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彼と彼女の迷宮えれじい  作者: 三澤いづみ
第二部 『ソエモン秘剣抄』
14/62

壱、《試しの儀》




1、

 試しの儀。ヒノモト全土より集まった剣客たちは三百名近くいたが、さすがに全員を修練場に連れて行くわけにはいかない。予告されていた通りに、予選が行われた。予選は次のふたつからどちらかを選ぶ形である。

 ひとつ、妖魔と戦いこれに勝つこと。

 ふたつ、道場内で乱戦をさせ、勝ち残った上位十名。

 妖魔と言っても、ただの妖魔ではない。修練場に出現するものと同じ悪鬼である。

 術師の協力を得て、常に魔力を与え続けなければ修練場の外では生きられない妖魔ではあるが、その恐ろしさは想像を絶する。

 極めて特殊な術式と、入念な準備の上で、この場に召喚している。

「おい、あんなのと戦わなきゃ本戦に出られねえってのか」

「そもそも修練場にはあんなのが山ほど出ますので、あの程度に苦戦するようではいたずらに命を落とすだけなのです。地刀流でも、皆伝の方は皆あの悪鬼より凶悪な妖魔を何体も討伐しております」

「なんだと?」

「試しの儀は、あの修練場で行われます。敵は他の参加者だけではないのです」

 参加予定だった剣士の一人が、困惑した表情で質問を重ねた。

「妖魔と戦っている最中に、他のヤツから不意打ちを食らったらどうするんだ?」

「油断した方が悪いのです」

「……なんだそりゃ」

「一対一でしか戦えない剣士が最強を名乗るに値するとでも?」

 そう言われてしまっては口ごもるしかない。試しの儀は、次代の石川添問、すなわち地刀流を含めた最強を決めるための乱戦なのだ。知力体力時の運。すべてを揃えてなお足りない、一線を画した恐るべき剣士にこそ相応しい。

「妖魔に不慣れな方もいらっしゃるでしょう。その場合、ふたつめの予選を勝ち抜けばよろしいかと。あの悪鬼を倒した方には全員修練場への入山資格を授与しますが、乱戦での勝者は十名のみですから……どちらを選ぶかはご自身の選択で。無論、このまま諦めていただいても結構です」

「……くそ。あんなのとやり合うのが予選かよ」

「どうやら最初の挑戦者がいるようです。そちらを見てからお考えになっては?」

 三百名近くいた参加予定者だが、二の足を踏んでいる者の数は多い。それもそうだ。修練場の実態などよほど詳しく調べた者でもなければ把握出来ないだろう。

 あの悪鬼は肌は鋼のごとく硬く、腕は丸太じみた太さで、その咆哮は恐ろしく、近くで受ければ身動きが取れなくなる威力だ。そんなものがうじゃうじゃといるからこその禁地である。平時は封印されているのも当然であろう。

 係員が指し示した場所は、道場の前にある広場だった。そこに十数名の術師が控えており、その一人が悪鬼を使役していた。

 使役と言っても細かな命令を与えるわけではなく、今は抑えているだけで、挑戦者が出た段階でその枷を外すのである。



2、

「くくく。なかなか面白い趣向ですな」

「君、名前は?」

「天外無情流、木枯狂死朗。くくっ、ワタクシが一番手でよろしいか?」

「死んだ場合も我々に責任はとれません。分かっていますか。一応、死ぬ前に降参した場合は、なんとかあの妖魔を抑える努力はしますが……」

「くくく。分かっておりますよ。さあ、さあ! 早く終わらせてもらいましょうか」

 不気味な男であった。剣士と呼ぶにはあまりにも矮躯。青白い頬はこけている。枯れ木のごとく細い腕。棒きれじみた細い足。しかし眼光は鋭く炯炯と輝き、そのゆったりとした動きには見る者に死を感じさせる。

 天外無情流。

 聞いたことがあるかと、参加者達が顔を見合わせている。無名の流派であろうか。それとも歴史に埋もれた一派か。

 悪鬼が動いた。腕の一振り。それは風に唸り声を挙げさせる一撃だ。直撃すれば人間の身体など肉塊にしかなるまい。掠っただけでも死を覚悟しなければならぬ、恐るべき膂力の発現。しかし。

「妖魔ごときが、ワタクシに当てようなどとッ!」

 どこにそんな力があるのか。爆発したような派ね跳び方をして、悪鬼の必殺を悠々と躱すと、狂死朗は自らの剣をそろそろと抜き放つ。

「サア、食らうがいいッ!」

「るおおおオオオオオアアアアアアッ!」

 内蔵が絞られたような、喉がねじ切れたような、そうした狂った悲鳴だった。悪鬼は身をよじらせ苦悶の叫び、いや、断末魔を無理矢理にひねり出させられ、やがて泡を吹いて死に絶えた。召喚によって出現させられていたためか、唐突に姿がかき消え、その場に巨大な魔石だけが残った。

 魔石は次の悪鬼を召喚するために再利用されるため、狂死朗の手には渡らなかった。

「くく、見たか。これぞ悲鳴剣ッ! これが天外無情流ぞ!」

 一瞬の静寂のあと、歓声が沸き上がった。それに混じる無数の感嘆。地刀流の次代のお披露目の意味が強いこの場で、自分の流派の宣伝に使ったのだと看破する声。

 宣伝効果は抜群だった。あの悪鬼に恐怖を抱いた参加者たちは、木枯狂死朗なる謎の男への羨望や嫉妬、あるいは憧憬の視線を送っている。予選に過ぎないこの闘いは、あっという間に会場を盛り上げる最初の鏑矢となった。

 こうなると黙っていられないのが地刀流の面々である。総司も不正を疑われないため予選に出場することが決まっていた。何人かあの悪鬼に負けたところで、満を持して出て行く、そんな演出を考えていた関係者も居たのだろう。

「次は私が出る。用意してくれたまえ」

 次に前に出たのは、地刀流ではなかった。それどころか剣士ですらなかった。

 術師だ。どこかの民族衣装めいた、いやに派手な紅白の上下。顔にもいくつかの文様が描かれており、手にしているのは剣ではなく錫杖。西方の魔術師とも、ヒノモトの術師とも道士とも違う、かなり珍しい種類の術師のようだった。

「いま用意させます。ところで、お名前は」

「ファン・ホアンだ。風鳴師をしておる」

「なるほど」

 風鳴師だってよ。聞いたことあるか? いや、無いナ。大陸出身かね。そんな適当な言葉があちこちから飛び交っている。ホアンは錫杖を一振りし、石突きを地面に三度叩き付けた。

 シャラン。シャラン。シャラン。

 やがて悪鬼が出現した。

 先ほどの悪鬼は無惨に殺されたから、違う個体なのだろう。個体差があるのかどうかはともかく、狂死朗によって殺された悪鬼よりは慎重らしかった。いきなり攻撃を仕掛けてくる様子も無い。

 場に残っていた気配か何かで、危険を察知したのだろうか。ホアンは動かなかった。悪鬼がじりじりと近づいてくる。間合いが狭まる。

 悪鬼とホアンの体格差は凄まじく、本気ではない体当たりひとつで遠くまで吹き飛ばされそうな見た目だ。悪鬼が、狙いを定め、腕を振り下ろした。轟、と風を砕きながら迫ってくる腕の肘あたりを、ホアンは錫杖で強かに打ち付けた。

 よろめく悪鬼。

 似たようなことが三度繰り返された。それほど力が込められているとも思えない反撃だったが、悪鬼はいいように翻弄されていた。

 四度目である。悪鬼が腕を振り回した、その瞬間。

 ホアンは無表情に何事かむにゃむにゃと唱えると、素早く錫杖を振り上げた。

「怨!」

 いきなり血が噴き出した。いや、悪鬼の四肢が弾け飛んだのだ。

 両方の肘のあたりから、足は膝のあたりから、悪鬼は惨い有様だった。

 悪鬼と呼ぶのが躊躇われるような、ぽかんと口を半開きにした、唖然とした顔。悪鬼には何が起きたのか全く分からなかったのだろう。観客にも理解しがたい事象だった。

「……トドメはいるかな」

「いえ、予選通過です。どうぞ」

 風鳴師。恐ろしい男だった。何らかの術を使っているのは分かるが、その正体が掴めない。観客達の注目を一身に浴びながら、ホアンは道場の奥に向かった。

 予選通過者は、呪符を預けられる。この呪符が修練場の封印を通り抜けるための鍵にもなっている。二人連続で圧倒してしまったためか、参加者たちのあいだに弛緩した空気が流れていた。

 実はあの妖魔は弱いのではないか。躊躇っていたが、案外簡単に勝ててしまうのではないか。我も我もと三戦目に手を挙げる者は後を絶たなかった。

 三人目は頭が破裂した。四人目は一矢報いたが、直後踏みつぶされた。無論、参加者側のである。呼び出された悪鬼はそれまでと同種のものであり、結局、狂死朗とホアンが規格外に強かったのだと判明した。五人目はなかなか現れなかった。この時点で実力が足りないと理解した参加者の大半は予選会場から離れるか、終始見物に徹することを決めており、この時点から地刀流の実力者たちが悪鬼に挑み始めることになった。

 さすがは地刀流である。そう言われて久しいが、ここでもその実力は遺憾なく発揮された。初手で狂死朗にお株を奪われてしまったとはいえ、地刀流がそのすさまじさを知らしめるには絶好の機会である。

 無論、全員が勝ったわけではないのだが、それでも死者はいなかった。

「いざ。雷神剣!」

 見上げねばならぬほどの巨体たる悪鬼、その更に上段へと飛び上がり、全力で一撃を放つのだ。これは単なる振り下ろしにあらず。受けが間に合わぬほどの速度で、あるいは受けても耐えきれないほどの威力を持っている。

 悪鬼は脳天を割られ、鋼同等の固さを誇る肌も、あるいはそれ以上に硬い頭蓋骨も、ただの一撃で打ち砕かれて地に伏した。

 これこそが地刀流、雷神剣である。

 達人が使えば、まさしく雷と見紛うほどだ。他にもいくつもの技があるが、この悪鬼との闘いでもっとも盛り上がったのは、やはり宗家が嫡男、石川総司が姿を見せたときだった。予定はいくぶん狂ったにせよ、すでに二十名近くが予選を突破している。

 大半が地刀流出身ではあるのだが、五名ほどが他派であり、三名は剣士ではなく術師であった。観客は、石川総司の技の冴えを待ち望んでいた。当代を越える天才。開祖の再来とすら称えられる、地刀流の麒麟児。

「地刀流師範代、石川総司。参る」

 相対する悪鬼の心情はいかばかりか。暴虐を生み出すからこそ悪鬼と呼ばれるのに、次々に召喚され、すでに二十体近くがこの場で無惨に殺されている。危険を感知する能力の有無のみでは、もはや越えられぬ死地である。悪鬼は総司が構える前に襲いかかった。美男子。麗人。穏やかな容姿。その裏に隠れた怜悧さ。観客たちは悪鬼が唐突に出した、あまりにも必死な全力に目を覆った。無惨な光景が繰り広げられるに違いない。

 石川総司はまだ剣に手を掛けてすらいないのだから!

「ふむ」

 しかし、声は涼やかだ。悪鬼の拳は殺意に満ちあふれ、その一撃はこれまで見てきたどんな者よりも緻密にして強力、一切の躊躇も遠慮もなく、ただ目の前で薄く笑う人間を殺すために荒れ狂う。暴力の嵐を、一陣の風のようにふわりとすり抜けて、総司は悪鬼の背後に歩いていった。

 ゆったりと剣の柄に手を掛ける。

 興業というわけではないが、地刀流を受け継ぐものとしては、その凄まじさ、強さを衆目に知らしめるのは義務であろう。ゆえに総司はたっぷりと焦らしてから、観客によく見えるように動く。

 悪鬼は怒り狂う。どれほど殺そうとしても死んでくれない眼前の優男。どうして殺せないのか。どうして死なないのか。一度当たれば醜く潰れるはずなのに。

「地刀流奥義、不動剣」

 剣を抜いた。するすると、青眼の構えを取る。静かな声だった。喚き叫んでいる悪鬼の咆哮と、ざわめく観客達の悲鳴とに紛れながらも、そのすべてを支配下に置くような清澄な声。ありとあらゆる騒がしさは、その一言の前にひれ伏した。悪鬼まで、かなりの距離があった。総司の剣の間合いよりなお遠く、果てしない距離が。

 剣は届かない。にも関わらず、悪鬼が襲いかかってこようと、その身をたわませ、飛びかかる瞬間。斬撃が、悪鬼の身体を両断した。総司が腕を振ったところは見えなかった。目を懲らしていた観客のすべてがその瞬間を見落としたようだった。しかし悪鬼は確かに真っ二つに切られていた。これこそが不動剣。地刀流が奥義、皆伝の必殺。

 もっと派手な技を見たがっていたものもいたはずだ。しかし、今この場を訪れているのは多くが剣士。自らの技を恃みに日々を生きるものども。ならば、この奥義がどれほどに恐ろしい技なのか、理解出来ないはずもない。気づけば斬られているのだ。そんな相手と戦うことが、いかに無謀なことなのか。一瞬で身に染みたに違いなかった。



3、

 すでに予選突破者は四十人を越えていた。悪鬼との戦闘は、始まった頃に出た死者数名を除き、ほとんど無事に完了したと言える。そもそも修練場に跋扈する妖魔は、どれもこれも、彼我の実力差を弁えないものが戦えるような相手ではないのだ。半端な技量で参加することの愚かさは、その僅かな死者の無惨な死体が教えてくれていた。

 カナは、ふたつめの予選に顔を出していた。悪鬼と闘うのも悪くはなかったが、乱戦を乗り越える方を選んだのである。

 妖魔との戦闘を避けたからと言って、乱戦を選んだ彼らの実力が劣るわけではない。

 戦闘が始まった途端、それを示すかのように、大柄な大剣使いが五人近くを一度に吹き飛ばした。剛剣使いである。力技ではあるが、それほどの膂力で振り回される一撃だ。受け止めることが許されない斬撃は案外対処に困るものでもある。

「お前、強そうだな」

「あんたもな」

 地刀流の道場がいくら広いといっても、五十人近くが一度に戦うには厳しい。板張りの床で、よく磨かれている。裸足が触れるたび、小気味の良い音が聞こえてくる。竹刀や木刀を使っているものはいない。武器は各自用意することとあったように、真剣を持って来ているものが大半だった。事前説明に寄れば乱戦での勝ち負けは、気絶した場合、場外に出た場合、降参した場合、そして死亡した時点で失格となる。

 手っ取り早く雑魚を殺そうとしている連中もいる。乱戦での勝者が十名というのは、極めて丁度良い数だったように思われた。カナの見たところ、確実に勝ち上がれるものが自分を含めず五名。それに準ずる実力が者が、やはり五名ほど。あとは単なる数合わせに過ぎない。とすれば、どの一人を蹴落とすかの勝負でしかない。

「カク。あいつは避けろ」

「そうだな。向こうを蹴り出しておくか」

 そこかしこで誰と闘い、誰を避けるかを思案している顔がある。その一方で手当たり次第に敵を叩きのめす大剣使いもいる。カナは手にした安物の剣を握りしめ、場違いな数名を追撃することにした。まずは、一番弱そうなオカッパ頭の青年からだ。いやに豪奢な拵えの鞘が見えるが、剣に手を掛けているわりに未だに抜いてすらいない。

「な、何をする!」

「何をって……乱戦だろ。自分以外は全員敵って扱いにするのが基本じゃないのか」

「そ、それはそうだが。ん……その剣、そんな安物で僕に勝とうと思っているのかね!」

 カナは舌を巻いた。剣を見た瞬間に、不安げな表情が勝ち誇るそれに変わったからだ。

「〝エジアレイト〟 行け、シュトルム・フリーゲン!」

 何かを叫びながら、オカッパ頭が剣を抜き放った。

 瞬間、嫌な予感がして、身体を無理に捻った。

 轟、と風が今までカナのいた場所を切り裂いていった。

「疾風斬、だと?」

「ふふん。僕の剣の一撃は、そんな黴の生えた技の名前じゃないよ。これはシュトルム・フリーゲン! この僕の力を存分に味わいたまえよ!」

 今オカッパ頭が放った一撃は、地刀流の技である疾風斬に似すぎていた。地刀流では剣気と呼ばれるそれを用いて、間合いの外にいる敵にすら剣閃を届かせる技。

「シュトルム・フリーゲン!」

 再び、見えない刃が飛んでくる。かまいたちのような斬撃。どう見ても疾風斬そっくりなのだが、当人が違うと言い張っている以上は別物だろう。考えるべきは、このオカッパ頭が振り回す凶器をいかにしていなすかだった。カナが避けたせいで、背後で戦っていた二人に横槍が入るかたちになったが、乱戦であるため仕方がない。

 疾風斬もどきが直撃した参加者の一人が、ばたりと倒れた。背後からの不意打ちになったのだ。後ろで戦っていた全身鎧の男が、がしゃがしゃと騒がしく接近してくる。手には長剣を携えている。兜に隠れて顔も見えないが、案外西方から来たのかもしれない。

「いきなり何しやがる!」

「避けられない方が悪いのさ。さあもう一度! シュトルム・フリーゲン!」

「くそ! なんだこいつ!」

 二人や三人増えたところで、問題無いと考えているのか。

 オカッパ頭は流れるような動きで剣を振り、戻し、呟いた。

「〝エジアレイト〟」

「……あ、てめえ! 魔剣かそれ!」

「何のことだか。ほら、シュトルム・フリーゲン!」

「おい、わざわざ技の名前を叫ぶ必要なんてねえだろ!」

 鎧男とオカッパ頭は、無言で見守るカナを尻目に言い争っている。

 カナは自分の安物の剣を見つめて嘆息する。普段使いが折れ、急ぎ用意したこれは安物である。遺物の一種である魔剣と打ち合わせたら、折れるか砕けるか。なんにせよ、武器の質に差がありすぎる。

 腕が三流でも武器があれだけ上等なら勝ち残るかもしれない。普通より間合いが広いのは有利ではあるが、使いこなせていなければ意味が無い。もどきとはいえ、疾風斬そっくりである。これから地刀流を相手取ると考えれば、その対策になると期待したが、横から邪魔をされてしまった。

「ほらほら、僕に近づけまい! シュトルム・フリーゲン!」

 性格も出ている。腕は三流だが、やり口は上手い。相手を近寄らせず、一方的に攻撃する、あるいは出来る位置取りをするにあたって、オカッパ頭は実に巧者だった。剣士ではなく、術者としての修行を積んだならば大成しただろう。カナは同情した。鎧男が俊敏な動きを苦手にしていることも重なって、どうにも嬲られている様子である。

 オカッパ頭は剣を三回振るごとに、何かを唱えて風の刃をまとわせている。つまり三回目を振り切った時点で優位は消え、距離を詰められればそこで終わりなのだ。

「そろそろ終わらせようか。行け、シュトルム・フリーゲン!」

 と声に出した瞬間、カナは飛び出した。

「ふふふ、甘いね。僕だって弱点くらい分かってるさ」

「なっ」

「ほら、当たれ!」

 技の名前も叫ばず、剣は振られた。四回目の風の刃がカナに向かってきた。三流と見誤ったのは油断だった。だがオカッパ頭は忘れている。敵は二人いるのだ。カナに向けられた風の刃。それを紙一重で避けて、鎧男が突っ込んだ。体当たりして、バランスを崩したオカッパ頭の、その腕を掴んだ。

「捕まえたぜ、おぼっちゃんよ」

「ひっ」

「魔剣頼りのガキになんぞ、負けてたまるかってんだ。おら! 寝てろ!」

 腹部を思い切り殴られたオカッパ頭はその場に頽れた。鎧男が勝ち鬨を挙げているところに、カナは近寄った。にこやかに手を挙げて、ねぎらうように声を掛けた。

「あん? なんだ、さっきのやつか」

「お疲れさん。……じゃあな」

 油断大敵である。全身鎧を相手に手加減しは面倒なので、足下を引っかけて思いっきり投げ飛ばした。やたらと重かったが、場外にまでごろごろと転がり、やがて壁に激突して止まった。

 こうして予選はあっさりと終わった。魔剣による風の刃を受けた男も、処置が早かったおかげか致命傷は免れたようだ。こちらの予選では、幸い死者は出なかった。

 あの大剣使いも勝ち残っていた。カナを含めた十名は、互いの顔を確認した。ヒノモトではほとんど見ない双剣使いや、狩衣をまとった方術師、見るからに武人の雰囲気を持った槍使いなどが、自分以外の参加者を見るともなしに観察していた。

 カナも同じだ。勝ち上がったうちの半数は実力のほとんどを隠したままだった。底が見えない相手ほど怖いものはない。見知った顔はいなかった。地刀流出身の剣士の大半が悪鬼撃退を選んだことを意味している。

 あの程度の妖魔であれば倒せる。こう考える剣士ならば、確実に本戦出場を狙うにあたってはそれが賢い選択だからだ。

 この乱戦の怖いところは、あの悪鬼よりも余程恐ろしい実力者が紛れているかもしれないことだ。妖魔の強さはほぼ一定だが、対人戦はそうはいかない。だからこそカナもこちらに来たのだが、収穫は得られなかった。

 魔剣使いが他にいるかも知れない。その可能性が頭に入ったのは悪くない。武器その他の持ち込みは出来る。術師が魔石を持ち込んだり、剣士であっても遺物を用いるなどして物量で圧倒するなり、絡め手を用いられるなり、そうした危険性もある。

 地刀流が相手であれば、ある程度の対策はある。教えられずとも、散々目に焼き付けた技の数々。実際に相対したことが無くとも、その剣理さえ分かれば戦い方はいくらでもある。

 魔剣、魔剣か。

 カナは少しだけ考える。地刀流の師範が受け継ぐ「カタナ」は、いかなるものかと。

 血は繋がらずとも父と慕う当主、二十代目石川添問。だが、その「カタナ」を振るっている姿を見たことはない。大事があれば必ず腰に差しているくせに、抜いた場面は一度として目にした覚えがないのだ。

 カタナは遺物である。大破壊によって断絶した、剣の極地。地刀流の真価はカタナによって発揮されると言われる。

 だが、カナにはよく分からない。カタナがそれほどに素晴らしいものであれば、剣士は本当に必要なのだろうか。カタナが無い剣士は、最強たり得ないのか。地刀流を学ぶことを許されなかった自分は最強の剣士としての道を閉ざされているのか。

 大破壊以降、遺物の多くは西方の迷宮にひっそり眠っている。そこでは希に「カタナ」が発見される。カタナが欲しいとは思う。振るってみたいとも。だが、武器に頼ってしまうのが、それが自分の追い求めた剣士なのかと首をかしげる。あのオカッパ頭が振るう魔剣と同じように、それが己の強さと勘違いするのではないか。こう恐れてもいた。

 こんな考えも、地刀流を教わることを許されなかった僻みかもしれない。カナは自分の心を澄ませて、そこにある醜い感情をじっと見つめた。嫉妬は克己と裏表である。誰かに勝ちたいと思う気持ちは、純粋さとは大きくかけ離れている。

 カナが道場の奥に控えていた術師たちに会いに行くと、呪符を渡された。好きな場所に貼り付けろとのことである。少し考えて、手の甲にしておいた。呪符は肌の中に沈み込むように溶けて消え、『一』と読める黒っぽい痣が浮かび上がった。



4、

 地刀流師範、二十代目石川添問は、予想通り壁や床が壊れてしまった道場の片付けを始めた門下生の様子を眺めていた。

 予選は大きな波乱もなく終了した。

 翌日より行われる試しの儀に参加する五十余名の顔を名前を確認する。

 そこに息子の一人、カナの姿を認めた瞬間、ため息を隠さなかった。

 予選通過者には呪符をすでに配布したが、今日はこれにて解散となる。

 地刀流、というよりは石川家所有の土地の中心に、地刀流の道場があり、その向こう側に見えている山林地帯。そここそが修練場である。

 勝手に入り込むことは出来ない。

 入り口は一カ所だけで、平時は強い封印がかけられている。

 修練場の内部には無数の妖魔が跳梁しており、西の大陸で言うところの迷宮と似た魔窟となっている。

 妖魔は殺しても殺しても、一時的に減りはするが、やがて元の数に戻ってしまう。


 大破壊後のことである。この山林地帯からは無数の妖魔が溢れ出てきていた。基本的に妖魔は修練場の敷地内から出ることはない。それは、いわゆる魔力がこの場所には満ちているからだ。一度外に出てしまえば、普通の妖魔の力は衰える一方で、自らの形を維持することもままならない。

 魔力のない場所では生きられない。それが妖魔の定めだからだ。しかし、逆のことも言える。魔力さえ確保出来るならば、妖魔は外に出ても自滅することはない。幸いというべきか、妖魔は外部から魔力を確保する術を知っていた。

 人間である。大小あれど、ほとんどの人間には相応の魔力がある。生きている限り自然に発生する体内の魔力は、妖魔にとって格好の獲物であり、自らを強化するための手段ともなった。人間を襲い、食らい、人間が持っている魔力を奪い続ける限り、妖魔は外界に出ても、いくらでも活動できたのだ。修練場は以前、妖魔の山と呼ばれていた、この禁地に近づくことは、すなわち妖魔の餌となることを意味していた。悪鬼。子鬼。妖鳥。巨大なガイコツなど。この区画は、様々にして無数の妖魔が無限に生成される危険地帯だったのである。そして当時は、この妖魔どもが群れて近くの町を襲うことも多かった。これを封印したのが地刀流開祖、石川宗右衛門である。

 やがて開祖は名を改めた。こうして初代、石川添問が誕生した。

 添問とは、ソエモンと読む。問いを添える。あるいは問いが添う。そうした意味として伝わっている。

 数名の術師を連れ立って妖魔の山に足を踏み入れた彼は、襲いかかる奇怪な妖物をばっさばっさと切り捨てて、この広い山林地帯の四方八方に術師を連れ回し、印を持たない者が出入りすることを禁ずる封印をかけさせた。この偉業により彼は名を高めた。そして他派から取り入れつつも、自らが多く編み出した技の数々をまとめ、流派とした。

 これが地刀流の始まりである。地刀流には、時折この修練場に分け入って、妖魔を狩る使命が与えられる。いくら減らないと言っても魔力は発生し続けている以上、どこかに大量に溜まっている可能性がある。すると、自分たちでも手に負えないような大妖魔が発生する危険性があるのだ。大量に溜め込む前に処理する方が楽である。ゆえに、定期的に妖魔討伐が課せられる。

 人間の営みと同様に、そうした行いは、もちろん使命だけでは続かない。

 妖魔を殺すことで得られる魔石は質も大きさも他所で出現するはぐれ妖魔とは桁違いであり、地刀流にとっては嬉しい収入となるし、研鑽を積むにも良い機会なのである。

 かくして過去の禁地、封印された修練場は、今や専用の修行場の性質も帯びることとなった。数年単位で妖魔狩りをさぼったりしない限りは、よほどの大物は生まれ得ない。魔力の大きさがそのまま強さに繋がる妖魔ならばこそである。


 参加者たちが皆帰ったあと、道場に二人で残っていた。

「父上」

「……総司か。どう見る?」

「良いではないですか。カナは地刀流を継がない……継げない。だからといって、剣士として腕が悪いわけではなかった。その証明となるわけです」

「本心か」

「僕としては、どちらでも」

 くすりと笑う。総司はどこか冷ややかに、父を見た。

 彼は二十代目石川添問、本名を石川真之介と言う。

「地刀流は学ばせなかった。しかし、剣を持つことは禁じなかった。父上の意図が奈辺にありや、不肖の息子としては追及すべきでしょうかね」

「総司。苛立っているのか?」

「ええ父上。苛立っておりますよ。僕とカナは兄弟同然に育てられた。どちらが兄とも弟とも言えませんが。……違いますね。上とも下とも言えない育てられ方をした」

 父の表情は厳しかった。何を考えているのか分かりにくい、厳めしい顔つき。

 総司の浮かべた冷笑とは似ても似つかない、苦み走ったその表情。

「誰かに何か言われたか? 跡継ぎはお前だ。総司」

「知ってます。でも父上だけは、僕が後を継ぐことを迷っておられた。誰の目にも、カナではなく、僕こそが地刀流を継ぐに相応しいと見えている。それは父上こそが一番よく理解しているはずです」

「その通りだ。お前の目は正しいし、私も異論を唱えたことはない」

「なのに……カナに、期待しておられる」

 父上、父上、父上!  総司は鋭い声を発した。他の弟子が見ていたら、決して挙げない声だった。悲痛な声。絞り出すような、痛々しい叫びだ。

「上も下もなく育てたならば、どうして僕だけが地刀流を学び、才を認められ、にも関わらずカナと同じ扱いを受けるのです。認めましょう。いかなる修行を持ってしてか、カナは独力であそこまで腕を上げた! 見れば分かります。あれほどの力量は、うちの道場でもわずかでしょう。あるいは僕以外の師範代に匹敵するかもしれない」

 しかし、と総司は続ける。しかし!

「カナには、地刀流は継げない。それは分かりきったことではありませんか!」

「そうだ。私はそう言い続けているだろう」

「ええ、ええ! 父上はいつもそうだ! 僕の言葉は正しいと口にする。でも、決して本心を明かしてはくださらない!」

「何を」

「僕はいつも考えていた。父上はカナに厳しいように見えて、何かを求めている。期待している。地刀流を継がせない代わりに、それ以外を与えようとしておられる。そして僕には何もくださらない。ただ名前だけ。ただ地刀流の腕だけ。どうしてなのです。どうして僕には!」

「何を言っている! 総司、それはお前の思い違いだ!」

 父に怒鳴られた。だが、総司は止めなかった。道場で二人きりでいると、これまでこらえてきた思いが噴き出してくるようだった。

「思い違い、思い違いですか。そうであればいいですね。……父上」

「なんだ」

「真実を、教えてはくださらないのですか」

「……そんなものはない」

 明日は、宗家嫡男、石川総司の晴れの日である。なのにどうして、こんな不毛な言い争いをしているのか。父は不満そうに鼻を鳴らした。総司はこれまで突きつけていた怒気をすっかり消し去って、にこやかな笑みを浮かべた。

「カナは、死ぬかもしれません」

「試しの儀に参加するのであれば、それはカナ自身の責任だ。死にたくなければ早々と負けを認めるなり、逃げるなりするだろう」

「殺さぬように、とは仰らないのですか」

 ついに、父は感情を込めて睨め付けた。ぎろり、と。しかしそれすらも本心か。総司も父も地刀流の剣士である。ときに誰より冷徹であり、残酷すらある剣士の業。それに全身まみれた自分たちが、感情に飲まれることなど、ましてや言葉ごときで心を揺らされることなど、あってはならない。

「総司。私に何を言わせたい」

「黙っておられるのなら、それはそれで構わぬのです。ただ父上、ひとつだけ」

「……なんだ」

「僕は、カナに負ける気はありませんよ。いえ、地刀流は誰にも負けない。それでいいんでしょう?」

「そう、だな」

 そうしていると、カナの渋面にそっくりだ、と総司は呟いた。

 また話を蒸し返すのかと、父の眉がぴくりと動いた。

「僕が死んでも、カナが死んでも、天音は悲しむでしょうね」

「……総司。死ぬなよ」

「父上はやはり詰めが甘い。そこは殺すな、と言うべきだったのですよ」

 くすくすと、総司が笑った。

 それは見た者の心胆を寒からしめる壮絶な笑みだった。



5、

「お兄さまっ」

「なんだ天音。さすがに今日は付き合えないぞ。明日が本番だからな」

「いいえ、どこかにお出かけしようというわけではないのです。ただ、天音はお兄さまと一緒にいたいのです」

 もしかしたら、と天音は思う。明日、試しの儀のために修練場に向かって、その時が終の別れかもしれぬのだから。カナが死ぬとは思えない。思いたくない。

 死は平等だ。どんな者にもやがて訪れる。そして何年か前に亡くなった母のように、唐突に別れは来る。もう一人の兄である総司よりも、ずっと危うい。

 天音は、カナの強いところなど見たことがない。道場の敷地内にいるときは、ずっと素振りをしているか、道場をぼんやりと見ているだけだ。カナを強いと言い切ったのは、ただひとり総司だけである。いや、上位十名しか残れない予選を勝ち残ったのだ。そんなに心配は要らないかもしれない。いくつものもやもやが胸の奥に、頭の片隅に、天音の体中に、疼きとして揺れている。

 お兄さま、とわけもなく呟くと、頭に手を置かれた。

「お兄さまっ、天音を子供扱いしないでくださいっ」

「ああ、悪い悪い。……まあ、どうしても勝てそうになければ逃げるだけだ。看板に書いてあったろ。敗北さえ認めれば、死ぬようなことはない」

「でも」

「うん?」

「……奪い返すことは、許されるとも書いてありました」

 カナはわずかに考える。誰が考えたか知らないが、ずいぶんと意地の悪いことだ。一度負けたとしても、どうにかして呪符を持っている相手を打ち負かせば、再び勝者への道が拓かれる。それはつまり、後腐れないよう敗者は殺せと書いてあるのも同じこと。天音がその意味に気づくとは思っていなかった。こういうところが子供扱いなのだと、本人に告げれば怒られてしまうだろうが。

 よくよく考えてみれば、ここに記された規則には、なるほど穴がいくつかある。

 二つ目の最後。帰還を果たした時点で、もっとも多くの「呪符」を持っていた者が勝者とある。他の全員を打ち負かしたとしても、帰路で残った一人に負ければ、その相手に勝者の権利を奪われるのだ。分かっていたことだが、カナは気持ちを新たにした。

「……その、お兄さま」

「なんだ」

「総司お兄さまと闘いになったら、どうされるのです?」

「そうだなぁ。どうしたもんか」

 カナは迷った。勝てるだろうか。勝って良いのだろうか。

 戦ってみたいが、殺し合いたいとは思っていない。力試しも兼ねて参加したつもりだったが、退くつもりのない自分に気づく。地刀流を相手にどこまで出来るか。最強とはいかなる強さなのか。天才と呼ばれる総司と、独学で鍛えた自分とのあいだに、どれほどの差があるのか。その差は決して届かないのか。

 答えの分からないことばかりだ。とはいえ、疑問が主体ではない。やるべきことはあまりにも単純だった。カナは剣を取って、戦いに向かうだけだ。無数の敵に勝ち、生きて帰ってくればいいのだ。

「今日は父様も総司お兄さまもお帰りが遅いです?」

「忙しいんだろ。後始末もあるだろうしな」

「えと、予選はもう終わったと聞きました」

「まあ、道場がぶっ壊されたり、色々あったんだよ。掃除とか大変なんだろ」

 夜半過ぎ、ようやく二人が帰宅した。どういうわけか、父も兄も無言であった。何かあったのか。天音がそう尋ねるより早く、朗らかな笑顔を見せて総司が口を開いた。

「カナ。明日は試しの儀、本番だ。朝早くから向かうけど……遅刻しないようにね」

「分かってるっての」

「天音も早く寝るんだよ」

「分かってます! 天音、総司お兄さまみたいに夜更かしはしませんもの!」

 良かった。いつも通りのお兄さまだ。天音が安堵の息を吐く。

 試しの儀は明日からだ。街のあたりは祭りの騒がしさで、今も喧しいほどだ。どこからか祭り囃子が聞こえてくる。石川家の屋敷の窓に、祭りの灯がぼんやり滲む。薄い橙と赤の輝きが、屋敷の前の道をゆっくり通り過ぎていった。

 各々の想いをよそに、夜はゆっくりと更けてゆく。




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