。まるで、それに触れること自体がタブーであるかのように。
当然、物好きなネット住民たちはセンサーをフル活動させて色んな情報を搔き集めたらしい。そりゃそうだ、このまま終わったら気持ち悪くて仕方ないだろう、私だってとことん追求したと思う。
やがて、ついにネット住民たちは新しい情報を得たらしい。
それは後日、その殺された高校生の友人が何者かによって滅多刺しにされて殺害され、更に他の友人も行方不明になったというものだ。
滅多刺しにされた高校生に関しては報道されていたらしいが、噂ではこれも実名が伏せられていた。つまり、これも実際に起きた事件で間違いないのだが、行方不明になったというもう一人の友人に関しては、それ以上の手掛かりは掴めなかったそうだ。
もし、殺人事件が連続して起こり、更に関係者が行方不明となれば当然、警察もその行方不明となった関係者を捜索するなりして捜査するはず…………なのにそれすら行われた形跡もない。
――――情報を入手したネット住民たちの見解によれば、『警察ですら手玉に取るほどのヤバイやつが事件を隠蔽したんじゃないの(笑)』とのことだったが、今となっては私もそうなのではないかと思う。
……何せ、"先ほどの音声によって『闇社会』が実在することが証明されてしまった"のだから。
梅宮さんがいたずらにあのような音声を送って来るとは思えない。
彼女とは私が小学生の頃、父さんの仕事の関係で知り合い、年も少ししか違わないということで、まるで姉妹のように仲良く育ってきたのだ。
そして私が高校生になる頃にはもう、彼女は立派な警察官になっていた。
正義感が強く、時には厳しく、時には優しく、だけど少しお茶目なところがあるような、そんな可愛らしい彼女が、人を騙すようなことをするはずがないのだ。
――――あのメッセージから読み取れることは、そんな彼女が『闇社会』と接触してしまったことを意味している。おそらく彼女の部下はそれに巻き込まれ、殉職したのだろう。そして上司とやらもきっと…………
まったく、とんでもないネタを送り付けてくれたものだ、あの『可愛い女子大生』ってやつは。私よりピチピチの肌をしてからに、まったく……
――――その後も、ネットサーフィンしながら色んな情報を探ってみたものの、『闇社会』に関する情報は入手できなかった。さぞ、雲隠れをするのが上手い連中なのだろう。
――――やがてネットサーフィンも諦めて数時間ほどオカ研室で寛いだ後、私は大学を出て自宅への帰路を歩き出した。
外に出る頃にはもう夜の九時を回っていたが、別に帰りが遅くなっても問題はない。どうせ家の中は私一人だけなのだから。
父さんは泊まり込みで弁護士事務所に籠ってるだろうし、母さんは今実家に帰っててしばらく戻ってこない。
少し寂しさを感じるものの、そんなことはよくあることなのでもう慣れてしまった。
――――また家族揃ってどこか旅行にでも行けたらいいなと思いながら歩いていると、見覚えのある人物か前方から歩いてくるのが見えた。白髪頭で短髪、茶色い服にネクタイを着けて、黒い長ズボンを履いた五十代半ばの男性は、白い子犬を連れて歩いていた。私は立ち止まって彼に声をかける。
「あれ、坂東教授じゃないですか。これからワンちゃんと散歩ですか?」
「おぉ、摩耶ちゃんじゃないか。あぁ、これからこの子と散歩さ。きみは今帰りかな?」
「はい、サークル仲間と活動した帰りです」
「そうかそうか。いやー、次のトクダネも期待しとこうかな!」
「ええ、とびっきり凄いのを公にしてやりますので、期待しててくださいね」
「うん、頑張ってね! それじゃ、気を付けてね!」
「はい!」
――――彼は笑顔で私に手を振ると、先ほど私がやって来た方向へとそのまま歩いていった。
彼の名は坂東義則教授。楠野原大学で心理学を教えている。
ちなみに驚く話なのだが、なんと私の父さんと同級生らしい。しかも同じ大学の出身と来たものだ。だからたまに私の家でお食事会をすることもある。父さんの同級生ということで、母さんも張り切って料理をふるまうのだ。
そしてこの前、母さんが『めっちゃ良いお肉注文したから、届いたら坂東さん呼んで、四人でパーティーしようねー!』とか言ってわざわざ超高級のお肉を注文したらしいので、近々届く予定だ。
まったく……いくらお金があるからと言って、『超高級』はやりすぎだろう。
――そんなことを考えているうちに、私の住むマンションに辿り着いた。
十四階建ての高層マンション『プリズム』の最上階、一四〇一号室に私は住んでいる。父さんが『自分はあまり帰れる日が少ないし、安全面を考慮してセキュリティーの高いマンションの一室を購入してやるから、そこで母さんと住みなさい』と言ったのだ。
外装からして新築されてまだ間もない高級感溢れる物件。しかも最上階を購入するなどと恐れ多いことをしてくれたものだ。おかげでそこらにいるような金持ちバカと勘違いされるではないか。
――だがこうしてマンションの前に立ってみると、そのセキュリティーの高さには頭が下がるというものだ。
まず、透明な強化ガラスの自動ドアの前には手の形をした静脈認証装置が置かれていて、そこに予め登録された手をかざすことでドアが開く仕組みになっている。無論、ドアをぶち破ろうとすればすぐに備え付けられた警報器が大音量で鳴り響くシステムになっていて、管理会社並びに警察へ通報されるようになっている。
ちなみに正面の入り口以外の場所から侵入しようとしても無駄である。そんなことをしようものなら、この入り口周辺と、このマンションの裏側に取り付けられた防犯カメラがその姿をバッチリと捉えるだろう。
つまり、どう足掻いても静脈認証装置に登録した者でなければこの建物に入ることはできないというわけだ。
しかし郵便配達員だけは例外で、ここの担当区域の特定の配達員のみ、この静脈認証装置に登録されているので、郵便物は予定通りちゃんと届けられる。
それ以外の客人がもしこのマンションの住民に用がある場合は、この装置の隣に付いてるテンキーに部屋番号を打ち込み、下にある『呼び出しボタン』を押すことで住民が応対できる仕組みになっている。
――――私は手の形をした静脈認証装置に右手をかざす。すると、装置のすぐ上にあるランプが青く点灯し、自動ドアが開かれた。
そしてロビーに入ってすぐ右手に並み居る郵便ポストから、自分の部屋番号が書かれたポストの鍵を開けて、郵便物を確かめた。
――――今日は届いてないようだ。私はポストの鍵を閉めてロビーの奥、階段の手前にあるエレベーターに乗って最上階へ向かう。
そしてエレベーターから出て左手に開けた通路を少し歩き、一号室の前に立つ。
部屋の鍵はオートロック式の電子錠で、ドアノブの上に取り付けられた縦型のカードリーダーに、カードキーを通すことで開けられるようになっている。鍵穴が存在しないということで、ピッキングをされる心配もない。これもセキュリティーの高さのウリと言えるだろう。
――――カードキーを通して家の中に入る。
玄関から上がって短い通路を進むと、右手に広いリビングがあり、奥に台所が。そしてリビングを正面にして右奥にトイレ、手前がバスルームになっている。
続いて左手には洋室が二部屋用意されていて、いわゆる2LDKという構造だった。親戚や友人たちと共に寝泊まりをする分には困らないだろうが、今は一人。とても身に余るというもの。
私は自分の部屋――――左奥の洋室のドアを開けて中に入った。
部屋の中にはA4サイズほどの紙が床の色んな所に散らばったままになっていた。
正面にあるベッドの上にはぐちゃぐちゃになったままの掛け布団。その脇にある机の上には物の置き場所がないほどに本やら筆記用具やら紙クズやらが散乱している。
そしてベッドの向こうに吊り下げられた可愛らしいカーテンの先にはベランダがあり、隣の洋室と繋がっている。
さて……自分で言うのもなんだが、この部屋ははっきり言って汚い。
「とりあえず整理するか…………」
整理整頓とは無縁だった私にとって、"とりあえず"の範疇とは、必要最低限の物の置き場所を確保することであり、使わない道具などを片付けることではない。
要は"片付けがめんどくさい"のだ。
床の上の紙は隅っこに追いやり、机の上に置いてある色んな書物はとりあえず端に重ねて置いた。
――"片付け"を済ませて一息ついた後、ベッドに腰かけ、愛用の白い鞄の中からスマホを取り出した。
スマホの中にある電話帳を開き、『理沙ちゃん』を引っ張り出してコールしてみる。
「頼むから出てくれよ……梅宮さん。じゃなきゃ面と向かって『理沙ちゃん』って呼ぶぞ……」
悪態をつきつつ待つこと数秒。やはり電源が切られているのか、繋がらない。
「くそ……」
また明日かけてみよう、そう思った私は明日の準備をして眠りについた――
――――次の日。
「――――なんだってぇえええ!!?」
オカ研にて、私は寿代表の襟首を掴み上げながら声を張り上げていた。
その場には私と代表以外に古畑くんと菜穂ちゃんの姿もあったが、二人とも縮こまって私たちのやり取りを黙って見ているだけだった。
「どういうことなんだ寿代表! 返答次第ではこのままあなたを絞め殺すことになるぞ?!」
「し、仕方ないだろう! 大学側が突然『これ以上運営資金は出せない』と言い出してきたんだ! こんな手間のかかる作業をタダでやるほど俺たちは暇人じゃないし、仮にレポートを書いた所で何の評価もされないんだぞ!? それならもうこれ以上続けても仕方がない! "サークルを畳まざるを得ない"ことくらい、キミだって理解できるはずだ!」
「いいや! 理解できないね! これまで大学側に対して、運営資金に見合った成果は出してきたはずだ! トクダネを掴んだ時なんか、学長どころか理事長までしゃしゃり出てきて、盛大に祝杯を挙げてくれてたじゃないか! それなのにどうして突然?!」
「俺だってその理由を答えるように要求したさ! しかし大学側は何も答えなかった! それどころか、俺の父親の話まで持ち出してきて、こんなことを言ってきたんだぞ! 『大企業の御曹司もここ最近忙しくされておいででしょう? 少しばかり休まれるように進言されてみてはいかがですか』とな!」
「おいおい! それって遠回しの脅迫じゃないのか!? あなたたちのような権力者を脅すほどの力なんざこの大学には持ち合わせてないだろう! そんな命知らずな連中しかいないような大学、潰してしまえ!」
「――――いいや、この大学には俺よりも恐ろしい権力を持った人物が一人だけいる!」
「…………なに? あなたたちより権力を持ったやつがいるのか? この日本の中でも数えるほどしかいない御曹司を揺るがすほどのやつが?」
「…………」
寿代表は何も答えず押し黙ってしまった。
「何とか言ってくれ寿代表! あなたたちはそいつに弱みでも握られているのか!?」
「…………とにかく話は終わりだ。本日をもってこのオカルト研究会は解散とする。今回きみが持ち込んできたネタも、適当な所で区切りをつけて終わらせろ、いいな?」
…………『適当な所で区切りをつけて終わらせろ』……だと?
私は拳を震わせながら寿代表を睨みつける。
「……私の知人はな、いたずらにあんなものを送りつけてくる人じゃない。それをあなたは……『適当な所で』と言ったか?」
「あぁ、言ったな。所詮あの音声メッセージだけで何が出来る? 古畑も情報収集に尽力してくれているようだが、どうせ何も手掛かりは掴めていないんだろう?」
「…………それは」
話を振られた古畑くんも言い辛そうにして顔を伏せる。
「――――菜穂くんはどうだ? きみは調べものがあまり得意ではなかったな? 身近にある店舗を一軒探すだけで一苦労するようなきみにどんな情報を入手できる?」
「…………」
菜穂ちゃんも古畑くんと同様に何も答えず押し黙った。
「ちょっとまて寿代表、それはさすがに言葉が過ぎるぞ! これ以上私を怒らせないでくれ。そうでないとあなたを殴ってしまいそうだ」
「殴りたければ殴れ。今回に限り許そう」
「ぐっ…………」
――――この男を殴ったところで何も変わらない。悔しいが、どうすることもできないのだ。
「二人とも、納得してるのか……?」
私は二人に振り返ってそう尋ねてみた。
しかし、二人は何も言わず黙ったままだ。
私はきっと……二人に否定してもらいたかったのかもしれない。
このサークルが無くなってしまったら、私たちはバラバラになってしまう。入学当初からずっと頑張ってきたのに……このメンツだったからこそ、色んなオカルトを追い求めることができたのに……
「…………じゃあな、摩耶くん」
そう告げた寿代表は静かに部屋から出て行った。
「わ、私……この後バイトがあるので……失礼します……」
菜穂ちゃんは慌てた様子で荷物を持って部屋から出て行った。
「…………」
この部屋には私と古畑くんの二人だけが取り残された。
奇妙なほど長い静寂を破ったのは、彼の方だった。
「…………あ、あのさ、"摩耶"……」
「ふっ……きみが私のことを下の名前で呼ぶなんてね……珍しいこともあるものだ」
「…………マジな話なんだ」
「な、何かな?」
部屋の中で男女二人きり。そして『マジな話』と来たら……ちょっと期待してもいいものだろうか? いやまて、私はクール系美女だぞ? ここは慌てず冷静に対応するべきだな。もし彼から誘われたらその……オッケーしてしまっても構わない……よな?
私は胸に期待を膨らませつつ、息を呑みこんで彼の言葉を待つ。
「さっきは寿先輩の前だから言えなかったんだけどさ……実は"見つけた"んだ、手掛かり」
「なっ――――?!」
なんだ、そっちの方だったのか……私は部屋の外の気配を気にしつつ、彼に身を寄せて続きを促した。
彼の話によると、昨日の夜『警視庁の犯罪データベース』をハッキングして不振な事件がなかったかどうか調べてみたらしい。
まぁ、サイバー犯罪対策課とかが守ってるような厳重なセキュリティーを突破したのだから、彼は相当の天才ハッカーだな。
それはさておき、肝心な詳細だが、資料が複雑で断片的なのと、他にも入手した資料があるらしいので、後日USBメモリーにまとめて渡すとのことだった。
「でかしたじゃないか古畑くん」
「いや、こっちはヒヤヒヤしたんだぞ? なにせ『警視庁』だからな? 見つかったら捕まるだけじゃ済まないかもしれないんだからな?」
「ああ、分かってるとも。USBメモリーと引き換えにキスしてやろうか」
「断固拒否しますっ!」
「あっははは! 愉快なやつだまったく! ははっ!」
私がひとしきり笑うと、彼は落ち着いた表情になってこう言った。
「なぁ……お前さ、そのデータを受け取ったらどうするつもりなんだ? やっぱ追求すんのか?」
私も姿勢を正して彼の問いに答える。
「そりゃするとも。ちゃんと事実は公にすべきものさ」
「……公にすることで、誰かが不幸になるとしても……?」
「難しい質問をするんだな…………」
「まあな、今回のネタは一応それだけ複雑なものだしな」
「うーん…………」
私は腕を組んで悩んだ末に、姿勢を正して切り出した。
「――――その時は『倫理観』に従うよ」
そう告げると、古畑くんは度肝を抜かれたような顔をする。
「は?? 『倫理観』? どういうことだよ?」
「何が正しくて何が間違ってるのか、それは誰にも分からないし、誰にも決められない。そんなもの、人の立ち位置によってどうとでも変わるものだからね。だとしたら……善悪を抜きにして『それがその人にとって最善の道なのだ』と信じて、選択肢を選ぶしかないんだ」
「なんかいきなり難しくなってきたぞ…………」
「そうかな? たとえ不幸になる時が来たとしても、それを乗り越えたら、きっと新しい未来があると思うんだ。自分の選択肢が本当に正しかったのか、それとも間違っていたのか、その時になってみないと分からないさ」
「は、はぁ……?」
「少なくとも、"今起きていることを無かったことにしてはいけない"と思う。だから私は追求し続ける。たとえそれが誰も望んでないことだとしても、私が望んでやる。『ただ知りたい』と。『知りたい』と望む人がいる限り、私はとことん突き進んでやるとも」
「…………やっぱお前、変わってんな」
「だとしたら、父さんにでも似たんだろう」
「敵に回したくないタイプだぜ」
「ははっ!」
私たち二人は互いに悪態をついては笑う。
――――少しして、『俺はパソコンのデータの整理でもしとくから、お前先に帰れよ』と言ってきたので、お言葉に甘えて先に帰ることにした。
――――しかし彼は本当によくやってくれた。これでネタを追うことができる。『闇社会』に繋がる情報を手繰っていけば、梅宮さんの身に何が起こったのかも分かるはずだ。他の誰がやらなくとも、私一人でもやってやるさ。
自室のベッドに寝転がり、再び梅宮さんのスマホにコールしてダメだったことを確認した私は、古畑くんの情報が何かとワクワクしながら眠りに着いたのだった…………
――――次の日、朝八時頃、突然鳴り響いたスマホの着信音で私は目を覚ました。
今日は二時限目から実習を入れてあるのでもう少し遅い時間帯に起きる予定だったのだが……
「んー…………」
私は唸り声を上げながらスマホを手に取り、電話の相手を確かめる。
画面には『菜穂ちゃん』と表示されていたので、瞼を無理やり開き、とりあえず『応答』へフリックして電話に出た。
「なにかなー……? 今、私は爆睡中だった――――」
「倉木さんっ! 大変ですっ! あ、あのっ! 大変なんです!」
菜穂ちゃんの狼狽えたような叫び声で眠気が吹っ飛んだ。
「はぁ…………何を叫んでるんだ、今そっちでカラオケパーティーでもやってるのか?」
「――――古畑さんが……亡くなりました……!」
(第二幕に続く)