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彼と彼女の迷宮えれじい  作者: 三澤いづみ
第一部 『彼と彼女の出逢い、あるいは地下迷宮の魔』
3/62

三、東方の剣士ソエモン



三、

 ソエモンは安宿で、アーシャは高級な宿に泊まっている。三食付きの個室である。


「寝るだけだ。食いもんが出るにしても」

「盗まれたら困るものとか、持ってないの?」

「この剣だけだな」


 ソエモンは罅の入った剣の柄を撫でている。使った技と相手が悪かったと嘯いた。どの道、いつかは持ち替えるつもりだった。

 ソエモンが空を見上げれば、夜空で星が寂しげに瞬いていた。


「とりあえず明日、代わりの剣を用意するから。ね?」


 二人は宿の前で別れた。



 アーシャは先刻した話を思い返し、個室の内装をそれとなく見回してみる。

 広い部屋には悪くない趣味のベッドに、木製のテーブル。備え付けの椅子もシンプルなデザインながら座り心地はよい。


 冒険者向けということか、ベッドはかなり大きめだ。連れ込んで、そういうことをする者は珍しくないのだ、とすぐに想像が付いた。

 顔が真っ赤になった。顔が上気している。頬に手を当て、自分がどんな表情をしているのか、それを考えるのも恥ずかしい。


 誤解ではない。ソエモンの言い方は、含みのあるものだった。

 アーシャが赤の門を追放された当初は、そういった知識に疎かった。なにしろ旅に出た当時は十歳である。しかし冒険者として活動しているうちに、酒場で、臨時パーティーから、いくつも聞かされた猥談から知識としては知っている。


 ソエモンが言い出した内容に、アーシャはむしろ納得して頷いたのだ。

 手に入れられてしまう。

 これぞと見込んだ相手であれば嫌悪感は無かった。もちろん怖くはあったが、惚れたのか、と聞かれると首をかしげざるを得ない。長い時間の積み重ねがあるわけでもない。恋に落ちたという感じではなかった。

 彼ならば自分を預けても、無碍にはするまいと。


 真面目に考えると、どうにも恥ずかしい気持ちが沸き上がる。

 アーシャはベッドの上でごろごろと転がった。

 小柄なアーシャには大きすぎるベッドだった。背が高く、がっしりとした体格のソエモンなら一緒に寝てちょうど良いかもしれない。

 さっきの今だからか、どうしても想像してしまうのは、年頃ゆえか。


 アーシャは、少女だ。

 十四歳の、女の子だ。

 死線はくぐり抜けている。冒険者が身体を重ねる理由も、ひとを恋しく思う理由も肌で理解している。これが戦闘ならば、いくらでも冷静に行動できるのに。

 混乱する頭を抱えて、少女はひとり、ベッドの上でシーツを被る。


「あああぁ……もう……あたし、何やってるんだろ」


 もぞもぞと動いて、シーツにくるまったまま、何とも言えない気分を味わう。

 熱を抑えきれない。ひとしきりシーツの中で丸まってみたり、色々と動いて、どうにもならない悶々とした気分に翻弄されていた。


 ――お前が欲しい。


 頭から離れない。そういう意味じゃないのに。落ち着かなくて、胸がどきどきして、それを発散しようとするも、ままならない。

 もどかしくて、切なくて、声が漏れる。


「うう……恥ずかし……」


 アーシャの夜は、ゆっくりと更けていく。



 手を翳した。朝の空は青く眩しい。吹き抜けた風は頬を冷たく撫で、そのままいずこかへと通り過ぎていった。

 清澄な空気を胸一杯に吸い込んで、アーシャは真っ平らな道の向こうを眺めた。

 待ち合わせは宿の前にした。似た宿はいくつかあるが、アーシャがこうして顔を出していればすぐ分かる。


 ソエモンの容姿、もとい格好を思い返してみる。剣だ。鞘の中でも業物である風格があった。もちろん使い手の身のこなしが前提だ。

 アーシャは迷宮内で会話しながらじっくり観察をした。他の装備品を思い出そうとして首をかしげた。

 動きやすさだけを優先したような布の服を着ていた。それだけだ。


 冒険者は大怪我をしたら終わりである。治癒魔術は存在しているが、まず使い手も少ないし、決して便利なものでもない。治癒の限界は切断された手首を繋げ合わせる程度で、それも手首や切断面が無事である前提付きだ。

 回復力を促すだけで、失われた部位は復元できない。


 死者蘇生など絵空事である。死人が復活するなど、それこそ遺物の時代、古代文明にすら存在していなかった奇跡だ。動けなくなれば死ぬ。死ねば終わり。

 せめて安全度を上げるために、誰もが防具を身につける。

 アーシャは驚いた。いつの間にかソエモンが目の前に来ていたからだ。


「あんた、なんで防具を着けてないの?」


 いきなりの非難に驚いた様子もなく、答えてくれた。


「当たらなければ問題無い。それよりも動きにくくなるほうが困る」


 受けるなり避けるなりして、近づいて斬る。それで完結している。余計なものを付け加えないほうが良い。

 理屈としては、その通りではある。感情はそうも行かない。


「一発で死ぬかもしれないのに?」


 戦闘では何が起きるか分からない。不意や事故を少しでも減らすことが、そんなに悪いことだろうか。


「アーシャ。そっちも軽装過ぎるだろ」

「これはいいのよ。加護の付いた性能の良いローブだもの。下手な鎧を着るより、ずっと安全には気を遣ってることになるし」

「じゃあ、俺の服も」

「何の変哲もない安物じゃない」


 宿の前で、言い争いになった。横目に、笑いをこらえ出て行く他の冒険者たち。


「止めましょうか。不毛だし」

「だな」

「本当にいらないの? 呆気なく死なれたら困るんだけど」


 黒い瞳と、短めの黒髪。細く見えるが、がっしりとした体格には剣士に必要な筋肉が十分に揃っている。若く見えるが、本当の年齢が分からない顔。そして不適な笑み。

 見上げたアーシャに、彼は答えた。


「なら良い剣を買ってくれ。剣さえあれば、大抵はなんとかなる」


 アーシャは嘆息し、色々と飲み込んで頷いた。妙な説得力があったのだ。寄った武器屋の品は悪くなかった。ソエモンの表情は、アーシャの感想と重なっていた。


「他の店じゃダメなのか」

「他に良い店を知ってるなら、いいけど」


 迷宮攻略の足がかりとなる施設は、今となっては数軒を残すのみとなっている。


「もともとこの町は一過性の迷宮探索ブームに踊らされた場所だったのよ」

「この町には昨日来たばかりなんだろ? ……なんでそんなことを知ってるんだ」

「先に調べたから。冒険者にとって、情報は二番目に大事なものよ。ソエモンだって、この迷宮の情報を知ったからわざわざ来たんでしょ?」


 ため息混じりに説明した。迷宮都市に向かう途中で路銀が尽きて、たまたま立ち寄ったこの町に、未攻略の迷宮があったから渡りに舟とばかりに潜っているのだと。


「……あんまり迷宮について詳しくない、とか?」


 アーシャは眉をひそめた。


「大体は聞いた。酒場にいたヤツに酒を奢って。管理されていない迷宮だから、一儲けするには絶好の場所なんだろ?」


 間違っていないが、正確でもなかった。アーシャは別の意味で身震いした。


「アンタら。世間話するために来たんだったら帰れ」


 顔を出した武器屋の親父が、叩き付けるような低い声を響かせた。


「無理だな」


 ソエモンが鞘ごと差し出した。店主は剣を抜き放って、一目で結論を出した。

 まだ修繕の依頼もしていない段階だった。


「俺はトール。店もやってるが、鍛冶が本業でな。で、鍛冶屋としての意見だが……買い換えた方が早い。打ち直しは出来なくもねえが、元の強度からは落ちるな」

「え? トールさん? トルテさん……トルテリア・トーラッドさんじゃ」


 アーシャが名前を口にすると、凄まじい形相をされた。見れば、槌を握りしめた手に血管が浮き出ている。


「てめえ、どこでそれを聞いた」

「え、いえ、この町に来る前に一通りの情報を集めただけでして」


 それきり黙り込んでしまった。しばらくしてトールは深く息を吐き出し、わずかに肩を落とした。


「そうだよ。……昔からな、ここいらではトルテって呼ばれてたんだよ、俺はな」


 鍛冶屋のトルテリアは、どこか淡々とした口調で続けた。


「見ろよこのツラ。トルテって顔じゃねえだろ。いや、お袋が付けてくれた名前だ。文句があるわけじゃねえ。名前じゃなくて、このツラが悪いんだからな。だが、俺がトルテって呼ばれるとな、馴染みじゃない連中は笑いやがる」


 トルテは語気を強めた。アーシャは何も言えなかった。


「あるとき聞いた。菓子の名前だって言うじゃねえか。女子供に人気の、迷宮都市では誰もが食べたことのある焼き菓子だと。想像してみろよ。こんなオッサンが、レモンパイだの、プティングなんて呼ばれてる図をよ。それと同じじゃねえか」


 トルテは震える肩を押さえ込むようにして、声を押し殺した。


「客なら茶くらいなら出してやる。出してる売りもんじゃ、その剣の代わりにするには役者不足だろうがな……それとも一本打つか? 時間はかかるが」

「お願いします」


 アーシャが即断したことに、いいのか、と隣のソエモンが驚いた声を出した。


「いいのよ。トルテの鍛冶屋は、この町では一番のはずだから」


 時間を掛ければ相応の品が手に入るだろうが、冒険者には別の手段もある。

 トルテは口の端を大きく歪ませた。


「もっとはっきり言っていいぜ。この町に鍛冶屋はもう俺しかいねえ、ってな。腕の良いやつらはさっさと他の町に移ったんだよ。駆け出し相手の商売が大半だからな、冒険者がいなくなれば商売あがったりだ」


 皮肉そうな言い方だ。重ねて言った。


「冒険者には良い武器を手に入れる、もっと上手な方法があるだろ」

「……迷宮探索」


 ソエモンが呟いたのを聞いて、トルテは大きく頷いた。


「おうよ。遺物に頼るのは癪だが、良いもんが多いことは否定しねえ。全身全霊を掛けて鍛えた一本のバスタードソードが、偶然見つかった遺物の細剣――それも装飾だらけの儀礼用っぽいのに易々と切り裂かれてみろよ。心が折れそうになるぜ」


 ばしん、と壁を叩き、トルテは声を強くした。


「鍛冶屋を選ぶ利点は、そいつに合わせた作りに出来るって部分だ。飾ってあるのも駆け出しには充分だがな。お前さんには物足りねえだろ?」


 調子を取り戻したのか、トルテの表情は明るくなった。ソエモンは頷いた。


「よし! 色々と確認しねえとな! あ、さっき焼いた菓子があるから、それを食って待ってろ。おおい! 弟子一号! お客さんに早く茶を出さねえか!」

「は、はいっ!」


 店の奥から線の細い少女が現れた。ぺこぺこと頭を下げながらである。湯気の立つカップを並べたトレイを持っていた。客用の椅子も置いていないので、そのままカップを手渡してきた。


「エクレアール・トーラッドです。お父さんが……色々すみません。お茶です。ごゆっくりどうぞ。ああっと、お菓子お菓子。少し待っててくださいね」

「こいつは弟子一号……娘のエクレアってんだ。まあ、覚えなくていいぜ」

「お父さんったら! もう」

「エクレアって……わざと……いや、まさかそれも気づいてないとか」


 アーシャが小声で唸る。エクレアが菓子を持ってきた。


「はいどうぞ、桃のトルテです! お父さんが焼いたんですよ!」

「あ、ありがと」


 アーシャは曰く言い難い顔をした。代わりにソエモンが口にした。


「トルテの焼いたトルテか。上手いな。いや、美味そうだな」

「あんた、あたしが気を遣って言わなかったことを……」

「大丈夫です。分かってやってますから。お父さん、色々言われて、しかも暇になっちゃったからお菓子作りにハマっちゃったんですよね。で、自分の顔に似合わないって言われたトルテ作りをひたすら練習して……これが職人気質ってやつですかね?」

「さあね」


 エクレアの微笑みを前に、アーシャが呆れ顔で肩をすくめた。



「まずはこれを持ってみろ。ある程度のワガママは聞いてやる」


 壁面に飾ってあったシンプルな長剣。それを持たせて、横から後ろから一通り見て、刀身の重さや重心、素材について尋ねている。

 ソエモンが細かい注文を出したのを、エクレアが紙に書き起こしていく。

 要望が出そろったところで、その紙をトルテが読み込む。


「こいつは東方の……カタナか」

「出来るか」

「正確に再現するのは無理だな。それらしい作りなら出来るが。現物を見たことが無いんでな、それ以上はどうにもできん」


 カタナ。もはや遺物としてしか存在していない、東方に伝わる剣の一種だ。

 アーシャはソエモンが求めている剣、その一端を掴んだ気がした。


「構わない。必要ならそっちの剣も鋳つぶしてくれ」


 方向性が定まってから、さらに事細かく使い方を聞かれた。


「分かった。だいたい八日かかる。それまでは予備として……あれ、ねえな」

「お父さん。もしかして、あれ?」

「おうよ。それだ」

「随分前に……奥に仕舞っちゃったはず。物置を掘り起こさないと……すみません。予備としてソエモンさんが使いやすそうな剣がありまして、それを引っ張り出してくるのに少々お時間いただきたいんです。どうでしょう」


 エクレアが笑顔を浮かべた。


「その剣を発掘してくるまで、どのくらい掛かるかしら」

「一時間は見ていただければ」

「なら、ここで待ってるわ」

「待った。いくらかかるか先に聞かなくていいのか?」

「トルテさんの評判は知ってる。良心的な価格って聞いてるから安心して。腕に見合う武器が手に入るなら、支払いを惜しむ必要は無いわ。このくらい渡しておけばいい?」


 袋ごと、エクレアに手渡した。相場からしても、かなり多めの金額である。エクレアは顔を赤らめ微笑んでいた。幸せそうな、とびきりの笑顔である。

 トルテは、店外まで震わせる大声で笑った。



 カップを傾けて、そろそろ冷め始めたお茶を飲み干した。


「さっき何か言いかけてたよな」

「これから一緒に迷宮に潜るんだから、あんたが無知だと困るわ。丁度説明するだけの時間も出来たことだし、最低限の知識はたたき込んであげるから覚悟しなさい」

「覚悟がいるのか」

「普通は少しずつ理解していくことなのよ。ソエモンは腕が良い分、迷宮の常識に疎い感じがするから。……これって迷宮の少ない東方出身も影響してるのかしら」


 言葉の後半は独り言だった。


「情報は力よ。誰にでも扱える、一番手っ取り早い力。上手い下手はあるし、戦闘向きの腕があると軽視されがちだけど……あると無いとじゃ雲泥の差になる」


 ソエモンは頷いた。


「罠のある道、罠の無い道。同じ場所に辿り着くなら、進むべきはどっち?」

「そりゃあ、罠の無い道だな」

「なんで?」

「手間と労力が省けるから」

「それが情報の力よ。そこはお金と共通するけどね。知っていることは、知らないことに比べて、どれだけ手間と労力が省けるか。無駄な危険を回避出来るか。もちろん手段のひとつに過ぎないし、知っていても、どうにもならないことはあるけど」


 まるで道を指し示す教師のような振る舞いで、アーシャが告げる。


「即効性が薄い場合もある。情報の有無が、最後の一線を分けるかもしれない」


 アーシャは表情を和らげた。


「ソエモンに頭脳労働しろとは言わないわ。それはあたしの領分でしょう。ただ、情報の大事さについては分かって。冒険者にとって情報は二番目に大事なものよ」


 ソエモンが聞く体勢を取ったところで、アーシャは語り始めた。


「迷宮を探索するあたしたちがどうして冒険者って呼ばれるか知ってる?」

「どういう意味だ」

「これだと聞き方が悪いわね。なら……傭兵と、冒険者と、探索者の違いについて説明できるかしら」


 傭兵は金で雇われて戦う。しかし冒険者と探索者との違いを問われると、説明が難しくなる。迷宮に潜る意味ではどちらも同じだ。

 そう口にすると、やっぱり、という顔をされた。


「基本的に全部同じよ。お金で雇われている場合は傭兵、迷宮に潜っていれば探索者でも間違いじゃない。この国……いえ、この大陸では、それらをまとめて冒険者って呼ぶことにしているわ」

「アーシャが説明するってことは、違いはあるんだろ」

「迷宮都市は知ってるわね?」

「この大陸の中央にある、大迷宮を擁する超巨大都市。都市そのものが迷宮と入り交じって発展してきたから、他のところとは全く別物だってのは聞いた」

「あそこの迷宮は管理されているの。都市のあちこちに入り口があって、その場所によって性質の違う迷宮が広がってるわ。危険な場所もあるから一般人が迂闊に入り込まないようにするシステムが作られた。それが冒険者ギルドで、冒険者免許。許可登録制で、その免許を持っていないと都市が管理している迷宮には入れない仕組みなのよ」


 なるほど、よく分からん。

 ソエモンが首をひねると、ため息を吐かれた。


「最初は免許を持っている人間だけを冒険者って呼んだの。そのうち冒険者って呼称が他にも広まった。傍目には区別が付かないから探索者と一括りにされてね」

「その区分だと、俺は探索者ってことになるのか」

「あたしもね。ギルドに登録してないもの。まあ、それはまたいつかでも問題無いわ。ここの町はずれにある迷宮に潜る分には関係ないし」


 アーシャは肩をすくめた。


「管理されていない迷宮には誰でも潜れるのよ。この町のはずれにある地下迷宮もギルドと無関係ね。だから宝が残っているかもしれない。但し、その分だけ危険。一攫千金を夢見て、迷宮に潜って散っていく連中が大量に出て来るってことね」



「ソエモン。……あんたが欲しいのは、遺物のカタナってことでいいの?」


 首肯した。

 正確には若干違うのだが、説明しても分かってもらえないだろう。まずは手に入れてみないことには、それが最高であるかは判断が出来ない。


「遺物でもかなり珍しい部類に入るし……手に入れるのは難しいわよ?」

「心当たりがあるって言ってたよな」


 アーシャは拗ねた顔をした。


「ずるいわ。別の報酬を言い出したくせに」

「パーティーを組んだんだから、教えてくれたっていいだろ。俺の望みと、アーシャの希望がかち合うわけじゃない」

「最下層にいる――かもしれない魔術師が、以前、カタナを持っていたわ」

「奪え、ってことか」

「敵対なら、そうなるわね。友好的なら交渉から始めましょうか」


 言葉を選んでいるのが分かって、ソエモンは口を噤む。不意に静かになると、遠い場所で何かが崩れた音が聞こえた。


「カタナが遺物にしかない理由って、知ってる?」


 沈黙を破ったのはアーシャからだった。


「知らん。歴史には詳しくない」

「質問を変えるわ。迷宮で見つかる『遺物』って何かしら」

「古代文明の遺物」

「間違ってはいないわ。ただ、何の説明にもなってないけど」


 アーシャが笑った。


「武器や防具が必要だった理由が分からないのよね。こう言っちゃなんだけど……崩壊以前は進歩しすぎた魔導文明よ。便利な道具が山ほどあって、人間を脅かす外敵なんていない。そんな時代だったはずなのに」


 便利な魔術が込められた道具とは異なり、装備品には戦う以外の用途がない。


「街中にモンスターが出た。これなら戦う理由になるし、武器も必要になるだろ」

「大破壊より前に?」

「何らかの要因で、魔力の影響を受けた動物が凶暴化して人間を襲い始めた。自衛のために古代文明はこぞって武器や防具の制作に乗り出した……とか」

「ありえなくはないわね。ただ、当時と今じゃ、文明のレベルが桁違いよ。自衛しなきゃいけないほど窮地に陥る前に、もっと別の対策を出来たんじゃないかしら」

「思いつきで言ったんだがな」


 しばし考えていたが、結論は出なかったようだ。話を変えた。


「カタナって再現出来ないの? 遺失魔術が込められているわけでもないんでしょ」

「どうだろうな。俺のいたところじゃ、完全なものを作り出すのは無理だって話だが」

「素材と形状のレシピが見つかっても?」

「別に遺物であることに拘ってるわけじゃない。カタナと認められるものならそれでいい。俺も本物を見たことはないしな。実際、本物を手に入れたら、もしかしたら失望するかもしれない」

「どうして?」

「俺は剣士だ。カタナを欲するのは、他に理由がいるか?」

「つまり、強くなりたいから?」

「さあな。俺にもよく分からん。カタナがあれば、分かるのかもしれない」


 素直な気持ちで答えたところ、アーシャが頭を抱えた。


「アーシャには分かるか」

「分かるわけないじゃない。あたしはあんたでもなければ、剣士でもないのよ」

「だよな」

「でも、魔術師としてのあたしなら答えられることがあるわ」


 自信ありげにアーシャは微笑んだ。


「あんたは剣が好きなのよ。だから最高の剣を使ってみたい。それだけ。あたしも魔術を使いたいから魔術師を続けてるんだもの。他の道がいくらでもあったのに、ね」


 腑に落ちた。なるほどと笑った。こほん。誰かの咳払いがあった。


「あのー、代わりの剣、見つかったんですが」


 エクレアが笑顔を見せていた。


「話の内容が内容ですし、もう少し声を落としてもらえると」

「ごめん」

「すまん」


 会話の内容が、筒抜けだったらしい。いい気はしないだろう。


「うちのお父さん、どうせ俺にはカタナは作れねえよ、って……しょげちゃって」


 言葉もない。


「それはそれとして。どうですか。お求めの剣にかなり近いはずなんですが」

「ん、いいな、これ」


 手渡された片刃の剣を握りしめ、型を披露した。

 縦、横、斜め。踏み込み。退き、躱す。重さと長さ、間合いの取り方を確かめて、おおよその感覚を掴んでから鞘に戻した。


「この剣、貸してくれるってことでいいの?」

「気に入ったなら買いますか? どうせ使いこなせるひともいませんでしたし……埃を被ってるよりはマシです。安くしておきますよ」

「一応聞くけど、使いこなせるひとがいない、ってどういう意味よ」

「頑丈なんですが、同じ長さの剣の約三倍の重量でして。正直、お父さんも何を考えてこんなのを作ったのやら」


 提示された金額を、即金で支払ってもらった。


「はいはい、買ってあげるわ。……但し、すぐに壊したら、代金を請求するわよ」

「そう簡単には壊れないだろ」


 にこにこと、エクレアがつぶやいた。


「そうだといいですね」

「……じゃ、じゃあ、トルテさんによろしくね」

「はーい! 次のご来店、お待ちしておりますー!」


 見送られながら店を出た。結局、トルテは店の奥から出てこなかった。

 二人は、よく通るエクレアの明るい声を背に、迷宮の方角へと歩き出した。


「今日から潜るわよ」

「浅い階層で連携の確認から、だよな」

「まずはどれだけ動けるか分かってないと。下層はそれから。ソエモン、魔術師と組んだことって無いでしょ? 役割は……帰ってから二人で決めましょうか」


 空を見上げた。気づけば、すでに太陽は中天に差し掛かっている。

 ぐう、とお腹の音が鳴った。


「昼飯、食べてからにしないか」

「……そうね」


 どちらの腹の音なのかは、話題にされなかった。



 足音が響く通路は、考え事をするには丁度良い。アーシャは赤の門で学んだ知識をそれとなく思い返している。とかくに迷宮は不思議な別世界である。


「歩きながら考え事をするなよ」


 スパン、と音がした。棍棒を持ったゴブリンが通路の影に隠れていて、ソエモンに殴りかかって来た、その首を跳ね飛ばした音だった。

 ソエモンが抜き身の剣を下げている。


「油断してたわけじゃないわよ」

「ナイフも構えてるし、嘘じゃなさそうだが。しかし魔術ってのは便利だな」


 視界が効くのは、迷宮に入る前に使った明かりの魔術のおかげだ。

 迷宮で出現するモンスターは階層によって決まっている。この迷宮の地下一階ではゴブリンしか出てこない。警戒はソエモンに任せて、アーシャは思索を続ける。

 先ほどのゴブリンは先遣隊の一匹だった。角の向こう側から、次から次へと同種のゴブリンたちが飛び出して来て、そのまま何も出来ずポンポンポンと首が飛んでいく。


 ソエモンが剣を振る。ごろんごろんとゴブリンの首が転がっていく。

 流れ作業である。


 アーシャはナイフを手にしたまま、油断せずソエモンの後ろにいた。

 ゴブリンを斬り殺しても、ソエモンは剣をまだ鞘に収めない。

 理由はアーシャにも分かっている。そのためにナイフを構えたのだ。


「ソエモン。そこの死体はどうするの?」

「どうするの、って言われてもな。剥ぐ意味は無いだろ」


 モンスターの死体からは有用な素材が得られることもあるが、ゴブリンは何の役にも立たない。


「魔石を取り出すかどうかよ」


 モンスターを殺すと、体内の核が周囲の魔力を取り込んで魔石化する。

 魔石は地方では重用されないが、迷宮都市では第二通貨として通用するほど流通している。小さければ小銭稼ぎに、大きければ大金で売買される。たとえ財宝を得られなくとも魔石を入手することで、冒険者は生計を立てることが出来る。

 ゴブリンの場合は喉元に核がある。

 浅い階層で、しかも普通のゴブリンだ。取れるのは小指の爪ほどの魔石だけだ。

 手間を考えると無視してしまって良い大きさである。


「いや、取り出せないはずだ」

「もしかして、狙って斬ったの?」


 アーシャは感嘆の声を挙げた。ソエモンが首を刎ねた理由に納得がいった。


「なら、そろそろ行きましょうか。剣の使い勝手は」

「不満は無いな。まあ、相手がやわらかすぎるってのもあるが」

「ゴブリンだしね」

「故郷に出る小鬼はヤバイぞ。少し離れると大岩投げてくるし、近くに寄っても、刃筋を通さないと斬れない。殴られたら全身の骨が砕ける。見た目は似てるんだがな……」

「それはゴブリンじゃないわ。別のモンスターよ」

「そうか?」

「そうよ。……道を塞いじゃってごめんなさいね」


 返事は、ゴブリンと逆側の通路から聞こえてきた。

 相手側も警戒して距離を取っていたためか、一番体格の良い一人が返事をした。


「あ、ああ」


 基本に忠実な六人パーティーである。見たところ、若者が多い。

 後ろに一人雰囲気が違う男、これがパーティーの大黒柱だろう。

 魔術師はいないのか、カンテラを手にしている。全員男だ。四人は剣を使う。後ろに槍持ちで身軽そうな男と、弓を持っている中年の男。


 腕はそれほどではないが、いきなり危地に突っ込んで壊滅する雰囲気は無い。

 抑制が出来ている。と、そこまで観察して、こんにちはと告げる。相手も釣られて、挨拶を返してくる。

 ソエモンを促して、先に進んだ。距離が離れたのを確認して、ナイフをしまった。

 通路で八人が溜まっていると、敵が集まってくる危険もある。


「地下二階に行きましょうか。地図は頭に入れてる?」

「一応」


 二人とも地図は暗記してある。アーシャが自分で持っている書き込み用、予備としてソエモンに渡した複製の地図もある。

 いくら自分たちにとって安全圏でも、最低限の用意はしておくべきだというアーシャの発案である。



 アーシャも軽装だ。保存食は絶やさない。ローブの中のポーチや袋に、干し肉以外も色々と仕込んである。

 今はあの遺物のナイフが主武器だが、本質的には魔術師だ。予備の武器や道具はいくつも隠し持っている。

 大事なことは、帰れるタイミングの見極めを間違えないことだ。最初に教えて貰ったのだ。冒険者にとって最も大切なものは、運であると。

 では、運はいかなる場合に意味を成すのか。

 最後の一線を分かつ。それが運だ。アーシャは最善を尽くす。情報を集める。準備をする。行動に余裕を持つ。思考を止めない。全ての状況を整え、それでもどうしようもない時がいつかやってくる。


「そろそろ階段よ。あたしも多少は動こうかしら」

「……飛んでる連中とか、特に羽虫とか頼めるか」

「なに、虫、嫌いなの?」


「虫が好きな奴なんているのか」

「けっこういると思うけど。三階に出る巨大イモムシ、食べられるわよ?」

「げ」


 本気で嫌そうな顔をされた。


「迷宮の中で食べ物に困ったら、まず探すのはウサギ、次にクマ、その次はヘビで、それからイモムシの順番ね。カエル型はたまに毒があるし、ウルフ型は硬いからオススメしないわ。ヘビの毒は牙だけだし、迷宮に出るイモムシの大半は尻尾以外に毒がないし」


 ソエモンは固まっている。


「植物型のも毒が多い。食べられるかどうかは種類によるわよ。オークとかゴブリンとかあの系統は食べる気にはならないわね。……美味しくもないそうだし」

「食べたヤツがいるのか」

「そりゃいるわよ。ソエモンと同じで東方出身らしいけど……迷宮モンスター食べ歩き辞典って本も売ってる。前に読ませてもらったけど、毒の有無、食べられるモンスターの見分け方とかすごく分かりやすかったわ。気になるなら、いつか迷宮都市に行ったときに買ってみたら?」

「うげ」


「読んだとき一番気になった記述は、ワイバーンは筋ばかりで不味かったが、ドラゴンの肉はすこぶる美味い、ってあたりね。……両方とも食べたことないのよね」

「冗談じゃないのか」


「ちょっと食べたくなったでしょ」

「そんなことはない」


「東方出身のひとって、なんでも食べるって聞いたことがあるけど」

「……そんなことはない」


 否定の言葉に力が無い。


「美味しいものは?」

「好きだ。いや、美味しいものが嫌いなヤツなんかいないだろ。でもな、ゲテモノを好んで食うのはちょっと違うというか」


「タコとかイカ型のモンスターは?」

「それなら食べる」

「やっぱり」

「なんだその反応。もしかして、こっちだとゲテモノ扱いなのか、それ」


 アーシャは笑った。


「こういうとき魔術師は便利よね。その場で火が用意出来るから。……簡単なものしか作れないけど」


 ポーチから胡椒や塩などを取りだして見せた。用意周到である。

 ソエモンはなんとも言えない表情をした。アーシャが何年も迷宮に潜っている先達であることを今理解した顔だった。胃袋を掴める女は、いつでも強いのである。


「……よろしくお願いする」


 殊勝にも頭を下げてきた。どうにも迷宮を探索中の雰囲気ではない。


「うんうん、よろしい。まっかせなさい!」


 アーシャは、ふふんと笑った。



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