第一章
セイクリッド大陸の西の国、クランクレア。
その北側には、ルドベキアという盗賊の街があった。
ルドベキアの遥か東、「竜の背」と呼ばれる山脈の麓に、深い森がある。
その森のさらに奥深くに、二人の兄妹が住んでいた。
妹は、生まれつき身体が弱かったため、森から出たことがなく、家の周りの風景と環境だけが、自分の世界の全てだった。
両親は早くに事故で他界し、唯一同居していた、医者の祖父も、兄が6歳の時に、亡くなった。
兄は、そんな妹のために、幼い頃から盗賊ギルドに加入し、寝る時間以外は、薬を買うために、必死に働いていた。
兄の名はルギ。
妹の名は、ユイリと言った。
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ルギは、ルドベキア盗賊ギルドの仕事を、フリーで受けていた。
しかし、最近になって、ルドベキア盗賊ギルドの仕事に、やたらと、セイクレア盗賊ギルドの邪魔が入るようになった。
そのため、ルギは盗みの仕事よりも、ギルドの用心棒的な仕事のほうが多くなった。
ある日も、ギルドの護衛を済ませ、帰宅した。
「ただいま」
ランプの明かりが小さく灯る家に入ると、ソファーにドサッと腰を下ろす。
ハァーっと、深いため息をつきながら、目を閉じ、天井を仰いだ。
「お帰りなさい、お兄ちゃん」
部屋の奥の寝室から、ケープを羽織ったユイリが出てきた。
「寝てろ、飯はいらないから」
と、ルギがいうと、ユイリはゆっくりと、ルギの隣に座った。
「今日は体調がいいから、大丈夫だよ。お仕事お疲れ様。」
そう言って、淡く微笑んだ。
ルギは、そんな妹の長い髪をそっと撫でると、額に軽く口づけをした。
「ああ…」
手を離すルギに、ユイリが問い掛ける。
「また、負けちゃったの?」
「負けてない…とは言えないな。護衛の俺らが戦闘中に、本隊が引いてた」
苦い顔をして呟くルギに、ユイリはクスッと笑う。
「ネオスさんていう人? 最近、いつもお兄ちゃんの、お仕事の話に出てくるよね。よっぽど強いんだろうなぁ」
ユイリは、楽しそうに言った。
ルギは、渋い顔で言う。
「笑い事じゃないんだ。あいつが一人いるだけで、俺らの仕事は、上手くいかないことが多くなってきた。上層部はみな、ピリピリしてる」
「でも、それだけ強い人ってことでしょう?」
ユイリの正論に、ルギはため息をついた。
「…そうだな。戦闘力も技術力も同じくらいレベルの高い奴が、俺達のギルドにいないのが、問題なんだろうな…」
「じゃあ、もうすぐ大丈夫になるね」
ニッコリ笑って言うユイリに、ルギは首を傾げる。
続けて、ユイリは言った。
「もうすぐお兄ちゃんが、ネオスさんを追い越しちゃうもの」
突拍子もないユイリの言葉に、ルギは目を丸くした。
そんなルギに、ユイリは、少し淋しげに微笑みながら言った。
「私、知ってるよ。お兄ちゃんは、夜中にコッソリ家をでて、鍛練してるんでしょ」
なんのために、なんて、最初からわかっていた。
身体や技術を鍛え、誰よりもいち早く昇格し、ユイリの病気にいい薬を買うためだと。
だけど、ユイリにはそれを言うことも、止めることも出来なかった。
自分が健康でありさえすれば、兄に、こんなに必死な思いをさせることもないのに…
そんな思いがよぎり、兄が薬を持ち帰るのを待つ日々だけが、ずっと続いていた。
「…だからきっと、もうすぐ、お兄ちゃんはネオスさんより強くなって、ネオスさんに勝って、ルドベキアギルド1強い盗賊になるんだよっ」
そんなユイリの言葉に、ルギはクスッと笑い、
「…そうなると、いいな」
とだけ、呟いた。
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―――それから、数日後。
ルギが仕事に行っている間、ユイリは、家の近くにある湖に、散歩に来ていた。
ほとりに様々な草花が咲く、緑豊かな岸辺には、自然と動物たちも集まり、生まれてから他人と会ったことのないユイリの、家族以外の友人となっていた。
「おはよう、リスさん、うさぎさん、それから、みんな」
ユイリが、クローバーの絨毯の上に座り、バスケットの中からパンの耳やクッキーを取り出すと、沢山の動物たちが、ユイリを取り囲んだ。
いつものように、手の上にとまってパンをつついている小鳥を、ユイリが微笑みながら見ていると…
急に、周りの空気が一変した。
小鳥は飛び立ち、小動物は逃げ去り、遠くでは、何かの威嚇の声が響いた。
「みんな…どうしたの…?」
辺りは穏やかな空気は消え、不気味な程、静まり返っていた。
その時、ユイリの背後から、急に大きな手で、口を塞がれた。
「!」
「……声を出すな」
耳元で囁くその声は、兄の声ではなかった。
生まれて初めて、家族以外の人間に会い、そして強い腕で抑えつけられ、口を塞がれていることに、ユイリは恐怖と興奮で、動悸が早まった。
しかし、それ以上に、ユイリを恐怖に陥れたものがあった。
木々の向こうから聞こえる、ザザザザ…という、葉っぱを擦りながら、何かが近づいてくる音。
そして、表れたのは…
体長が、十数メートルもあるかという、巨大な蛇だった。
大きな口からは、長すぎる舌が覗き、鋭い牙は、不気味に鈍い色に輝いていた。
巨木ほどもある胴体が、ズルズルと草花を踏み潰し、段々とユイリ達の方へ近づいてくる。
ユイリの口を塞いでいた手は緩み、そのままユイリを庇うように、前に立ちはだかった。
黒髪の長髪をなびかせ、黒い皮のスーツに身を包んだ青年…
ユイリが見上げようとするのと同時に、大蛇がこちらに気づき、威嚇の咆哮をあげた。
「きゃああ!」
思わず身を竦めてしまったユイリの前から、青年…ネオスが跳躍し、蛇に向かって剣で切り付ける。
視界のかたすみで、青年が蛇と戦っているのを見届けた後、ユイリは、気を失った…
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――― その夜。
ルギが仕事から帰ってくると、普段なら既に寝ているはずのユイリの寝室に、明かりが灯っていた。
「……ただいま」
部屋に近づくと、誰かとの話し声が聞こえる。
家族が死んでから、誰一人としてこの家に訪れたものは居ない。
不審に思い、ドアを開けた。
「お兄ちゃん、お帰りなさい!」
パァッと顔を輝かせ、ベットの上から、ルギのほうを向くユイリ。
そして、ベットの脇の椅子に座っていた男は―
ゆっくり振り向いた、長い黒髪の男こそ、仕事上何度も衝突をしている、セイクレア盗賊ギルドの、ネオスだった。
すぐにルギは剣を抜き、ネオスの首筋に向ける。
「なぜここにいる」
低い声が喉から漏れた。妹がいなければ、すぐにでも首を落とすところだったが―
「やめて! お兄ちゃん!」
ベットから飛び降り、ネオスに向けられた剣を、勢いよく素手で払いのけたのは、ユイリだった。
「馬鹿っ! なにやってるんだ!」
ルギは慌てて、ユイリの手をつかむ。
指先が少し切れ、血がにじんでいたが、たいした怪我ではなかった。
しかし―
「お兄ちゃん、ネオスさんは、私の命の恩人だよ! 大蛇から、私を守ってくれて、ここまで運んでくれたんだよ!」
「大蛇…?」
ルギはすぐに悟った。
今日の仕事は、ルドベキア盗賊ギルドが、改造モンスターの密輸中に誤ってモンスターを逃がしてしまったため、その追跡及び捕獲だった。
しかし、何処をどう探しても、結局そのモンスターは見つからなかったのだ。
「お前が…消したのか…」
ルギはネオスを睨んだ。
ネオスは無言だった。
別にルギは、ネオスに個人的に恨みがあるわけでも、憎しみがあるわけでもない。
ただ、仕事上、たまたまネオスと対立することが多いだけだった。
だから、ネオスが仕事の邪魔をしようとも、相手もそれが仕事なのだから、と割り切っている。
しかし、突然家にいるとなると、話は別だった。
剣をしまい、一つ息を吐くと、ルギはもう一度ネオスに言った。
「……なぜここにいる」
今度は、本当に、言葉通りの意味を尋ねたのだ。
ネオスは、ユイリのほうを向くと、ベットに戻るように促しながら言った。
「……仕事の標的を追っていたら、彼女に遭遇し、標的に襲われそうになった。だから助けただけだ」
そういったネオスに続けるように、ベットに腰掛けたユイリが口を開いた。
「私、湖のほとりで散歩をしていたら、大蛇に襲われそうになって…、…気がついたら、ネオスさんが、ここまで運んできてくれてたんだよっ」
ネオスは何も悪くない、と庇うように、早口でユイリは言った。
「……そうか……」
ルギはため息をついた。
そしてネオスのほうを向く。
「妹を助けてくれたこと、礼を言う。……しかし、こんなところまであんたに侵食されたくない。さっさと帰ってくれ」
「いやっ!!!」
ルギの言葉に、大きな声を上げたのはユイリだった。
ルギは、思わず目を丸くする。
そんなルギにかまわず、ユイリは続けた。
「ネオスさんは、外の世界でのいろんな話をしてくれたし、私が作った夕食だって、『美味しい』って言って、一緒に食べてくれたんだよ! 大切なお客様に、そんな言い方しないで!」
「ユイリ…」
必死で叫ぶユイリに、ルギは戸惑った。
正直、仕事以外で、ネオスの顔など見たくなかったし、ましてや自宅にいるなんて考えもしなかった。
しかし、ユイリにとっては、人生で初めての、家族以外の人間で、しかも命の恩人だった。
そのお客の価値は、ルギの感情とは比べ物にならない。
泣きそうな顔で、ユイリは続けた。
「お兄ちゃん…、私、初めて聞く世界のお話、とっても楽しかったよ。もう少し、もうちょっとでいいから、ネオスさんとお話したいの…」
「………」
ルギは黙っていた。
ユイリも、ネオスが、ルギの仕事上のライバルだということはわかっている。
だが、自分の命を助けてくれたし、ルギの話を聞いてるだけでは、悪い人物とは思えなかったのだ。
ユイリの必死の言葉に、どうしようもなくなり、ルギはユイリに背を向けた。
「……夜は冷える。早めに寝ろ。お客にも迷惑かけるなよ」
「う、うんっ!」
背中から、嬉しそうな声が聞こえ、ルギは扉を閉めた。
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―――半刻後。
家の外で鍛錬をしていたルギは、黒い影が家から出たのに気付いた。
その影は、月明かりを受けて、鮮やかな黒髪を浮かび上がらせた。
「……今程、眠りについた」
「ああ……」
ネオスはルギに言うと、ルギは剣の素振りをやめ、タオルで汗をぬぐった。
そして、ネオスに言う。
「…まさか、あんたがこんなところまで来ているとは思わなかった」
「お前らの獲物が、予想外のスピードで移動したからな」
獲物とは、大蛇のことだった。
おそらく、大の男が全力で走っても、蛇には追いつけないだろう。
「……で、処理後のそれはどこなんだ?」
ルギが振り返らないまま問うと、ネオスは静かに答えた。
「湖に沈めた」
「そうか……」
死んでしまったのなら、捕獲する必要も無い。
依頼は、それで終了なのだ。
悪いのは、逃がしてしまったルドベキアギルドの盗賊団。
殺してしまったネオスを、責める気もなかった。
―――しかし。
それはあくまでも、仕事上の立場のこと。
ルギは、個人的な感情で、セイクレア盗賊ギルドの精鋭と戦い、勝ちたかった。
―――妹と、約束をしていたから。
『―いつか、自分が彼を越える―』
そう、誓っていたのだ。
そしてルギは、ネオスに向かって、双剣を抜いた。
「―あんたに恨みは無い。しかし、戦う理由はある」
そう言ったルギに答えるように、ネオスも腰の黒刀を抜いた。
「…いいだろう…」
そうして、二人は向き合った。
ルギが先に跳躍した。
ネオスの頭上から、双剣を凄まじい速さで打ち付ける。
しかし、ネオスは刀でそれをすべてはじく。
キンキンキンッ!と、激しい音と火花を散らして、ネオスが少しずつ後ろに下がった。
そこを狙って、ルギがネオスの頭上から、思い切り双剣を叩き付けた。
「ハァッ!!!」
しかしネオスは瞬時に後ろに飛びのき、双剣をかわす。
ネオスの立っていたところは、土がえぐれて飛び散った。
瞬間、ルギが再びネオスに飛んだ。
しかし今度は、ネオスの刀が、ルギの肩を狙う。
ルギは身体をひねって、右方向に回転して避けた。
―そのまましばらく、激しい攻防が続いたが、先に息を切らしたのは、ルギだった。
双剣は刀よりも重量があるため、激しくスタミナを消費するのだ。
肩で息をし始めたルギに、ネオスは容赦なく斬りつける。
ルギは、それを剣で防ぐので精一杯だった。
体力を消耗して、攻撃を避けきれなくなったルギの一瞬の隙を突いて、ネオスの刀が鋭い軌跡を描く。
その瞬間、ルギの片袖を、ネオスの刀が貫いた。
「!!!」
刀は、ルギの服だけを破り、木に縛り付けた。
「……お前は、まだ俺に勝てない。出直して来い」
ネオスはそう言うと、刀を抜き、鞘に収めた。
「………」
ルギは、肩で息を切らしながら、黙ってネオスを睨んだ。
悔しいが、確かに今のままでは、ネオスに勝つことは出来ない。そう思ったからだ。
ネオスは、そのままルギに背を向け去ろうとしたが、一瞬足を止め―
「……妹の病気には、ルドベキアギルドの盗品の薬品は使うな。……あれは、麻薬だ」
そういい残すと、木の上に跳躍し、すぐに姿が見えなくなった。
「……なんだって……?」
ルギは、ネオスの言った言葉に衝撃を受け、目の前が真っ暗になった。
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次の日。
ネオスが消えた家で、朝日の差し込む部屋の中、ユイリはベットの上で泣いていた。
ルギは、その姿を、そっと見守ることしか出来なかった。
初めての、家族以外の人との一時。
初めての、外の世界の話。
初めての、他人との食事。
…そして、初めての恋だった。
一夜だけの、幻のような時間だった。
きっと、ずっと忘れないだろう。
胸の中に、小さな灯火を残して、去っていった彼を。
―――その後、ユイリは普通どおりだった。
朝早く家を出て、夜遅くに帰るルギを、ユイリは笑顔で見送り、出迎えた。
共に食事をすることはなかったし、会話は、毎日数分するだけだった。
それでも、ルギと顔を合わせるときは、ユイリは笑顔を浮かべてくれた。
……しかし、体調は、刻々と悪化していたのだ。
ルギは、過去に、ルドベキアの盗賊ギルドに、ユイリの病気に効く薬の密輸の依頼があったことを知った。
そのため、ギルドで依頼を数多くこなし、いち早く幹部クラスになり、その薬の情報をつかもうと思っていたのだ。
そして、最近やっと、その薬が再製造され、密輸されるという情報があった。
そのため、ギルドに入荷された時点で、薬を妹のために盗もうと考えていた。
しかし、ネオスの言った言葉が気になっていた。
『あの薬は…麻薬だ』
それが本当なら、ユイリに飲ませるわけにはいかない。
だが、ほんの僅かな可能性にでも、賭けてみたい。
ルギのなかには葛藤が生まれていた。
………そして、その薬を手に入れられる日が、やってきた。
ギルドに納品された薬の一部を盗みだし、急いで持ち帰る。
ギルドにばれたら、ただでは済まないことはわかっている。
しかし、ルギは自分よりも何よりも、妹が大切だった。
彼女のために、生きてきたようなものだから。
………だが、淡い希望も、すぐに打ち砕かれた。
ネオスの言葉を危惧して、薬の成分分析を、クランクレアの魔術師ギルドに依頼した。
その返答は…
………ネオスの言葉どおりだった。
ユイリの病気に効くはずの成分は入っておらず、ほぼ中毒性のある鎮痛薬と睡眠薬が割合を占めていた。
偽物の難病の薬を作り、高く売り付ける悪徳薬剤師…
それを知っての上で、密輸の加担をする盗賊ギルド…
……そして、今までその薬に淡い希望を抱いて、ここまで生きてきた自分……
何もかもが信用出来なくなり、自分の人生でやってきたことは何だったのだろう、と苦悩するルギに追い打ちをかけるように、突然、悲劇は訪れた。
クランクレアからの報告書を握りしめながら帰宅すると、いつもなら出迎えるはずの、ユイリの姿はなく、家に明かりも灯っていなかった。
一瞬、もう寝たのか、と思ったが、何だか胸騒ぎがし、ルギはユイリの寝室を開けた。
…そこは、惨劇だった。
大量の血と、もがき苦しんだとみられる、壁やベットや床に残る、沢山の血の手形。
そして、床の中央に、髪も衣服も振り乱した後の、ぐったりしたユイリが横たわっていた。
「ユイリ!」
慌ててルギが駆け寄り、ユイリを抱き上げる。
しかし、ユイリの身体はすでに冷え切り、呼吸も、すぐに止まりそうなほど、浅かった。
「ユイリ…」
消えそうな声で、ルギは妹の名を呼ぶと、ユイリは少しだけ目を開け、言った。
「…お兄ちゃん…、待てなくて…、ゴメンね…」
そう言ったユイリは、瞳を潤ませた。
「いいから、しゃべるな…! ユイリ……っ」
「…おにい…ちゃ…」
ユイリは、最後の力を振り絞ると、自分の机の上を指差した。
そして、瞳から一筋の涙をこぼすと、最後に一度だけ、ルギに微笑んだ。
……そして、閉じられた瞳は、もう二度と、開くことはなかった。
「………ユイリ………」
妹のために生きてきた自分の、精一杯の努力は、全て無駄だった。
病気を治すことも出来ず、側にいてやることも出来なかった。
いつも淋しい思いをさせて、一人の長い時間を、病気と闘いながら、不安に過ごさせていた。
「…………すまない、……ユイリ…………!」
病気がどんどん悪化していたのに、そのそぶりも見せず、最後まで、ルギに辛い顔を見せずに逝った、ユイリがとても愛おしかった。
ルギは、一晩中、冷たくなったユイリを抱きしめ、泣き続けた―――。
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翌朝。
ルギは、何もする気になれず、野ざらしでは可哀相なユイリの遺体を埋葬した。
そして、机の上にあった、ユイリが書いた手紙を読んだ。
「-お兄ちゃんへ
きっと、私の命は長くありません。だから、伝えたいことを、書いておきます。
ずっと、小さいころから、私の薬のためだけに、必死に働いてくれたお兄ちゃん。
一人で淋しい日もあったけど、休みの日は、ずっと一緒にいてくれた。
だから、私は、優しいお兄ちゃんと、今まで生きてこられて、とてもとても、幸せでした。
だけど、お兄ちゃんと、一つだけ約束してた、ネオスさんの決着、見れなかったね。
最後に、また、ネオスさんに会いたかったな。
私は、先にいなくなるけど、空からずっと、見守っています。
本当に、今まで、ありがとう。
お兄ちゃん、ずっと、ずっと、ずっと・・・
大好きです。
またね。 」
命が消えそうな最後の時間に、震える手で、必死で明るく書いたとわかる手紙だった。
最後のほうは、字がかすれて、読むのがやっとだった。
「ユイリ……」
こみ上げる涙を抑え、ルギは手紙を、何度も何度も、読み直した。
「ユイリ…俺はどうすればいい…?」
ルギは、ユイリが書いた手紙を胸に当てた。
短いが、一生懸命、自分を思って書いてくれた手紙だった。
しかし、そこには、気になる一言が書いていた。
『また、ネオスさんに会いたかったな』
「……お前は、そんなにあいつが……」
手の中で、思わず手紙を握り締める。
ルギは、決意し、顔を上げた。
手紙を机に置き、すぐに旅支度を整え、ルドベキアギルドに向かう。
理由は、ギルドを脱退するため―――
正直、ユイリが死んだ直後は、今後どうやって生きていけばいいかわからなかった。
しかし、手紙を読んで、心に決めた。
妹が、ネオスとの決着を望んでいたのなら…
最後に、会いたかったというのなら…
(少なくとも、それが今俺に出来る、ユイリへの最後のことだ)
ルギは、自分の人生のすべてを、ネオスとの決着にかけることにした。
妹との、果たせなかった約束を果たすために―――。
*FIN*