レポート2
国木瑞架
○○年○○小学校高学年時の作文。冒頭。
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テーマ『得意なもの』
国木 瑞架
私が 小さい頃から、得意なのは、かくれんぼです。
なぜな なら、かくれんぼは、昔からやっていて、もう、どこに、誰が、いるか、すぐに、分かるから、ですす。あと、隠れるのも、得意です。どっちかというと、見つける鬼役より 、 かくれるほうが、良いです。
でも、私は、隠れるここことは、得意ですが、鬼が、来たときに、逃げるのが、おそい、です。
でも、かくれんぼで、完ぺきに、かくれて、逃げちゃうよりも、少し、むずかしいほ うが、楽しいと、思うのです。いっそ、つかまるのも、良いと、思います。
たぶん、これからも、いっぱい、かくれんぼを、します。次は、捕まって、みたいです。
つまりりり、私は、こ こここれからも、隠れんぼを、します。
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ここまでの内容から。
まず、気になるのはこの原稿用紙がくしゃくしゃにされていたことだ。
当時の国木瑞架が書き、そして捨てられた可能性のあるこれが、どうして今になって出てきたのか。
誰かが保存していたのか。
それとも偶然どこかに押しやっていたのか。
そもそも、この資料を提供した人物自体が素性の知れない怪しい者であることを念頭に置いておかなければならない。
内容としては、まあ子どもが書いたものとしてありそうではある。
気になるのは、これより前に書かれた作文の方がまだまともな文であったように思えることだ。
心身の発達の仕方は人それぞれだが、これは退行しているということだろうか。
それとも適当に書いただけなのか。
文の最後にいくと「つかまるのも、良い」「捕まって、みたい」とあるが、これがどこか引っかかる。
この頃、国木瑞架の身辺で起こった大きな変化が一つある。
彼女の母親が海外へと赴任し、従弟の岸田雅樹との二人暮らしになったことである。
これ以降、彼女自身に目立った変化はない。
しかし彼女の人柄を表すときによく使われた「感情が豊か」「はりきりすぎる」という表現が、この頃の彼女に関する資料から見つけにくくなっていることは着目しておくべき事柄だろう。
彼女は明らかにこの時期に決定的な何かを経験したのだ。
様々な資料を集めては見たが、それ以上国木瑞架について変わった事柄は見つけられなかった。
やはり従弟の雅樹と二人暮らしになった時期が気になる。
交友関係など変化が他になかったか確認しなければ。
この時期のことをさらに詳しく調べるとして……もしもこの資料が、提供した者のふざけた産物であったのだとしたら、わたしは色々と考えなければならないだろう。