結、《風姿花伝》
それからのことである。
カナと天音が修練場入り口から少し進んだ先に、父、すなわち当代石川添問がいた。他の者はいなかった。
おそらくは何も言わずに家を出た天音を心配し、尾けてきたのだろう。二人のしていた会話は、近くで聞かれていたらしい。
「……総司が、死んだか」
「ひとつ聞きたい」
「なんだ」
「拾ったのが総司で、実子が俺だって話は、本当か」
カナが発したのは、ひどく厳しい声だった。
天音は初めて聞いた話だ。驚愕を顔に表し、しかし口を挟むことはしなかった。
父はしばらく目を瞑って思案していたが、やがて重たげに口を開いた。天音には聞かせたくなかったのかもしれない。
だが、カナは教えるべきだと考えた。だから今、こうして尋ねた。
「事実だ」
「それについて、総司が悩んでいたことは知っていたのか」
「総司がそれに気づいたかもしれない、とは思った。だが、問い質すことは出来なかった。そもそも総司を跡取りとして育てていた気持ちに嘘はなかったし、今もそのつもりでいる」
「そう、か」
藪蛇を嫌ったのだ。理解は出来る、が。カナは、嘆息した。
「……カナ。勝者はお前でいいのか」
「分からない」
「なに?」
「総司を斬ったが、呪符はもう戻ってこなかった……こういう場合はどうなるんだ?」
気づいてはいたのだが、天音のことを優先したがゆえに、放っておいたのだ。総司を斬った。カナはその手で殺した。これは事実だ。だが、呪符の数字の移動は再度起きなかった。一度敗北宣言したためかとも思ったが、規則の言葉が正しいならば、再びカナの手の甲に呪符が戻るべき事例だった。
「……呪符を、斬ったか」
父の言葉に、はっとした。秘剣を使った。そのとき、総司の呪符ごと斬ったかもしれない。狂死朗は言っていた。あらゆるものを両断する業だと。なるほど。ならば数字が戻らなかったのは頷ける。元より、勝者云々には最初ほど拘ってはいなかったカナである。納得できる理由さえ聞ければ、後はどうでもよかった。
「本来は、斬られたところで問題がないはずなんだがな……」
「とすると……修練場にまだ誰かが残ってたら、そいつが勝者か」
「いや、それはない。見ろ」
指し示され、振り返ると、修練場の入り口、その切通の白い靄は完全に向こう側を通さない壁と変化していた。
緩められた封印が元に戻ったのだ。まだ修練場の中に誰か一人でも生存者が残っているのならば、人間を通すままのはずだ。
つまり、先に抜けた者を除いて、中にいた参加者は全員死んだのだ。日の出を待たずして、試しの儀は終わった。
「カナ。お前が勝者だ。最後まで勝ち残り、生き残った。たとえ呪符の数字が存在していなくとも、その勝者として認められねばならない。つまり、これよりお前が二十一代目石川添問だ」
「なあ親父」
「……父上と呼べ、とはもう言えんな」
カナは訝しげな顔をした。
「実子と拾い子を入れ替えた親だ。父上などと呼ぶのは、お前にとっては苦痛だろう」
「いや、そこは割とどうでもいいんだが。それより……万が一、俺が勝ったら。始まる前に、そう言ってただろ。あれは何が言いたかったんだ」
「忘れろ、とも言ったはずだ」
「血が繋がってるかどうかを言うつもりだったのか? それとも別のことなのか? それくらいは聞かせてくれてもいいだろ、親父」
父は黙った。
「カナ。どちらが実子かについては、一切語るつもりはなかった。墓に入るその日まで抱えていくべき秘密だと考えていたからだ。知られてしまった以上は隠す意味も無いが、それとは違う」
「なら、何を」
「お前が勝ったそのときには、地刀流を終わらせるのも良いかと思っただけだ」
「……どういう意味だ」
「地刀流の宗家。そんな立場に縛られて、二人の立場を入れ替えた。剣気の無いものに地刀流を扱うことは出来ないし、宗家の嫡男がそれでは拙いからだ。最初は上手い考えだと思った。だが」
「後悔でもしたのか」
「……その通りだ。だんだんとこう考えるようになった。カナ、お前が剣気をほとんど持たずに生まれてきたのは、宗家が負うべき役目を終えたからではないのかと。私のしたことはとんでもない間違いだったのではないかと」
カナは眼を細めた。
「地刀流は長い歴史を持つ剣術だ。最強と呼ばれるに相応しい実績と実力を併せ持つ、ヒノモトでも有数の流派だ。だが、最強であり続けることに意味はあるのか。私は疑問を抱いた」
父の独白は続いた。
「あらゆる意味で試しの儀は地刀流に有利な場だ。そこで他の参加者たちを殺し、意図的に最強の剣士を作り上げる。それを主導するために石川家、すなわち地刀流宗家はあった。そして、こんなことのために二人の子供の人生を歪めた。それは正しいことだったのか。ずっと考えていた」
カナは何も言わなかった。
「実のところ、初代はこんなことは望んでいなかったらしいのだ」
「……なに?」
「地刀流開祖、初代石川添問は、単に正義のひとだったのだ。この禁地から溢れ出す妖魔をどうにかするために駆けずり回り、そのうちに最強という称号を手に入れてしまった。それだけの剣士だった。試しの儀なんて仕掛けも、開祖が自分で考えたものではない。地刀流を継いだ三代目が、初代が築いた最強の座を奪われることを恐れて、手段を選ばずに作り上げた呪法なんだそうだ」
それを語る父の表情は苦悶に満ちていた。
「私は何年か前、それを偶然知ってしまった」
「……偶然?」
「カナ。お前のような……つまり、剣気が人並み外れて少ない者が、地刀流を学んだ例があるのかどうかを調べていたのだ。地刀流の歴史を遡り、なにか示唆するものは無いかと探し続けていた。地刀流の系統が術師のそれに近いことは昔から知っていたし、術師の大成が生来の才覚に大きく左右されることも知悉していた。だが、何か手段は無いかとずっと調べることは止めなかった」
「それで、見つけたのか」
「ああ。剣気を増やすための手段として考案されたそれは、呪術を元にした儀式だった。つまりは試しの儀だ。先祖の多くはそれを分かった上で参加していたらしい。そこで勝ち上がり、石川添問の名を継いだ私にとっては……知りたくもなかった事実だがな。妖魔狩りに勤しむ我らが、妖魔と同じような真似をして剣気を増やしていたなどと……語るに落ちるとはこのことだ」
嘆息ひとつ。
「だが、今更取りやめることなどできない。理由を口にすることも出来ぬのだから。私には地刀流宗家としての責任がある。少なくとも、地刀流の評判を徒に貶める真似を、そうと知りながらすることは許されない。地刀流の看板を背負って生きてきた以上、相応の義務があるからだ。……たとえそれが間違っているとしても。しかし、だ。
カナ。お前は地刀流ではない。だからこそ、このくだらぬしきたりを、恩讐を、断ち切ることが出来るはずだ。私は総司が勝つと思っていた。石川家に伝わる秘奥を、私のすべてを教えた、地刀流の体現であれとして育てた総司が。だが、万が一……そう、万が一お前が勝ったそのときには、地刀流を終わらせて欲しい。そう言おうとした。
……私は言いかけて、自分の傲慢さに愕然とした。それこそ親の身勝手だ。石川の名字も与えず、実子のくせに拾い子として扱い、あまつさえ自分が出来ぬことをやらせようとした。それに気づいた。……だから言わなかった。だから、忘れろと告げた。カナ。お前が何を望んでいるのか、それを聞こうともせずに私の……我らの積み重ねてきた因業を全て押しつけようとしていたんだ」
「こんな私を、笑うか」
「いいや」
「……私は、ずるい男だ。こんな話をすれば、お前の判断に偏りが生じるだろうことは分かっていた。だが、言わずにはいられなかった。軽蔑するならしてくれ。それとも、こんな私を憐れむか」
「そもそもの話……子供に勝手な期待をするってのは、どんな親でもそうだろ」
「……そう、だな」
「それに、地刀流は勝手に終わるだろうさ。俺が勝った。それだけで、もう、地刀流が最強なんて歴史は終わったんだ。あとは精々……昔の栄光を語る老人みたいになればいい。親父も、地刀流も、何も変わらない。ただ周りが変わるだけだ」
父は目を瞑った。告げられた言葉を噛みしめるように。
「……名前だけ貰っておいてやるよ。二十一代目、なんて枕は要らない。俺は地刀流じゃない。ただ、石川添問を名乗る。それで話は終わりだ。これで……いいだろ?」
「待て。まだだ。お前に渡すものがある」
そう言われて渡されたのは、黒塗りの鞘に納められた武器だった。
地刀流に伝わり、代々の石川添問が受け継いできたもの。
「これが、カタナ、か」
「違うんだ」
「……なに?」
「これはカタナではない。そう言い伝えられてはきたが、実際には違うのだ。無論、凄まじい武器であることは正しい。だが、こんなものがカタナであるはずがない」
「どういう意味だ」
「見れば分かる」
そしてカナは……当代石川添問は、それを鞘から抜き放った。その刃の形状は一見するとカタナに思われた。伝え聞くカタナと同じだったからだ。だが、柄に手を掛けた瞬間から違和感があった。喩えるなら、あの呪符を肌に貼り付けたときと同じような。
「まさか」
「剣気を切れ味に転化させる。そういう術の掛かった武器だ」
そんな仕掛けがあるものは、カタナではない。
見た目こそ似せてあるが、その内実は全くの別物だった。
「これが地刀流の正体だ。剣技に見せかけた術。決闘に見せかけた呪術。カタナに見せかけた呪具。外見と内実が異なることは……兵は詭道なり、そんな言葉には即しているが、無惨なものだろう?」
「……ああ」
「これも三代目が作らせたものらしい。……開祖が持っていたのは本物のカタナだったらしいが、強敵との戦いのさなか失われてしまったそうだ。それを隠そうとしたために、今になるまでこれがカタナとして扱われてきた。そして、三代目から二十代目の私まで、これを世間に公表することは無かった」
カナは嘆息した。鍍金にもほどがある。だが、すべては今更だった。カタナもどきのそれを突き返した。不要のものだったからだ。カナはひとつ決めたことがあった。
ただ、横でずっと黙って聞いていた天音には、辛いことになるかもしれない。
「天音……すまん」
「何を謝るんです?」
「これまでのような生活は送れない。それは確実だ」
「そんなの……そんなこと、天音はちっとも構いません」
「だが」
天音は、しかし泣き笑いの表情で見上げてきた。
声は震えていた。ただ、視線だけはまっすぐだった。
「でも、天音は……天音は、お兄さまがいなくなるのは、嫌です」
「それは」
「お兄さまは、後始末が終わったら……この地を去るつもりです?」
カナは答えなかった。それが、答えだった。
涙をこらえる表情のまま、天音は、絞り出すような声で告げた。
「天音は、着いていっては……いけませんか」
「ダメだ」
「それは天音が弱いから、ですか」
「ああ」
そして家族の問答は、そこで終わった。
天音はこのことについてもう何も言わなかった。
父も語ることはなかった。
カナは、試しの儀の勝者として、その日より石川添問を名乗るようになった。
数名を除き、参加者は皆死んだ。地刀流はついに最強の地位を失った。これまでの功績ゆえに、石川家がいきなり没落するようなことはなかった。
だが、その日以来、様々なことが変わっていった。
天音は自分のことを名前で呼ぶことを止めた。父は師範の座を師範代の一人に譲った。当代添問は最強の剣士の座を手に入れたとはいえ、未熟な部分も多く、運だけで勝ったなどともよく言われた。それでも挑戦者を退け不敗だけは守ったが、危なげなく勝った場面はそう多くはなかった。
時の流れに比例して、地刀流の影響力は薄れた。
あれほどに持て囃されていた地刀流も、修練場の管理者としての側面ばかりが強調されるようになった。妖魔狩りの業としては極めて有用なのは変わらない。最強という看板を失っただけにも関わらず、その価値がこうも急落したのは不思議なくらいだった。
試しの儀は二度と行われないことになった。表向きは、呪符が正常に機能しなかったことを理由とした。勝者たる当代添問による言及である。
不正云々とは扱われなかったが、不審が残ったのは仕方のないことだった。だが、その風評こそ目論見通りだったから問題は無い。
幾ばくかの時が流れた。ある日、カナは長い旅に出ると家族に告げた。
二十代目の名を返し、真之介の名に戻した父は、ただ黙って頷いた。
天音は、もう涙を見せなかった。
「カナ……いえ、添問お兄さま、どちらへ向かうおつもりです?」
「そうだな。……西に行こうかと思っている」
「そう、ですか」
「海を渡って、カタナ探しの旅に出るつもりだ。武者修行って面もあるが」
天音は、小さく微笑んだ。
震える唇を、なんとか笑みの形にして。
「行ってらっしゃいませ、お兄さま……。どうか、ご無事で」
「ああ。行ってくる」
そして彼は旅立った。それなりの剣と、いくばくかの路銀だけを持って。
思っていたよりもずっと早く訪れた別れに、天音は最後まで泣かなかった。
ただ、彼の背中が見えなくなるまで、手を振っていた。
唇を噛みしめながら。
ひたすらに、強く、強く、手を振り続けていた。 (了)




