ep.2
修行を開始して一年。事は順調に進んでいた。
が、問題が発生した。ミスティカの第四子懐妊が発覚し、先生役を降りねばならなくなったのだ。
アイリにも先年弟が生まれており、少々姉バカを発症している。
彼女は長子だが、長男が生まれたことでレストレア家の相続権は長男カイルレント・レストレアへと移る事となるが、これは将来の話となる。とはいえ、肩の荷が降りたアイリは晴れて自由だと羽を伸ばし始めていた。
一方で、ホークことレイホーク・グレズスには兄と姉が一人ずつ。転生前は一人っ子だったので新鮮な経験ではあったようだ。
歳の離れた兄である長男のアレクことアレクサンドル・グレズスは十九才。騎士学校を卒業後、騎士見習いを経て正式に騎士として登城している。姉のリアことリアスティカ・グレズスは十才。騎士学校では目覚ましい成績をあげつつあるとか。
兄姉ともにホークには良き兄弟だ。リアなどはアイリと張り合うほどのブラコンぶりを発揮していたのだが、騎士学校の寮に入ったことで、騒ぎは無くなっていた。
もっとも、ホークとアイリが騎士学校に入学したらちょっかいを掛けてくるのは明白だとアイリは警戒している。
閑話休題。
途にも角にも、先生役不在では訓練が新たな段階に移行することはないわけだが、それで済まないのがこのふたりである。
「というわけですから、この際色々試してみようと思うんですよ」
「う~ん、確かに制御関係は習得できたし、アレンジについて実験してみるのもひとつだけど、危ないんじゃないかな?」
アイリの提案に、ホークは軽く顔をしかめた。
しかしアイリは引かない。
「でも、修行が進まないのは問題では?」
「いや、けど……」
鎧甲機を十全に操るためにも、魔力制御技術の向上が必須項目なのはホークも承知していた。しかし、危険を伴う冒険をするより、地道で堅実な方が彼の性分に合っていた。反対に、アイリは思い付いたことは試してみないと気が済まない質だ。それで起きるトラブルのフォローはすべてホークの役割である。
実のところ、ふたりのこの性分は、転生前からのモノだ。
ホークはともかく、転生前のアイリは髪を伸ばしていなかったら男子と言われてもおかしくないほどに男前な性格で、なんでも挑戦したがる悪癖があった。
それで生じるトラブルに転生前のホークは必ず巻き込まれ、尻拭いをする羽目になるのが日常だったほどだ。
転生後はふたりの家がそこそこ上流階級であるため、幼いうちから礼儀作法は当然のように叩き込まれた。
が、アイリは転生前の気性が災いして、なかなか身に付かなかった。今でこそ大分良くなったのだが四歳、五歳頃の彼女は、かなりやんちゃで乳母のリーザや礼法の教師を困らせていた。まあしかし、そこは転生前から数えれば二十歳を過ぎている彼女だ。
女らしく(?)猫かぶりを駆使して切り抜けた辺りは彼女らしくはあった。
とはいえ、家の相続が関係無くなった事や、周りにホークしか居ない状況であれば、本来の彼女らしさが顔を出し始める。
それがトラブルの種であることが分かっているホークは、無駄だと思いながらも抗弁するのであった。結局、アイリに押し切られる形でホークはうなずかされてしまった。
それでもグレズス家のメイド、クリスティナを立ち合わせることが出来たのは行幸であった。
「……魔法の練習の立ち合いですか? 構いませんよ? ぼっちゃま。私も一通り魔法は修めていますからね」
ホークに話を聞いたクリスティナは快く引き受けてくれた。
まあ、彼女としては奉公先のご子息からの願い。否も応もなかったのだが、公認でメイドサーバントの仕事がサボれることを内心では喜んでいたわけだが、それ以上に大変な目に遭うとは、予言者でもない彼女には知る由も無いことであった。
ともあれ、監視役がついた事にアイリは不満げではあったのだが、実験が出きるという点を鑑みて、良しとしていた。
「それで、ぼっちゃま達はどこまで習いましたか? 奥さまはいつも楽しげに教えてらしたようですが……」
進捗状況を知らないクリスティナにしてみれば、当然の確認である。しかし、返ってきた言葉に耳を疑うことになる。
「わたしはCランクをマスターしましたわ」
「僕も、Cランクだけど、同時制御式を先に習得したから制御だけならBランクです」
「…………え゛?」
思わず固まる。
魔法の階位はランク分けで表現されている。
E
D
C
B
A
S
EX
の七段階だ。SやEXは別格なので省くと五段階。
Eランクは魔法を習い始めたレベルで、基礎概論を習熟するまでこのランクだ。これを習得するまで早くとも一年と言われている。
Dランクからは実践を交えて学習し、制御を重点的に習う。
制御技術は魔術を扱う上で最重要視されており、徹底的に習熟する。これが早ければ一年で習得できるが、ここで躓いて万年Dランク等という人間も珍しくない。
そしてCランクとなれば、基本的な魔術を教わり始める。
これをマスターしたと言うことは、基本魔術をすべて習得したという意味になり、それだけで早い人間でも一年は掛かる。
つまり、Cランクのマスタークラスになるには、恵まれた才を以て努力し、三年かかるということだ。
だがしかし、この二人は一年と少しでこれを成し遂げたことになる。
しかも、まだ七歳だ。
ミスティカ様ってば何やっちゃってるのっ?!
クリスティナは思わず、内心で主であるミスティカにツッコミを入れてしまった。
いくら息子と姪の才能に目が眩んだとしても、やりすぎである。
クリスティナは十五歳だが、魔法はBランク。一般的に言えば優秀な部類に入る。
しかし、この七歳児達はそこに手を掛け始めているのだ。
恐ろしい。
クリスティナは素直にそう思った。だが同時に、“面白い”とも思ってしまった。
貧乏貴族の三女として生まれたクリスティナは、本来ならば家の格を上げるためにもどこかに嫁の貰い手を探して輿入れしていてもおかしくはない年齢だ。
母と同じ、美しい金髪に、アメジストのような紫色の瞳。
容姿だって決して悪くはない。
探せば貰い手はいくらでも出てくるだろう。 それが、将軍職を務める貴族の家でメイドをしているのには理由がある。
魔法を使える者が優遇されやすいこの世界において、クリスティナは将来を嘱望される魔法使いだ。なにせ、風と水と土の三つの精霊との相性が良いトリオメイジなのだ。それだけではなく制御も得意とし、ゆくゆくは王国魔術団入りを期待されるほどだ。だが、騎士学校と並ぶ魔術師の学園、レムゼイラは入学に必要な費用が高く、年間費用も高額だ。
これを払っていくのは、クリスティナの実家にはかなり厳しかった。
しかし、彼女の持つ高い魔法の素養を聞いたミスティカはその才能を潰してしまうのは惜しいと考え、援助してくれているのだ。住み込みのメイドとして雇って貰っているのもその一貫である。
おかげでクリスティナは衣食住に困らずに済んだのだ。
学生とメイドの両立は大変ではあるが、期待に応えるべく彼女は頑張っていた。
まあ、メイドの仕事は大変で、サボタージュしたくなることが多いのだが。
ともあれ、クリスティナは自身がかなり優秀な部類に入る魔術師であることを自覚はしていた。
だが、目の前の子供達はそれを越えうる才能を秘めている。
染めてみたい。
クリスティナにも野望のようなものがある。
それは、自分の魔術師グループを作って新たな術式、そして術理を作り上げることだ。
術理とは魔法の法理を元に組み上げられる術式の体系である。ここ百年余り、新しい術理を作り上げた魔術師はいない。
もし新たな術理を作り上げ、世間に認めてもらえれば、実家で苦労している両親や姉たちにも楽をさせてあげられる。
クリスティナはそう考えていた。
だからこそ、この子達の才能は危険で、かつ魅力的に映った。クリスティナは軽く舌をなめると、慎重に口を開いた。
「……なるほど、おふたりともCランクですか。失礼ながらいくつか質問させていただいても良いでしょうか?」
その言葉に、ホークとアイリが一瞬視線を交わしたことに、クリスティナは気づいた。
この子達は真意に気づいている。直感だが、そう思えた。
それほどにふたりの瞳は理性的であった。
しかし止めるわけにもいかない。
クリスティナは、意を決して口を開いた。
「……魔力の行使にあたって、必要な三つの要項を上げてみてください」
『魔導、魔法、魔術』
質問への答えは間髪をいれずに、淀み無く同時に答えられた。
気圧されるように鼻白む。が、ぐっと堪えて続けた。
「……では、魔導とは?」
「魔力を導き出す力。自身の精神を介したアストラル界を通し、意思の力を以て魔力を世界から汲み上げる能力」
「……この世界の意思ある存在は、すべからくこの力を持ち、日常的かつ無意識にこれを行っており、生命の精霊力を活性化させて生きている。死霊と呼ばれる存在は、この力だけが残滓として残ったため、命が無いにも関わらず、肉体を動かし、あるいは魔力の塊だけで蠢く。故に彼らには命が無い」
正解である。
「……魔法とは?」
「魔力を司る法理。この理に示された術理に沿って術式を組まなければ、魔力は霧散し、世界に還る」
「現在“精霊魔術”“神聖魔術”“錬金魔術”“論理魔術”の四法理が存在し、この百年で新たな法理は生まれていない」
「では、魔術……」
「魔術とは魔力を制御する技術を指す。術理によって組まれた術式を起動し、発動させる技術で、この能力が劣ると、起動すら出来ない」
「近年では簡易起動式が開発され、起動工程が大幅に短縮された」
「……」
最後は質問しきる前に答えられてしまった。その内容は、クリスティナが期待したものを遥かに越えるレベルだ。しかも、淀み無く、さも当然に答えた彼らの目は、明らかに自分が言った内容を理解していた。
ちなみにホークは苦笑いを浮かべ、アイリは半眼でクリスティナを見ている。やはりふたりとも、自分が試したことに気づいている。およそ七歳の反応ではないそれに、クリスティナは口の端を引きつらせた。
「…………正解です」
降参ですとばかり両手を挙げて言うと、ふたりの七歳児は楽しげにハイタッチした。
それを見たクリスティナは苦笑するしかない。認めるしかないのだ。この二人が自分に比肩しうる魔法使いであることを。
「それで、どのような実験をされるんですか?」
「ええ、攻撃魔術の実験をこんな庭でやるわけにもいかないから、こんなことをしてみようと思うのよ」
言うが早いか、アイリの足元に風が集まり……。
ドンッ!
と衝撃が響いて、アイリの身体が空高く舞い上がった。
「きゃーっほぅ~っ♪」
「ア、アイリお嬢様あぁあっ?!」
楽しげな悲鳴と、絶叫じみた悲鳴が上がった。
前者はアイリ、後者はクリスティナである。
「落ち着いてクリスティナ。アイリなら大丈夫だから」
ホークの落ち着いた声に、真っ青になったクリスティナは、彼を振り返った。その先には、大人びた優しげな表情で見上げるホークの姿。
それを見て、クリスティナは頬が熱くなるのを感じた。
「……っは?! ち、違う違う! 私の好みは頼り甲斐のある年上の男性! って、それも違うッ!?」
思わず自身の好みを口走ってから頭を振るクリスティナ。
「き、危険ですアイリお嬢様ッ!?」
「大丈夫よお~♪ “飛行”の魔術より余程制御は楽だしね☆」
慌てるクリスティナを尻目に、アイリは両足から突風を放射して滞空する。それを見て、クリスティナは少し落ち着きを取り戻して観察し始めた。
「……あれって、もしかして“風撃”ですか?」
「うんそうだよ」
思わずホークに訊ねてしまう。彼は落ち着き払った様子でうなずいた。
“風撃”は、風の基本攻撃型精霊魔法として知られる魔法だ。その効果は、単に突風を対象へと放射するだけで殺傷能力の低い魔法である。
それでも人間を吹き飛ばせるほどの威力は出せる。つまり、人間の身体を空へ打ち出すこと事態は不可能ではないのだ。
「……とは言っても、自分を空へ打ち上げるなんて……」
通常なら反動を相殺する術理が組み込まれるのでこんなことは起きないはずだが、意図的に相殺を切っているようだ。
「……実験と言うだけのことはありますね」
口の端がひきつるのを止められずに見上げるクリスティナは、ぼやくように呟いた。
アレンジレベルだが、術理に手を加えている時点で正規の魔法使いの段階に来ている。
今も両手両足から風を放射しながら空中に浮かんでいるアイリだが、それは風の放射の仕方や勢いを調整しながら浮いているのはわかった。
が、隣のホークが苦笑いしながら言った言葉に、またも耳を疑うことになる。
「いえ、実験はこれからですよ?」
「…………えっ?」
年下の彼を振り返る。ホークは、苦笑しながら上空のアイリを見ていた。
「……ぼっちゃま、子供とはいえ婦人のスカートの中を覗くのはどうかと思いますよ?」
「うえっ?! ち、違いますッ! 覗いてませんッ!」
クリスティなの言葉にホークは真っ赤になりながら否定した。その様がいかにも子供らしく感じられ、クリスティナは溜飲が下がった気分になって笑みを浮かべた。そもそもアイリは自分の放射する風にスカートがはためいて、下着が全開で見えている。覗くもへったくれもない状態なのだ。
「こほん……冗談ですわ? ぼっちゃま」
「……」
咳払いをしてしれっと言い放つクリスティナをホークが恨みがましく見上げてくるが、クリスティナはあえてスルーした。
「……で? 実験の本番とは何を?」
「……はあ。まあアイリを見ていれば分かりますよ」
そう言ったホークに吊られるようにしてクリスティナは空を見上げた。スカートをはためかせたアイリが風を噴射しながら空中で静止している。
が、突然彼女の両手足から吹き出していた風が止んだ。
「……風が? まさか制御ミスっ?!」
クリスティナは当たって欲しくない予想を口にしながら走り出す。
その見る前でぐらりとアイリの姿勢が崩れて落下し始めた。
「お、お嬢様あぁぁあっ?!」
グレズス家の庭に、絶叫が響いた。