〜序章〜
〜序章〜
1998年…郵便番号7桁化、長野オリンピック、日本版金融ビッグバン、明石海峡大橋開通、元X JAPANのギタリストhide死去、FIFAワールドカップフランス大会、そして和歌山毒物カレー事件。
そんな年に僕はテレビディレクターを夢みて、大腕を振ってテレビ番組制作会社に入社した。
「有限会社モーションプロデュース」資本金300万円・従業員6人という、いわゆる弱小制作会社である。
制作会社とは言え、テレビ局の制作する情報番組・バラエティ番組に人材を派遣するのが主な業務であり、社長を含め従業員全員がテレビ局に派遣されている…というのが現状だ。
自社で番組を制作する番組制作会社は、何千とある制作会社の中でほんの一握り。ほかは例外なくモーションプロデュースと同じ状況なのである。
制作会社というより、人材派遣会社といった方がしっくりくる。
ともあれ僕は、夢のテレビ業界に入り込んだ訳だ。
もうすぐ入社して10年になる、今は有限会社だった会社は株式会社になり、従業員も50人は裕に超えている。
今思えば、あの頃の僕は輝いていた。初めて見るモノ、初めての出来事に一喜一憂していた。
寝れない日が続いても、苦とは思わなかった。
その頃を思い出し、ここに記す。