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ランドフォール・パレード!  作者: 白樺セツ
カシュカシュ
6/19

錆びた刃の木曜日

ただいまと言ったのに、家の中からは誰の声も返ってこなかった。


瑞架の肩が落ちる。

雅樹、と呟いた。

声は冷たい家の奥へ消えていった。


――雅樹、わたしのたった一人の家族。わたしの大切なもの。わたしが守ルモノ。……タっタ、一人、の……?


カク、と瑞架は首を傾げた。

その拍子に前髪の毛先にあった水滴が落ちて頬に当たる。手で触る。瑞架の肌は冷えていつもよりも青白くなっていた。


下校中に雨が降った。

瑞架は折り畳み傘を持っていたが、途中で使い物にならなくなってしまった。

頭から靴の先まで完全に雨で濡れてしまって、防水加工の鞄だけがかろうじて無事だった。

鞄の中にある、田中秀樹から渡されたノートの切れ端、もとい手紙も無事なはずだった。


電気をつけ、瑞架は靴と一緒にその場で靴下も脱ぐ。

細く華奢な体が震えた。歯をカチカチと音を鳴らした。体にはりついた衣類が四肢の動きの邪魔をした。

傘が壊れてから走り通しだったが、体温が上がるより雨で体力を奪われる方が早かった。今やその足は鈍重に動く。


瑞架は今日、昼に彼と口論になった。

瑞架は自分が何を言ったのかあいまいにしか思い出せていない。

だが、明らかに異常だと分かるような取り乱し方をした。それだけは自覚していた。


記憶が飛ぶのが最も多いのは放課後だ。

しかし今日は珍しく瑞架の意識ははっきりとしていた。

下校することが久々に感じ、だから瑞架は不安になった。


シャワーを浴びたあと、彼に渡された手紙を見た。

結局このままでは埒があかないと思ったからこの形にしたのだろう。

中身は昼に話した内容だった。


『教えて良いことなのか悪いことなのか、まだ分からない。だけど本人の問題は本人が悩まなきゃ何も解決しないと思うから、全部話す』

そんな前書きのあと、一昨日から今日までの瑞架の様子がそこに記されていた。


疲れ切った頭では一度にすぐ理解できなかったようで、何度も読み返した。

つまり、瑞架の知らぬ間にリクという別人格が、勝手に瑞架の体を使っている、ということだ。


二重人格。


瑞架は眉間にしわを作った。

可能性の一つとして予想しなかったわけではない。

だが瑞架にとって、それはどの時点で言われたとしても唐突というものでしかない。

自分の中にもう一人いるだなんて、唐突すぎる。


――コレハ普通でハない。病院へは行ケない。普通ではナイから普通の場所へ行ってハいけない。だかラ『普通』にナラナケレバならなイ。まずはsoの定義をaげなくてhaいけない。『普通』にnaruためノ手段を探すことヲ第一の課題としテ――


手紙の後半で、瑞架はある言葉を見つけた。

瞬間息を止めた。


そこには、彼自身が瑞架に避けられる理由として考察した文があった。


『告白ゲーム』。


それは彼と瑞架がいた小学校で流行った遊び。

それが流行った時期に、彼は瑞架から避けられるようになったということ。

気になるのはそこなのだという。


瑞架だってそんなこと覚えていない。

彼を見て逃げるということは瑞架にとって当然のことなのだから、覚えているわけがない。

 

ズキン、と頭の奥に痛みが走り、瑞架は思わず頭を抱えてその場にしゃがみこんだ。

手の平が冷気を乗せた廊下を触る。

ぽた、ぽた、と水滴が手の甲と床に落ちた。冷たい汗がこめかみを伝っていた。


瑞架は唇を噛んで、顔を上げた。

痛みのおかげで瑞架の思考はよりはっきりとしてきた。

そうだ、ならば過去を調べればいい。彼女は そう思った。

 

瑞架は昔の日記帳を探した。

小さなときからかかさず書いている日記だ。

ことこまかに毎日書くよう指示されていた。

ヒントはここかもしれない。

要は、瑞架自身が気付けたらいい。全ての原因に。

 

日記はルーズリーフのような、細かく薄い線の引かれた紙を使っていた。

一日につき大抵は一、二ページほど書く。

一日にたくさんの出来事が起きれば、その分だけ記載漏れのないように書く。

文字の大きさは全て縦横五ミリを保ち、日付、各時刻、天気など、とにかくその日にあった事実を記録する。

出来事一つにつき瑞架がどう思ったかなどもしっかり書く。

データはいつだってきちんととらなければならない。当然だ。

 

日記を書けばその紙は黒いファイルに閉じてしまっておく。

瑞架が小さな頃から書いているから今はものすごい量になっているはずだ。

だから、きっとどこかにまとめて置いてある。

 

ぴたりと、瑞架は探す手を止めた。


小さな頃とはいつからなのか。

誰に言われて始めたのだったか。

それを瑞架は覚えていない。

自然とその口が開き、声帯が震える。


「それを考えるのは不毛。ただ克服すること。この社会で普通の人間になることが大事」

 

口に出すと瑞架の胸の内が落ち着いた。

ざわりとした不快なものが抑え込まれた。

 

もしかして、と思って瑞架は日記に使う用紙が入っている段ボールの中を覗いた。

だが未使用の用紙があるだけで、こちらに日記が混ざっているということはなかった。


捨ててしまったのかもしれない。

そう思ってため息を吐きつつ、最近の日記はちゃんとあるだろうかと瑞架は机に立てかけた黒いファイルを手に取った。


表紙を開く。

昨日のショッピングセンターでの一件でごちゃごちゃになった頭で書いた、一日分の日記があった。

ページをめくっていき、また最初からめくっていく。もう一度。もう一度。

しかしファイルにとじられているのは昨日の分だけだった。それだけだった。

瑞架は首を傾げてもう一度、もう一度と何度も同じページをめくった。ページ数はいつまでたっても変わらない。



――ソもソも、わたしはドウシテあんなに細かく日記を、記録をしていルの。ドウシテ、自分の記録をとっているの。ソレを指示したのha誰だった? 家族……親? 親ハ、誰? そう、親はずっと海外に出張している。だかラ雅樹と一緒に暮らしteiル。

雅樹は従弟。ワタシniとっては実の弟。昔わたしの家にやってきて、アの子はとっても怯えた目をしてイた。

それからこの家で居候をすることになった。

お母さんはわたしを大事にしてくれて、雅樹も大事にした。きっと守るからって言ってくれた。だけどいなくなった。

あの日。理由は知らない。いきなりいなくなった。大人たちは、わたしに良い子であるようにと言っていた。

やっと友達もできて、無邪気な笑顔を見せ始めた雅樹はまた昔の目になった。これでわたしの家族はもう雅樹だけ。

わたしと雅樹。二人。二人。もう一人はいないの? そう、お父さんは? どうしてお父さんのこと、全く思い出せないの? お父さんがいたような感じがしないのはどうして。もう亡くなっている? それとも隠れている? 何故隠れている?



栓がとれてしまったように何かが噴き出して、それは瑞架の中に充満していく。

考えがまとまらない。どうしての問いがどんどん増えていく。

クリアになりすぎて、多すぎて、瑞架はパンクしそうになる。


ただ、何故か『告白ゲーム』という言葉が瑞架の中で暴力的にその存在を主張していた。


ヒリヒリキリキリズキズキガリガリギリギリ。

だんだん、だんだん。どんどん、どんどん。


瑞架の内側はえぐられる。削られる。

壁は薄く赤く熱を持って――痛みだす。


心が激しく収縮するから、矛盾ができた部分からヒビを入れていく。ひびを壊して行く。


『告白ゲーム』。

なんという凶悪な言葉。

意味の採れない、その言葉。

だけどそれだけ強烈な何かがこの言葉にある。


瑞架の胸の中央が痛んだ。

内側から押されているような、このまま張り裂けてしまいそうな違和感を瑞架は感じていた。


胸元のボタンを開け、そこを指でなぞる。

なぞって、もう我慢できなくなったのか、爪を立てて引っ掻いた。

爪の間に皮膚が入り込む。

この中にある悪いできものを取り除かなければいけない。

そう思っているのだった。


ガリ、ガリ、ガリと爪が赤く染まる。

胸に赤い筋がいくつも出来上がっていた。


だけどもそれでも止まらない。

胸へと爪を立てる瑞架の手に透明で温かな水が落ちた。

それはつまり涙というものだったが、瑞架はそんなことよりも、この正体不明の脅威を早く取り除きたかった。


「痛い……痛い……痛い……いた……い」


えぐり出したいのにそれができなくて、余計にまたその目から涙がこぼれた。


コンコンコン、とノックの音が聞こえ、はっとしてドアを見る。

瑞架? と怖々尋ねる声。

雅樹の声。知らない間にもう帰ってきていた。


「いる……よね? どうしたの。居間とか電気点いてないし、今日の夕食は瑞架の当番だったでしょ?」


入るよ、の声に合わせてドアノブがカチャリと音を立てた。


恐る恐るといったようにドアが開かれ、瑞架のよく知る愛しい顔が現れる。

そしてその顔は瑞架を見て強張った。


目を見張って絶句している雅樹の顔を見て、知らず瑞架はほっとしていた。

ほっとして、すがるように雅樹の目を見つめた。


「雅樹……よかった。あのね、ここ、いたいの。とっても、いたい。なんでか不安で、ここ、なにか悪いのがありそうなの。でもとれない。お世話になってる人たちに、お医者さん呼んでもらったほうが、いいのかな……? ああ、そうだ。それと、聞きたいんだけど、わたしのお父さんって」


「瑞架」

 

静かだが強く、遮るように雅樹が口を開いた。


雅樹の強張っている顔が歪む。

無理に笑おうとしているのだと瑞架は気付いた。

ああ、またそんな顔をして。そう、瑞架は思った。思ったのだ。


「今日も、『普通』の一日だったんだね」


かすかに震えた声が瑞架の耳に届いた。頭の奥へとその『言葉』が届いて瑞架の中に芽生えた何かがまた隠された。


瑞架は曇りのない、明るく無邪気な笑みを浮かべた。


「うん! そうなの、今日も一日平和だったんだ! あのね、今日も智美がまたふざけて、部長に髪引っ張られてね、それでね、あ、そういえばお昼ごはん、大事なお話をしていたから食べそこねたんだよね。だからもうね、お腹ぺこぺこ! あれ? お昼は何のお話をしたんだっけ……ああ、そうそう。昨日お買い物してたら変な事件に巻き込まれちゃったから、転校生の田中君が心配してくれたんだ。わたし記憶ないからさ、どうしてわたしあそこにいたのかとか、そしたらね、手紙もらって……手紙……田中君に、手紙……また、もらって」



◆◆◆



気を失った瑞架をベッドに運ぶと、雅樹は瑞架の机を見た。


観察記録のファイルが開かれたまま置かれており、その脇には四つの折り目がついた紙切れがあった。

手紙だ。差出人の名前はない。しかし瑞架の発言と、この内容からしてやはり田中秀樹であることは間違いなかった。


『告白ゲーム』。

抹消したい言葉があるとすれば、これこそがそうだった。


この遊びが瑞架の小学校で流行っていたとき、雅樹はまだこの遊びの性質を理解していなかった。

理解できたとき、どれだけ胸くそ悪く思ったかしれない。


雅樹は洗面所へ向かった。

瑞架の手と胸は血で汚れている。次に目を覚ますまでに拭ってやらなければ。

また混乱する。混乱して、最後には……。


頭によぎったのは、雅樹がまだ小学校で低学年だった頃。

よく覚えている。

はっきりと記憶に刻まれている。


あの日。

先に家へと帰っていた雅樹は、逃げるように帰ってきた瑞架を見て息を呑んだ。

瑞架はやけに早い呼吸を繰り返し、目の焦点が定まっていないように見えた。

なにより驚いたのは、帰ってきた瑞架が『ただいま』と言わないまま自室へと駆け込み、引きこもってしまったからだった。


その行動は異常だと、あいつらは判断した。

瑞架の習慣にそんな行動は含まれていなかった。

瑞架は言いつけを初めて破ったのだ。だからあいつらは。


濡れタオルを持って瑞架の部屋に行くと、ベッドで横になっている瑞架の姿を見て雅樹は近づくのを止めた。


彼女の上には布団も何もかけていない。

その胸は上下し、しっかりと呼吸していることが分かる。

はだけた胸元もそのままである。


雅樹は目をすがめた。

もう、現状維持は無理なのかもしれない。

何度も『普通』という言葉を使って瑞架を落ちつかせてきたけれど、ちょっとしたことで取り乱すようになって、その言葉を使うたび瑞架は着実に壊れていく。

その魂も日ごとに削られていく。衰弱していく。

もうすぐ瑞架はいなくなってしまう。

もしかすると明日。それか今日。

でもあと少しくらい耐えられるかも。

だけど、耐えてどうする。ずっと耐えてきたんだ。苦しむだけで終わったらどうなる。

その後は、どうなる。きっと自分はもう我慢できなくなる。

あとを追ってしまうかもしれない。いや、それすら阻止されるだろうか。

疲れた。すごく疲れた。何も報われない。

無理だ。もう無理なんだ。繰り返すのはもう嫌だ。


だから。


「起きてよ。こっちはもう分かってる。起きろ……リク」

 

先程手紙で知り得た情報から名前を引っ張ってくる。声は思うように大きくならなかった。

ベッドに横たわる人物はなんの反応も返さない。


かちんときて、思い切ってベッドに近づいて瑞架の手首を掴んだ。


「起きろよ。起きて、なんとかしろよ……なんとかして、瑞架を助けて」

 

怒鳴るつもりだったのに声は震えて小さかった。

 

そっと瑞架の手首を掴む雅樹の手に、もう片方の手が添えられた。


「……お前が知ってること、全部話せ」


瑞架の目蓋が開いて、粗暴な感じのする不機嫌な顔が雅樹に向けられた。


「瑞架は、まだあいつのことが好きなんだ」

 

嗚咽混じりに雅樹は語った。



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