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ランドフォール・パレード!  作者: 白樺セツ
カシュカシュ
15/19

廃墟の命

あいつらなんてすばしっこいんだ。

 

秀樹は人や物をかろうじて避けて国木と雅樹の二人を追っているというのに、その当人たちはひょいひょい色んな障害物を避けて駆けていく。

しかもスピードを一定に保っているから見ているこっちが怖い。階段なんかは何段か飛ばして進んでいる。

見かけによらず身体能力が高いようだ。


昔秀樹も階段飛ばしはやっていたものの、今はちょっと怖くて階段の手すり上にあるすべすべした坂に上体を押しつけて滑るのが精一杯だ。

良い子は真似してはいけない。悪い子も真似してはいけない。絶対にだ。

下手をすれば頭から向こう側へ落ちて怪我以上の事態になる可能性がある。

そして昔の秀樹のように周囲が巻き添えになることがある。

 

途中校内を巡回していた何人かの教員に怒鳴られた。

秀樹はいまだに他の生徒とは違った制服であるし、メディア部のチラシが上体の前後に貼り付けられているからあとで呼び出しを食らうかもしれない。

だが今はあの二人を止めなければと思った。


「ちょ、もうっいい加減にしろ! 止まれ! 走り回るな! ぶつかる!」

 

息継ぎ混じりにブーメランで自分に帰ってくる言葉を叫ぶが、当然効果はない。

どころかどんどん二人が見えなくなっていく気さえする。

階段を完全に下り、右へ曲がった二人はすぐ目の前にある正面玄関口へと向かった。


……かと思ったら、すぐに戻ってきた。

秀樹が階段を下り切らないうちに。雅樹が国木を背にしたまま、後ずさって。

二人の前には様子のおかしい数人の男女が正面玄関口に立っていた。


「――ヴ、ォ――」


ノイズが混じったような声。先日の光景が脳裏を駆け抜けた。


「オウジョ、セキニ、セキニン、ニンヲ、ハタス、ハ、タセ……」

 

先頭の女が不安定な動きをする腕を上げ、国木と雅樹を指差した。

白目のない黒く濁った眼で二人を映す。

よく見れば首や耳のあたりに不自然な縦ジワが走っている。

布か何かが寄ったような。あの人形だ。


秀樹が階段をとび下りて二人のもとへ行こうとしたときだった。


「ウヴッ」

 

先頭の人形が倒れこむように大股で二人に襲いかかった。

二人分の悲鳴と共に、咄嗟に国木が雅樹の頭を抱えてしゃがみこむ。


秀樹の横から誰かが飛び出して、襲いかかった人形に体当たりした。

人形は声もなく床に倒れ込み、体当たりをした人物は跳ね起きてすばやく体勢を立て直した。


「大丈夫か!」

 

視線を人形に固定したまま、鳴識は驚いて硬直したままの国木と雅樹に問うた。


その返事を二人がする前に、残った人形たちが無茶苦茶に突っ込んでくる。

鳴識は向かってきた人形の一体を掴むと、まさかと思うほどの勢いで後に突っ込んできた周りの人形たちに投げ飛ばした。

二、三体が引っかかって簡単にバランスを崩して転んでいく。引っかからなかった人形も鳴識が足払いをかけて転ばせた。


「ひっ」

 

倒れた人形がガクガクと不安定な動きであるのにもかかわらず、すばやく国木に手を伸ばした。

空を切ったかと思われたその手は彼女の黒髪を一束掴んでいた。


「やめ、やめろ!」

 

秀樹が慌てて駆け寄りその人形の手を掴んだ瞬間、ぞわりとした。


表面が滑らかで弾力があった。まるで本物の人間のような。

しかもこちらの熱を全て奪ってしまうのかと思うほどに冷たかった。

 

人形が髪を振り乱し、手を引いた。

手を掴んだままの秀樹は引き寄せられ、顔がぐっと人形の顔に近づいた。

凝視した。見た目の質感はまさに本物の皮膚だった。

しっとりとしているが赤い細かな傷痕だとか、青くなった毛穴だとか、何より引っ掻いてしまえばすりむけて血がにじむのではないか、という肌色の表面。

頬に一つ大きな亀裂が入っていた。透き通ったように白い断面の中にぽつぽつと赤黒い斑点が見えた。


ひゅ、と思わず息を吸った瞬間、鼻孔を突くような何か薬品の臭いがした。

クラッと意識が遠くなりかけた。


秀樹の目の前にあった顔はすぐ床に叩きつけられた。

即座に何か黒いものが人形の頭を突き刺した。

パキリ、と何かが割れる音がした。


剣だった。剣が人形の頭を突き刺していた。こないだ見たばかりの、墨を流したような剣。

そんなわけがないのに刀身の中が揺らいだ気がして、秀樹の中で何かがざわりと揺れた。


「見込み違い、でしたか」

 

はっと見上げれば、キャスケットを目深に被ったクロードが黒い剣を両手で握っていた。

服装は前とあまり変わらない。手袋もしている。


秀樹を一瞥したあと、クロードは剣を人形の頭から引き抜いて鳴識に近づいていった。

鳴識が非難するようにクロードを見た。


「お前、なんてこと」


「すでに死んでいる」

 

言って、クロードが黒い剣を振って他に転がっている人形の顔を切っていく。

血は出なかった。だけど、思わず目をつぶってしまった。


「何故目を狙わない。目が要であるとお前は知っている」


「それは」

 

鳴識が反論しようとして口ごもる。


「もしかして、先生が協力者……?」

 

え、と鳴識が秀樹を見たとき、その視線が秀樹のすぐ後ろへ向かった。

はっとして振り返ると、国木と雅樹は渡り廊下へ開いているドアをくぐりぬけたところだった。


行動の意味は少ししてから秀樹も分かった。

また新しい人形が、正面玄関だけじゃなく、階段の上からもゆらゆらと現れ始めたのだ。

これほど校内に紛れ込んでいたのか、というくらいに。

 

逃げるため、というのもあった。

だけどそれ以上に何か胸騒ぎがして、秀樹は咄嗟に二人を追いかけていた。

 

渡り廊下の先にある棟をくぐれば駐車場があり広い場所に出る。

主に教員専用だから、今は人気がなく周辺にはもう屋台も何もなく客もいないはずだ。

誰の目もなくて、そこはきっと静かな、はずだ。 


嫌な予感は的中した。

渡り廊下を走り、棟をくぐると駐車場で国木と雅樹を見つけた。

ただし、それはぐったりとして何者かにワゴンの中へ運ばれていく二人の姿だった。


「あっ」

 

全てが遅かった。

二人を乗せた白いワゴンは急発進し、空けっぱなしになった裏門から出ていってしまった。

 

あっという間。あっという間だ。本当に。

何もできなかった。


「連れて行かれましたか」

 

振り向くとクロードがいた。

帽子のつばから、彼の眉間に寄ったシワがチラリと見えた。

申し訳ないような気がして秀樹はうつむいた。

 

小さな舌打ちの音が聞こえたあと、クロードは駐車場にある車を一台一台確認し始めた。

偶然にも鍵が差しっぱなしの車を探しているのか。


「おい、国木たちは」


鳴識がやってきて周囲を見回した。国木と雅樹の姿が見えないことでそれから何かを察したのか、表情が凍った。


「どこに……」


「私なら追跡できる。車が必要だ」


クロードが振り向かないまま言った。


「だったら」と言って鳴識は駐車場に置かれた車をざっと見た。

それからベルトに手をやり何か鉄線のようなものを引き抜いて――そこでピタリと手を止めた。

気まずそうな顔で秀樹を見る。


「田中、お前は見るな」

 

えっと声を漏らした次には、すかさずクロードがやってきて秀樹の顔を大きな手で覆い隠した。

すまんな、と鳴識が言ったあと、数秒経って何かガチャガチャという音が聞こえた。

音が終わると手が外され視界が開けた。そこには小回りのききそうな軽自動車の運転席に乗りこむ鳴識の姿があった。

 

秀樹はクロードに首根っこを掴まれ、後部座席に放り込まれた。


「ちょ、ちょお待て、なんで田中」


「指示を出す。行け」


秀樹と同様後部座席に乗り込んだクロードが顎で示す。

 

迷っている暇はないと判断したのだろう。

鳴識は困惑の表情を浮かべながらもエンジンをかけた。

鍵がないのにどうやっているのだろうと、秀樹はどこか頭の隅で考えた。

 

ガクンとした振動のあと、車は門から飛び出した。



 

矢継ぎ早に指示を出すクロードと、少々荒々しいものの一定の速度を保って事故を起こすこともなく運転する鳴識は、とても良い連携が取れていると思った。

秀樹と言えば切羽詰まったキリキリとした雰囲気の中で身をちぢこませているだけである。


今、二人に事の詳細を尋ねる勇気がない。

尋ねた瞬間に綱渡りのように感じられるこの連携が崩れてしまったらと思うと、とても口を開くことができない。


今は細く急な坂道をのぼっていた。

さっきからどんどん山の上へと向かっている。

周りは高級そうな家々が並んでいて、地面は舗装されていた。

 

坂道の途中で車が停止する。

鳴識がシートベルトを外して素早く外に出て、運転席で見つけたらしいストッパーを持って車の後ろに回った。


「あなたは国木瑞架と岸田雅樹の保護を優先しなさい」

 

淡々と言ってクロードが車を降りた。

つまりはかなりの確率で乱闘になるということだ。


秀樹がごくりと唾を呑んで後に続く。

目の前には白いワゴン車が道を塞ぐようにして真横に駐車してあった。

ぽん、と肩を叩かれた。鳴識だった。


「事情は知らんけど……とりあえず、逃げるなら今や」

 

ぼそりと言われた。逡巡したものの、秀樹は首を横に振った。


「大丈夫です。行きます。行かないと、駄目なんです」

 

そう言葉を口にすると、胸の内で何かが固まった気がした。


「止めても無駄ってやつか。身の安全を第一にな」

 

はい、と返すと鳴識は秀樹を抜いて先を歩いた。秀樹はそれに続く。

クロードが言っていた学園の中の協力者とは鳴識のことで間違いなさそうだ。

そして彼がただものでないことも確実だ。後で教えてもらえるだろうか。

 

クロードが白いワゴン車の中を覗き、誰もいないと分かると手で「来い」と示した。

鳴識が続き、秀樹も駆けていった。

 

進んだ先はふもとよりも木々が茂り、山肌がところどころ剥き出しになった住宅地だった。

昼間なのに、人の気配がなくて不気味だった。

山の上だと言うのに大きな家がひしめきあっている。

手入れが行き届いている家といない家とで外観に違いはあったが、一応高級住宅街ということは分かった。

秀樹が知る地元の高級住宅街でもそうだが、どうしてこう独特の雰囲気があるのだろう。

ただここにいるだけで場違いな気がする上、ぞわりと何かが背筋をのぼる。

 

くねくねとした難解な小道を通りぬけると、突然廃墟が現れた。

地面のアスファルトは途中から砕け、次第に山肌へと変わっていった。

靴底ごしに土と砂利の感触を感じた。


空気は先程と打って変わって周囲を引きずり込むように重く沈み、湿気た草と土と訳のわからない生臭い臭いが脳全体を包み込んで吐き気を誘発した。

結果、吐きはしなかったが気分は悪いままだ。

 

廃墟は小さな家屋で、こちらから確認できる限り瓦はほとんど剥がれ落ち、下で砕けている。

大きな穴を補修するように、または壁の代わりにするかのように木の板が釘で打ってあった。

が、それも風雨にさらされたためにささくれ立ち、ツタが家屋全体を覆うように成長している。

蜘蛛の巣はわずかな空間にいくつもあった。不快なこと極まりない。


「ぎゃ」

 

短く何かの悲鳴が聞こえたあと、ガタン、と大きな物音が聞こえた。

 

バン、と勢いよく玄関扉から飛び出してきた男を、クロードは正面から躊躇なく顔を殴って気絶させた。

秀樹はあまりの痛々しさに、倒れた男を見ることができなかった。

 

クロードが鳴識に顎で何かを示すと鳴識は少々怪訝な顔をした。

そのあと何かを探すように周囲を見て、それから今度は苦虫をかみつぶしたような顔をした。

 

仕方ないな。そう呟いたあと、鳴識は気絶した男の腕を手に取った。

はっとして秀樹はすぐ目をつぶって耳を塞いだ。

目を開けると、鳴識は男を邪魔にならないよう脇に寄せていた。

たぶん、腕を折ったか脱臼させたか。いずれにしろ暴力的で見ていられない。

 

鳴識は辺りに落ちている瓦の破片や小石を何故かいくつかポケットに拾うと、開いたままのドアからそっと中を伺い入って行った。

クロードも入っていき、秀樹はおそるおそる後に続いた。

 

息をひそめ、耳をそばだてた。

物音はない。が、誰かいるということは気配で分かった。

慎重に進んで行くと、次第に生臭さと何かの薬品の臭いが鼻孔に届いた。

学校で対峙した人形の皮膚を思い出したが、今は二人を助けるのだと深く考えないようにした。

 

ゆらゆらと、開け放たれたドアがあった。

そこからぼんやりした明かりがこぼれていた。

覗けばすぐそこには壁に追い詰められ尻餅をついた男と、その男を追い詰めているコートの男がいた。

片手に大ぶりのナイフらしきものを持っている。

いや、ナイフじゃない。あれはナタだ。

 

照明は足下に置かれた複数のライトだけだ。

部屋の四方には完全に光が届いておらず、消せない闇がそこらにあった。

木板の床は土埃で汚れ、木の破片や綿のような屑が散らばっている。

ドアに隠れて全ては見えないが、ブルーシートが床の一角に敷かれていた。

その上に鉄パイプの端や糸ノコギリの柄、ペンチらしき持ち手が見えた。工具類を並べて置いてあるようだ。

そのあたりに闇とはまた違う、薄暗く陰気な色が見えた気がした。


部屋の奥の隅で、二人分の影が震えているのを見つけた。

国木たちだった。二人とも後ろ手に縛られ、口に布をかまされていた。


「助けて、くれ……」

 

息も絶え絶えに、追い詰められた男が言う。

片手で脇腹を押さえ、もう片方の手はダラリとして動かないようだった。


「無理」

 

コートの男が何かを持った片手を振り上げた。

国木と雅樹が顔を背ける。

 

そのとき、隣にいた鳴識が何かを投げる動作をした。

コートの男が何かに打たれたようにたたらを踏んだ。

持っていたナタも何かに打たれたかのように床に落ちる。

 

すばやく部屋に入り込んだ鳴識が落ちたナタをコートの男から離れた場所へ蹴り、追い詰められていた方の男の首を左手で掴んだ。

そのまま数秒経つと男の頭はガクリと前へ傾き、鳴識は手を外した。

気絶したのだと分かった。

 

コートの男が緩慢そうにゆらりと動き、鳴識を注視した。

クロードと同じような白い肌に、日本人には少ないガタイの大きさ。

金色の髪は後ろで一つにしており、長く波打つものが男の腰あたりまで垂れていた。

この前茂みの中で見た金髪の男だと秀樹は思った。


「なんだお前は。何をしている。私を誰だと思っている」


「それはこっちのセリフやわ。何してるここで。組織のもんとちゃうな」


「聞き苦しい話し方をするなよ。私が不快にならないよう、丁寧に標準の日本語で話せ。翻訳機が反応せん。これだから庶民は嫌いなんだ」

 

コートの男は首をひねったり肩を回したりする。

鳴識は足を肩幅ほどに開き、腰を少し落として男から目を離さない。


「侯爵でしたか」

 

クロードが秀樹の横から出てきて言った。

すれ違いざまにぞわりとした何とも言えない感覚が背筋を走る。

クロードの手にはあの黒い剣が握られていた。今、クロードは「侯爵」と言ったか。この男を。


「ははあ、飼い犬が長生きとは。しぶといものだな」


「あなたほどではありません」


「ほざくようになったな盗人が。その魔剣は宮殿にあったものだろう。――おい」

 

男が合図をした途端、二人分のくぐもった悲鳴が聞こえた。


暗がりから女性と思しきシルエットが飛び出して、二人ののど元にナイフをそえた。

どこまでも暗い眼球が、照明をつるりと反射して二人を見つめた。


学校で襲ってきた人形たちと一緒だ。

ショッピングセンターのときの人形よりも動きが違う。


……皮膚が違うからか? 

想像した途端にこみ上げた吐き気を、秀樹は口に手を当ててこらえた。


「あなた様こそ、あんな悪趣味な生き人形を作るためにどれだけの労力を費やしたのですか。あれはこの剣と同じ鉱石から作られていますね。一体いつから手を付けられておいでで?」


「私が作ったのではない。あやつらが作りだしたものだ。

魔術も魔法も使わない便利な道具だ。そこは感謝している。

我が国の愚民共は私には到底及ばないからな。そのゴミ屑のような魂を玉で保存してやった。

生存に消費する魔力は魂分だけで事足りる上、余計なことを考える生身の部品がなくなった。お前よりも扱いやすい奴隷になったよ」


魂? 人形は生きているのか?

 

男が顎を動かすと、四方の闇が動きだした。人形だった。

ゆっくりと秀樹たちの方へ近づいてくる。薬品と鉄の臭いが一気に近づいてくる。

急いで鳴識が秀樹をかばうように立った。

秀樹は何をすることもできず、ただ対峙する二人の話を聞いていた。


「最初から協力関係を持っていたのですね。組織と」


「何が悪い。これは外交というものだ」


「しかし、城も国も星も全て焼けました。生き残ったあなたは一体何を? まさかまだその腐った目に利権などを映しておいでで? 今や我ら魔力を有した種は狩られる側に回ったというのに」


「世界は広い。命が長く体も達者というのは、それだけで一つの力なのだ。

私は私という個こそが一つの価値なのだよ。

私がここにいるというだけで多くの可能性が生まれる。

役立たずの悪童より、今こそ私が尊ばれるべきだ。


連中がただ我々を狩って殺すだけかと思うか? 

私がこうして立っていることがそれを否定している。

我らは貴重な存在なのだ。広い宇宙の中で稀なる力を有した種族として、保護をし、研究したいのだ。

それに魔術や魔法を極度に警戒している。付けこむ余地は限りなくある。


実際、娘にとりついた悪童の対処について名乗り出てやったら喜んで私を迎えたよ。

子飼いの地球人が減るのも悪童をみすみす取り逃がすのも嫌だという強欲ぶりだ。

二兎を追う者は一兎をも得ずという言葉がこの国にはあるのにな。


くだらない縛りはもうない。クロード、今後は私に仕えるといい。

あの悪童よりはうまい汁を吸わせてやる。その手は私のために使え」


「そして、いらなくなれば処分しますか」


「安心しろ。そのときになれば文字通り、晴れてあの悪童と共に私の糧となることができる。こやつらのように」


「…………」


クロードが強く剣を握りしめた。


「それは、つまり……食べたって、ことか? 人を」

 

一同の意識が声を漏らした秀樹に集中した。

耐えられないと言ったように国木がぎゅっと目を閉じた。


「さっきからこの臭い……あの皮って、本物……? 腐らないように?」


「クロード、なんだそいつは。戦闘要員には見えんが」


「答える義務はないかと」                                            

 

クロードが剣の切っ先を男に向けると、男がふんと鼻を鳴らした。


「私を貫くか? それよりもそこの悪童の肉を口にする方が賢い」


「食人嗜好をお持ちだったとは。それとも、魔力の補給のためですか」


吐き捨てるようにクロードが言うと「当たり前だろう」と男は笑ってコートの内に手を入れた。


出てきたものは拳銃だった。

秀樹が知っている映画の中での拳銃とは違って、真っ白でごてごてした金色の模様があった。

その銃口をゆらりとクロードに向け、鳴識に向け、秀樹に向け、そしてまたクロードに向けた。

男の口角は上がっていた。どいつにしようかと、面白がりながら選んでいることは明白だった。


「故郷にいないというだけで我々の魔力は通常よりも早く枯渇していっているのだ。魔力を有した食物が他に手に入らないとなれば仕方あるまい。

そこにあるのはもとの器とは違っても、魔力を有した肉体だ。十分事足りる。

まあ、魂か魔力だけを摂取できたのならばさすがにやり方は変えたがな」


「それでもすぐに死ぬという切羽詰まった状況ではないでしょう」

 

クロードが手を伸ばしてきた人形の腕を剣でなぎ払う。それから顔にはめられた黒い玉を剣で斬る。割れた音がしたあとに玉は煙のように消えた。

鳴識が学校で示した反応の意味を今さらながら理解する。

これらは姿こそ人形であるものの、まだ生きた人間なのだ。


鳴識が腕を掴んできた人形の手を振り払い、蹴り倒す。

秀樹はただ二人の後ろで何もせず、おろおろと見ていることしかできない。

どうしようもない。国木たちののどにはナイフがあるし、人形は襲ってくる。

男はいつでも拳銃で秀樹たちを的にすることができる。


「上に立つ者は健康を保つべきだ。なのにあやつらは直前になってこの私から悪童を奪おうとした。話が違うと言ってな。

欲求を満たし、かつそれが継続することを望むのは、生き物である限り当然だ。稀代の魔力と言われたものが体内に宿るのならばなおさら」


「…………」

 

近づいてきた人形をまたクロードがなぎ払う。人形が倒れたはずみで中身をこぼす。屑が皮膚の亀裂からこぼれ出す。

 

ああ、と男は気持ちが良さそうに片手で顔を覆った。


「私は今、久々に多くを語っている。顔面と舌の筋肉が程良く伸縮していて非常に良い。

組織の連中はどいつもこいつも話を聞こうとしない。自分の意見を言おうとしない。感情を出さないからつまらない。

過激派だけなのかな。とても退屈だったよ。


別にな。私は本当にお前が鞍替えするとは思っていないんだ。どうせ忠誠だとか身の程知らずの大義名分で死にたいだけなんだ、お前は。

だからな、とどめは私がやってやる。剣を捨てろ。安心して苦しめ。その間だけそこの悪童を生かしておいてやろう」

 

はっと秀樹が見やれば、国木の首から細く赤い筋が垂れていた。

雅樹が目を見開いてそれを凝視し、それから何か訴えるように秀樹たちへと視線を送った。

だけども秀樹は血の気が下がり、絶句してすぐに動くことができなかった。


クロードがその場に剣を落とした。

途端に、斧を持った人形がクロードに襲いかかる。

それを鳴識が体当たりして押しのけた。人形が持っていた斧が放られ、くるくると宙を舞ってちょうど秀樹の目の前に落ちて床に刺さった。

ペンキが禿げたその木の柄に、はっきりと赤黒い染みを確認してしまった。


突然つんざくような二つの破裂音がして秀樹ははっとした。

いつのまにか目の前に人形が立っていた。太い角材を手に持ち、振りかざしている。

その人形の後ろに見えたのは、不動のまま手から血を滴らせているクロードと足を押さえて倒れた鳴識だった。

鉄と薬品に加え、火薬の臭いが漂っていた。


「タスケテ……」


ノイズ音と共に角材が振り下ろされる。

秀樹はすんでのところでそれを避け、考える間もなく床に刺さった斧を手に取った。

瞬間的に柄に付いているであろうそれを意識すると、頭の奥がひんやりとして透明になった。


秀樹は、角材をもう一度持ち上げようとする人形の腕に斧を振り下ろした。

バキ、という乾いた音が聞こえたが、妙な弾力を感じたあと皮膚はぶちぶちとちぎれていった。

その断面には屑と細い角材が詰まっていた。目を狙わなければ大丈夫。大丈夫だ。


腕を失った人形がそのまま秀樹へと突進した。

秀樹は横に避けて人形の背中を斧で切り付けた。

人形が倒れる。人形の首があらわになる。

そこにはもう細かな亀裂が入っており、屑が漏れ出ていた。


秀樹はそこへ迷いなく斧を落とした。

腕と同じようにそれはいとも簡単に切断され、屑をこぼした。

人形の不気味なノイズ音はまだ聞こえていた。

言葉としてはもう聞き取れない。

だけどこれで体はもう完全に動けない。


気付けば頬が濡れていた。

冷や汗かと思ったが、触ってみればそれは涙だと分かった。


呼吸が激しくなった。

斧をその場に置き手で口を押さえると、鉄と薬品の臭いが混じって鼻の奥を強く刺激した。


慌てて腕で口を拭いた。

斧の柄に付いていたものを思い出して、ごしごしと痛くなるほど口をこすった。


嫌だ。あいつと同じになる。

今すぐ水で洗いたい。きれいに洗い流したい。


頭の奥の、恐怖を感じる部分に膜が張られているようだった。

それだからか、急にそれ以外の感情が浮上してきた。

秀樹はこちらに顔を向けたあの男を睨みつけた。

 

なんだろう。なんか、むかつく。いきなり登場して、いきなり乱暴してきて、何様だ。侯爵? 

リクの国では偉い地位にいたのか。そうか。今は何も持ってないくせして、偉そうに。

昔取った杵柄って、こういうのを言うんだ。何故笑う。何故笑う。何故笑う。何が一体おかしいんだ。


男の口が動いた。


「お前……何故笑っている」


「え?」


視界は歪んでいた。涙はぼろぼろと落ちていった。


――自分は今、どんな顔をしているのだろうか?

 

ぢり、と頭のどこかで何か音がした。


ヒリヒリキリキリズキズキガリガリギリギリだんだんどんどん……ぢりぢりと、ぢりぢりと。


秀樹の内側はえぐられる。削られる。壁は薄く赤く熱を持って――痛みだす。

心が激しく収縮するから、矛盾ができた部分からヒビが入る。ヒビが入る。

あとは、指でなでれば、かんたんに、やぶれる。

 

家で、便箋が全てはぎ取られた厚紙を見つけた。

その表面にある凹凸に気付いて鉛筆でこすった。

本文は何度も書き直したらしくて内容は読めなかった。

だけども宛名だけは分かった。

綺麗な字を書こうとして力を込めて書いたから、くっきりと残っていた。


――俺は謝りたかった。あのとき、それで、本当のことを言いたかったのに。

 

自分の中のどこかに亀裂が入っているように感じた。

そこから屑がこぼれ出す。

こぼれ落ちていく様子を見るのに必死で、その屑が何なのかよく分からない。

屑が秀樹の中にあふれていき、何も考えられなくなっていく。


『これ以上関わるのは危険だよ。だから僕は君を助けてあげる』


あの日、倒れ込んだ秀樹の頭を誰かが掴み、言った。だからもう叶わないのだと思った。


『事実はなかったことにできない。残念だったね』


あの時、薬品の臭いと共に何かが頭に沁みてくるような気がした。何もかもが終わるような気がした。

だからせめて声に出した。ありったけの声量だった。

なのにあのときの秀樹はえずいてしまって、声はどんどん小さくなっていったのだ。

だけどもそれはもうただの言い訳にしかならないと理解していた。


「最初は……気付かなかった。でも気付いた。だから手紙も、言葉も、全部本当で、分からなくなったけど、本当の気持ちだった。全部本当で、本当の言葉で、だから俺は、本当に、本当は……」


うわごとのような自分の声を秀樹はどこか遠くで聞いていた。

言葉は止まらない。だけども段々とその言葉は今の秀樹のものになっていく。


怪訝な顔をして、男が秀樹に銃口を向けた。

 

そうか、と秀樹はやっと理解できた。 

秀樹は袖で顔を拭き、震えてこちらを凝視している国木を見やった。


「あの日の俺は、本当にお前のことが好きだったんだ。……ごめん」


言うと、すとん、と秀樹の中で何かがおさまった。

 

彼女の目が見開かれていた。

それから、段々と緊張していた顔の強張りが解けていく。

どんどん顔が和らいでいって、左にある目から涙が一つこぼれた。

目蓋が閉じられると、いくつもの涙がこぼれて筋を作った。


そして次に目が開かれたとき、そこには好戦的な光が宿っていた。


ゴキン、と何か生々しい音がしたかと思うと、国木は拘束されていたはずの手で首元のナイフを掴んだ。

人形がたじろいだ一瞬で雅樹の首にあったナイフも掴んで引き離す。

ナイフを取り上げ、くるりと回して柄に持ち変えると人形の両肩に突き刺した。


「ぷはっ――『刃物とは切れるもの』だ!」

 

口にかましてあった布を外し、国木の声でリクが叫んだ。

人形の肩に刺さっていたナイフを再び掴むと刃はすんなりと上下に動き、肩の部分を切断して両腕を床へ落とした。

それからリクは素早く雅樹の後ろ手にある縄を切った。

 

突然の事態に男が銃口をリクへと向けた。


「いきなり元気になったな。ガキが」


「臭いセリフ貰ったからな。体中かゆくって仕方ねえ。……にしても、お前は間抜けだな」

 

何、と男が言った次の瞬間、鳴識が投げつけた瓦の破片が男の膝裏を撃った。

男がガクリとバランスを崩す。鳴識は素早く男を背後から押し倒し、腕を取って後ろへ捻りあげた。

ぎゃあ、と男が無様に悲鳴をあげる。


「捕まえたで」

 

言うと、鳴識が自身のベルトで男の両手を拘束し、男の首に腕を回して締めて気絶させた。

鳴識の太ももの辺りは血でにじんでいたが、それ以上出血しているようには見えなかった。


リクは鳴識の手さばきをじっと見て言う。


「……死んだ?」


「ちゃう! 殺してへん! 気絶させただけや!」

 

ふうん、と少しほっとした表情になると、リクはすぐに表情を引き締めた。


「『体はばねのような筋肉の収縮で動き、四肢は瞬間的に身を守る行動を取り、敵を翻弄する』!」

 

叩きつけるように床を片足で蹴りつけ、リクは走った。

両手に持ったナイフで人形の腕と足を切っていった。

人形は立つことも応戦することもできずに倒れていく。

それこそあっという間といった表現がぴったりだった。


「……他は、もうないか」

 

荒い呼吸でリクが言い、現在立っている人形がもういないことを確認するとその場にへたりこんだ。

リクはうつむき、はぁー、と深く息を吐いて問う。


「雅樹、大丈夫か?」

 

雅樹は口元の布を外したまま固まっっていたが、少ししてからやっと「大丈夫」という声が聞こえた。


「アシル、やめろ」


唐突にリクが凜とした声で言った。

アシルとは誰だ。そう思ってぽかんとした秀樹だが、一拍置いてからクロードを見た。

クロードは剣の切っ先を人形の顔へ向けていた。

 

無表情のままにリクを一瞥する。クロードは剣をそのままに、口を動かす。


「……この魔剣は、もともと生贄という行為を効率よく行うために作られたものです。

魔力を有するものならば必ず剣が吸収する。すると全ては原型をとどめずただの物質となり、あとは地に埋めて還すだけ。

お分りでしょう。この玉も同じです。

もう助かりません。あとは地に還るのを待つだけです。

残された意識にもう期待できないということは聞いておられたでしょうし、そこまであなたはバカではないと私は存じあげております。

故に組織に押収され、実験材料として彼らの魂が辱められる前にこの剣で斬ること。

それが今できる最善であると、僭越ながら私は提示致します」


「やめろと言っているんだ」


「彼らはかつてこの剣を使ってあなたを生贄にしようとしていました。魔力の枯渇によって星が滅ぶ……そんな流言に従って。

地球に来てからも、これで救われると信じてただただリク様を殺そうとしました。


人が人を殺そうとするとき。そこにはある意味対等の関係が生まれます。

極限の中で剥き出しになった命がせめぎ合う。殺すか殺されるか。生きるか死ぬかの。

両方の可能性が示唆され、混ざり合い、溶けあってどちらの未来にも転ぶ。

ここで逃せば、もしかしたら巡り巡ってまた同じ状況を作り出す要因になるかもしれない。みすみす殺されるいわれはありません」


「そうならない可能性だってあるだろう! 生と死が交わるのなら、死の可能性を秘めたままの生の続行も有り得る!」


「安全な未来を得るための合理的な行動。これが、私がリク様にできることです。私はあなたを殺す命令にだけは従いません」


「だから、だから国木を殺そうとしたのか。魂を消そうと。オレが出てこれないように、術までかけて。そんなの……卑怯だ」

 

泣きあえぐようなリクの声に、秀樹は頭の中が真っ白になった。

と、同時にすんなり納得した。

最初にクロードの話を聞いたときの感覚。

クロードが言っていたこととは真逆のことを言った雅樹。

気を張らせる。

緊張状態を持続させる。

リクの万全な状態。

それは全て、国木の魂を消し、一つの肉体にリクだけがいる状態にする、ということだったのだ。 


きっ、とリクがクロードを睨んだ。


「オレが瑞架の中にいるからか。瑞架が組織側の人間だったからか。瑞架が、あいつに似ていたからか」


「全てです」

 

クロードが剣を振る。待ってというリクの声は玉が割れた音と同時だった。


ああ、とリクが呻き、額に手をやった。


「オレは……オレはたくさん魔力を持ってる。だから、守ってもらわなくっても、大抵なんとかなるんだ。そういう風に生まれた人間なんだ。

なのに、お前は、お前らは、いつもいつもいつもオレの意見なんか聞いちゃいない。

なんでいつも勝手なんだ。オレの命が最も尊いものだと決めつけて、オレ以外の人間を犠牲にして。

守るためだって決めつけて決めつけて……オレをお前らの為の型にはめようとするな!」


パキリ、パキリと、クロードが剣を振るたびに玉が割れて人形の呻きが止む。

その音がするたびリクは国木の姿でビクリと震えた。

自分たちの命を脅かす敵は拘束した。

しかしそれではリクたちにとっての本当の解決にはならないのだ。


「どちらにせよ……国木瑞架の命はあとわずかでした。だからそれに気付いた彼女は後のことを考え、弟分をよろしく頼むと私に言いました。

そのことはすでにご存じでしょう。彼女の方があなたより冷静です。

あなたが本気で希望があると思って『止めろ』と言っているのなら、私は剣を振りません。所詮子どもの甘い戯言だ」

 

クロードが剣を振り、切っ先をあの小さな革袋へと向ける。

革袋の中へ収められていく剣の表面が揺らいだ。

それは感情とか、そういうものの揺らぎなのだと秀樹は気付いた。あの剣は確かに人の命を吸ったのだ。

剣を全ておさめたとき、クロードの手に伝った血がぽたりと落ちた。

 

雅樹はぼうっとした顔でリクを見つめていた。しだいにその目尻から涙がこぼれ落ちた。

校内で怒っていたときのことを思い出す。

彼は本当に国木のことを大切に思っているのだ。


「瑞架はまだここにいる……まだ消えてない」


「そうですね。なら、彼女の願いを叶えるために行動することこそが、今リク様にできることではないでしょうか」

 

すでに剣の姿形もない革袋を手にしたまま、いつか、とクロードは呟いた。


「母国に戻ったとき、あなたにこの剣を埋めて欲しい」

 

リクは何も言わず、組んだ手を額に押しつけ、体を折り曲げた。




咳払いをし、鳴識遥ナルシキハルカは改めて自己紹介をした。

それはもちろん自身が何者であるか、という内容だった。

 

リクたちを狙っている主な組織の名は俗に宇宙管理局と呼ばれている。

が、自己紹介するときに組織の者自身が簡単に説明するためにその名称を使うこともあるのだと、鳴識は言った。

つまり鳴識はリクを狙っていた組織の一員だった。

しかし細かく言えば、鳴識は宇宙管理局の過激派と対立する穏健派の工作員だという。

そして鳴識のような者のことを『出稼ぎ宇宙人』と呼んだりもするらしい。


宇宙広しと言えど、数多ある星には確かに人道的な見地というものがあるのだと、まず前もって鳴識は言った。


その見地に沿って宇宙の秩序を守るというのが、一応組織活動の核である。

だが人が大勢いれば思想も違ってくる。

先程気絶したままの連中を調べると、過激派の印であるバッチを鳴識は見つけた。

組織は一枚岩ではない。だから今回のように過激派の一派がこんなえらいことをしでかした。

 

穏健派は、色んな星の人と敵対するよりがっちり協力して共生しようという理念を掲げている。

地球では公表していないものの、すでに一部の地球人と交流して今も着々と協力関係をより揺るがない強固なものにしていっている。

だから穏健派は今回のような宇宙人によって引き起こされた事件に対処するのだ。


そう鳴識は語った。 

クロードが国木を救う方法と偽って秀樹に真逆のことをさせようとしていたのは間違いないが、それ以外の説明についてはあながち嘘ではないようだ。


「狙われ続けて信用ならんかもしれんけどな、穏健派にとってお前ら種族は今最も早急に保護すべき対象だとしてリストに上がっとる。

過激派にとられてしまうのが気に食わないから、というのも少なからずあるんやろうけどな。


万全の状態じゃないからとか交渉できないとかそんなん置いといて、もう傘下に入ったらどうや。

お前ら以外にも複雑な境遇の奴らはおる。工作員になって組織手伝う奴や、穏健派の保護下で何もせず平和にのほほんと暮らしている奴、母国の復興のために尽力してる奴とかな。

何人かはお前らと同じ種族だって話も聞いとるで。何があかんねん。俺の生徒を巻き込むなや」


じっとりと鳴識がクロードを見る。

しかしクロードの方が、身長が高くてがたいもいいため、はたから見ていると子どもが大人に喧嘩を売っているように見える。


でも秀樹は知っている。

クロードの目は何故か意味もなく謝りたくなるような気迫がある。

それに対抗できるとは、と秀樹は鳴識を尊敬したくなった。もっと何か言ってやってほしい。

ほんとは一発くらい殴りたいが、小屋に入る前に逃げ出してきた過激派の一味を容赦なく殴っていたあの光景を思い返すと、そこで躊躇してしまう。


ふと雅樹を見れば、秀樹と同じようにクロードを睨んでいた。

雅樹が秀樹の視線に気が付き、秀樹と目が合うとにぷいっと顔をそらした。

秀樹も憎いがクロードも憎いらしい。そりゃそうだ。


「……アシル、腕出せ」

 

何故か秀樹の後ろに回り込んでいたリクが、不機嫌そうにぼそっと言った。

鼻が詰まったような声だ。雅樹と同様、目元が腫れていた。

クロードはリクを一瞥したが、すぐにそらした。


小屋から出たとき、鳴識は服を裂いて自身の足を縛って先に手当てをすませた。

次にクロードの腕を診ようとしたが、もう血は止まったと言って触らせなかった。魔力がある者ほど治癒は早いらしい。

国木の首やナイフを素手で掴んだ手は血で汚れていたが、すでに傷口はすでにふさがっていた。それだけリクの魔力は強いということだ。

 

むっとしたリクが駆け寄ってクロードの手を掴む。

クロードはそれを振り払おうとしたが、さすがに強く突っぱねることはなかった。

やれやれと言ったように少し屈むと、リクは血のにじんだ部分に手を当てた。


見覚えがある。秀樹が以前リクにやってもらったのと同じものだ。『手当て』だと言っていた。

小屋でリクが戦ったときの言葉も、全て魔法を使うためだったのだろうか。

いや、魔法ではなく魔術かもしれない。

確か魔法は発動が難しいとリクが言っていた。どっちだったろう。


「そろそろよいか」

 

どこからか知らない誰かの声が聞こえてきた。


クロードと鳴識が即座に警戒した。


「大丈夫だ。安心せい」


そう声が聞こえてきて、突然何もなかった空間から白い手、黒い眼帯をした白塗りの女性の顔、色とりどりの着物を重ね合わせた大仰な胴体が現れた。


「初めまして。うらは交渉人として参った使者である。貴様らの処遇、今からうらが直々に熟考いたす!」

 

完全に姿が現れると、女性はニカッと笑って持っていた扇子をパンと小気味よく鳴らして宣言した。



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