中編
この時間、さっきの街には同じように生活に困窮した“同族”たちが押し寄せる。自分より体の大きい、武器を持った“同族”と鉢合わせてしまっては厄介だ。勝ちを急いでは命も落としかねない。そう考えて、市場は諦め、より閑散とした街の外側へと足を進めた。
あまり期待は持てないかと思ったが……ラッキーだった。岩陰から覗く1本道に、見慣れない装束の男が2人見える。どう見ても旅人だ。しかも片方は染みひとつない真っ白な衣装、ぴかぴかに磨き上げられたブーツ……いかにも、旅を始めて間もないという印象で、このご時世に周囲を警戒もせず隙だらけだった。きっと、この近辺の治安の悪さを知らないのだろう。呑気なもんだ、と内心憎らしくもあったが、獲物としては好都合だった。
もう一人の男が若干旅慣れしていそうなのが気がかりだが……あくまで獲物はあの白い服の男だ。反対側から抜けば、逃げ切れるだろう。足の速さには自信がある。
タイミングを見計らい、岩陰から飛び出した。
あまりにも無防備な、開けた場所に出たのはほんの一瞬の出来事。素早い動きで対象の脇を通り抜けて、鞄を強奪し、そのまま走り去る。
「あっ!?」
白服の男が背後で声をあげるのがわかった。だが、振り返ってその驚いた顔を拝んでいる場合ではない。こちらは愉快犯ではないのだ、生きるためにやっているのだから。
「おい、返せよ!俺の晩飯!」
「わあ、速いですね。彼」
「感心してないでお前も追いかけろよ!」
彼らの、素っ頓狂な会話もみるみる遠ざかっていく。
「はぁ……仕方がないですね」
そんな声を聞いたと思った、次の瞬間。
「ぐ……ッ!?」
俺は、顔からほとんど突っ込むような勢いで倒れ、両腕を縛り上げられた体勢で荒れた地面にねじ伏せられていた。
一瞬、何が起きたのかわからず目を白黒させていると、背中の上で男が言葉を発した。
「おや、少し加減を間違えましたか?綺麗なお顔から血が出ています……失礼」
その声はあまりにも涼しげで、到底走った直後とは思えない。体力だけではない。俺をねじ伏せたときの、腕さばきも。まさか、これほどの手練れだったとは……悔しいが、相手の力量を見誤った俺の完全敗北だ。
あとから、白服の男もやや息を荒げながら追いついてきた。俺は薄っぺらい笑みを浮かべて、その男のほうを見る。
「はは……ごめん、悪かったって。お手上げだ、降参、降参」
こうなってはもう、弟たちの元に生きて帰るため、命乞いをすることしかできなかった。
「悪いと思うなら返してくれよ。俺の晩飯」
男が、憤った様子で掌を出した。俺はへらへら笑ったまま、奪った鞄を投げて返す。弟たちが、この場に居なくてよかった。“みんなのヒーロー”としてこんな格好悪い場面、とても見せられない。
「……ま、盗られる方が悪いんだけどね」
受け取った鞄を大事そうに抱え直す男を見ていると、思わずそんな呟きが漏れた。ぼそりと零したつもりが、聞こえてしまったのだろう。男が顔を真っ赤にしてこちらを見た。
「な、何だと!?」
「あれれ、ごめん……でもさ、何かおかしなこと言ったかな、俺」
もちろん、それが“常識”でない世界があることくらい、知っていた。そしてこの男は、そういう世界の住人なのだろう。身なりを見れば一発でわかる。だからこそ、少し、苛立ったのかもしれない。自分と年端の変わらないこの青年が、こんな世界を知ることもなく安穏と生きてきたことが。
「お前……!人のモノを盗っておいて言うことがそれか!」
「はいはい、すいませんでしたねえ。でもやっぱりマヌケだと思うよ?」
「ぐぬっ……おい、スピラ!……さん!あんたも何か言ってくれよ!」
滑稽なほど顔を真っ赤にしたそいつが、俺の腕をふん縛っている男に加勢を求めた。
前髪を長く伸ばしたその男は、極めて冷静に、言った。
「はぁ……そうですね。盗られる方が悪いと思います」
「なっ!?」
流石に可笑しくて、思わず吹き出してしまった。白服の男がぎっとこちらを睨む。
「なんでそうなるんだよ!スピラ!……さん!」
「“さん”は要りませんよ。というか難しいならやめたらどうです?貴方が気を使うべきことはもっと他にあるでしょう」
「ぐっ」
「……ここは“そういう世界”だと、予め忠告したはずですが?」
「…………」
なんだ、忠告はしてたのか。
白服の男は何か言い返したげにしていたが、言葉が見つからず、不貞腐れたように黙り込んでしまった。何だか少し小気味が良い気もしたが、そういえば自分も人のことは言えないくらい情けない体勢だったことを思い出す。後手に縛り上げられた両腕が、そろそろ痛みを主張し始めていた。
「なあ……悪いけど、荷物も返したんだし、そろそろ離してくれない?弟たちが待ってるんだよ」
そう言った途端。
「え……」
白服の男が、目を見開いてこちらを見た。
ーーああ、“好い人”なんだな、と思った。
この男は、俺の境遇を想像して……憐れんだのだろう。気の毒そう、というのを通り越して申し訳なさそうな顔をされるものだから、こちらとしてはたまったものではなかった。
「ショックだった?でも、こういうのはよくある話でさ……」
逡巡するような顔にそう語りかけたそのとき。
目の前に、ずい、と大きな包みが差し出された。
「……やるよ。俺は、いくらでも食べられるから」
まさか襲った相手に施しを受けるとは。
そうは思ったが、俺の手は素直に差し出された包みに伸びてしまう。本当に、卑しくて生き汚いけれど、格好つけてる場合ではないのだ。スラムのヒーローは。
背の上の男が、両手の束縛を緩めるのを感じた。
「……あんた達、本当にーー」
お人好しだな。
そう言おうとした刹那、大地を揺るがすような爆音が、響き渡った。
西の空を仰ぐ。開けた殺風景の向こうーースラム街の中心部で、どす黒い煙があがっている。一瞬にして、脳裏を幼い兄弟たちの顔が過ぎった。
「離してくれ!早く!」
言い終えるより早く、後手の拘束が解かれる。振り返り例を言う暇もなく、両足はスラムの街に向けて走り出していた。
** *
「あれは……」
立ち上る黒煙を見据え、カインが血色を失くす。見覚えがある。あの光景は……。
同じことを察してだろうか。スピラが、深刻な声音で応えた。
「我々も向かいましょう。急いで」