日常編№5 ―お菓子の秘密―
深い雪の季節も終わりに近づき、山頂のアジト付近も雪解け水が流れ始める頃。
うららかな温かい日差しの中、黒烏盗賊団のアジトには、いつもより多めの盗賊達の姿があった。
今日は、団員の殆どが休日だったのだ。
ルギは、朝のトレーニングの後、いつもの様に、珈琲を飲みに広間へ向かった。
するとそこには、珍しくアルスが座っていた。
アルスは、頬杖をつき、けだるそうに紅茶を啜っている。
ルギは、サイフォンからコーヒーを注ぎながら言った。
「珍しいな、あんたが休みにアジトにいるのは」
「あ~?」
アルスは、テーブルにぐたぁっとへばりついて、愚痴り始めた。
「女としゃべるのが、疲れたんだわ」
なんだかしょぼくれた様子のアルスに、ルギは怪訝そうな顔をする。
「女が好きなんじゃないのか?」
ルギの言葉に、アルスはハァ~っとため息をついた。
「女の子と二人きりで、いいムードで話すならいいんだけどよ…。そろそろ、好きな人にお菓子やチョコをプレゼントするような時期だろ? 周りに集まってくる、女共の妬みや嫉妬が面倒でなぁ…」
いかにもダルそうに、アルスは再びため息をついた。
自業自得じゃないのか、とルギは思ったが、黙ってアルスの向かいの席に座り、珈琲を飲んだ。
「ん」
アルスは、自分の前にあるクッキーの入った菓子置きを、ぶっちょう面でルギに押し出す。
「…ああ、ありがとう」
ルギはクッキーを手にとった。
「…これも手作りじゃないのか?」
チョコチップで綺麗にハートをデコレーションされたクッキーに、ルギはつぶやく。
「ああ、いいんだよ、まだ大量にあるから。そんなに食えないし」
「食えないなら、貰わなきゃいいじゃないか」
アルスはわざとらしく、盛大に息を吐きながら手を広げて言った。
「ばっかだな、お前は! そのお菓子には、女の子達の一世一代の想いが詰まってるんだぞ! クッキーを焼くために、大事な時間と手間と材料を使い、気持ちを込めて作ってくれてるんだ。貰うのが、男としての礼儀だろうが!」
「でも、物は貰っても、気持ちは返せないだろう?」
ルギのツッコミに、アルスはやれやれと、肩を落とした。
「いいんだよ。あいつらは、俺に惚れ込んでるように見えても、結局、俺が好きなんじゃなく、恋しているのが楽しいだけなんだよ。相手が誰だろうと、擬似恋愛だけで夢見ていられるんだ。俺に色んなものを与え、逆に優しくされることで、他の女より優越感と夢心地を貰ってると感じて、満足してるんだよ」
「……へぇ」
「結局、俺の本当の中身や心を知り、見ようとする女なんかいないからなぁ」
アルスは、バリバリとクッキーを頬張った。
ルギも、手にしたクッキーを食べる。
「…………」
まずい。
…なんというか…、普通の味ではない。
苦虫を噛んだ顔をしながら、ルギは口を開いた。
「……これ、塩じゃないのか?」
「だろうなぁ…。くれるなら、味見してからくれよってな~」
でも、せっかく貰ったものだ。捨てるわけには行かないから食べる。
アルスはそういう奴だ。
ルギも、仕方なく、手にしたクッキーは全部食べた。
そして口直しに、もう一杯珈琲を入れに立ち上がった。
席に戻ってきたルギに、今度はアルスが口を開いた。
「お前はどーなの? その後進展ないの? 手作り菓子とかは貰ったのか?」
「……別にない」
「つまんねぇなあ」
アルスの言葉に、ルギはカップを置いた。
「俺は、別に何も欲しくないし、何も望まない。今のままでいい」
ルギは目を伏せて言った。
そんなルギに、アルスはお茶をズズズッと啜りながら言う。
「そ~んなこと言ってると、すぐにジジィになるぞ?」
「それでもいい」
「ふ~ん」
『興味ない』とでもいう感じで、珈琲を飲むルギが面白くなく、アルスはあさっての方向を見ながら呟いた。
「…………そのうちルギ君も、廉潔卒業と思ってたのになぁ」
『ブファ!!!』
ルギはコーヒーを噴出した。
「お前、またかよ!」
と、思わず後ずさるアルスに向かって、ルギが真っ赤な顔で怒鳴る。
「あ、あんたが変なこと言うからだろ!!!」
「それで噴出すことねぇだろうが! どんだけ純情なんだよお前は!!!」
迷惑そうな顔のアルスを無視し、ルギは頬を熱くしたまま、ティッシュでテーブルをゴシゴシと拭いた。
「……ったく、今度俺と夜街でも遊びに行くか? 楽しいぞ~」
「……結構だ」
ブスっとしたまま、ルギは席に座る。まだ耳が赤い。
「お堅いなぁ」
つまらなそうにいうアルスに、息を整えながら、ルギは言った。
「あんたは、余計なお世話すぎるんだよ…っ! 俺のことより、自分の心配でもしろよ」
「そうだよなぁ~」
そして、アルスは、またグッタリとテーブルにへばりついた。
「俺も、本気で愛せる彼女欲しぃ~」
「遊ばなきゃいいんじゃないのか?」
「まず、どんな娘なのか、色々遊んでみないとわからないだろ~?」
……なんか、本質的に間違ってるような気がする。
ルギは、もう突っ込むことを諦めた。
しばらくティータイムを満喫していると、奥の部屋から、ネオスが出てきた。
なにやら、足元に数匹の猫を連れている。
ネオスは、さも面白くなさそうに、猫をつま先で軽く掻き分けながらこっちへ向かってきた。
そして、ルギとアルスに向かって言った。
「……そこの二人。手が空いていたら、手伝ってくれないか?」
「……ああ、あいてるけど?」
アルスが言う。
ネオスは、眉間にしわを刻みながら、深くて大きなため息をついて言った。
「……なにやら、夕べから、野良猫どもが俺の部屋に入ってきて、うるさいんだ…。書類は引き裂かれるし、760年物のチェストボードで爪を砥がれるし、参っている…。アジトの外に追い出すのを手伝ってくれ……」
「それはいいけど…。いくら頭領が猫が苦手とはいえ、追い出すくらい、わけないんじゃないの?」
と、アルスが言うと、ネオスは首を振った。
「いや。何度も外に出しているんだが、いつの間にか戻ってきているんだ。さすがに罠などで痛めつけるのはどうかと思うしな…。それに、だんだん数が増えてきているんだ…」
と、ネオスが困った顔をしていると、ルギが不意に、ネオスに近づいてきた。
そして、そのままネオスの髪を握り、においをかぐ。
「……頭領、あんたなんだか、マタタビの匂いがするぞ」
「は?」
ネオスは目を丸くする。
そのとき、ポンと、アルスが手を打った。
「あ~そういえば、夕べ、首都からアジトに遊びに来ていた青銀の魔術師。『今日はネオスの部屋に泊まる』とかいって、頭領の部屋に、枕を抱えて入って行ったような?」
「いや、あいつは、夕べのうちに帰ったぞ……?」
と言って、ハッとする。
「……やられた………」
枕をすりかえられていたのか……!!!
ネオスは顔を片手で覆い、深くため息をついた。
「……俺は風呂に入ってくる。すまないがラシェルを呼んで、部屋を掃除させておいてくれ…。お前たちは、猫の捕獲を頼む……」
「あいよ~」
と、アルスが言うと、ネオスは足元に猫を絡ませながら、フラフラと風呂へ向かった。
その背中を見送ったルギが呟く。
「……というか頭領、あんだけマタタビの匂いさせてたら、枕どころじゃなさそうだぞ? たぶん、部屋中やられてるんじゃないか?」
「げ、まじかよ。今日中に掃除終わるかねー?」
「どうかな…。まあ、しばらくは仕事も詰まって無いし、別にかまわないが…」
と、ルギとアルスが心配したとおり。
それから数日間は、アジトに猫の声が絶え間なく響いていた……。
…二人がネオスの部屋の掃除をしている頃、自主トレーニングを終えた巨漢の戦士ダインが、広間のテーブルの上にあるクッキーを発見した。
「おお~~調度腹へってたんだよな~~!!! 誰だか知らんが、感謝だぜぃ!!!! いっただっきまーーーす!!!」
と言って、手に数枚鷲掴みにして、ガブリ。
『オエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!!!!!!』
ダインの絶叫が、アジト中にこだました。
……春風そよぐ山の中、今日も黒烏団は、平和であった………。
=fin=
※文中に出てくる『青銀の魔術師』は、別シリーズ「=刻と狭間の魔方陣=」に出てくる『スタン』です。