トイレの外は異世界でした
絶妙な掛け具合のカーテンのおかげで体を起こさないことには外が見えず、かといって前のめりで腰を浮かしたままの体制では馬車は危なっかしくて窓ガラスを覗くのは諦めた。旅路には非常に迷惑なカーテンである。
さらに乗っていて気付いたのは、このカーテンは中の様子を外に漏らさない為に掛けられているに違いないということ。カーテンが端に寄せられおり一見すると疚しいことなど無い様に思えるが、潔白を証明するかに見せかけて実は中が見え難い仕組みになっている実に不誠実な仕様だ。所有者は婦人に違いない。
そんな疑惑満載の馬車に溜め息を吐きながら、少しでも景色が見えないものかと馭者との会話用であろう小窓を見るが、まさしく指示をする為だけの窓なだけあって、馭者の背しか見えない。仕方ない、この馬車の楽しみは景色を見ることではないのだ。
静かな車内に伝わってくる車輪の回る音や振動で進行具合を測りながら、この変化のない車内で退屈な時間を過ごす。
気を張ってお行儀よくしていられたのも出発してから数時間ほどまでで、太陽が真上に昇る頃にはすっかり飽き飽きして、あれ程敬遠していた天鵞絨の座椅子にもどっぷり身を預けて座っていた。
時折身じろぎをする馭者をぼんやり眺めながら、色々と考える。ここに来てから3日目だけど、家に帰る為の手掛かりをまだ一つも掴めてない。
町や邸宅や住民やらの日本とはかけ離れた中世っぽい景観の規模が大き過ぎて、日本の何処かというより何処かの国なんだろうという事は分かった。だけど一体この個性的な国が何処にあるかなんて分かんない。こんな国あるなんて聞いた事もない。
挨拶程度の英語さえ通じないことは美人騎士で既に実証済みだし、今時鉄道も車も無く、移動手段が馬車か馬なんて余程の鎖国なんだろうとは思うけど、鎖国にしてもこんなアナログ感満載の生活を送っている国が果たして本当にまだあるのだろうか?
ランタンを使用していた事から懐中電灯も無い様子だし、テレビも置いてなければ携帯を使ってる所もまだ一度も見てない。そもそも武器が剣って・・・。もしかして銃器は無い?
街灯も無くて外は真っ暗だし、暖房器具は暖炉のみ。思い返せば徹底的に不便で、まるで中世にタイムスリップした気分ーーーーそう考えてゾッとした。
考えれば考える程なんだか嫌な予感がしてきて、思わず居住まいを正す。そういえば、町に着いた時に馴染みのあるものが一つも見当たらなかったのを思い出す。当たり前にある筈のものが何一つ無い事に違和感を感じて、私は電話を借りに行けなかった。
歩いている人の装いが違ったし、街並みが違ったし、漂う雰囲気が違った。もしかして私は瞬間移動じゃなくて、タイムスリップをしたのかも知れない。
しかしタイムスリップ・・・なんて非現実的な響きだ。瞬間移動より受け入れたくない事態だ。自分の居た時代に帰るには一体どうすればっ!?アインシュタイン博士助けてっ!私もしかしたら相対性理論を体験しているかも知れないんです、タイムトラベルは可能だったんです!!どこに行けば貴方と会えますかっ!?というか武器が剣という時代にアインシュタインがいる訳がないっ!ギャーーーッ!!
可能性を肯定出来ないで漠然としていた私は振動が止まった事に気が付かず、馬車のドアが開けられ突然見知らぬ男性が現れた事に飛び上がるほど驚いたのだった。
遅い昼食を摂るために寄ったのはまたもや豪奢な建物で、この屋敷の主人は中年のボディービルダーの様な男だった。つまり筋肉質で浅黒い肌の男性である。
その主人の後ろに控える馬車のドアを開けた男性は執事らしく、主にはまるで似ても似つかない爽やかな風貌をしている。酷く驚いた私に安心感を与える穏やかな笑みをくれた人物だ。
ここでは皆一様に和やかに笑みを浮かべ、昨夜お世話になった屋敷とは打って変わり美人騎士も聞き流したりせずにちゃんと談笑を交わしている。珍しく茶髪騎士も笑顔を覗かせている様子から、どうやら親交のある人物のようだ。
ボディービルダーは見るからに筋肉隆々の肉体に窮屈そうにスーツを纏い、夕食にはまだ早い時間だというのにぶ厚いステーキを慣れた手付きで切り分けている。スッと肉に入るナイフは見たこともないような実に良い切れ味をしていて、握っている人がイカついせいか何だか凶器に見えてきた。
ご馳走になっているのに何て失礼な!いけないいけないとボディービルダーの手元から視線を剥がすと、今度は爽やかな執事と目が合ってしまい、ニコッと微笑み掛けられた。
おもわず条件反射で愛想笑いを返して慌てて自分の食事に視線を落とす。そしてそろそろ受け入れ始めた具の少ないスープを啜っていると、右隣から伸びてきた美人騎士の指先が僅かに私の頬に触れながら滑り、垂れていた髪を耳に掛けた事に対して何事と顔を上げると、何故か皆が私を見ていた。
ギョッとしてスプーンを落としそうになる。皆が此方を見ている意味が分からず困惑していると、ボディービルダーが野太い声で美人騎士に何かを言い大きな笑い声を上げる。それがまさにハッハッハーみたいな感じだったので、私の勤める会社の社長を思い出した。社長は恰幅が良く福耳で真ん中から薄くなるタイプのハゲだ。太っ腹そうな見た目に反して給金は雀の涙程しかくれない。
美人騎士は口元を緩めてお上品に微笑んでおり、茶髪騎士は苦笑いしている。爽やかな執事は作り物の笑顔を貼り付けていた。何を言い放ったのか凄く気になる。
その後も和やかにこの屋敷への滞在は続き、日が暮れて数時間も経たない内にまた出された夕食に今夜はここに泊まるのだと分かった。
もちろん私の食事は質素なものなので、昼食からそんなに時間が経っていなくても食べられる。夕食に出てきたのは蒸した芋と豆とレンコンを和えたようなもの。外国の芋とレンコンだから私の知っている物とは少し見た目も食感も異なるが、分類的にはそんな感じだろう。
それよりも皆の夕食が大部分を肉が占める重量感満載な献立なのに対して、私のものは量が少なく1ミリの肉さえ入っていない理由を教えて欲しかった。まるで精進料理を食している気分である。この世界に来てから徹底的に野菜しか食べさせて貰えないのは、一体どんな理由があるのか知りたい。
与えられた客室では相変わらず茶髪騎士が部屋中を隈なく見て回り、あんなに仲良く話していた癖に用心深いなと思った。茶髪騎士にとってあのボディービルダーはそこまで信用出来る人間では無いらしい。何だか殺伐としてる世界だな。
それから使用人達にお風呂でのおもてなしを受けた後、今夜はまともなネグリジェでゆっくり出来ると部屋に入ると何故か昨夜を彷彿とさせる状況が出来上がっていた。
視界の端を使用人達が早足に退出して行く。お願い行かないで!カムバックッッ!!私の願いも虚しく控えめにチラチラ美人騎士を盗み見て頬を染めながらそそくさと使用人達は消えた。
部屋に残されたのは私と不必要な色気を醸し出す美人騎士の2人。昨夜もそうだがどうして茶髪騎士はこのタイミングでお風呂に入ってしまうのか。部屋の見回りなんかより、成人の男女を夜間に二人きりにさせないようにして貰いたい!この変に色っぽい男性とは特に!!ギャーッ!!!覗く鎖骨がなまめかしい、首筋がいやらしい、あの人変なんです、誰か助けてっっ!!
自分もソファーへ行かなければならないのか、何にも気づかなかった事にしてベッドに直行していいものか、見なかった事にしたい気持ちを膨らませながら葛藤する私の視線の先では、美人騎士はラフな装いで優雅に足を組みお紅茶を飲んでいらっしゃった。