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彼と彼女の迷宮えれじい  作者: 三澤いづみ
第二部 『ソエモン秘剣抄』
17/62

死、《甘き死よ、来たれ》





1、

 幾ばくかの時刻を遡る。

 試しの儀が開始してからしばらくした頃、天音は街中を歩いていた。父はまだ修練場近くにいるのか、それともどこかに立ち寄っているのか、家には戻ってきていない。ともあれ、天音は一人で時間を持てあましていた。

 カナと総司、二人の兄がも死んでしまうかもしれない。そう思うと冷静では居られない。なのに自分に出来ることはない。参加を決めたのは二人自身だ。天音にはその心情を推し量ることすらままならなかった。待つしかないこの身が、ひどく悔しかった。

 剣を習えば、女の身で地刀流を学んでいたら、二人の複雑な心境を理解出来たのだろうか。天音はありえなかった未来であることを思い返し、自分の妄想を恥じた。

 買い食いをしてはみるが、楽しくない。時季外れの氷菓子や、果物の水飴漬けなどに手を出すが、味もなんだか淡泊で、食べているような気がしない。

 試しの儀そのものは非公開である。修練場の中を覗き見る手段がない。このため主役不在のまま、祭りは続く。町の者たちは騒ぎたいだけなので、数年から数十年に一度しか開催されないこの催しも、彼らにとっては祭りを開く口実に過ぎない。

 最強の剣士を決める。調子の良いことを言ってはいるが、その内情は殺し合いに他ならない。地刀流宗家石川家の娘が思うことではないが、しかし家族が血で血を争う状況が好ましかろうはずもない。

 物思いに耽るうちに、祭りの屋台の切れ目まで歩いてしまった。

 人通りが少ない道だ。向こうに見える屋台では川魚の塩焼きを売っていて、そこに客が一人いるだけだった。

 足音が聞こえた。途端、後ろからずた袋のようなものを被せられた。天音は悲鳴を挙げる時間も与えられず、一瞬ですっぽり被せられた大きな袋の上から縄でぐるぐる巻きにされてしまった。

「……っ!」

 叫ぼうとしたが、口は何かで塞がれた。ごつごつとしている手。硬いのは、きっと剣だこだ。その瞬間、天音は悟った。ずっと尾けられていたに違いない。ひとけが少なくなるまで待っていたのだ。

「……見られたぞ、殺せ」

 屋台の店主と客だ。彼らは口封じのために殺されてしまう。もしそうなら、自分のせいで巻き込んでしまったことになる。天音は落涙した。はらはらと落ちる涙は、しかし薄汚れた、饐えた臭いのするずた袋に染みこんで、消えていった。



2、

 試しの儀は、いつの間にか二日目が始まっていた。それにカナが気がついたのは、自分の首筋に巨大な斧が振り下ろされた瞬間だった。完全に寝入っていた。丸一日の稽古で疲労しきっていたこともある。しかし、ここまで接近されて気づけないほど気を抜いたつもりはなかった。死は迫る。カナは自分の間抜けさを呪った。あるいはそんなことに気が回らなくなるほど感覚が麻痺していたのか。

 ともあれ、死んだと思った。思ったが死ななかった。紙一重で斧の一撃を避け、首と胴体が泣き別れするのを防いだ。すぐそばに置いてあった安物の剣を手に取り、勢いのまま転がって遠ざかる。敵の姿はそのままそこにあった。

 髭面だ。小柄だが、筋肉質な体つきをしている。達磨のような小太りだが、贅肉とは思えない。巨大な斧を両手で握りしめ、立ち止まったまま大音声を張り上げた。

「良い反応だあ! 名前を聞いてやるううう!」

「カナ」

「墓石に刻むのはそれでいいなあっ!」

 のっそのっそと近づいてくる、その動きは鈍重に思えるが、カナは即座に欺瞞を見破った。この程度の相手にあれほど接近を許すはずがない。相手が気配を隠す方が上手かったと考えるべきだ。動きの遅さを装っているが、俊敏さは人並み以上と考えるべきか。

 あっと思う間に姿が消えた。一瞬で懐に潜り込まれた。武器が斧にも関わらず。ありえない、と思考が停止するより早くカナは手にした剣で自分の喉を守った。

 斧は本来、武器に適さない。しかし凶器として扱うことは容易い。振りかぶり、振り下ろす。ただそれだけで生半可な剣や鎧では防げない大威力の斬撃が、あるいは衝撃によって人間を叩き殺すからだ。

 この髭達磨の斧の扱いは違った。振りかぶる動作が無い。突如、真下から上に切り上げたのだ。勢いを増す必要など無く、ただ自らの力だけでこの巨大な斧を自由自在に振り回している。危険な敵だ。カナはかろうじて斧による斬撃を、剣を使って逸らした。

「ははははは! いいぞ! いいぞおおおお小僧ぅうう! よく防いだあ!」

「煩いなアンタ」

「これならどうだあああああ!」

 まるで剣だ。小回りの利く剣士を相手にしているようだった。

 髭達磨は、カナの手にしているのと同じような長剣を使うのと同じ動きで、しかし実際には巨大な斧なのだが、右から左から、上から下から、袈裟切りに切り返しにと、凄まじい速度で攻撃を繰り出してきた!

 カナは冷静にすべてを防いだ。もちろんまともに受ければ一度で折れる。いなし、躱して、逸らして、攻撃の隙間を、あるいは終わりを待って冷静に対処しようとした。こんな巨大な斧を使っているにも関わらず、髭達磨の攻撃は衰えることを知らなかった。ただひたすら打ち込まれ続けること十分近く。むしろカナの方が疲労を見せるほどだった。絶え間ない攻勢にもほどがある。

 一呼吸分だけ間が空いた。カナは、ついに来た好奇とばかりに剣を引き、即座に距離を取った。こぉおおおお。ほぉおおおお。異様な呼吸音が聞こえていた。髭達磨が目を血走らせて、何か乾坤一擲の一撃を狙っていたのは、離れた瞬間に理解出来た。

 間を外され、髭達磨はその呼吸を止めた。目がぎょろりと剥いた。顔が真っ赤だった。全く疲労していないわけではなく、胸はゆっくりと上下しており、肩でも息をしていた。

「よくぞ見抜いたあああああああっ!」

「いちいち叫ばないと喋れないのか、アンタ」

「そんなことは、なぁあいっ!」

 ふぅうううう、と大きく息を吐き出して、髭達磨は一度手を止めた。

「金がぁああ! いるんだああああ!」

「へえ」

「娘のためぇええにいいいいっ! だからぁあああ……」

 カタナを手に入れて、それを売り払って大金を得ようとしているのだ。

 それをわざわざ説明してくる髭達磨に、カナは何か答えようとした。その瞬間。

「だからおれのために死んでくれええええいっ!」

「うおっ……」

「たのぉおおおむううう! 死んでくれええええええっ!」

 ひどい光景だった。死ねと言われて死ぬヤツがいるか、と返したいところだったが、髭達磨は涙を流しながら襲いかかってくる。巨大な斧を振り回し、ぼろぼろと滝のような涙を流しながら、しかしカナを確実に追い詰める凄まじい勢いで斬りかかってくる。追い詰められいるはずのカナは、だんだんと目が慣れてきた。そもそも試しの儀に参加している連中は勝つためにこの修練場に足を踏み入れたのだ。一部の例外もいたが。この髭達磨の言葉に心打たれて勝ちを譲るような剣士がいるはずもない。

「悪いが」

 まだ前日の疲労が抜けきっているわけではなかった。さりとて悲鳴剣の練習で染みついた動きと、その後、狂死朗から見せてもらった技の数々、何より、あの剣の振り方が未だ目に焼き付いて離れない。

 こう、か。

 カナはするりと斧による斬撃の嵐をすり抜けて、髭達磨の後ろに回った。

 一瞬遅れて、斧の持ち手の部分がばらりと落ちた。横を抜ける瞬間に斬りつけたのだ。そしてこの動きを髭達磨の男に悟られなかった。

「お、おおお、おおう」

 柄のあたりが短く、もはや彼の斧は使い物にならなくなっていた。少なくとも、この状態でカナを殺すことは不可能だと理解出来る程度には。

「負け、認めるか?」

「……おおおおおう。おおおおおおおう」

 髭達磨は泣いていた。嗚咽を漏らしていた。

「ああ、不意打ちは通用しないからそのつもりで。まだ諦めてないだろアンタ」

「……おおう」

 それでようやく、勝負が付いたようだった。

 震えていた肩が動きをぴたりと止めたからだ。どこまで本心で、どこから演技なのやら。

「娘がいて、金が必要だってのが本当かどうかは……俺には分からんが、それならますます死ぬわけにはいかないよな。今、負けを認めるなら殺さないでおく」

「……お前ぇえええ! 甘ぁあああいぞおおおうううううう!」

「うるさいって」

 顔をしかめて、髭達磨の叫びを聞き流した。その後、髭達磨は負けを認めた。髭達磨はすでに一人殺していたのか、カナの手の甲の数字は五になった。殺さなかったのが甘いと言われても仕方がない。あえて言うならば、この髭達磨は、カナが殺すほどの相手と感じなかったのである。

 もう一度立ちふさがったり、隙を狙って復讐に来たら……そのときはそのときだが、なんとなく大丈夫な気がした。

 ふう、と息を吐いた。そのときだった。

「ぐおおおおおおお……っ!」

 肩を落とし、去っていった髭達磨のくぐもった悲鳴が、カナの耳に届いたのは。



3、

「チィッ! 負け犬かッ!」

 カナが駆けつけると、すでに事切れた髭達磨が血だらけで地面に伏していた。丁度、自分の呪符の数字を確かめていたところだったのだろう。その男は不愉快そうに、血だらけの死体を蹴り飛ばした。

「はぁぁ~。そうだよなあ。そりゃそうだ。武器も持ってねえんだ。負け犬に決まってら。かぁ~。オレもヤキが回ったかね」

 カナは何も言わなかった。こうなる可能性も充分に予想してしかるべきだった。生かして返すのなら、修練場の入り口まで送る必要があったのだ。

「おっ。てめえか、オレの勝ち星を横取りしやがったのは」

 カナは答えなかった。答える価値を認めなかった。目の前の剣士の雰囲気は地刀流のそれだ。この感じが、剣気、すなわち魔力を扱っていることの表れだろう。年の頃なら三十を超えている。修練場で一晩を過ごしたためか無精髭がそのままとなっている。おそらくすでに何人も斬り殺してきた後だ。気配もそうだが、血の臭いがいやに気に障る。

「おい、おいおいおい。何とか言えよ。オレが聞いてるんだ。ちゃんと答えろよ」

「地刀流か」

「おい、質問してるのはオレだろ。なあ。ああ、もういい。もういいよ。死ねよ。死んでオレのために役に立てよ。勝ち星、溜め込んでるんだろ? おっと、五。てめえ、五じゃねえか。おいおいおいおい。随分と殺ったみたいだな。こりゃ油断出来ねえ。いや、それともアレか。ボクは敵じゃありませんよぉ~とか言って仲良くなって隙を見て後ろからズブリかぁ? おお怖い怖い」

 カナの手の甲の数字を目敏く見つけ、男は感心するように目を瞬かせた。

「ほら、来いよ。オレを斬りたいんだろ?」

 だが、カナは動かなかった。性根がねじ曲がっているのは分かるが、この男、それ以上に腕が立つ。挑発するような物言いのあいだも、へらへらと顔は笑っていたが、目は全く油断していなかった。カナが不要に動けば、その瞬間に反撃されていた。

「チッ。なんだよ、つまんねーな。ああ怒ってんじゃねーのか。怖がってんのか。そりゃそうだ。オレに勝とうなんて百年早いっつーのが分かるわけだな。良かった良かった。オレさ、弱い者いじめって嫌いなんだよね。もうボク降参しますぅ~とか言えよ。そしたら見逃してやるからさぁ」

「嘘を吐け」

「どおして嘘だなんて思うんですかぁ~。悲しいなぁ。言われませんでしたかぁ~? ひとを信じることは良いことデス! って。早く降参しちゃえよ。オレとしては勝ち星をちゃんと寄越してくれたらそんなにヒドイことなんかしないって決めてるの。分かる?」

 カナは嘆息し、わずかに気持ちを緩めてみせた。即座に男は居合いの要領で疾風斬を放ってきた。カナは余裕を持ってそれを避け、距離を取る。

「ありゃりゃ。オレ、釣られちゃった?」

「大根役者に用は無い」

「ヒドイなぁ。オレさあ、嘘は嫌いなんだよね。嘘つきを見ると吐き気がするんだよ。おかげでこの年になるまで嫁さんも来てくれねえんだぜ。女はみんな嘘つきだってことさ。ほら、ヒドイ話だろ?」

 意味のない会話をしながらも、男は眼光鋭く、カナとの距離を測っていた。性根と反して、腕はまっとうな地刀流のそれだ。師範代に匹敵するとカナは見た。つまり距離による有利は存在しない。離れれば疾風斬が、近づけば雷神剣が、さらに密着すれば紅蓮剣の餌食となる。いかにして地刀流を攻略するか。おや、と思った。

 カナの目に、男の動きには何か大きな齟齬があると見えた。カナは踏み込み、軽い気持ちでそこを狙ってみた。

「……え?」

 不思議そうに漏れた声は、果たしてカナのものか、それとも男のものだったのか。反撃するはずの動きは失われ、男は為す術もなくただ斬られていた。

「おい……おい……どうなって……オレ」

 あまりにもあっさりと勝利したことに、カナ自身が動揺した。視界に入り込んだ手の甲の数字は、八となっていた。



4、

「馬鹿なッ! この俺の紅蓮剣が……こんなくだらぬ方法で破られるなど……ッ!」

「馬鹿はアナタよ。馬鹿の一つ覚えみたいにそんな技ばかり使っても、わたしのような女一人殺せないだなんて……地刀流恐るるに足らず、といったところかしら。まあ、この程度が相手ならあまり警戒することも無かったわね」

「……まさか、この俺を釣ったのか」

「今更気づいたの? 鈍いわね」

 シンタは眼前の女を睨め付けた。一見して素手であり、剣どころか武器のひとつも持っていない術師の女だった。だが、戦えないわけではなかった。それどころか反撃の牙は鋭かった。地刀流剣士、紅蓮剣のシンタは良いように翻弄された。

 紅蓮剣が通用しないわけではなかった。当たれば、きちんと効果はある。しかし無意味だった。術師の女は人差し指をシンタに突きつけ、艶めかしく笑った。

 この場所に一人でいる術師など、格好の獲物以外の何者でもない。シンタのそんな奢りを手のひらの上で弄ばれたのだ。悲鳴を挙げながら逃げ惑う女に、まず疾風斬を打ち込んで反応を試すべきだった。

 今更言っても後の祭りだ。紅蓮剣に拘りすぎた挙げ句、不用意に距離を詰め、そしてシンタは罠に掛かった。

 いや、疾風斬を使って距離を保っていても、最終的には無駄だっただろう。女を追い詰めたと思った瞬間に、周囲を取り囲まれた。一人や二人ではない。十人近くの参加者たちが剣を手に、無表情のままシンタへと押し寄せてきたのだ。

 紅蓮剣で一人二人を吹き飛ばしたところで、物量の前には為す術もない。あるいは奥義たる不動剣を使えていれば、結果は違ったかも知れない。しかしそれこそ今更だ。

 シンタを取り囲んでいる剣士たちのなかには、いくつも見知った顔があった。

 同門の兄弟弟子たち。皆、この女に付き従っているように見える。さすがに師範代やその同格と言われる連中の顔はない。

 地刀流の情報は握られているはずで、シンタが紅蓮剣以外の技、疾風斬や雷神剣の精度を練り上げたとしても、この女がシンタを釣り上げることは難しくなかったはずだ。

 誰も声を上げず、冷たい目でシンタを見下ろしている。

 敵より奪ったあの剣は弾き飛ばされた。シンタは今、五人近くの剣士たちに押さえつけられ、彼らの中心で艶やかに微笑む術師の女の前で、無理矢理に跪かされていた。

 女の後ろにも、剣士たちが控えている。私語ひとつ漏らさぬ、整然とした動き。

「良い剣を使っているわね。アナタごときの腕には惜しいわ。もう少し相応しい子に持ち替えさせてあげようかしら」

「キョウジ……? お前まで……!」

 キョウジ。シンタを兄と慕ってくれる、地刀流の門下生のなかでも有望株と言われていた青年だ。

 紅蓮剣狂いとよく馬鹿にされていたシンタを尊敬の目で見上げてくれた弟分。そのキョウジがこんな女に与していることが信じられなかった。キョウジの目もまた、シンタを冷たく見据えてくる。まるで他人を見つめるように。

 いや、人間を見ているような目ではない。

 この状況は夢でもなければ幻でもない。裏切られたのだ。

 彼らは組んで、シンタを今まさに殺そうとしているのだ。

 試しの儀は、そういう場所だ。

 徒党を組んではならぬとは、規則のどこにも書いていない。勝者たれば、あらゆる手段は許容される。最強の剣士とはいかなる敵にも、いかなる手段にも打ち克つ者であるべきだから。

 そうだ。死ぬことも覚悟して参加したのは自分である。参加したことそのものに後悔はない。戦って死ぬことは、最初から織り込み済みなのだ。だが、しかし。弟分にこのような視線で見下ろされ、ただ無為に死んでいくことには耐えられない……!

 どうしてだ。どうしてなのだ。

 ぎしり、と奥歯を噛みしめ、その現実に押し潰されそうになった瞬間。シンタは、脳裏を過ぎった思いつきを口に出していた。

「術かッ! 何かの術で、皆を操っていたのか!」

「うふふふふ。アナタ、お馬鹿さんかと思ったけど……お利口さんね。でもね、そういう賢さは要らないのよ。わたしに素直に従ってくれる子だけでいいの。そういう子なら、わたしは愛してあげられる。アナタも愛してあげるわ。ほら、楽になりなさい」

「誰がお前みたいな女の言いなりになるか」

 シンタは術師の女の顔に唾を吐き付け、口を閉ざし、目を見開いた。

 直後、唇から大量の血が溢れてきた。

 痙攣し始めるシンタの身体に、女はより一層笑みを深くして、優しく見下ろした。

「……そう。舌を噛みきってまでわたしを否定したのね」

「……」

「そういう子ほど愛おしいわ」

 やがて痙攣すらも停止したシンタの死体。地面に膝を突いて、女は物言わぬシンタの亡骸をそっと抱き留めた。そしてその血塗れの唇に自分のそれを重ね合わせた。

「うふふ、うふふふふふふ……さあ、行きましょうか」

 シンタの身体をその場に横たえると、女は立ち上がり、ゆっくり歩き出した。

 その後ろを、無言の剣士達が静かに付き従ってゆく。



5、

 昨夜のうちに、何人減っただろうか。カクリャンは自分の呪符の数字が、未だ三のままであることに危機感を覚えていた。このまま三日目に突入してしまえば、あるいは自分たちのあずかり知らぬところで勝負が決してしまうかもしれない。

 規則を思い返すに、三十、いや、二十七か二十八まで数字を増やせば、そのまま逃げ回るだけで勝利が確定することになる。この試しの儀、最後の一人になるまで殺し合うのが本来あるべき形だろうが、実際には過半数を確保出来ればそれで良いのだ。

 無論、数字が足りないか、もっと少ない場合は獲物を探していかに多く殺すかの競争となるが、あまりにも遭遇する率が少なすぎる。つまり、誰かが参加者を狩っている可能性が極めて高い。効率的にか、手当たり次第か。すでに二日目の昼を過ぎているのだ。勝ち星を稼ぎ、二十以上の数字を持っている者がいると考えるべきだ。

 逆に言えば、そいつを見つけて殺してしまえば、自分たちの勝利は確実となる。

 しかし剣士は見つからない。無駄に歩いて体力を消費して、その状態で強敵と出くわすのはあまり嬉しいことではないが、そうも言っていられない。この試しの儀に時間制限がある以上、今は動き続けるのが得策である。

 最悪なのは、過半数の勝ち星を持った者が全力で隠れ潜んでいる場合だ。自分たちと同格かそれ以上の相手と考えれば、悠長にしている暇は無いのだ。もちろんこれまで他の参加者とあまり顔を合わせなかったのは偶然の可能性もある。

 偶然。そこまで都合良くは考えられないのが、カクリャンの良いところであり、悪いところでもあった。いや待て。カクリャンは直感によって足を止めた。

 他の参加者が見つからないことは、偶然で片付けても良い。だが、他の参加者の死体も見つからないことはどう説明する。自分で殺した他の参加者と、あの首と身体が断たれていた死体を除き、修練場で剣士の死体を見た覚えがない。積極的に参加者狩りに精を出している最有力がいるとすれば、死体が見つからないのはおかしい。死体はすべて妖魔に食われたかとも考えたが、一日経たずして一切が消えているとも考えにくい。

 頭脳労働は俺の仕事じゃない、と大声で叫びたかった。カクリャンはしかし、今考えることを止めることの愚を本能的に悟っていた。

 今、自分は死の淵に立っている気がする。この思考を止めることは死に近づくことだ。こんな場所で死ぬわけにはいかない。

 あのフマリガを相手にしてすら生き残った自分が!



6、

 同じ頃、地刀流師範代シドウもまた、同じ疑問に行き着いていた。

 おかしい。修練場は広い。相手も常に動き回っているのだ。石川総司を未だ見つけられないのは仕方ないとして、他の敵はどこに散らばっているのだろう。地刀流からの参加者も多くいた。自分が任せられた道場の門下生も何人か参加している。別に彼らと落ち合う予定などもなかったが、しかし敵を待ち構えるのに有利な場所のいくつかに、誰の姿も見られなかった。

 三日という長丁場である。剣士同士の争いが、あるいは一瞬で終わることも多いことを考えれば、長期戦のために準備をするのが当然の心得であろう。

 なのに、地刀流剣士とすれ違うこともなければ、その気配も近くにはない。石川総司とカナ。あの二人を相争わせる策を思いついたはいいものの、どちらの居場所も分からなければ意味が無い。自分の勝ち星を増やそうにも敵が見当たらない。

 どうなっている。未だ、彼の足の裏にある数字は、一のままであった。初日、誰とも遭遇しなかった。この段階でおかしいのだ。勝者たるためには一つでも多くの勝ち星を稼ぐ必要がある。

 前回のことを考え合わせても、一戦もせず二日目に突入するなど異常に過ぎる。自分が敵を探しているように、相手もまた敵を探し求めているのだ。

 最初から逃げ隠れするような臆病者は予選によって弾かれる。違和感を覚えて、しかしどうすることもできずに夜は更け、二日目の朝を迎えた。何にせよ、数字が一というのはいかにも拙い。総司とカナをぶつけ、漁夫の利を狙う作戦があるといっても、上手く行かない公算は高い。その場合、自分が戦うことなく試しの儀の勝者が確定する。このとき数字が一のままでは、地刀流剣士としての沽券に関わる。誰とも戦わぬまま、三日を逃げて過ごした臆病者として扱われるに違いない。

 古くは、餓狼と呼ばれた身である。そんな風評を立てられれば憤死しかねない。が、探せども探せども敵は見つからず、それどころか敗者の死体すら見つからない。

 いや、ひとつだけ見つけた。大剣使いだ。誰が殺したのか分からないが、残酷なことをするものだと思った。そうしているあいだにも刻一刻と時間は過ぎていく。

 気がつけば、二日目の昼である。残り一日を切ってしまった。

 焦るシドウだったが、焦ったところで見つからないものは見つからないのだ。

 用意してきた干し肉と煎り豆を口に含み、僅かに残っていた茶で流し込んだ。そんなときである。骨で出来た剣を手にした、無骨な大男を見つけたのは。

 勝ち星となれ、そう叫んで襲いかかることも考えたが、どうも様子がおかしい。幸い、あの大男はこちらに気づいていない。しばらく見守らせてもらうとしよう。



7、

 この場面に石川総司が足を踏み入れたのは、完全な偶然であった。

 試しの儀。妖魔溢れる修練場。

 そんな場所に本当の偶然が存在するのかはさておき、少なくとも彼には意図はなく、他の剣士たちにも予定外であった。見た顔がいる。シドウだ。もう一人は予選にいた。カクリャンと呼ばれていた。総司が遠慮無く踏み込んでいったせいで、隠れていたシドウはカクリャンに気づかれた。どの道、不意打ちをして倒せるような相手でもない。シドウは突然現れた総司に向き直った。

「どうしました、こんな場所で」

「待った。お前、数字は」

 カクリャンから問われ、少し考えてから総司は答えた。

 駆け引きをしても良かったが、隠すほどの情報でもないと考え直したからだ。

「十二ですよ。やたらとお誘いがありましてね。おかげで眠らせてもらえなかった。これで相手が女性で、美女ばかりなら良かったんですがね。……そういえば、シドウさん。参加者の方に女性っていましたか?」

「いましたな。一人は修練場に入る前に参加を辞退して、カナ殿に勝ち星を押しつけて行きましたが……もう一人いたはずです。それが何か」

「ふむ。いえ、少し気になっただけです」

 地刀流師範代二人が、普通の口調で会話をしている。

 もちろん、不意打ちには備えている。奇妙な緊張感が生まれようとしているなか、カクリャンが再び口を開いた。

「へえ、十二か。……なあじいさん」

「なにかな」

「俺と組んで、こいつを殺すのはどうだ?」

 総司の目の前でする提案ではない。が、カクリャンなるこの剣士は、分かっていてやっているのだ。これに乗ってくればそれで良し。断られても痛手はない。じいさんと呼ばれるような歳ではない、とシドウは反論しなかった。

 総司は、おやと思った。

 地刀流剣士は、別に総司の味方ではないことは分かっていたが、この師範代は内心に別のものを抱えていると見透かした。別に構わなかった。総司は、眼前の二人が同時に襲いかかってきたとしても、無傷で勝てると判断していた。

「ワシが頷くと思うか?」

「思うぜ。アンタの目は俺と同じだ。自分より強いヤツをぶっ殺してやりたくてタマラネェって顔だ。自分に素直になれよ。このスカしたキザ野郎が大っ嫌いなんだろ。アンタが頭を下げて、お願いしますって言ってくれたら、俺は全力で手伝ってやるよ。なあ」

「若いの。そろそろ黙れ」

 総司としては面白い出し物だ。シドウが何かを企んでいるのは分かったが、カクリャンの言葉を心底邪魔だと感じているのは感じ取れる。中途半端な三つどもえだが、全員が、率先して誰かを攻撃しようとは思っていないのだ。総司は、面倒だから二人とも殺してしまおうかとも思ったが、気を取り直してシドウに声を掛けた。

「シドウさん。どうして彼を見張っていたんです?」

「……いや、それは」

「いいじゃないですか。別に隠すような情報でも無いんでしょう?」

「若様は、道中で他の参加者の死体、いくつ見ましたか。ああ、もちろん自分で斬った相手を除いてです」

 総司は、ふむと思い返した。斬った相手は六名だ。が、それ以外の参加者には会わなかったし、余計な死体にも出くわさなかった。なるほど、シドウは余計な相手がいると推察したのか。ちらりとカクリャンの表情を覗くと、意外そうな顔をしていた。

 同じようなことを考えていたようだ。地刀流にとっては重要な試しの儀に、異物が混入している。その真偽は確かめねばなるまい。総司がより詳しい情報を二人から聞き出そうとした、その瞬間である。

 誰からともなく、三人は背を向け合い、周囲に突然現れた不可解な気配に対峙した。

 三名は協力しあう義理などないし、むしろ背中に気をつけるべき敵対者である。にも関わらず、危険を察知した時点でこうすることが最善とばかりに、死角を潰した。

 直後、無数の人影が襲いかかってきた。すわ妖魔の群れかと思いきや、そこには総司も見知った顔がいくつもあり、見知らぬ顔もそれに含まれていた。およそ十五名ほどの剣士達の群れであった。

 そうだ。群れだ。

 昨日今日と道行く途中、何度も遭遇した妖魔の群れと同じように、人間ではない化け物たちの行進であった。

 剣士達に表情はなく、生気もない。ただ襲いかかってくる剣の冴えだけは総司もよく知るものだ。十五名が総司たち三人を取り囲み、その全力で殺しにかかってくる。

 乱戦の様相を呈しているが、地刀流の技が飛んでこないのが不思議なほどだった。そこには地刀流剣士も七名加わっているのだ。この状況で紅蓮剣でも使われれば、いかに総司といえどひとたまりもない。誰何の声を上げる必要は感じなかった。

「亡者、ですな」

 シドウの言葉に、総司は頷く。そうだ。これは同門や、参加者の顔をしているが、その中身は死者でしかない。その証拠に、どうだあの動き。周囲にいる仲間と思しき剣士の攻撃にその身を晒し、何ら躊躇することなく決死の攻撃を繰り出してくる。

 総司も、シドウも、カクリャンも、こんな無様な攻撃を受けるほど弱くはない。しかし一人の身を犠牲に幾度となく決死の行進を繰り返されれば、やがて耐えきれなくなることもあるだろう。

 いや、それだけではない。反撃をしても、敵の動きが止まらないのだ。痛みも感じていないのだ。早い段階でこれに気づいたおかげで、致命的な失敗こそ無いが、しかし腹を突き刺そうが、腕を切り飛ばそうがひたすら攻勢の手を緩めない敵というのは、いくら総司でも堪える。

「くそ、なんだってんだよ。こいつら」

「若いの。おそらく殺してもまともには死なんぞ。四肢を断て。それが手っ取り早い」

「それか首を刎ねるべきでしょうね。どうやら、そこまですれば動きが止まる」

 斬っても斬っても次から次に襲いかかってくる、不死の剣士の群れ。妖魔の大群よりよっぽど性質が悪い相手だ。こんなものが自然に発生するわけもないし、全員が参加者であることを考えれば、誰かの手によるものとすぐに知れる。

 そもそもここは禁地だ。七名以上の人間が行動を共にしていれば、無数の妖魔に察知され、常に襲撃されることになる。その様子も無いことから、これらはもはや人間ではないと判断できる。

 誰かの操り人形なのだ。狙われたのは総司か、それとも今なら、三人まとめて殺すには都合がよいと考えたか。

 亡骸を操っているだけで、地刀流の技までは使えないのは僥倖だった。自爆戦法を用いて、動きを止められたところに無数の疾風斬を打ち込まれたら防ぎようがない。地刀流師範代が二人と、それに引けを取らない腕利きの妖魔狩りが、水も漏らさぬ動きで亡者剣士どもを動けなくしていく。

 動きを止めた屍が、三つ、四つ、五つ、六つと積み上がっていく。ひとつ数を減らしていくたび、余裕も出て来ようものだ。終わりが見えて来たころ、カクリャンが苦々しい呟きを漏らした。

「……おい、ありゃあ」

「なるほど。予想してしかるべきでしたね」

 うんざりしたカクリャンの声に、総司は丁寧に返してやった。遠くから妖魔の群れが近づいてきた。悪鬼が十体に、怪鳥が三匹、見たことのない緑色をした星形の化け物に、三つ首四つ尾の蛇。修練場にあんな妖魔がいただろうかと、総司のみならず通い慣れたシドウも唖然とする集団だった。

 見れば分かるとしか言いようが無いのだが、それらも死んでいた。死にながら、動いていた。これもまた、操り人形だろう。亡者の剣士軍団の次は、死せる妖魔の軍団だ。最強の剣士を決めるための儀式、そんな名目を完全に無視した物量作戦である。

 剣士は動くことを止めない。半分自動的に動いている。そして妖魔はそんな剣士の背後から押し寄せてきていた。

「いつまで戦わなきゃならんのだ、こんなのと」

「さて、案外これで打ち止めかもしれませんよ」

 ぼやくカクリャンに、総司は苦笑で返した。そのままシドウに視線を向けた。

「シドウさん。そろそろ本気を出してくれませんかね」

「若様こそ」

「……カクリャンさんも全力でやってくれたら考えます」

「ああ、まあそうだよな。全員手の内を見せる気はねえってことだわな」

 亡者の剣士たちが操られている以上、捨て身であることだけが危険の理由だ。総司からすれば、地刀流を使ってこない地刀流剣士など実のところどうとでもなる。

 他の二人も似たようなものだ。問題は、下手に全力で対処すると、その隙に隣や背中から攻撃されるのは間違いない点である。三つどもえというよりは三すくみだ。

 この場にいる相手が相手だ。僅かな隙が命取りになる以上、前よりもむしろ周囲に警戒しなければならず、それが尚更面倒だった。

 この亡者の軍勢を送り込んできた術師はどこまで狙っていたか。決して余裕があるわけではないが、絶体絶命の窮地とは言えない。この絶妙ないやらしさに、少しずつ体力だけを無為に消費させられている。全員にとって、あまり嬉しくない状況であった。



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