第二話、小さな恋の物語
かつん、と何かを蹴飛ばした。
つま先に触れた硬いものを見下ろして、キクリが小さく叫んだ。
「ひゃあっ」
「おいおい、随分と可愛らしい悲鳴だな。キクリ」
キクリは黒目黒髪で、東方出身であることを示す分かりやすい容姿をしている。
が、キクリ曰く、本人は生まれも育ちもこの大陸であるらしい。
彼女は小柄だ。パーティーメンバーのクロッカスも体格には恵まれていない方だが、キクリの容貌や雰囲気はほとんど幼気な少女のそれだった。ただ仲間達は彼女の実力を知っている。
「……い、今のはしゃっくりです。悲鳴とかじゃないです」
「そういうことにしておこう」
落ちていたのは歪な骨だった。モンスターの死骸は自然に消えるわけではない。こうして骨だけが転がっていることも珍しくはない。
キクリにからかうような声をかけたのはカーチス。剣士の少年であるが、精悍な顔つきや十分に鍛えられた肉体のおかげで、実年齢より低く見られた試しはない。青年と呼ぶにはいささか若いが、背丈の小ささに加えて童顔でもあるキクリと並べば、大人と子供くらいの年の差があるように錯覚させてしまう。
カーチスが、後ろに付いてきている残り四人の顔を見た。
クロッカスもこの面子のなかでは背丈は小さい方だ。以前、パーティーでもう一人の女性であるサニアとほぼ同じ身長であることを気にしている素振りも見せていた。彼は最後尾から後方を警戒していて表情は窺えない。おそらく今のやり取りでニヤニヤ笑っているはずだが、からかいの言葉を投げかけるには距離が離れすぎていた。
ローブを羽織ったケルビンは、一言でいってしまえばなかなかの美形である。銀色がかった髪の毛は女性と見まごうような長さだが、顔立ちははっきりと男性のそれだ。腕を組んだまま、苛立った表情を見せている。
いつものことだ。このやり取りをしている間に進め、とでも言いたいのだろう。
口に出さないだけまだ余裕が残っているとしてカーチスは気にしないことにした。
ただ、ケルビンの線の細さは魔術師ならではなのだろうが、それでも鍛え方が足らないとカーチスが感じてしまうのは、比較対象が悪いせいか。
肩に大盾を担いだコンチヌスが面白そうに顔をほころばせている。キクリの頭が、ちょうど彼の胸元あたりにくる。頭二つ分の大きさはパーティーメンバーの誰よりも高い背丈と、長年剣術道場で鍛えたカーチスでも遠く及ばない分厚い筋肉を見せつけてくるようだ。こちらもいつも通りに笑顔を見せ、余裕たっぷりに落ち着いている。
彼の泰然とした様子を前にすると、カーチスは今居る場所が迷宮であると忘れそうになるくらいだ。
そんなコンチヌスも戦闘となれば表情を一変させ、凄まじい活躍をしてくれる。凄まじさは動きだけに留まらず、浮かべる表情にも表れる。最初に彼の戦闘中の表情を見たとき、キクリが悲鳴を上げたのも無理からぬことだったとカーチスは思い出して少し笑う。
「カーチス! キクリちゃんを苛めるんじゃないわよ!」
「苛めてないさ」
「じゃあ、ちょっかいかけるの止めなさいって」
鞘に入れたままの長剣を振り回しつつ、サニアが意地悪そうに笑った。サニアは美人だ。赤みがかった金髪は太陽の下では煌めくのだが、地下迷宮にあっては篝火の灯りを映し込むだけだ。彼女はカーチスの幼なじみであり、気心の知れた相棒であった。キクリが可愛らしい美少女だとすれば、サニアはどう猛な肉食獣のような綺麗さ、と表現すれば褒めることになるだろうか。
もちろん顔立ちも平均より上なのは確かだし、平時には子供体系のキクリと違って、胸を強調するような衣服を好んで着こなしている。ただ、どうにも女性らしさを感じられないのは、カーチスがサニアとの思い出を共有しすぎているからかもしれない。
休みの日に街中を歩けば声を掛けられるくらいには、色気もあるらしいのだが。
「サニアさん、わたしなら、だ、大丈夫ですから」
「でもキクリちゃん、あんまり自己主張しないから……イヤならイヤって言わないと。カーチスが調子に乗っちゃうからね」
「……いつまで無駄話を続ける気かね」
カーチスを挟んだ対照的な女性二人の状況を見かねてか、ケルビンが声を鋭くする。
キクリの恰好は魔術師然としたケルビンのそれとも違い、ある種の民族衣装めいたものだ。首元まで含め、全身の肌色をすっかり覆い隠している。
一方のサニアは軽装であり、隙間の多い鎧や胸当てなどを装備している。肘当て、臑当など重要部位の守りはあるが、動きやすさを優先してか腕や首元などに肌色が多い。いくらかは薄い鎖帷子で覆っているのだが、男の目があることを忘れたかのような大胆さも見え隠れしている。
「いいかげん先に進んでくれたまえ。まだまだ先は長いのだから」
「へいへい。サルタルせんせは気が短いんだから」
「何か言ったかね」
「いーえ。なんにも」
ケルビンの一声で歩き出すと、カーチスは頭を下げた。
「あー。いや、俺が悪かったよ。サルタルさんも気を悪くしないでくれ」
「……君がリーダーであることに否やはない。だがね、我々がパーティーを組んでいる理由については忘れないでいただきたいものだな」
「ま、そんくらいにしといてくれや。せんせーさんよ」
「……前から思っていたのだが、私に対して先生呼ばわりするそれは皮肉かね」
「そんなつもりじゃないけど」
「名門の魔術師ってだけで、ほら、なんかお偉いさんみたいな気がするし」
サニアが言い訳のように口にすると、ケルビン=サルタルの不機嫌そうな顔に、わずかに隠しきれない笑みが覗いた。
なかなか難儀な御仁である、とは仲間達全員の共通認識であった。
決して悪い人柄ではないのだが、カーチスは少し付き合い方に頭を悩ませている。言い争いの多いサニアやコンチヌスの方がどちらかと言えば仲良くしている風にも見える。
「う、うむ。まあ確かに私は『青き歌』所属の魔術師であるからな。単なる魔術師のそれとは一線を画す存在であることは間違いないのだが、しかし私もまだまだ研鑽の途中。はっはっは、まあ君たちと一緒に行動する以上は私の魔術を頼りにしてくれるに吝かではないよ。うむ」
ケルビンに見えないように、こっそりサニアが笑みを浮かべる。
操縦しやすいことは美点である。
「す、すごいですサルタルさんは。わ、わたしみたいなのと違って、バンバン敵を倒せるんですし……」
「はっはっはっは。いや、キクリ嬢も決して無能ではないからそう卑下するものでもないぞ。呪術師なる職業はあれはあれで有用だ。私のような直接的な火力にはならんが、十分パーティーにおいて役割を果たしていると言えよう。うむ」
「あ、ありがとうございます……っ」
キクリも流れに乗っておだて始めたが、これは天然だろう。
迷宮内を歩いているとは思えないほんわかした空気に、カーチスは少し癒された。
「さてリーダー。そろそろ先に進もうかい」
「そうですね」
そこで、ずっと背後を窺っていたクロッカスが短く叫んだ。
低い声だ。普段はお喋り好きな彼も、仕事となれば真剣そのものだった。
「敵襲! ウルフ二匹……後詰めでオーク三!」
「やっぱり一階とは違うな。厳しい闘いになりそうだ。いけるか、サニア」
「もちろん!」
「コンチヌスさん」
「応よ。後ろには通さねえから安心しな」
前後の隊列を即座に入れ替える。
ウルフに相対する前衛は三人。守りと攻めの両方をカーチスが行い、サニアは攻め、コンチヌスが守りの主力とする編成だった。
何度もこの迷宮に足を踏み入れて、もっとも自分たちの力を活かせる構成がこれになった。
カーチスはすでに隊列を直し、後衛として立ち位置を修正した二人に告げる。
「キクリは左から来るウルフを」
「は、はいっ」
「サルタル先生は後ろのオーク三匹を削る。お願いできますか」
「誰に言っているのかね。……倒してしまっても構わんな?」
「可能なら、お願いします。あとクロ!」
「はいはい、オレっちはみんなのフォローッスね。分かってますよ、っと」
歩いている最中に拾っておいたのだろう。クロッカスが石つぶてを投げつける。
右のウルフの目に当たったかに思えたが、向こうは速度を緩めない。
バックアタックに対して、これだけ十分な余裕があれば奇襲にはならない。
迎え撃つ体勢はしっかり出来ていた。カーチスは行くぞ、と叫び、かなり習熟してきた戦闘の展開に沿って動きを決めた。
担いでいた大盾を前に出し、コンチヌスがウルフの突進を遮る。躱すか直撃するか一瞬迷った二匹のウルフのうち、左側にキクリの呪術が狙いを定めた。
ケルビンが目を細める。プライドが高い魔術師である彼も、キクリには一目置いている。
「袖を引く影を振り返れ。〝鈍足行〟」
魔力が靄のようにウルフの脚部にまとわりつく。
呪力とも呼び替えられるそれは、失敗すれば吹き散らされるが、成功すれば脚部の動きを阻害する。
目に見えて動きが鈍った左ウルフに、サニアの長剣が突き出される。
勢いが殺されていればこそ、狙いは鮮やかに頭部、両目のちょうど中間にまっすぐ刺さる。
脳を破壊されても死なないモンスターもいるが、ウルフ程度であれば即死だ。
左ウルフを片付ける女性二人を尻目に、カーチスもまた即座に飛び出している。
サニアと同じく、カーチスの使うオルベール流剣術は攻防一体であり、相手の勢いを利用することに長けている。
だが、右ウルフは左ウルフの醜態に学んだか、まっすぐ突っ込んでくるのを避けた。
前肢をバネのように縮め、勢いを殺さぬまま九十度近い角度で真横に跳ね、コンチヌスの大盾、カーチスの構えを無視して遠回りに後衛を狙ってくる。
甘い。
クロッカスが二投目を用意していた。
石つぶては今度こそ目つぶしとなり、キャウン、と情けない悲鳴を上げた右ウルフ。カーチスは立ち止まっていない。
クロッカスが何かするのを期待して、すでに近くへと寄っていた。
勢いのまま飛躍し、ウルフの脳天に剣を突き立てる。
モンスターのそれは普通の動物より硬い頭蓋骨ではあるが、それでも切れ味鋭く頑丈な大剣、その重量が加算された一撃に耐えることは無理だった。
二匹を屠った六人パーティーのうち五人は、遅れて突っ込んでくるオーク三匹を迎え撃つ。
が、ここには頼りになる魔術師が居るのだ。
名門『青き歌』所属の魔術師、ケルビン=サルタスが使うは青き魔術。
射線を開くと、舞台を整えられたかのように、ケルビンが一歩前に踏み出た。
「青き悲しみよ、凍てつく爪牙となれ! 〝フリーズ・ピック〟」
詠唱と呪文は浪々と響き渡り、魔術が発動する。
杖先から氷で出来た槍、一本の大きさで見れば〝アイス・ランス〟よりは幾分小さいが、しかしその分数は十本超の穂先を持った〝フリーズ・ピック〟が、三匹のオークを直撃する。
本来は槍衾として突進力のある相手を封じ込めるために用いられる魔術だが、こうして攻撃を主として使うことも可能だ。
ケルビンは仕事を果たした。それを黙って見ている前衛ではなく、サニア、カーチス、そしてコンチヌスが一気に距離を詰めた。
即死でこそないが、すでにオークたちは虫の息である。止めを刺す作業が始まった。
その後ろで、キクリがほっとしたように息を吐き出したのが、カーチスの耳朶を打った。




