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彼と彼女の迷宮えれじい  作者: 三澤いづみ
第一部 『彼と彼女の出逢い、あるいは地下迷宮の魔』
6/62

六、可哀想なリズの報われない恋


六、


 一日に二度も、それも連続で迷宮に潜る冒険者は滅多にいない。緊張感が途切れたり疲労によって危険度が増すため、あえてやる物好きは少ない。

 帰還した時点で十分な休息を取り、それから新たに行動するのが順当である。


「ソエモン。疲れはどう?」

「余裕だ。そっちは」

「問題ないわ。で、生き残りの捜索はどういった手順か、何か意見はあるかしら」

「大方計画は立ててるだろうに。わざわざ聞かなくていい。頭脳労働はアーシャ。俺は実働の受け持ちなんだろ」

「役割分担はするけど、任せっきりもどうかと思うわ。まあ、何かあれば言って。まず生き残りが地下四階に逃げ込んだ可能性は排除していいわね?」

「だな」


 あの天使もどきが階段の下から奇襲を仕掛けた。まずは逆方向に逃げ出すのが筋だ。


「あたしたちは最短ルートを引き返した。生き残りに出逢わなかった。つまり、少なくともあたしたちが見える範囲に隠れていなかった」

「隠れて、しかも俺たちに気づいたが声を掛けなかった可能性が残ってる」

「そうかしら」

「あの天使のせいでパーティー壊滅したばかりだぞ」


 ソエモンに言われて、生き残りの気持ちになって考えてみた。


「ぱっと見は人間に見える相手でも、安全かどうかの判断が付かない。大声で助けを呼べる状況でも、それをすることで事態が悪化する懸念を植え付けられてる、かも」

「顔見知りのパーティーなら多少不安でも声くらいはかけただろうが、俺たちは傍目にはどう映るか。考えてみろ」


「ソエモンに指摘されるとは思わなかったわ。でも正論か。二人パーティーなんて正気の沙汰じゃないわね。あの天使もどきの同類と思われてもおかしくない」


 一人で潜る冒険者など、命知らずの別名である。二人になったところで大して変わらない。フォローが効く一点だけでもかなり違うが、それは一人で潜るのと、二人パーティーと、その両方を経験している冒険者にしか理解してもらえない。

 ソエモンの懸念が正しいとすると、救助のために来たと告げても、生き残りが素直に出てきてくれない可能性が出てきた。


「一番隠れていそうな場所は?」

「地下三階だな。地下四階まで行けるなら、地下一階くらい一人でも動ける。……地下二階に逃げ込んだ場合はさっぱり分からん」

「厳しいわね」


 捜索だけなら虱潰しに歩き回れば済む。問題は、当該の人物が現時点でも生き残っているとすれば、地下三階で足止めを喰らっている可能性が高い点である。

 時間との勝負となる。


「地図を持ってるかどうか。それで相当違うわ」

「持ってたら、もう帰って来ててもおかしくないと思うが」


 地下三階で面倒なのは罠の配置であり、次がクロウラーとの遭遇である。この二点が重なる。普通なら、ソエモン並の突破力を期待するべきではない。


「……生きてると思うか」

「仮に亡くなってる場合でも、形見くらいは拾って来られるでしょう。あの四人が身につけてたものは全部焼け焦げて、使い物になるものは一つも無かったじゃない」

「これも供養って言うのかね」

「さあね」


 地下一階は通り過ぎただけだ。時折大声を出して呼びかけてはみたが、小部屋の扉を開いたり入り組んだ通路の奥に足を運んだりはしなかった。

 地下二階へ続く階段まで辿り着いて、アーシャは最後にもう一度大声で叫んだ。

 反応は、なかった。



 地下二階である。コウモリの山が、いきなり眼前に飛び込んで来た。


「炎の矢よ、撃ち払え。〝フラメロ〟」


 特に予期していたわけではないが、嫌な予感に心構えはしていた。

 うじゃうじゃと蠢くのは無数のコウモリだ。階段の先、幅三メートル弱の通路をびっしりと埋め尽くす黒山がキィキィと甲高い音を響かせている。

 呪文の詠唱から間を置かず、炎の矢が生まれた。


 このフラメロは、先刻ソエモンの前で使ったものと異なる。

 前回使ったものが普通の矢の大きさだとすれば、今回の炎の矢はその半分の細さしかない。針と呼ぶにはまだ大きいが、しかし小さく細かな炎の矢である。


 アーシャの握る杖の先端が赤く輝き、次々に黒山へと飛来していく炎の矢。

 二十本近い赤い光が、空気を切り裂く音をさせながら、大量のコウモリ型モンスターへと射出される。狙いは若干甘いが、相手の量が量だけに、撃てば当たるという状況が続いている。

 しばらく経つと、杖の先端部分の赤光が空気に溶けるように消失した。

 最後のコウモリが落ちる音がした。周囲には焼けた肉の匂いが充満していた。


「なによ、今の」

「いや、お前が何をしたんだ、と突っ込まれる場面じゃないのかこれ」


 アーシャは杖をしまった。


「ちょっとした応用よ。腕の良い魔術師ならこれくらいは出来るんじゃないかしら。それよりあのコウモリ。ちょっと異常よ」

「そうか?」

「どこの迷宮のコウモリ型モンスターにも共通することなんだけど……階段の近くで待ち構えてることって、まずないのよ。定位置として、必ず静かな場所、目が届きにくい場所を選ぶみたいね。つまり人間が行き来する場所には棲み着かないってことだけど」

「人間を襲うのがモンスターだろ。別に不思議じゃないと思うがな」


「モンスターにも行動のルールがあるのよ。四匹以上の集団にならないと攻撃を仕掛けてこないとか、必ず近くにある落とし穴まで誘導するウサギ型モンスターとか。パーティーが全員女のときだけ襲いかかるのもいる。で、こういう行動パターンはまず変わらない。違う行動をした場合は、別の要因があることがほとんどなのよ」

「別の要因っていうと」


「さっきの例だと、迷宮の中の落とし穴を無理矢理塞いだ……無効化しちゃったパーティーがいたらしくてね。ウサギ型モンスターは、落とし穴が使えなくなった段階で襲いかかってきたらしいわ。で、戦ってみるとやたら強かったとか。落とし穴がある状態だと、どれだけ戦おうとしてもひたすら逃げるだけらしいんだけど」


 その落とし穴誘導ウサギはホワイトラビットと呼ばれている。


「講釈はそのくらいでいい。つまり、何が言いたい」

「イレギュラーは天使もどきだけじゃないってこと」

「……生存の可能性は」

「低くなったわね。普通の状態でも半分以下だと思ってたけど」


「急ぐぞ」

「待って」

「安全確認をしながら行くのか? そんな時間は無いと思うが」

「警戒しながら行きたいけど、余裕が無いことは分かってるわよ。ただね、さっきまでの想定が狂った以上、問題の人物が地下二階で隠れてる可能性も出てきたわ」


 ソエモンは踏み出しかけた足を戻した。



 根底にあるのは、生き残った人物が物を考えられる前提だ。実力が足りない状況で単独行動する危険性を十分認識している程度には。

 アーシャやソエモンが例外である。天使もどきのみならず、迷宮の危険度が悉く上がっていると見れば、それまで安全だった道にも更なる危難を想定する。


 アーシャたちが知っているだけでも、すでに天使もどき、地下二階のコウモリという前例がある。違う行動を取り始めたモンスターが他にいないとは限らない。

 生き残りがそれを知れば、その目で見れば、どう考えるだろう。

 普段なら辛うじて逃げ切れる道だとしても、安全とは言い切れない。


 そこまで頭が回るのならば、救助があるとは期待していないはずだ。それでも隠れ潜んで翌日まで生き延びれば、再び大勢の冒険者がこぞって探索を始める。

 道を進みながら、アーシャが考えたことを説明する。


「もちろんこれは仮定の話よ。ただ、生き延びていて、しかもあたしたちの動いた範囲にいなかったとすれば……」

「その場合、俺たちを疑って顔を出さなかったわけではなく、単純に逃げ込んだ先が最短ルートから外れた場所だった可能性も高いってことか」


 死んでいる可能性が一番高いが、それはこの際考えない。


「なるほど。じゃあ、分担するか」

「そうしましょう」


 地下五階までの地図は二人とも持っている。捜索の効率を考えると、ここで二手に分かれるのは悪くない手だ。

 現状の戦力で、且つ最速で地下二階、地下三階を探索するにはそれしかない。

 一人で迷宮を探索する。普段ならともかく、現状は危険だ。天使もどきより危険で厄介なモンスターが発生していない保証は無い。

 足音を消さず駆け寄ってきたオークを一瞥し、その首を切り落としたソエモンは、問いを投げかけてきた。


「厳しいのはどっちの階だ?」

「……一般的には深い階層の方が危険なはずよ」

「天使が出てきたのは地下三階から四階への階段だったな」

「また出現するかもね。対処法はあるの?」


「不覚を取りかけたが、あの手の小細工なら一度見ればなんとでもなる。アーシャ、行き帰りでそこそこ魔術を使ってたはずだが……魔力は足りるのか」

「余裕よ。そっちこそ疲れてない?」

「こっちも余裕だな。で、俺が地下三階を担当でいいのか」


「あたしが地下二階ね。発見したら階段で待ち合わせ。どうかしら」

「それでいこう」


 割り振りが終わったところ、出待ちでもしていたのか、再び出てきたオークの群れ。

 会話しながら道を進んでいるため、モンスターと遭遇するのは当然だ。

 標的を見つけたと歓喜して嬌声を挙げるオークたち。ぎゃあぎゃあ。人間を殺す喜びに満ちあふれた叫び声だ。オークが持っているのは斧に剣に槍、鉈や矛などまである。盾を持っている者までいる。選り取り見取りにもほどがある。


「人気者は辛いわね。ま、時間が無いから手っ取り早く行くわよ!」


 オークが徒党を組むのは珍しくないが、その数は二十匹近く。


「炎の槍よ、撃ち放て。〝フラメ・ゼラ〟」


 杖の先端で赤い輝きが揺らめいた。そこから発射された火焔の槍がまず五匹をまとめて貫いた。さらに後ろ四匹に突き刺さる。

 炎の槍は触れた部分から猛烈な火焔を吹き出し、周囲を巻き込んでさらに燃える。


 十数匹のオークが、炎熱と焼け付く苦痛によって暴れ回っている。混乱と絶叫と激怒の坩堝だ。アーシャに対し、オークの群れが揃って殺意を向けてくる。


 モンスターも狙う相手は選ぶ。知能の高いモンスターであれば弱っている者、魔術師のような厄介な相手を真っ先に狙ってくる。

 知能が低いモンスターの場合は自分に攻撃を仕掛けて来た者を優先的に、そうでなければ目の前にいる者を狙うのが通常のパターンである。


「ほら、さっさと行って」


 アーシャは杖を右手に、エリアルナイフを左手に構え、気楽な口調で告げた。


「任せた!」


 ソエモンは地獄絵図となっているオークの群れ、その隙間へと駆けていく。

 剣を抜いた。暴れ回るオークの脇をすり抜ける。ついでとばかりに数匹の首を刎ね、そのまま向こう側へと走り抜けていった。

 視線を逸らしたオークに向かって、狙いを定める。


「炎の矢よ、撃ち抜け。〝フラメロ〟」 


 ソエモンは振り返りもせず、あっという間に向こう側に消えていった。


「まったく。少しくらいは心配してくれてもいいじゃない」


 ため息混じりのアーシャに答える声は無かった。

 オークの憎悪の叫びと、断末魔と、魔術によって生み出された炎の爆ぜる音とが入り交じって、その荒れ狂う炎の輝きは、暗い迷宮の壁を赤々と照らしている。

 焼ける空気と飛び散る血潮の熱さを感じながら、杖を振る。


 この程度は危地ですらない。数が多い分、多少面倒なだけである。

 騒ぎを聞きつけてか、背後から迫り来るモンスターの気配には馴染みもある。

 振り返りもせず、アーシャは笑う。


「ウルフも追加とは、豪華なことね。ひいふうみい……二十匹くらいいるかしら」


 地下二階の敵が一堂に集まってきている。とすれば、ある意味で都合が良い。

 アーシャは笑みを深めて、すべてのモンスターを射程に捉える。


 ひとつ。ふたつ。みっつ。よっつ……

 歌うようにして詠唱を紡ぎ、祈るように呪文を唱える。


 深紅の輝きが、脈打つように燃えさかる。

 そして――魂すら焦がすような灼熱が、アーシャの視界を眩く満たした。






 リズ。リズ・ベーカー。

 彼女はロラン・ベーカー率いる新鋭パーティーの一員だ。お金儲けのためでなく、兄の力になってあげるため、わざわざくっついてきたのだ。


 パーティー結成から、もう数年にもなる。そのあいだ、何度となく迷宮に潜りながら、一人の死人も出していないのは冒険者としてかなりの実績だ。

 地方の迷宮探索専門だけれど、以前少し話したベテランパーティーのおじさんからも、迷宮都市でやっていけると太鼓判を押されたくらいだ。


 遺物も一個、手に入れた。売り払うかどうかで散々迷ったが、相談の末、メンバーの総意でロランが持つことに決まった。

 リズは若干不安だったけれど、パーティーを作った最初の頃に比べれば、めっきりミスも減っていた。だから異を挟むような真似はしなかった。


 なかなか上手くやれていた、とリズは胸を張る。

 それほど大きな胸ではないけれど。

 少しは名の知れたパーティーとなると、自信も出てくるものだ。普段のロランは判断ミスをほとんどしない。そのおかげもあって、必ず自分たちと釣り合いのあった迷宮にしか行かない。


 ロランは強い。他のみんなも同じくらい強かった。オークなんて十匹一度に出てきても苦労せずに撃退出来る。いつだったか、洞窟型の迷宮に潜ったときなんて、ほぼ無傷でワイバーンを倒せた。遺物はそのときに手に入れたものだ。

 この出来事と話すだけで冒険譚が出来てしまうくらい、すごい困難の連続で、だけど後から思えば楽しい冒険だったのだ。


 二年くらい遊んで暮らせるくらいの蓄えはある。

 装備を売りはらえば十年は余裕だ。みんな揃って引退して、小さな店でもやろうか、そんな選択肢も現実に見えてくる頃だった。

 ある日、スネスがどこからか噂を聞きつけてきた。

 攻略されたはずの迷宮に、さらに奥があることが発見されたと。詳しく聞けば、なんと、いつか潜ったことのある地下迷宮だった。当時はまだ未熟だったせいもあり、最後だけ他のパーティーに先を越されてしまった。


 最深層である地下五階まで辿り着いたが、一足遅かったのだ。

 先行することを優先した他のパーティーと違い、リズたちは細やかな地図を作っていた。

 手に入れた情報を細かく書き留め、罠の位置を調べ尽くし、精緻なマッピングを行った。

 このせいで後れを取ったが、このおかげでちょっとした儲けにもなった。


 あれから数年。経験を積み、舞い戻ってきた。懐かしの地図も持ち込んだ。

 これが最後の冒険になるかもしれない。

 誰も口にはしなかったけれど、みんな、薄々とだけれど、そんな風に感じていた。


 引き時を見極める力は、何よりも大事だと全員が理解している。大きな失敗をしたことがないのは、ロランの力だけじゃない。

 このパーティーはたぶん、すごく素敵なものだった。



「ちゃんと隠し扉の類も調べたんだがなぁ」


 ぼやくヴィガーに、スネスが鼻で笑う。


「扉が本気で隠れてたんだろ」

「えっ、扉が自分で動くの?」


 シャーレイの冗談に、ロランが笑う。


「あれだけ丁寧に調べ回って見つからなかった隠し扉だからな。そう思いたくなるのも無理はない。地震で崩れた部分から発見されたらしいじゃないか。偶発的な何かが無ければ見つからなかった可能性が高い。俺たちの迂闊ではなく、隠蔽が完璧だったと思うことにしよう」


 リズは唇を尖らせ、クラウスに話しかけた。


「ねっ、覚えてる? ここの迷宮で、わたしが失敗したときのこと」

「もちろん覚えてるよ。あの罠だらけの地下三階で、クロウラーを引き連れて走り回る羽目になったときのことだろ。俺、あのとき本気で死ぬかと思ったんだが」


 半笑いでクラウスからそう言われた。


「ゴメンゴメン。でもさ、クラウスは足の速さには自信があるって言ってなかったっけ」

「スネスが上手いこと動いてくれなかったら、正直追いつかれてたな」

「ほら、やっぱり逃げ足は鍛えておかないと!」

「リズ。うちのパーティーの合い言葉は?」


 くすくす笑いながら、リズが口を開く。


「倒しきれないと思ったら――」

「――とにかく逃げろ!」


 言葉を引き継いで、クラウスが叫んだ。こみ上げてくる笑いを抑えきれなかった。

 そのときは修羅場だったが、こうして思い返してみれば笑い話である。


「あのときのクロウラー祭りは本当にどうしようもなかったもんねー」

「振り返るたんびに数が増えてるんだもんな。あのでっかいイモムシがぞろぞろと延々追いかけてくるんだもんよ、そりゃびびるって」


 スネスが懐かしげに語ると、それを契機として口々に思い出話に花を咲かせる。

 今日は地下三階を目処にして引き返そう。前日に相談したとおりだ。ロランの判断に誤りがあるとは思えなかった。


 迷宮に降りる前には必ず、そのときの探索目的の再確認をするのがこのパーティーのやり方だ。話が盛り上がってしまい、そのうちに誰からともなく声を減らしていく。自分たちの目的を思い出したのである。軽い沈黙に、静寂があたりを満たした。

 迷宮探索には似つかわしくない雰囲気で、なんとなくしんみりしてしまった。


「さあ、行きましょうか」


 シャーレイが、ふわりと華やぐような笑みを浮かべて、言った。



 少し前を歩く四人の背中を見つめながら、二人で並んで歩く。


「リズ」

「うん。なに?」

「今回の迷宮探索が終わったら……俺と、付き合ってくれないか」


 クラウスが突然そんなことを言った。小声だ。四人には聞こえないくらいの。

 ぽかんと口を開けてしまう。顔を見ると、視線を返された。


「俺さ、ずっと前からリズのことが好きだった。リーダーは何も言ってないけど、たぶん今回で冒険者を止めるつもりだろ。長い付き合いだから、俺にもそれくらい分かる。ま、最後だって思ったら変な無理をするかもしれないし、だから何も言ってくれないんだろうけど」

「待って。ちょっと待ってよ」


 いつもより饒舌なクラウスに、リズは慌てる。耳が紅くなる理由は、動揺だけではない。

 命がけの冒険者なんてしているのだ。初めては好きなひととしたい。

 兄を放っておけなくて半ばなし崩し的に冒険者になったリズだったが、後悔はしていない。後悔はしていないのだが、それとこれとは話が別なのである。


 恋。そんな単語が頭に思い浮かんで、ぐるぐると回り出した。

 表情だけ冷静で、内側では叫び出しそうだった。慣れていないのだ。困るのだ。何が困るのかは自分でもよく分からないが、とにかくリズは慌てていたのだ。


「も、もしかしたら引退はしないのかもしれないけど、もしパーティーが解散したら、それでリズと離れると思ったら、今しか言うタイミングが無いんじゃないかって思って。俺は」

「分かった。分かったから。だから、少し落ち着いて」


 クラウスは慌てると、それで頭がいっぱいになる癖がある。正直だし、素直でもある。

 考えなくとも分かることだが、冒険者にはあまり向いていない性格だ。


「俺が守るから。だから、俺と!」


 前を歩く四人も気づく声の大きさだ。振り返ったロランは微笑ましいものを見る目つき。他の三人も似た表情だ。

 クラウスの気持ちを知らなかったのはリズだけだったらしい。四人が先に行ってしまった。彼女と彼は、なんともいえない甘酸っぱい空気にさらされた。


 リズは、じっと顔を見た。必死過ぎて、あんまり格好良いとは言い難い顔つき。

 答えはすでに決まっていた。


「……うん」

「じゃ、じゃあ」


 喜色を浮かべたクラウスに、なるべくゆっくりと答えを返す。


「今日からわたしたちは恋人同士。でも」

「分かってる。そういうことをするのは、この迷宮での冒険が終わってから、だろ」


 冒険者としての成功と、いつか夢見た当たり前の恋愛と。二人の幸せな日々が、もうそこまで見えていた。

 そしてリズは、地下三階から下に降りる階段、その向こう側で。

 天使に、出逢った。




 凄まじい光が破裂した。覚えているのはそこまでだった。

 リズが目を覚ましたとき身動きが取れなかった。重いものが乗っていたからだ。

 身を捩ってその邪魔なものを雑にどかした。凄まじい臭いが周囲に立ちこめていた。嫌な感じだ。どれだけ気を失っていたのか、何が起きたのか、分からなかった。

 ごろり音を立ててと身体の上から転がり落ちた数十キログラムの固まりは黒かった。


 黒こげの死体だ。兄の死体だった。

 その瞬間に、何が起きたのか、大半を思い出した。シャーレイが天使だと言い、仲間たちが口々に何かを言って、最後に兄が叫んだ。逃げるぞ、と。


 兄の判断は正しかった。ただ手遅れだった。天使が何かを口にした。それだけで終わった。何もかもが終わってしまった。横に転がる真っ黒な炭が兄だと分かったのは、装備品にひとつだけ原形を留めているものがあったからだ。遺物だった。遺物といえどあの電撃の嵐には耐えられなかったか、わずかに外見を留めているに過ぎない。

 震える指でリズはその残骸を摘み上げる。兄が即座にこの遺物を使用していれば、結果は違っただろうか。


 やはり無理だっただろう。リズは一瞬で結論を出した。

 そもそも戦闘用の遺物ではない。モンスターを足止めをするだけの道具である。

 上手く使えば一方的な展開に出来る。長物で突き刺すなり、矢で撃ち殺すなり。

 だが、遠距離攻撃の手段を持った相手には無力である。


 リズは、今いる場所にようやく思い至った。冷静さを取り戻したつもりだったが感情の動きが鈍くなっているだけで思考は鈍いままらしかった。

 這って階段まで近づき、おそるおそる階下の様子を窺う。

 さきほどと変わらず、天使がそこにいた。リズは気づかれなかった。

 リズは痛む身体を引きずって、その場を離れた。兄の死体が自分の上にあった。


 庇ってくれたから生き延びられたのだ。頭の回転が戻ってきている。兄に対する感謝は、このまま迷宮から脱出できたときにしよう。歯を食いしばって、足を進める。

 違和感があった。兄以外の黒ずんだ死体は三つ。つまり死体は四つしかない。自分と、もう一人。生き残っている誰かがいる。

 だが、誰が。


 身長でまずシャーレイが見つかった。次がスネスだ。あと一人の死体が、ヴィガーなのか、クラウスのものなのか、分からない。

 クラウス。そうだ、クラウスは、生きているかもしれない。この状態でモンスターと戦うのは辛い。オークが数匹まとめて出てきたら逃げ切れない。

 戦えないわけではないが、痛みで身体の動きが鈍い。

 逃げるにも速度は出せない。どうすべきか、リズは考えた。あの天使は仇だが、勝てるとは思えない。


 勝ち目のない相手とは戦うな。ロランがいつも口を酸っぱくして言っていた。

 それはどうしようもなく正しいと、リズは唇をかみしめる。自分が生き延びるのが最優先だ。だけど。

 すっかり恐ろしい場所となった地下三階を、足を引きずりながら歩く。

 来た道を引き返すことは容易い。地図は頭の中に叩き込んである。


 だが。あんな天使は知らない。聞いたこともない。どうすれば。リズは迷う。必死に考える。正解の分からない問いを抱えて、己はどうすべきか、どうしたいかを。

 やがてリズは歩き出した。自分が為すべきことを信じて。



 もし、そのときクラウスを探していなければ……。

 それに出逢うことはなく、あるいは満身創痍ながらも脱出できたかもしれない。

 こうも追い詰められて、もう逃げ場が無くなって、自分が判断を間違えたことを否応なく理解した。兄ならばどうしただろう。自分は、何を間違えたんだろう。


 リズには何も分からなかった。


「ごめん、クラウス。……せっかく恋人同士になったのに。ごめん」


 悲しかった。悔しかった。寂しかった。

 決して声が届かないことを知りながら、リズはその名を呼んだ。

 迷宮に彼女の声が響く。その声を悪意に満ちた笑い声が塗りつぶしていく。


「あーあ……死にたくなんか、なかったなぁ」


 そしてリズ・ベーカーは、悪魔と出逢った。



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