第六章
サクサクと、枯れ葉の上を歩く足音だけが聞こえる。
静けさに包まれた森の中、凛と研ぎ澄まされた空気が、肌に突き刺さる。
とある寒い早朝。
何だか寝付けず朝になってしまい、ルギはアジトの周りを、トレーニングがてら散歩していた。
だいぶ見慣れてきた山道。
アジト近くの、吸い込まれそうな湖。
初めて来た時とは、全然違う風景が目に入る。
四季―を目の当たりに感じたのは、人生で初めてだった。
木が眠り、水が凍り、動物達の姿が消える―。
冬が来たのだと、改めて感じた。
吐いた息が、襟巻きの隙間から白くこぼれた。
ふと見上げると、遠い灰色の空から、ちらほらと、白いものが舞い降りてきた。
「雪…」
ルギが盗賊団に来てから、1ヶ月半が、過ぎようとしていた。
最初にアジトに来た時。
打倒ネオス―それしか考えていなかった。
単身で乗り込んで来て、頭領との一騎打ちを受け入れてもらえなければ、通常なら団員によって制裁を受けていたのだろう。
後で思い返せば、無茶な行為だったと、改めて思う。
しかし、最初の一騎打ちに敗北し、団員としての残留を命じられた後は、ネオスを倒すために―と、自分の力を向上させる訓練や依頼、仕事は積極的にこなした。
その後…だんだんと、自分の気持ちや、アジトの団員達の態度に疑問が生じてきた。
団員は、最初は「頭領を倒しに来た」というルギに対してぎこちなかった。
しかし、毎日を共に生活しているうちに、気さくに接してくるようになってきた。
顔を見れば挨拶をし、食事もみんなでとり、訓練や仕事中も、指導や助言、サポートを行ってくれた。
ルギは、団員と馴れ合う気など、さらさらなかった―なのに、なぜか回りはやたらと世話を焼いてくる。
それが、今までに経験したことのないことだったので、なんだか居心地が悪かった。
ネオスは、ルギには自分から特に接触しようとはせず、訓練等の報告だけを受けていた。
食事の時は、ダイニングで顔を合わせることもあったが、ネオスは他の団員たちと談笑し、いたって普段どおりだった。
そんな毎日を送っているうちに、このままでいいのだろうか、という疑問が、ルギの胸の中に沸いて来た。
……俺は、本当にネオスを倒せれば満足なのか…?
……そして、もし倒せたら、その後どうするんだ…?
立ち止まって雪を見上げながら、そんなことを思う。
曇天の雲を見上げ、ハァ、と息を吐く。
白い吐息が、空に昇っていった。
そして、思い出す。
愛しい、大切な妹。
ネオスが来た夜に見せた、最初で最後の、日の光がこぼれ落ちるような笑顔。
……もし、ネオスを倒したら、お前は笑ってくれるのか…?
……もし、あのときに薬が間に合っていたら…、その後病気が治ったら…。
…お前は、笑ってくれたのか…?
いくら考えても答えが出ない。
そんな葛藤に押し潰されそうになり、ルギは俯き、硬く目を閉じた。
「…ユイリ…」
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アジトに戻ったルギは、その後、模擬戦に参加した。
1対1の対決の相手は、シーマだった。
双剣のルギに対し、長剣一本のシーマ。
一礼し、すぐさま戦闘が開始される。
双剣で、あらゆる角度から斬撃を浴びせるルギの攻撃を、シーマは悉くかわしていく。
黒烏団の団員は、盗賊だけあって、皆回避の動きが俊敏であった。
少し重量のあるルギの双剣は、威力がある分、隙も多少ある。
すばやい敵を捕らえるのが、苦手だった。
しかし、今は―
手加減せずに、容赦なく撃ち込んでくるシーマの鋭い剣先を、ルギは一瞬の隙をつき、左の剣で受け止める。
そのまま、腕を回転させ、左右の剣でシーマの腕ごとねじり、シーマの剣を弾き飛ばした。
キィィンと、甲高い音が鳴り響き、シーマの剣はクルクル回転しながら、後ろの地面に突き刺さる。
シーマは、後ろにバック転をし距離をとり、剣を取ろうとした。
しかし、間合いを詰めたルギが、シーマの喉に鋭い刃を突きつける。
「そこまで!」
ダインの大声が響く。
シーマは冷や汗をかいていた。
「…うわぁ、負けちゃったな…」
困った顔で、笑顔を作る。
「おめでとう。君の勝ちだ」
「……ああ」
シーマに言われ、ルギは剣をひいた。
少しずつではあるが、ここに来た時より確実に、実力は向上している。
もっと、もっと力をつけねば…!
ルギは、シーマに勝利した余韻に浸る暇もなく、足早に中庭を後にした。
ルギの姿が見えなくなった後、汗を拭きながら、シーマはダインの傍に腰をかけた。
水を差しだしながら、ダインはシーマに言った。
「おう。お疲れ。奴とやって、どうだった?」
シーマは、肩を落として、フゥとため息をつきながら言った。
「見ての通りですよ。成長が著しいですね。元々、二刀流というのは強みですが、ますます強くなってる。文句なしですね。ただ…」
少し表情を曇らせるシーマに、ダインは首を傾げる。
「ただ、なんだ?」
「あ、いえ…。最近のルギの様子が、おかしいんです。元々、無口で団員ともほとんど話はしてなかったんですが、最近さらに、自分から人を避けてるというか…」
「そうかぁ?」
ダインは気づいていない。
「はい。それに、彼…最近、何かの訓練とか、用事がない限り、夜アジトにいないんですよ…」
「下山して、麓の街の女の居る店で、飲み明かしてるんじゃねえのかぁ?」
「ダインさんじゃないんですから…」
ガハハ、と笑うダインに、シーマは苦笑した。
「もともと、お酒飲まないですよね。ルギって、食事も本当に少量ですし、間食もしてないし。彼が酒臭いことなんか見たことありません。それに、最近あんまり、寝てないようなんです。なにか思い詰めている感じで…」
「ふーむ」
ダインは、無精髭を指でなぞる。
「まぁ、俺としては、腕がたてば大歓迎なんだけどなぁ。情緒不安定とあっては、少々困るな」
「そうですね、仕事中に影響があるかもしれませんし」
「一応、頭領に報告しておくかぁ。なんか変わったことがあれば、教えてくれや」
「はい」
そういって、ダインは巨大な大剣を片手で軽々と担ぎ、アジトに戻っていった。
シーマは、フゥとため息をついた。
「…これ以上放っておくと、手遅れになりそうな気もするけど。ルギ、大丈夫なのかな…」
シーマは、ヨイショと武器を装着し、アジトへ入った。
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ルギは、夜にアジトを抜け出した。
最近は、食事もろくにとらない。
とれなくなっていた。
何かを食べようとすると、手が止まる。
口に入れることが出来ない。
目の前に、フラッシュバックする惨劇―。
壁に、床に、ベットに残る血糊の手形、そして血溜まりに倒れるユイリ―。
(頭が破裂しそうだ…!)
両手で頭を抱え、空を仰ぐ。
苦しくて、たまらない。
時間が経つにつれ、だんだんとユイリの死様を思い出すことが多くなってきていた。
―ルギは、今夜も、静かな湖の水辺に来ていた。
岸辺に座り込み、ひざに両腕をかけ、顔を埋めた。
ハアーっと息を吐き、少し気持ちを落ち着かせる。
日中、訓練をしていたり、仕事をしていたり、何かに打ち込んでいられるうちはいい。
何も思い出さなくて済むからだ。
だけど、夜一人になり―寝ようとすると、どうしても同じことばかり考えてしまう。
自分の中で、どうすればいいのかがわからない。
答えが出ない。
最初は、ネオスを倒せば、すべてが終わると思っていた。
それは、ユイリとの約束だから…というのももちろんだったが、妹の悲しい顔を、もう見なくてすむと思っていたから。
自分の中のユイリは、きっと笑ってくれる。そう信じていたのだ。
だけど、盗賊団に来て、団員達の中で生活するようになって、それで本当にいいのか、わからなくなった。
ずっと一緒にいたのに、いつも申し訳なさそうな顔で、ルギを送り出していたユイリ。
家に帰れば、寂しかったであろう顔をほころばせて、笑顔で迎えてくれた。
しかし、ネオスに見せたあの笑顔。
自分に向けられたことのなかった、優しい微笑み―。
もしも、ネオスを倒すことが出来たら、ユイリは笑ってくれるのか…?
そんな疑問が、盗賊団の中で生活しているうちに、どんどんルギの中で膨らんできたのだ。
そして、そう思うようになってから、食事も睡眠の量も比例して減っていった。
さらに、新たな考えが浮かぶ。
もし、自分がもっと早く、病に利く薬を見つけていれば、それですんだのではないか。
それとも、今後、どんなに頑張っても、妹の命が救われることはなかったのではないか。
終わってしまったこと―とはいえ、次々と後悔の念が浮かぶ。
自分の色々な想いが胸を交差し、重みに耐え切れずに、押しつぶされそうになる。
(…お前と、ネオスを倒すって、約束したのに…)
その約束すら、守るべきなのか、自己満足なのかも、わからなくなってしまっていた。
翌日の夜―。
いつもどおり仕事をこなしてはいるが、食欲もなく、人を避けるルギを、シーマは心配していた。
夕食を終え、フラフラと部屋に入るルギを後ろから見送り、シーマはその夜、頭領の部屋を訪れた。
ノックをすると、ネオスが入り口を開けた。
「なんだ?」
「…頭領、最近のルギは、精神的な疲れが見え始めています。このままでは、立ち直るどころか、身体もボロボロになってしまいます…」
「…そうだな」
ネオスも同意する。
「頭領は、最初ルギが来たときに言いましたよね? 「性根を叩きなおすいい機会だ」って。でも、ちっとも彼は立ち直っていません。我々は、技術的なことではサポートできますが、心のケアをしてあげることができなかったんです…。」
シーマが力なく項垂れた。
ネオスが、そんなシーマの肩をポン、ポンと叩く。
「……お前たちには感謝している。俺の一存で決めたことに、従ってくれているのだから。良くやってくれている」
そして、ネオスもため息をつき、目を伏せて言った。
「…あいつが立ち直るには、あいつが自分で答えを見つけるしかない。真実は、あいつの中にある。導き出すことが出来るのは…本人だけなんだ」
「真実…?」
シーマが呟く。
ネオスは、頷いた。
(………真実ってなんだ………)
今夜も眠れそうにないからと、外に行こうとしていたルギは、通路でネオスとシーマの会話が聞こえてしまい、立ち止まっていた。
その後も二人は話していたが、その後は今後の訓練の方向性などの話になり、そのまま部屋の中に入っていった。
(……そういえば、ネオスは何か…隠してるな…)
前から、少しづつ思っていた。
以前、ネオスが家に現れたときに、すぐに『妹の病に、盗品の薬を使うな』と言った。
―なぜ、初対面で会った妹の病気を、すぐに断定できた?
妹に病名を聞いたとしても、なぜ盗品が、ギルドに入るとわかっていた?
どうして、自分が、ルドベキアの盗品の薬を手に入れようとしているとわかった?
誰にも言っていないのに。
ネオスはいつも、自分からは何も言わない。
皆を信じて、任せて、自分では結論をださない。
そんなことが多かった。
(……確かめなければいけないのか? 俺は…)
そのまま部屋に戻り、ベットの上にゴロンと寝転がる。
そして目を閉じる。
……真実。
妹が死んでから、何も考えたくなかった。
真実なんか、何もない。妹がいなくなった、ということだけ。
例え何か知っても、現実は変わらない。
『死』は、なかったことにはならないから。
……だけど、それが逃げだというのなら、知ってやる。
俺の『真実』を………!
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数日後―。
ネオスが仕事で、しばらく出張することになった。
そのチャンスを逃さず、ルギは行動に出た。
夜中に、ネオスの部屋に侵入し、仕事の調査結果報告書を探す。
さすがに、盗賊団頭領の部屋だけある。
何重の罠と、厳重な鍵がついていたが、盗賊の腕は一流のルギには、解除することが出来た。
そして、あの日―
ルギの家に来た日、妹に初めて会った日のネオスの仕事内容を調べるため、パラパラとページをめくる。
そこには、こう書かれていた。
『998年10月24日
依頼 : セイクレア盗賊ギルド(仲介)
依頼主 : セイクレア魔法学院
依頼内容 : 改良型モンスターの密輸の阻止
詳細:998/10/24
セイクレア魔法学院の入手情報によると、
ルドベキアで作成された改良モンスターが、
セイクリッド国内に輸出されようとしている。
これを阻止せよ。
改良型モンスターの生死は不問とする。
経過:998/10/26
処理完了。
セイクレアへ帰還する。』
(これは、大型蛇のことだな…)
ネオスに妨害されて、失敗となった改良モンスター捕獲の依頼を思い出す。
しかし、知りたいのはそのことではない。
ルギは、ページをパラパラと開く。
『998年10月20日
依 頼:セイクレア盗賊ギルド(仲介)
依頼主:カレス(男性)
依頼内容:開発研究薬品(新薬)の回収もしくは破壊
詳細:998/10/20
ルドベキアの盗賊ギルドメンバー
第9幹部によって、
カレス家研究室から、
新薬「エクイセト」が盗まれた模様。
至急回収願う。』
(新薬…)
これがきっと、妹の病気の薬なのだろう。
しかし、ネオスは麻薬、と言ったのだ。
(どういうことだ…?)
ここには、依頼内容しか書かれていない。
そのまま、視線を下に落としていくと。
「契約に相違あり。契約違法行為のために契約は無効とし、破棄する。
依頼主 カレス には、ギルドよりの追手を派遣し、処理するものとする。」
(……違法行為?)
そこに書かれていたのは…
『セイクレア魔術師ギルドの調査結果報告
依頼主:セイクレア盗賊ギルド幹部 ネオス
依頼物:新薬「エクイセト」
結果:新薬「エクイセト」の成分分析について
独断の調査の結果、新薬は、不治の病「アッシュブラッド」に対して、
効果がある薬では、ないものとする。
詳細成分として、数種類の薬草が混合されているが、
病に効く成分は全く含まれていないことが判明。
また、中毒性の高い混合薬が混入されていると思われるため、
人体には悪影響を及ぼす。
以上により、開発元の「カレス」が、虚偽の申請を行っていたことに対しての処分を行う。
なお―――― 』
その文章の続きを読んで、ルギは息を呑んだ。
「……そういう………ことか………」
思わず、口から言葉が漏れた。
だから、ネオスは知っていたのか…
あの薬が、麻薬だと…。
そして、真実を――
ルギは報告書を閉じ、部屋を後にした。
ルギが最期に見たページには、こう書かれていた。
「―なお、症状が重症化し、
吐血等の末期症状が現れた
患者についての治療薬は、
―未だに、開発されていない― 」
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三日後。
ルギは、アジトに戻ったネオスに、決闘を申し込んだ。
完全装備による、互いに万全な体制の元での、正式な戦いだった。
団員たちが見守る中―、中庭中央に、二人が歩み寄る。
ネオスは黒刀に短刀、ルギは双剣を装備した。
ルギは皮手袋をはめると、ネオスを睨んだ。
「……今日で……お前を…倒す」
「………」
ネオスは黙って、ルギを見つめた。
そして、ゆっくりと唇を動かす。
「…覚悟を決めたのか?」
「…ああ、お前から開放される覚悟をな」
ルギがそういい終わると同時に、ダインの号令の掛け声が響く。
「始めぇ!」
その言葉と同時に、ルギは背中の剣を抜き、ネオスに切り掛かる。
ネオスは黒刀で受け流す。
「ハアッ!」
ルギはその流れのまま、激しい打撃を打ち込みはじめる。
流れるようなルギの剣の軌跡をかわしながら、ネオスは隙をついて、ルギの肩や脇腹の間接部分を狙う。
しかし、ネオスの刀もまた、ルギの双剣に防がれていた。
「あんたは…、俺を救ってくれたのかもしれない…」
ルギは、ネオスに斬り付けながら、独り言のように呟く。
「生きる気力を無くした俺に、目標をくれた…っ!」
ガン、ガン、ガンと連続で打ち込まれる、凄まじい速さの剣の乱舞に、ネオスが少しずつ後ずさる。
さらにルギは、双剣を交差させ、叫んだ。
「だが、それだけじゃない。俺に真実を知る機会をくれた!」
ガキィン!という、金属の交わる音とともに、ルギの乱舞無双が始まった。
「ハァァァッ!!!」
と、息を深く吐きながら、左右からのすさまじい連撃を浴びせる。
ネオスも黒刀一本じゃ捌き切れなくなり、ついに腰の小刀を抜き、二刀で防いだ。
「……やっと抜いたな……!」
呟いたルギはそれでも、追撃を止めない。
双剣での乱舞無双は、激しくスタミナを消耗する。
そのために、ルギは必死にトレーニングを積み、体力をつけてきていた。
同じ二刀流になったものの、さすがのネオスにも、怒濤の剣の嵐を止めることは出来ない。
肩が、胸が、脚が切り裂かれ、皮鎧に傷がつく。
自分の刀でぎりぎりかわしてはいるが、腕や頬に、赤い筋が次々に入った。
そしてついに、黒刀が弾き飛ばされた。
「っ……!」
ネオスが眉をしかめたその瞬間。
「もらった!」
トドメとばかりに、ルギがネオスに飛び、上空から双剣を叩きつける。
しかし、ネオスはその隙を見逃さなかった。
一瞬無防備になったルギの腹に回し蹴りを入れ、その身体を吹き飛ばす。
「ぐっ!」
ルギは回転しながら受身を取り、すぐに体制を立て直したが、遅かった。
ネオスは一瞬でルギの懐まで間合いをつめると、今度は小刀を次々と回転させて、ルギの身体を切り裂く。
胴を、腕を、胸を―――
皮鎧に守られて、辛うじて傷にはならないものの、その小刀の繰り出される速さに、今度はルギが防戦一方になる。
そして、その軌跡を受け止めようとしたとき―
今度は双剣を持つ左腕に、ネオスの蹴りが入る。
「うっ!」
小手の上からでもズシンと重い衝撃に、思わず剣を落とし―――
そのまま、残った右の剣だけで防戦するが、ネオスの攻撃はさらに早かった。
右肩の付け根に小剣を深々と刺され、そのまま強く体当たりを喰らい、押し倒される。
「うわぁっ!」
ドンッ!と、地面に倒れ、一瞬目をつぶる。
すぐに目を開けたが、そこには―――
自分の上に馬乗りになり、首に、いつの間にか手にした仕込短剣を突きつけている、ネオスの姿があった。
「………負け………だな………」
ルギは、ハアハアと荒い息をしながら、呟いた。
ネオスも、肩で息をしながら、仕込短剣を引き、立ち上がる。
「……トドメを、刺さないのか…?」
右肩に刺さる剣の痛みに耐えながら、ルギはネオスに言った。
ネオスは、息を整えたあと、ルギを見た。
「……もう、勝負はついたはずだ……」
そう答えたネオスは、ルギの肩にすばやく布を巻き、小刀を引き抜く。
「ぐうッ」
苦痛に顔をゆがませ、思わず傷口に手を当てるルギを起こし、ネオスはラシェルを呼んだ。
「すぐに手当てを頼む…」
ネオスがそういうと、ラシェルは、そっと傷口に手を当て、治癒をはじめた。
ルギはその間、深く息を吐きながら、空を見上げて、誰ともなく呟く。
「……あんたの報告書を見て、わかったんだ……」
そして目を閉じる。
「……結局、妹を、病を治す方法なんか、無かったんだと……」
唇をかみ締めながら、震える声で、ルギは言った。
「…だけど、妹を笑わせてやれなかったのは…、本当の笑顔を見れなかったのは…、薬のせいでも、…あんたのせいでもなかった…」
ルギの目から、一筋の涙がこぼれた。
「……俺が、あいつの重荷になっていたんだと……ようやくわかったんだ……」
―――『待てなくて、ごめんね』―――
妹のその言葉は、妹が命を落とした、その日のことを意味するものではなかった。
自分が小さい頃から、一生懸命、自分の薬を探してくれてた兄。
自分の時間をすべて犠牲にして、自分のためだけに、生きてくれていた兄。
ならば、自分は兄のために生きよう。
いつか、兄が本当の薬を持ってきてくれる日まで。
少しでも、長い時間、傍に居れる様に。
そして、いつか、一緒に笑えるように。
―――兄が、自分から開放されて、幸せになれるように。
しかし、妹の願いは叶わなかった。
お互いに、何かが狂い始めた。
ルギは、妹のために、薬を手に入れることが自分の役目だと信じていた。
……それが、妹の願いだと思っていた。
ユイリは、兄のために、少しでも長く生きて、傍に居ることが幸せだと思っていた。
……しかし、自分のために自分の人生を費やす兄に、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
それが、辛かったのだ。
「ユイリは、早く病気を治したいんだと、…そう思っていた…。そうじゃなかったんだな……。妹が笑わなかったのは、俺のせいだ……」
左腕で、顔を覆いながら、ルギが呟いた。
自分の必死さが、妹の負担になっていた。
薬を待たなきゃいけない、と、思わせてしまっていた。
いつも寂しそうな顔で、優しく微笑んで、ルギを送り出す姿は儚げだった。
もっと傍にいてやっていたら、彼女だって寂しい想いをしなかったはずなのに……!
「…俺は……馬鹿だ……」
ルギの目から、再び涙が零れ落ちた。
******************************************
きっと、ネオスも知っていたんだろう。
ユイリの本心を。
―あの夜、ネオスが家に来た晩。
ユイリが、ネオスとどんな話をしたのかはわからない。
しかし、ネオスもきっと気づいたのだろう。
ユイリの病気が治らないことに。
そして、自分に残された残りわずかな時間を、少しでも長く、ルギと過ごしたいということに。
だが、ネオスはルギに、何も言わなかった。
ルギが、自分で気づかなければいけないことだったからだ。
だから、彼が盗賊団に現れた日、追い返さずに迎え入れ、そのまま見守っていた。
いつか必ず、妹の想いが伝わる時がくるように。
―そして、妹の死を、受け入れることが出来ると信じて―。
―――ルギが、ネオスと決闘を行った次の日の朝。
ラシェルの治癒術の力で傷が癒えたルギは、ラシェルの部屋を訪れ、治療のお礼を言った。
「ええっ!そんな、当然のことをしただけだよ」
と、わざわざお礼に来たルギに驚き、ラシェルは慌てた。
しかし、ルギは、
「…あんたには、これからも世話になる。……よろしく頼む」
というと、頭を下げた。
―――そして、朝食時。
皆が食事を取り終える頃に、ルギは立ち上がっていった。
「ネオス――いや、頭領――」
その時、ルギは初めてネオスを『頭領』と呼んだ。
そのまま、ネオスをまっすぐ見つめて、言った。
「――俺を、これからもここにおいて欲しい。どうか、頼む」
そういって、深く頭を下げた。
それを見た団員たちは、一瞬沈黙したが…
すぐにその後。
「あったりまえだろ! もう何年一緒にやってんだ! ガハハ!」
とダインが言う。
「ちょっとダインさん、まだ2ヶ月くらいですよ…!」
とシーマが突っ込んだが、
「それでも、修行やら訓練やら、色々一緒にやった仲じゃねぇか。いまさら出て行くのも、水臭いぜ!」
と、ダインが明るく笑った。
そんな皆の表情をみて、ネオスも頬を緩ませ、
「……ああ、よろしく頼む」
と、ルギに言った。
そして、ルギは
「ありがとう…」
と言い。
―初めて、
団員の前で、笑顔を見せた。
皆が、明るく歓声を上げる中で、ルギは、目を閉じて、思い出す。
―――『お兄ちゃん、はい、あげる……!』―――
幼い頃、笑顔で花冠をくれた彼女。
これからは、心の中の彼女が、いつまでも笑ってくれるように。
―――俺は、生きる。
―――これからは、俺のために。
窓の外を見ると、何処までも青い空が、遠く遥かに続いている。
ルギは、その空に誓うのであった―。
=fin=