第二章
ある雨の日。
アジトで休日を堪能しているネオスの部屋に、ノックの音が響いた。
「頭領!すいません…」
「入れ。どうした?」
ガチャっとドアが開くと、ずぶぬれの若い男が立っていた。
茶色い短髪に、額の濡れたターバンが絡みつく。
声の主……シーマである。
なにやら慌てていた。
「アジトの傍に、不審な男が倒れて居るんですが…」
「今行く」
ネオスはバサッとマントを羽織ると、シーマと共に、フードを被って外へ出た。
アジトを出て、馬で湖のほうへ向かう。
10分ほど行くと、シーマが馬を降り、草むらへ入っていった。
ネオスも続く。
雨の雫で重くなった草を掻き分け、ドロドロになりながら進むと、しばらく入った大きな樫の木の根元に、男が木に寄りかかって倒れていた。
フードを被っているので、顔は良く見えなかったが、黒い皮鎧に、黒マント…。背には二刀の剣を背負っていた。
旅支度の入ったバックパックが、近くに転がっている。
「…どうみても、同業者ですよね」
シーマが小さく呟く。
ネオスは、近づいて、フードを覗き込んだ。
その瞬間、男の目が見開き、背の剣を引き抜きながらネオスに斬りつけた!
ガキィィィィン!
わかっていたように、ネオスはいつの間にか抜いていた黒刀で、それを受け止めた。
「………ネオスッ…………!!」
男はそう呟くと、フッと意識が途切れ、今度はそのまま剣を手放して、前のめりに泥の中に倒れた。
ネオスが、ドサッと落ちた男の背を蹴飛ばし、仰向けに直すと…
フードがはずれて、緑色の髪が見えた。
「ルギ…」
ネオスはそう呟くと、シーマに言った。
「……つれて帰るぞ」
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……目を開けると、木製の天井が見えた。
そして、ランタンの明かり。
(…………)
緑色の髪の青年…ルギは、しばらくそのまま天井を眺めた後、ハッと上半身を起こす。
とたん、
「キャッ!」
と、驚いた少女の声が聞こえた。
ルギが慌てて振り向くと、ベットサイドで、タオルを絞っていたらしい少女が、そのまま下に落としていた。
薄い千草色の、長い髪…
大きな瞳が、ルギを見ていた。
「あ、気がついたんだね! ごめん、びっくりしちゃった。頭領呼んでくる!」
少女は慌ててタオルをたらいに入れ、よいしょと抱えて、部屋を出て行った。
ルギは、何が起こったのかわからず、呆然としながら、自分の体を見た。
体の汚れは綺麗に洗われ、身体中のいたるところに出来ていた傷口には、包帯が巻かれ、両手足、すべてが手当てをしてあった。
服は、ベットの脇にある机に、見たことの無い服が用意されていた。
しかし、二刀や鎧などの装備や荷物は無かった。
(俺を捕まえないのか…。ネオス……)
こんな処置を受けたのが、ある意味屈辱だった。
(ご丁寧に、手当てまでしやがって…。俺に、情けをかける気なのか…?)
ルギが、ベッドから降りようとすると、脚に激痛が走り、そのままベッドから床へ、叩き落ちた。
(くそ…っ…!)
やっとの思いでここまで着たのに…!
そんな焦りだけが、ルギの身体を動かしていた。
実際には、動けるのが不思議なくらい、体力を消耗していたのだ。
その時、バタンとドアが開いた。
「………ネオス……なぜ俺を捕らえない?」
ルギは、静かな言葉に怒りを含ませ、部屋に入ってきたネオスを見上げた。
ネオスはルギを一瞥した後、唐突に、ルギの左足を踏み付けた。
「ぐあっ!!!」
激痛に耐え切れず、悶えながら身をよじる。
「折れてるな。馬も使わずに、そんな脚で、よくここまで辿りついたものだ…」
呆れ顔で呟くネオスに、ルギは苦痛に耐えながら叫ぶ。
「あたり…まえだ…っ! 俺は、お前、を……倒すために来た!」
肩で息をしながらも、自分を睨みつけるルギを、ネオスは容赦なく蹴り飛ばした。
「がっっ!」
ベットにぶつかり、足を押さえるルギに、ネオスはため息をつきながら背を向けて言った。
「……その身体、ルドベキアのギルドでやられたな? ……手負い人と戦う気はない。傷が癒えたら、相手をしてやろう。……今は治すことだけを考えるんだな」
そう言うと、ネオスは部屋を後にした。
(くそ…! お前の世話になんか、なってたまるか……っ)
ネオスが出て行った後、ルギはなんとか自分で立ち上がろうとしたが、足どころか全身に力が入らず、そのまま倒れこんでしまった。
そして、意識を失った…。
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しばらくして、先ほどルギの部屋にいた、千草色の髪の少女―ラシェル―が部屋をノックした。
「失礼します」
返事が無いので、仕方なくそのままドアを開けると、ルギが下着姿のまま、床にうつ伏せに倒れていた。
「きゃぁ!!」
慌てて、ラシェルは後ろを向いた。
そのとき、シーマが部屋に入ってきた。
「ラシェ、どうした?」
「あ、シーマさん。あの人…」
ラシェルは、床に転がったままのルギを指差す。
シーマは、困った顔で、ルギの身体を起こし、ベッドに持ち上げた。
「よいしょっと…」
そぉっと、ベッドにルギを寝かし、毛布をかけた。
ルギの身体は熱く、包帯にはところどころ、血がにじんでいた。
「ラシェ、頭領にこの人の治療頼まれたんだろ? 俺、変えの包帯持ってくるから、その間に治療しといて」
「はい、了解です」
そういって、シーマは部屋を出た。
早速ラシェは、信仰神に祈り、傷の治療-『ヒーリング』を始めた。
ラシェルが、大体の傷の治療を終えた頃、シーマが戻ってきた。
折れた足も、なんとか無事に治ったはず…。
精神的に疲労し、ふぅ、とラシェルはおでこの汗をぬぐう。
治療が終わったとはいえ、ルギの表情は苦しそうだった。
傷の痛みや、疲労がすべて癒えたわけではなかった。
まだ身体は火照り、額には大量の汗がにじんでいた。
シーマは、タオルを絞って顔や身体を拭き、汚れた包帯を取り替えた。
ラシェルは、じっとそれを見ていた。
そのとき、シーマがボソッとつぶやいた。
「頭領も、自分を倒しにきた奴を、助けることなんかないのにな…」
「えっ?」
一瞬、ラシェルは意味が理解できなかった。
そこで、シーマが一息ついて、ラシェルに向き直った。
「この男―ルギっていうらしいんだけど。頭領に恨みがあって、わざわざ、隣国のクランクレアから、山を越えて、頭領を倒しに来たんだってさ。だったら山の中に捨てておけばいいのに、頭領もなんの酔狂だか、拾って帰ってきちゃったんだ…。」
シーマは、首を横に振る。
「その上、傷を治せ、手当てしろだなんて、意味がわからないよね。まぁ、頭領なりに考えがあるんだろうけど」
そういって、再びため息をついた。
「まぁ、装備も何もかも取り上げてるし、今夜は体力が戻るまで大人しいと思うよ。ラシェも、治療お疲れ。部屋に戻って休んでいいよ」
「あ、うん、ありがとう」
そういって、シーマは部屋を出た。
ラシェルも、後に続こうとしたが、苦しんでいるルギを一度だけ振り返って見つめた。
(頭領を…倒しに来たの? ……何故?)
自分達のリーダーという、大事な頭領を狙う、敵の治療をしなきゃいけないなんて。
胸の奥で葛藤しながら、ラシェルは部屋を後にした。
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ルギは、夢を見ていた―――。
セイクリッド大陸の西の殆どを占める、クランクレア王国。
その北のはずれに、ルドベキアという街はあった。
ルギは生まれたときから、ルドベキアのはるか東の、深い森の中で暮らしていた。
その森は、『季節』という概念がなく、ずっと春のように暖かくうららかであったため、「常春の森」と呼ばれていた。
その森で、妹のユイリは、湖のほとりに座り、花の王冠を編んでいた。
いつもより体調がいいのか、嬉しそうに鼻歌を歌いながら、笑顔を浮かべている。
ルギは隣に腰を降ろし、木々を見上げ、小鳥のさえずりを聞きながら、暖かい木漏れ日を身体に浴びる。
やわらかい時間がゆっくりと流れる中、ルギは幸せを感じていた。
しばらくして、ユイリがルギに、出来上がった王冠を差し出した。
「お兄ちゃん、はい、あげる…!」
ルギは小さく微笑み、ユイリに向かって頭を垂れた。
しかし、一向にその頭上に王冠は下りてこない。
「ユイリ…?」
不思議に思って顔を上げると、ユイリの顔は固くこわばっていた。
そして、そのままユイリは、ドロドロと溶けて崩れ落ちる。
「うわぁっ!」
ユイリ―だった物体も、その周りの花畑も、森も湖も、すべてが泥のように、鈍い色の世界に変わっていく。
ルギは慌てて辺りを見回すが、自分以外のものは、すべて何もかも泥沼の中に溶けていった。
「…おにい……ちゃ……」
ユイリの、泥人形のような塊から、小さく声が漏れた。
「ユイリ!」
ルギは、形が無くなってしまったユイリの手を握った。
―そして、そこでハッと、目が覚めた。
見えたのは、木目の天井に、小さなランタンの明かり。
大切な、妹の手を握った手は―
そっと目の前に手のひらを掲げる。しかし、ぬくもりはない。
―最後に、妹に触れたときも、彼女の手は冷たかった。
「ユイリ…」
そのまま腕を顔に当て、目を閉じる。
ルギの目の端から、一筋の涙がこぼれた。
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―同じ頃、ネオスの部屋を、一人の男が訪ねていた。
紺色の髪に、銀縁の眼鏡が印象的な盗賊団の参謀―ルークだった。
「頭領、なぜあの者を生かしておくのですか?」
「処分する必要がないからだ」
ルークの問いに、ネオスは即答する。
少し苛立ちを見せながら、ルークは続けた。
「…しかし、あの者は頭領の命を狙っているそうですね? そんな者の手当てまでして…一体何を考えているのです?」
「………」
ネオスは、ルークの顔を見たまま黙っている。
参謀は更に続けた。
「頭領が良くても、我々は貴方を守る義務があるのです。敵を近くにおいておくわけには行きません」
そういって、ルークは部屋を出ようとする。
しかし、ネオスはその背に言った。
「放っておけ…」
「……そういう理由はなんですか……?」
ルークは立ち止まり、振り返っていった。
苛立ちを隠せず、思わず声を荒げる。
「あの者の素性を調べました。元ルドベキア盗賊ギルドの精鋭、ルギという者ですね?」
ルークは眼鏡の位置を直すと、ネオスを正面から見据えた。
「一週間ほど前に、妹が病死し、同日にルドベキアのギルドを脱退…。そのときに、ギルドの盗品に手をだしていたことが判明し、制裁を受けて、あの大怪我を負ったとのこと。……まさか、頭領に逆恨みでもあるんですか?」
「いや…そうじゃない」
ネオスがさえぎった。
「あいつには、俺と戦う理由がある…それだけだ」
「……だから、それが何なのか聞いているんじゃないですか」
ルークが怪訝な顔をして言う。
ネオスは黙っていた。
………しばらくの沈黙。
先に口を開いたのは、ルークだった。
「…理由がない以上、不審者は排除いたします」
「やめろ。命令だ」
『命令』と言われると、それ以上動けなくなる。
だが、とても納得できなかった。
「だったら理由をおっしゃってください」
しつこく問うルークに、ネオスは背を向け、窓の外を見ながら口を開いた。
「……奴は、俺の幻影に囚われている」
「え?」
「俺を倒せば、妹の死、今までの人生から開放されると思い込んでいる」
「開放…?」
ルークが眉をしかめる。
「頭領を倒したところで、妹は戻ってきませんが」
「そうだな」
ネオスは言った。
「しかし、あいつは死ぬ前の妹と、『俺を倒す』という約束をしている。…俺は今後ずっと、狙われ続ける」
「………」
ルークは沈黙した。
やっと、ネオスがとった行為の意味がわかった。
ルギは、もしここで捕らえても、逃がしてやっても、今後ずっとネオスを狙ってくるだろう。
だったら、怪我を治してやり、万全の体制で、正々堂々と勝負をうけてたってやろうと。
そして、きっとルギは、今ネオスを倒してしまえば、妹を失った世界の全てに絶望してしまう。
約束も果たし、自分以外の誰も居なくなった世界に、生き残る理由もない。
だから、負けるわけには行かない。
ネオスはそう思っているのだ。
「あいつの目的は、俺の命だ。……気が済むまで、相手をしてやる」
「……しかし……」
「くどい。俺は負けるつもりはない。用が済んだら下がれ」
「………はっ………」
頭領の意思は固い。
ルークは、しぶしぶ引き下がった。
自分が狙われ続けることで、ルギに生きる目的を与えようとしている。
ネオスは、妹も、ギルドも、何もかも失ったルギが不憫だったのだ。
「優しすぎます、頭領は……。他の者なんか、どうだっていいでしょう………!」
部屋を出たルークは呟き、頭に手を当てた。
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次の日、ネオスはルギの部屋を訪れた。
傷はラシェルの治療ですっかり癒え、体力も回復したルギに装備を返すと、黒刀に黒皮鎧と、完全武装したネオスは言った。
「…一騎打ちだ。いいな?」
「……臨むところだ………」
アジトの外には、団員が集まっていた。
ルークやシーマ、ラシェルが心配そうに見守る中、二人の対決が始まった。
ルギが、腰から弐対の剣を抜いた。
鈍い銀色の刀身が、朝日を浴びて光る。
同時に、ネオスも黒刀を抜いた。
艶のない真っ黒な刀が、ルギの髪をかすめる。
一瞬、がら空きになったネオスの胴体に、ルギが双剣を鋏みこむ。
しかし、ネオスはすばやく身を引いてかわした。
二人の攻防を見ていたシーマが、ルークに囁きかけた。
「あのルギって奴…、結構やりますね」
ルークは、面白くなさそうに息を吐いた。
「それでしょうね。ルドベキア盗賊ギルドでも生粋の精鋭らしいですから」
「頭領とそれなりにやりあうなんて、凄いですね。でも…」
シーマがそういいながら二人に視線を戻すと、腕の差がだんだんハッキリしてきた。
二刀流のルギに、ネオスは防戦一方だったが、一瞬の隙をついて、ルギに足払いをかけた。
「うっ」
仰向けに倒れるルギの喉元に、ネオスが刀を突きつける。
「……双剣の弱点は、転倒に弱いことだな……」
「…………っ!!!」
ルギは怒りをあらわにした。
「とどめを刺せ……!」
しかし、その言葉に答えず、ネオスはルギに背を向けた。
「必要がない」
「馬鹿にしてるのか!?」
ルギは怒鳴る。
しかし、ネオスはそれには答えなかった。
そして、ルギを見ないまま、言った。
「お前は、今日からうちの団員だ。ルドベキアのギルドは脱退済らしいからな」
「……!?」
「今の腕じゃ、俺に勝てないことくらいは、わかっているのだろう? 悔しければ、いつでも相手をしてやる。お前が気の済むまでな」
肩越しに、ルギを振り返る。
「…俺を倒して見せろ」
「…………」
ルギは、ネオスを睨んで、小さく言った。
「………後悔するなよ」
「やれるものならな」
フッと笑って、ネオスはアジトに戻った。
ルギは、二回も同じ相手に負けてしまった自分の実力不足に腹が立ち、そして、生きているうちに果たせなかった妹との約束を思い出し、その場に崩れ落ちた。
「…ユイリ、待っていてくれ…。俺は、必ず………」
悔し涙と、悲しい涙がにじむ。
必ず、約束を果たす。
そう心に誓い、ルギはネオスのアジトに残る決意を固めた。
=to be continued =