ep.3
「『我が盟友よ、我祈り願わん。我が身風となり、大地の軛より逃れて天空を駆けん。“風翼飛翔”』っ!!」
走りながら指先で呪光紋を描き、ひと息で詠唱を終えて、跳躍したクリスティナは風で出来た白銀の翼を広げて飛翔した。
“飛翔”をアレンジしたクリスティナのオリジナル飛行魔法だ。
その美しい翼に、ホークは息を飲んだ。
「間に合ってえぇーっ!」
銀の翼をはためかせ、クリスティナはアイリが落下してくる予想地点へ飛んだ。
そして、間に合うか否かというところで。
「いやっふぅ~~っ♪」
アイリが楽しげな声を挙げながら横へと“滑った”。
「……え゛?」
タイミングを合わせていたクリスティナは盛大に空かされ、空中をコロコロと転がった。
それでも失速しない辺りは彼女の優秀さ故だろうか。
なんとか体勢を立て直したクリスティナは、縦横無尽に空中を滑走するアイリを見て、安堵と困惑を覚えた。
「い、今のは……」
「空中の魔力流に乗ってるんですよ」
不意にホークの声が聞こえて、クリスティナがそちらを見ると、彼が先程のアイリ同様風を放射しながら空を上がってきていた。
「……ぼっちゃまも使えるんですね、それ。……アイリお嬢様より安定しているようですが」
「まあ、制御はアイリより得意ですからね」
もはや驚きもせずに呆れたように言うクリスティナに、ホークは苦笑いした。
「……それだけじゃあありませんよねソレ。両肩と足裏からの放射ですし、火の精霊も活性化してませんか?」
クリスティナの指摘にホークは目を丸くした。
「……正解です。さすがですね」
「……よしてください。何でそんなことをしているのか理由は見当も付きませんよ。お嬢様の方は何をしているやらさっぱり……魔力流に乗るって……?」
言いながら楽しげなアイリを見て訝しげになる。より正確にはアイリの足元を注視して。
その様子に気づいて、ホークは、ふむとうなずいた。
「……クリスティナさんは……」
「私はメイドサーバントです。クリスティナと呼び捨ててくださいな。ぼっちゃま」
彼女に注意され、ホークは顔をしかめた。メイドサーバントではあるが、本来クリスティナは貴族の令嬢である。
家を担っている父や母ならともかく、継承権が下の自分がそう呼んで良いものかホークには判断がつかなかった。
静かになったホークに気づいたクリスティナは、どうしたのかと彼を盗み見る。変な顔をして考え込む彼に、呆れるやらおかしいやら好ましいやらで、彼女は小さく笑った。
「構いませんよぼっちゃま。ウチは貧乏貴族でグレズス家に比べたら吹けば飛ぶような木っ端貴族。その三女なんて、平民に毛が生えたようなもんです。気にせず呼び捨ててください」
「…………はあ、わかったよクリスティナ。それでクリスティナは“魔力感知”は使えるよね」
「ええ」
「それを使ってごらんよ」
曖昧に答えたクリスティナに、ホークは笑い掛けた。
クリスティナは、わずかに胸奥が跳ねたのは気のせいだと自分に言い聞かせ、“魔力感知”を簡易起動式を用いて使用した。
「……これは……」
見て驚いた。空中にわずかに見える魔力の流れに乗るようにして、アイリは滑走していた。
「……空気中に魔力の偏りがあるのは知っていましたが、こんな流れがあるなんて……」
「ええ、それを水に見立ててソレに乗ってるんです」
「……流れに逆らっている時もあるんですが?」
「魔力流の流れを見きって、反発する力をコントロールして切り上げて進むんです。波乗りと一緒ですよ」
だとしても、かなり精緻な制御が必要になるはずだ。
クリスティナは改めて舌を巻いていた。
「……どうやってこんなことを思い付いたの……?」
呆然とつぶやく。体裁が無くなり、素が出てきていた。
それには気づかぬ振りをして、ホークは解説を始めた。
「ドラゴンやロック鳥みたいな巨大な生物がどうやって飛んでいるのかが気になりまして」
「……それは羽根があるのですからそれで飛んでいるのでは?」
ホークの言葉にクリスティナは何を言っているんだろう? と眉を寄せた。この世界においてドラゴンなどが飛ぶのは当たり前だ。翼があるならなおさらだし、魔法で飛ぶことだって出来る。ロック鳥がそうだとは聞かないが、ドラゴンなら飛翔くらい使えるだろう。
「いえ、明らかに揚力が足りませんし……」
「ヨウリョク?」
ホークが頭を振っていうと、聞いた事の無い単語が出てきてクリスティナは訝しげに首をかしげた。
ほーくは思わず口をつぐんで苦笑いを浮かべた。
「……お気になさらずに。それで、“飛翔”でもドラゴンを飛ばすには役不足ですね。ドラゴンの大きさと重さを考えるに必要な魔力量が大きすぎます。ドラゴンは鎧甲機数機分の重さはあります」
そこでホークが言葉を切った。クリスティナは腕を組みながらウンウンとうなずいていた。
「確かにそうね。“飛翔”は、飛ばす対象が大きく、重くなれば消費魔力が跳ね上がって効率悪くなっちゃうし。まあ、エルダー種なら賄っちゃいそうだけど……」
「……あれこそチートですよ」
「……ちーと?」
また解らない単語がホークから飛び出してきて、クリスティナは首をかしげて彼を見た。
ホークは慌てたように口に手を当てていた。
「……ちーとってなんですか?」
「……」
クリスティナが訊ねると、ホークは顔を背けた。聞いて欲しくないらしいと察して、彼女の口の両端がニンマリとつり上がる。
「……ぼっちゃま、ちーとって何なんですか?」
聞きながらスイッとホークの目の前に回り込む。と、ホークが逃げるようにむこうを向いた。それが面白くなってきて、クリスティナはさらに回り込んで訊ねる。
クルッ、スイッ、クルッ、スイッ、クルッ、スイッ、クルッ、スイッ。
何度も繰り返され、徐々にスピードが上がっていく。
次第にクリスティナもムキになってきて、「ほらっ! 待ちなさいっ!」と声を上げてホークを抱き締めるように捕まえた。
「わあっ?! は、放してくださいクリスティナっ!」
「だぁめよ? 教えてくれるまで放して上げないからねっ?」
もがくホークを楽しげに抱き締めるクリスティナ。しかしホークはそれどころではない。十四歳ともなれば、慎ましくはあっても女の膨らみは在るわけで、肉体は七歳ではあっても、ホークのその精神はすでに二十代半ばを過ぎている。
本来ならさほど気にすることなどあり得ないはずの柔らかい感触に、ホークは慌ててしまっていた。
「……何してるの? 二人とも?」
不意に降ってきた声にハッとして動きを止めて見上げると、足元に光の精霊を纏わせ、腰に手をやりながら空に立っているアイリが二人を見下ろしていた。
顔は笑ってはいるが、目にハイライトが無い辺りに、ホークとクリスティナは揃って青くなる。
「ち、違うんだアイリ」
「そ、そうですお嬢様。わたしはただの使用人です!」
慌てて言い訳を始める二人。
その様子に、アイリがプッと吹き出して笑い始めた。
「別に良いですよクリスティナ。ホークはからかいやすいですからね? 気持ちは解ります」
「……」
「……あはは」
鈴を転がすように笑うアイリに、しかしホークは口をつぐみ、クリスティナは顔をひきつらせて乾いた笑いを漏らした。なんと言っても、アイリの目は笑顔の弧は描いているが、笑ってはいない。
醸し出される迫力と、感情の震えに呼応した風と光の精霊が乱舞し始めている辺りでその事は丸分かりである。
おののいた二人は、今日はアイリに逆らわないようにしようと心に決めた。
それからホークも魔力流に乗り始め、二人に教わる形でクリスティナも魔力の流れを見極めつつおっかなびっくりといった体で滑り始めた。
魔力流の流れに乗るのは技術もだが、センスも必要になる。
最終的にはホークやアイリにわずかに遅れる位の速度を出して安定して滑れている辺りにクリスティナの才能がかいま見えた気がする。
その後三人でアイディアを出し合って、この新たな飛行の魔術式を改良していった。
『ですから制御にかかる負担を軽減すれば、他の魔術式との併用も楽になりますし』
『そうね。現状だと完全制御しなきゃあいけないから他の術式の展開は難しいのよね』
『その点、クリスの飛行魔術はすごいね。制御が自動なのに、自在に飛べるもの』
『あれは、術式の方にこちらの意思を読み取って挙動を最適化する式が組んであるんですよ。この辺りのパターンを組むのは大変でしたけどね』
『じゃあ、それを組み込まない? クリスが良ければ。だけど』
『構いませんよアイリ。この術式を私にも教えてくれたお礼と言うことで。ホークも良いかしら?』
『構わないよ』
三人で魔術式をいじくり回すのが楽しく、和気あいあいとした雰囲気で言葉を交わす。
すでにホークとアイリ、クリスは友達のように話していた。時間が過ぎるのにも気づかずに、それは楽しそうに。
しかし、それは日が傾き始めたことで終わりを迎えた。
「っと、そろそろ時間になりますね? 今日はここまでにしましょうか、ホ……ぼっちゃま、お嬢様」
切り替えがうまくいかずに、クリスの言葉が乱れた。優秀な魔術師とは言っても、中身はまだ十四才の少女である。
メイドサーバントとしての立場を忘れてふたりとする魔法談義はとても楽しいものだった。
だからなおのこと辛かった。
ホークが寂しげになり、アイリは不満そうに頬を膨らませる。
「もう、名前を呼び捨てで良いってば。私たち友達でしょう?」
怒ったようなアイリの言葉に、クリスは少し困った顔になった。
「……嬉しいわアイリ。けど、私はグレズス家のメイドなんです。ホークは大事なご子息で、アイリもそのご親戚。本来ならこんな口の聞き方は許されないの。わかって」
年上として、諭すように言う。それでもアイリは納得いかずに言い募ろうとするが、ホークが制した。
「……クリスだって辛いんだよ。解ってあげようよ」
「……」
ホークの言葉に、アイリは不承不承うなずいた。そんなふたりのやりとりに、クリスはホッと息を吐いた。
「……それでは、帰りましょうか。とは言っても、屋敷はすぐそこですけどね」
クリスが苦笑いをすると、ホークとアイリも笑んだ。
それぞれの立場や、年の差はあれども三人は確かに友情を感じた。そしてこれが、クリスティナの人生における大きなターニングポイントであったのだが、そのことには神ならぬ三人は気づく由もなかった。
修行を終えて、シャワーという文明の利器で汗を流したホークとアイリは、そのままグレズス家で食事を摂ることになっていた。
宮廷魔術師であるアイリの父が魔法関連の研究が大詰めだとかでしばらく帰ってこないからだ。アイリの母もそれを手伝いに行ってい居ないため、近場の親戚としてグレズス家で




