番外編№1
星々が、地上へ降り注ぐほどに瞬く夜空。
木々の葉がすべて落ちるころにはすっかり冷え込み、竜の背と呼ばれるこの山脈も、いたるところが白く色づいて来ていた。
本格的な、冬の到来である。
聖星祭――
神々がこの大地を創られたといわれている、聖なる夜。
その祭を二日後に控えた日の深夜に、ルギはラシェルの部屋を訪れた。
ノックの音が聞こえたので、ラシェルは慌ててドアに駆け寄る。
「はーい、いますー」
仕事の呼び出しかと思って、急いでドアを開けると、立っていたのはルギだった。
そろそろ寝ようかという夜更けに、仕事以外で訪れる者などいないと思ったラシェルは、何事かと不審に思い、眉間にしわを寄せた。
「なにか御用?」
「明後日は【聖星祭】だろ? その…あんたは、ルークを誘うんだろ?」
「…………うー…」
ラシェルは、複雑な表情でルギを見上げた。
黒烏団の参謀、ルーク。群青色の短髪に銀縁の眼鏡が似合う、知的な紳士。
ラシェルは、実は街中でルークを見かけた際に一目惚れし、半ば強引に盗賊団に押しかけてきたのだ。
そのことを知っているのは、頭領のネオスだけであったのだが…、ラシェルがルークを好きなことは、行動を見れば一目瞭然であった。
―当人のルークと、脳味噌まで筋肉で出来ていそうな、ダインを除いては。
「一応、お祭りの夜までお仕事じゃ可愛そうだから…誘ってみようとは思うけど…」
頬を赤らめて、ぶつぶつと言い訳を呟きながら、目線をそらしてラシェルは俯く。
そんなラシェルを微笑ましく思いながら、ルギは言った。
「誘い出すのに、いい場所を見つけたんだ」
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―かくして、息も凍りそうな寒空の下、二人は馬を走らせていた。
場所だけ教えてもらえばいいから、地図に書いて!とラシェルは言ったのだが。
ルギは、「案内しないとわかりづらい所だから、ついて来い」といったのだ。
深夜にルギと二人きりになる…というのは、正直嫌だったが、あの堅物のルークの心を少しでも動かせないかと考えていたラシェルは、しぶしぶ『素敵な場所』を見に行くことにした。
ルギが連れていった場所は、確かに、地図ではわかりづらかった。
竜の背は、常に地殻変動が起きており、大雨が降れば土砂崩れも少なくない。
その場所は、先日の土砂崩れでぽっかりと現れた、洞窟を通らなければいけなかったのだ。
洞窟の前に馬をつなぎ、そこから徒歩で洞窟に入る。
すると―
ラシェルが今までに見たことのないような、幻想的な空間が現れた。
「わぁーっ!」
床から壁、天井まですべてが、クリスタルの結晶で埋め尽くされていた。
水晶の内側からにじみ出たエメラルドグリーンの光は、小さく瞬きながら、洞窟内を優しく照らし出す。
一度足を踏み出せば、コーン…という澄んだ音色と共に、着地した靴の底から煌びやかな虹色の光が八方に飛び散った。
結晶のわきには、さらさらと小川が流れている。
水面には沢山の光が集まり、その水の色を常に変えながら、静かに洞窟の奥に向かっていた。
「すごいねー!」
「そうだな。ここはここで綺麗だが…どうせなら、もっと綺麗な方がいいだろ?」
そういって、ルギはクリスタルのアーチをどんどん進む。
ラシェルは、黙ってついていった。
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「……ついたぞ」
そういって、洞窟を抜けた先は、湖のほとりだった。
「うっ…わーーーーあ!」
思わずラシェルは、声を上げた。
見渡す限り、どこまでも続く満天の星空。
両手をいーっぱい伸ばしても、包みきれないくらいの、沢山の光のシャワー。
頭上に輝くのは、ひときわ大きく輝く巨大な満月。
月の光があまりにも優しく明るくて、自分の身体がふわりと白い羽毛に包まれているような感覚に陥った。
山の遥か向こうまで続いている星屑の絨毯は、立っているだけで、自分を遠い山脈の向こう側へ運んでいってくれるような気がした。
「すごいなー…」
こんな空を一人占めできるのが、ラシェルはとても心地よかった。
…正確には、一人ではなかったが…
機嫌のよさそうなラシェルに、ルギが後ろから、声をかけた。
「……ここは、聖霊が集まりやすい場所みたいだな。……ほら、もうすぐ来る」
「…え?」
聖霊って? と、問いかけようとしたとき。
不意に、ラシェルの周りに、小さな七色の光が、ふわふわと沢山集まってきた。
「わっ…? えっ…?」
くるくると、不規則に自分の周りを飛び始め、さまざまな色に変化する光にラシェルが驚いていると、ルギはクス、と笑った。
「聖霊が降りてきたんだよ。…ほら、俺が見せたかったのは、あれだ」
そういって、ルギは湖を指差す。
すると。
「うわあーーーーー!!!」
また、ラシェルは驚きの声を上げた。
満月の輝く空と湖が、同時に、急に明るさを増したのだ。
そして、天空から―
さらに、水中から―
一斉に、七色の光が飛び出し、交差し、絡み合いながら集まってきた。
それはまるで、天空に漂う星たちが、すべて降ってきているような。
水面に移る星々が、一斉に空へと昇っていくような。
七色の光と、星の交響曲だった。
「すごいね……」
ラシェルは、うっとり水面を見つめていた。
空中に漂う光が、輝きと色を変えながら、ゆらゆらとゆっくり舞い踊る。
まるで夢の世界にいるように。
七色の光は、二人の身体を、優しく包み込んだ。
「……ここの聖霊は、普段は居ないんだ。たぶん、見れるのは、聖星祭が近い今だけだと思う」
「そうなんだ…」
ラシェルが、残念そうに肩を落とす。
しかし、すぐにルギを振り返った。
「でも、明後日の聖星祭の夜は、また見れる?」
「ああ。……いいところだろ?」
「うんっ!」
嬉しくなり、にっこりと笑った。
明後日は絶対、ルークと一緒にこよう…!
楽しみに思いながら、キラキラと光が舞い踊る水面を見つめていると、ルギがラシェルに言った。
「……あんたに、言っておきたいことがあるんだ」
いつに無く、真剣な声に、ラシェルが振り返る。
「うん、なあに?」
小首をかしげるラシェルのほうを見て、ルギは一瞬目を逸らす。
「……俺は……」
しばらくの沈黙の後、ルギは、ラシェルに向き直り、真っ直ぐに見つめて言った。
「………ラシェル…、………あんたが好きだ…」
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ルギの言葉を、ラシェルは黙って聞いていた。
身動き一つせず、瞬きもせず、じっとルギを見ていた。
ルギも、ラシェルを静かに見つめていた。
―長い沈黙を先に破ったのは、ラシェルだった。
ラシェルは、ゆっくり小さく瞬きをすると、少し悲しそうに微笑んだ。
「……その気持ちは、嬉しいけど…。…ごめん」
そして、俯いて目を閉じた。
「ルギは、私がルークを好きなのを知ってるのに…。それでも、あえて言うなんて、潔いよね」
自分は、告白すら出来ない。
聖星祭の夜は、ルークを誘ってみようとは思うけど、それ以上進むことはきっと出来ない。
自分の意気地のなさ、心地よい距離のままでいようという卑怯さを、ルギに見透かされたような気がして、ラシェルはルギに言った。
「ルギが、正直な気持ちを私に伝えてくれて……、本当に嬉しい。だから私も…、ちゃんと言う」
素直な気持ちを言ってくれたルギに対して、ラシェルも精一杯の誠意で答えた。
「…私は、ルークが好き。彼がいたから、私は盗賊団にきたの。…きっと、いつか告白して振られたとしても、後悔はしないし、ここを出たりはしない。…私は、彼にいつか自分が認められたら、自分の気持ちを伝えようと思ってるの…。…だから、ルギの気持ちには答えられない。それに…」
そこで一度言葉を切ったラシェルは、悲しそうな表情を見せた。
「……ルギは、私を、妹さんと重ねていたでしょ? 今はどうかわからないけれど…、もし、それがきっかけで私のことを想うようになってくれたのだったら…」
ラシェルは、そこで言葉を濁した。
ルギは黙って聞いていたが、しばらくすると、フッと寂しく笑った。
「……代わり、は、失礼だよな…」
「…本当に身代わりだったの?」
ルギの言葉に、ラシェルがムッとする。
その顔をみて、ルギが苦笑した。
「……そんなわけがない。…ただ、俺も、冷静だった…とは言えないから…。そう思われても、仕方ないと思っていた」
そう言って、ルギは目を閉じた。
「…だけど、俺を妹の幻影の呪縛から解いてくれたのは、確かにあんただった…。目を閉じれば浮かんでいた幻も、毎晩繰り返し見ていた悪夢も、もう見ることがなくなった。あんたは、間違いなく俺を救ってくれたんだ…」
ルギはゆっくり目を開き、深緑の瞳にラシェルを映した。
「たとえ、この気持ちが妹の影から始まったものだったとしても…、俺にとっては、初めての気持ちだった…。だから、ちゃんと伝えておきたかったんだ…」
そういって、ルギは小さく微笑んだ。
「…聞いてくれて、ありがとう。ラシェル」
その言葉に、ラシェルも優しく微笑み、ゆっくり頷いた。
二人の前に広がる湖の水面では、ゆらゆらと、七色の光が揺れている。
不意に、ルギがラシェルに声をかけた。
「…手、出してみな」
「どうして?」
「聖霊からのプレゼントだ」
意味がわからず、手をだしてみると。
ルギが、その手のひらに、そっと何かを置いた。
手のひらに置かれたのは、小さな小さな、硝子の様な破片。
その破片は、内側でゆらゆらと、七色の光を放っていた。
「……これは、聖霊が結晶化したものだ」
「結晶化…?」
「ああ。ここにいる聖霊たちの魔力が混ざり合い、とけて、固まって…結晶になったんだ。さっきの洞窟の水晶も…、聖霊たちの住処だったんだろうな…」
ラシェルは、月明かりに破片をかざしてみた。
内側から、虹色の光が、月を七色に染め上げる。
「……綺麗だね……」
「……ああ……」
なんだか、ここにいることも、この結晶も、今あったことも―
すべてが夢のような、幻のような感覚になった。
この、周りの光のせいなのだろうか―
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「……くしゅん!」
不意に、ラシェルがくしゃみをした。
夢が覚めてしまったような感覚になった。
ルギは、クスッと笑うと、自分の襟巻きをラシェルにかけた。
「い、いらないよ!」
慌てて取ろうとするラシェルの手を、ルギは上から押さえつける。
「…おまえ、こんなところで風邪なんかひいたら、ルークを誘えないだろ?」
モゴモゴと文句をいうラシェルに、ルギはさらに続けた。
「万が一、喉なんか痛めてみろ。ガラガラ声で誘ってこんなところ来たって、雰囲気ぶち壊すだけだぞ。風邪ひかないように、巻いてろ」
そういってルギは手を離した。
ラシェルは、ブ~っと上目遣いにルギを見た。
そんなラシェルに、ルギは言う。
「なんだ? 別に臭く無いだろ? 洗ってるし」
「臭くない…そうじゃなくて!」
本当ははずしたいけど、聖星祭のためには風邪を引けない。
そんな葛藤がラシェルにはあった。
そして、思い出す。
「あ! 私、破片のプレゼント貰ったのに、お返しとかない…」
「……もう、貰ったよ」
「……え?」
言葉の意味がわからず、ルギを見上げると、ルギはラシェルを見つめていた。
「……俺は、今日ここに、あんたと来たかった。だから……来てくれたことが、俺へのプレゼントだ。……ありがとう」
ルギの言葉に、ラシェルは困惑した。
「だけど…!」
「……聖霊たちも、そろそろ眠る時間だな……」
ルギがふと、湖を見た。
ラシェルもその視線を追うと、七色の光は次第に消えていき、後には、静寂と、満開の星空だけが残った。
「……さて、風邪引く前に帰るか。そろそろ寝る時間だしな」
「…う、うん……」
湖に背を向けるルギについていくように、ラシェルはゆっくりと歩き出し―
一度、歩みを止めて、空を見上げた。
―そこには、流れ落ちるほどの星空と、明るく輝く満月の光が、二人を抱きしめていた。
ラシェルは、ポケットに入れた破片を一度ギュッと握ると、ルギの背を追って、再び歩き出した。
―――その翌日。
アジトに、ルギの姿はなかった―――。
=To Be Continued=