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マーメイド・ガール

作者: A99

 真上から夏の日差しが地面を照らしている。直射日光を浴びている人はどれだけ暑いんだろうと、僕は本を読みながら考えた。

 休日の午後一時。僕以外、誰もいない学校の図書室。プールがよく見える窓際の席が、僕の指定席になっている。

 平日ならば、僕以外の誰かがたまに座っていることもある。でも、元々図書室を利用する人は少ない。だから、平日でもやっぱり僕が座るということが多い。

 夏特有の少し熱い風を感じながら、僕はのんびりとページをめくる。

 図書室に来たのに理由はない。本だったら家でも読めるし、図書館でも読める。ただなんとなく図書室で読みたい気分だったから、図書室に来ただけ。

 ……という建前。

 僕は目の前の本に集中する。自分だけの世界。自分だけの空間に。

 ほら、まわりの世界が解けていく。僕が時間から取り残されていく。

 時間はゆっくり流れる。僕と本と時計で構成された小さな世界。ゆっくりと時間が流れる、僕だけの箱庭。

 BGMは秒針の音と、セミの鳴き声。それと、たまに吹く風の音。そして、風にそよぐ木の葉の音。

 文字を追って、ページを捲る。文字を追って、ページを捲る。

 ゆっくりと繰り返す。文字を追って、ページを捲って、文字を追って、ページを捲って。

 繰り返す。機械のように。

 繰り返す。僕だけの世界に入るために。

 気がつけば、BGMも気にならなくなっていた。僕と本。ただそれだけの、閉じた世界が僕の箱庭。

 チク、タク、チク、タク。

 時計の音。

 セミの鳴き声。

 ページを捲る音。

 時間が流れる。

 ゆっくり、ゆっくり。

 チク、タク、チク、タク。

 コツ、コツ、コツ。

 足音。

 ガラリと、ノイズが聞こえた。図書室の扉の音。

 世界が戻ってきた。

「やっぱり今日もいたんだね」

 今日の晴天のような爽やかな声が響く。

 またかと思って振り返ると、やっぱりそのまたかだった。

 松坂さん。僕と同じクラスの女子で、水泳部のエースだ。

 本ばかり読んで良くも悪くも目立たない僕と違って、彼女はとても目立つ。

 水泳部のエースとしてはもちろんのこと、その裏表のない明るい性格でクラスの中心人物としてみんなのまとめ役を担っている。学級委員でもないのによくやるなぁ、と僕は思う。

 クラスメイトとあまり会話をしない僕にもよく話しかけてくる。会話はあまり続かないけど。

 話すのはそんなに得意じゃない。それよりも本を読むほうが、僕は好きだ。

 だというのに、彼女は僕に話しかけてくる。理由はわからない。

 迷惑かと聞かれると……迷惑なわけがない。うん、迷惑では……ない。

「今日はどんな小説を読んでるの?」

「ん……」

 彼女にタイトルを向ける。たぶん、彼女もよく知っていると思う。

 この小説は、最近映画化もされた人気作だから。

「あ、それ知ってる。友達と映画も見たよ」

 ほら、知ってた。

 ああ、でも……やっぱり話すのは苦手だなぁ。特に、彼女とは……。

 ……仕方ないけどさ。

 

 ◆


 真上から少しだけ太陽が傾きはじめた頃、鋭い笛の音が図書室まで聞こえてきた。その後に聞こえてきたのは、何かが水に飛び込む音。

 ああ、今日も始まった。夏だからか、ここのところ毎日だ。

 窓から外を覗く。見えるのは、風にそよぐ木の葉と、それなりに大きい二十五メートルのプールだけ。

 また聞こえた笛の音。直後、飛び込み台から水泳部員がプールに飛び込む。そして、すぐに次の部員が飛び込み台に上がる。

 次に上がったのは、松坂さんだった。

 ボンヤリと彼女を眺める。普段とは全く違う真剣な眼差しで、水面を見つめる彼女。何を思っているのかは、僕にはわからない。

 小さく聞こえてきた教師の声。膝を曲げて、飛び込む姿勢を見せる彼女。

 鋭い笛の音。そして、まっすぐ水面に飛び込む彼女。水飛沫は小さく、スルリと流れるように飛び込んだ。

 その姿は、まるで美しい人魚のようだ。なんて……言ってみたところで、全然柄じゃないのは僕が一番わかってる。

 でも、本当に人魚のように泳ぐ彼女。彼女がバタフライの選手であることも、それに拍車をかけている。

 本当に、綺麗に泳ぐんだよ、彼女は。

 両足を揃えたキックは莫大な推進力を生んで、彼女の体を強く前へと推し進める。一瞬だけ体を水面に出したかと思うと、またすぐに引っ込んでしまう。

 水を切り裂く一筋の影。真っ直ぐ美しく泳ぐ彼女。

 あっという間の二十五メートル。彼女はすぐに泳ぎ切ってしまった。

 正直に言うと、見惚れてた。泳ぐ姿がすごく綺麗だったから。

 ゴーグルを外してプールから上がる彼女。陽の光に照らされて、キラキラと輝いてるようにも見える。

 彼女が歩いてる途中、なんと僕に気がついた。にっこり笑って、僕に手を降ってくる。

 小さく手を振り返す僕。彼女にちゃんと見えただろうか?

 後ろから追いついた友だちらしい女の子と会話し始めた彼女を見て、僕は本へと視線を戻した。

 ……ちょっといい日になったかな?

 そうそう、僕が読んでいる小説のタイトルは『マーメイド・ガール』。内気な主人公と水泳部のヒロインとの、甘酸っぱい青春を描いた恋愛小説だよ。

 願掛け……みたいなものかな? 出来たらいいなって、少しだけ思う。

 少しだけ。

 うん、少しだけ。

 ……僕には、この小説の主人公みたいな度胸はないからね。だから、思うだけ。

 ああ、情けない。意気地なしな僕。

 先ほどまでの浮かれた気分が一気に吹き飛んで、重い重い溜息が僕の口からこぼれ落ちた。


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