番外編№2
雪深い山を降りた後、国境を越え…そして、懐かしい緑鮮やかな森へと入った。
早朝の冷ややかな空気を吸い込み、白い木漏れ日を斜めに見上げながら、懐かしい小屋へと足を進める。
もうすぐ新しい年が始まる…
その前に、ルギはやるべきことがあったのだ。
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「……ただいま……」
数ヶ月ぶりに戻った自宅は、惨劇の跡が、色濃く残っていた。
大切なものが無くなってしまった日。
ルギの中で、何かがはじけてしまった時。
ルギはすぐに、家を飛び出してしまった。
家に戻ってはみたものの…妹の部屋の中の血の痕跡や、よじれたままのシーツはすべてそのままとなっていた。
妹は、亡くなった当日に、森の片隅に埋葬しただけだった。
そこには、…ひっそりと、ルギの両親も眠っている。
「ごめん…。ユイリ。俺はお前から、逃げてしまったのかもしれない…」
妹の死を受け入れ切れず、ネオスに復讐するという気持ちだけで、自分を奮い立たせていた。
それも終わってしまったら、きっと生きる意味すらなかっただろう。
だけど、ユイリがどんな気持ちで毎日を過ごし、どれだけ自分のことを想っていてくれたのか、黒烏団で過ごして、ようやく判った。
悲しみから逃げることは、ユイリが今までくれた時間を無駄にしてしまうことであった。
だから、ルギは戻ってきたのだ。
妹の死を受け入れ、自分の生きる道を見つける為に。
ルギは、家を数日かけて掃除した。
血糊が落ちないところは木製の床や壁を張替え、屋根や柱も壊れているところを修復した。
シーツをはりなおし、樹を切って来ては、新たな机や椅子を作る。
―森の中の、小さな小屋に、新たな光が灯った。
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ルギは、小屋の外にある、ウッドデッキにテーブルと椅子を置き、ゆっくりコーヒーを飲みながら、森を眺めた。
朝の日差しが、キラキラと木漏れ日を落として、草花の朝露を輝かせている。
花には小さな蝶が舞い、森の奥では、リスの親子が、追いかけっこをしている。
(こんなになんでもないことが…なぜ、何年も、見えなくなっていたんだろう…)
いつからか、ルギは、仕事と妹以外の事が、見えなくなっていた。
街の人々も、風景も、森も、光も、家も。
ただ在るだけのもの。
それに存在意義なんてなかったし、見る理由も、必要なかった。
自分には、妹さえいればいい。そう思っていた。
(だけど、お前はちがったんだな…)
手の中で、カップをクルクルと回し、手の中で揺れる水面を見た。
そして、ユイリを思い出す。
自分のために、働き、戦い、生きる兄。
ただ、機械的に、薬を求め続ける兄。
止めたかったけど、その必死さが、自分のためだとわかっていたから…
彼女は、寂しい笑顔だけを残して、兄を送りだしていたのだろう。
ルギがいつも思い出すのは、消え入りそうな儚い笑顔だけ。
だけど……遠い昔、彼女がルギに花冠を作ってくれたときは、幸せそうな満面の笑みを見せてくれたことがあった。
ネオスが来た、あの夜…。
最後に見た、ユイリの本当の微笑み。
ルギは、自分の部屋に入ると、引き出しの中から日記を取り出した。
日記に挟まっていた、栞を抜き、目を細めて懐かしむ。
ユイリがくれた花冠のシロツメクサの一本。
それを栞にしていたのだ。
ユイリの体調管理や、薬の仕入れや効果等、ルギは日記につけるようにしていた。
その日記とともに、ずっと栞も大事にしていた。
…だけど。
今日で、終わりにしよう。
(……これからは、ずっと一緒にいよう、な………)
ルギは日記をパラパラとめくり、パタンと閉じた後、部屋の片隅にある暖炉に火を入れ…日記を投げ入れた。
それから、手に持った栞を胸に当て、目を閉じる。
(…お前はここに生き続ける……。俺の、胸の中に)
心で呟き、グッと右手を握りしめ、誓う。
そして―
手の中の栞も、暖炉に投げ入れた。
ヒラヒラと、木の葉のように舞い踊った栞は、すぐにパチパチという音をたてて、炎に熔けていった。
ルギは、火が消えるまで、暖炉の前で炎を見つめていた―。
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-数日後。
ルギは、誰もいない家での生活が、初めて家族で暮らしたような、そんな充実した日々のように感じていた。
日の出とともに起きて、食事をし、朝の作業を開始する。
日中は薪割りや水汲み、狩などをし、夕方まで動物たちと戯れ、夜はランプの元で料理をする。
そして、星達が手が届くほどに下りてきたら、眠りにつく-。
そんな、他愛のない当たり前の生活が、とても幸せで、充実していた。
(…これが、お前が望んだものだったんだな…)
ルギは、朝の光を浴びながら、空を見て微笑んだ。
やっと、わかったから。
もう、迷わない。
ルギは、やっと新しい年を、妹と…、家で過ごすことができた。
「長い間、待たせて悪かったな…。…誕生日おめでとう、ユイリ」
誰も居ない家で、ルギはシャンパンの入ったグラスを、テーブルに置いたもう一つに合わせて、チン、と鳴らした。
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年が明けてから1ヶ月。
ルギは、旅支度を整えると、妹の墓の前に来た。
以前は、何もなかった場所に、やっと墓標をたててあげることが出来た。
クローバーとシロツメクサに囲まれた、妹と…、そして、両親と祖父の眠る墓。
みんなが、寄り添って眠る場所の前に立ち、ルギは言う。
「…家でゆっくり過ごせて、楽しかった…」
ユイリの墓を見つめながら、静かに、しかし意思を決して言った。
「…でも、俺はこれから、…必要としてくれる友の為に、生きて行こうと思う…。…わかって…くれるよな…」
優しく妹に語りかけると、暖かい春風が、そっとルギの頬を撫でた。
………『いってらっしゃい、お兄ちゃん』………
不意に聞こえた言葉は、いつもの寂しそうな笑顔の言葉ではなく-。
満ち足りた、幸せそうな笑顔の妹が、見えたような気がした。
「……ああ、行ってくる」
笑顔で言うと、ルギは墓に背を向け、馬に乗って、山へと駆け出した。
-自分を受け入れてくれた、みんなのところへと戻るために。
春風に誘われ、柔らかな木漏れ日が、足元に広がるクローバーの絨毯を、優しく揺らしていた……。
= fin =