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彼と彼女の迷宮えれじい  作者: 三澤いづみ
第一部 『彼と彼女の出逢い、あるいは地下迷宮の魔』
11/62

十一、かえらぬもの



十一、


 事態が進展せず、一度町へと引き返そうと大量の冒険者がぞろぞろと動くなかを、二人は当たり前の顔をして、迷宮の入り口から潜った。

 数人が諦め悪く壁に挑んでいるが、あまり上手くいっていないようだった。


「剣狂いじゃねーか」

「失せろ失せろ。邪魔だ。俺たちにもどうしようもねーんだぜ、これ」


 透明な壁の手前で騒いでいる男たちは、ソエモンの顔を知っていた。嫌味か嘲りでも飛ばそうとしていたが、傍らにいるアーシャに気づいて顔をしかめた。


「今日は一人じゃねえのかよ」

「ボス。そいつ、魔術師っぽいですぜッ」

「女だてらに冒険者ってんだから、そりゃあ何かしら出来るだろうがよ。その剣狂いと一緒にいるんだ。大した魔術師じゃねーよ」

「なるほど、さすがボス! 腕も良いけど頭も回るッ!」


 げははははと笑い出す彼ら。と、いきなり真面目な顔になったそのボスとやらが、ぎょろりと目を向いてアーシャを凝視してきた。

 にやりと笑う。


「おい、お前ら。俺はちょっとこの魔術師と話があるから、上に行ってろ!」

「えっ。ボス、でも」

「俺らが一緒にいても話くらい」

「聞こえなかったのか? 俺は上に行ってろって言ったんだボケ共!」

「は、はいぃッ!」


 ばたばたと取り巻き達が一斉に階段を昇っていった。

 アーシャとソエモンと、そのボスという男の三人になったところで、ボスは言った。


「……な、なあ。あのメイス、魔術で取れねえか?」

「は?」


 態度が激変した。

 先ほどまでの高圧的なものから、一挙に下手に出てきている。


「頼むよ。大事なメイスなんだ。さっきはちょっと失礼なことを言っちまったが、この通り頭を下げる。だからどうか、どうか俺のメイスを取ってくれ。なあ!」


 本当に頭を下げられた。声にも懇願の色が出ていた。メイスは透明な壁の向こう側に転がっている。よく手入れがされているようで、遠目にも鈍色に輝いている。

 ボスの外見からでは想像も付かないほど細やかに磨いてあった。


「魔力を通さないだけだから、長い棒にヒモでもくくりつけて伸ばせば取れるんじゃ」

「……そ、そうか! その手があったか!」


 ボスは喜色満面の笑みを浮かべた。


「お前ら、棒とヒモだ! ……しまった、あいつら追っ払っちまった!」


 毒気を抜かれたアーシャは、ちらりとソエモンを見た。ソエモンは肩をすくめた。


「この透明な壁、これからあたしたちが壊すわ」

「なにィ?」


 ボスは素っ頓狂な声を挙げた。


「メイスを取り戻したら、今日はもう潜らず、ずっと外に出てなさい。いいわね?」

「いや、でもよ」

「いいわね?」


 有無を言わせなかった。ボスは強面のわりに、押しに弱かった。口を噤み、出掛かった声を手で押さえ、メイスのためだと呟きながら慌ただしく後ろに下がった。


「ソエモン。やっておしまい!」


 びしっ、と指を差して、指示をしてみたアーシャだった。


「……その口調、案外似合ってるな」


 ソエモンがぼそりと言った。ボスは空気を読んでか、何も言わなかった。

 アーシャはひとり、顔を赤くした。

 それから数分後、行く手を阻む透明な壁は、ソエモンの一閃で断ち切られた。


「じゃ、行くわよ」

「応」


 ボスは慌ててメイスを拾い上げると、地上への階段へと駆けていった。

 アーシャたちは、最下層への探索を開始した。



 そして今に至る。

 地下五階を押し通って、地下六階はなるべく敵に見つからないよう動いた。

 時間的な余裕は地下五階までの道のりで稼いだ。つまり、他の冒険者パーティーがイシュテリアとの対峙の際、横から乱入してくることはない。


 現在の迷宮内の混乱からすると、浅い階層ですら以前よりずっと危険度の高い状況に陥っている。普段の迷宮と思い込んで迂闊に踏み込めば、生きて帰ってくることは難しい。


 ここまでに遭遇していないが、天使や鬼もどきが潜んでいる可能性は未だに否定されていないのだ。二人が足を踏み入れた地下七階は、一人で行動するには向かない。マス目のような整然とした通路が縦横無尽に繋がっている。


 一カ所で戦闘していると、後から後からモンスターが増えて囲まれるのだ。

 出るモンスターの種類も増えた。

 巨大なサソリは麻痺毒があるし、リザードマンは集団で襲ってくる。

 似たような混成パーティーで襲撃してくるスケルトンよりも、連携の取り方までしっかりとしているトカゲ戦士の方がいくぶん難敵である。


 とはいえ、ソエモン一人でも勝てる相手だ。よほど面倒な組み合わせで無い限り、少しずつ進むのは不可能ではない。

 問題は、巨大な目玉である。人間の頭くらいの大きさで、翼のある一つ目の化け物。そう形容するのが一番分かりやすいだろう。


 邪悪な目、イビルアイと呼ばれるそれは、その大きな目玉から光線のような魔術を広範囲に放射する。他の敵と戦っている気配におびき寄せられ、背後からその光線を受けた場合、一人だと甚大な被害を受けることになる。

 ソエモンでも視線と同等の攻撃範囲の光線を、毎回完全に避けきるというのは困難だ。それも一匹二匹ならともかく、それ以上の量が集まってくると単独では厳しい。


 厳しい、はずだったのだが、アーシャがいるだけで動き方に幅が出る。そうこうするうちに地下七階も難なく超えていた。

 残るは三階分。踏破者のいない、未知の領域となる。


「……リア伯母さんが潜ってる以上は不可能ってわけじゃないのよね」

「だな」

「後付けの仕掛けはあるかもしれないけど、迷宮そのものは攻略可能の範疇。油断せずに行きましょう」


 アーシャは魔石を結構な量消費している。体内で生成される分があるため、時間経過で魔力は多少回復はするものの、あくまで多少だ。

 地下八階は、二人で逃げ回った。ワイバーンが追いかけてこられる程度に通路は広かった。他にも、鉄製のゴーレムや、超巨大な青いスライムなどが通路を行進していた。


 通路が広いことが幸いして、降りる階段を見付けるまでに時間はかからなかった。

 地下九階に下りると、凄まじく嫌な感じを受けた。ソエモンが剣に手を掛けた。階段の部屋から少し離れ、十字路を右に折れた先を、持ってきた手鏡で覗き見る。

 明かりに照らされて、二匹のモンスターが映り込んでいる。黒いのと白いのだ。


「美女と魔獣って感じに仲良く揃ってるわよ」

「あれ、最初からいたと思うか?」


 この階に、という意味合いだろう。軽く考えて、否定した。


「リア伯母さんの仕業でしょうね。あの魔力を通さない壁も」

「何のためにだ」

「あの透明な壁、厄介ではあるけど、あたしなら破れたわ。あたしじゃなくても同じ力量があれば出来る。それ以下の魔術師、ましてや魔術師ですらない冒険者には不可能でしょうね。目の前に例外がいるけど」

「ふうん」


 気のない返事だった。


「試験のつもりだったんじゃないかしら。あれをどうにか出来ないなら、わざわざ自分が出て行く必要もない……くらいの。別の意味があるかもしれないけど、あたしに思いつくのはそれくらいよ」

「で、どうする。他の道を行くか」

「そうしましょう」


 天使もどきと鬼もどき。右に曲がった先に、二匹揃って待ち構えているのだ。隠れている風でもなければ、その場を動く様子も無い。

 あえて戦う必要もないかと、二人は別の道を進むことにした。



 ぐるりと一周して、うんざりした顔でアーシャが言った。


「そんなに甘いわけが無かったわね」

「そうだな」

「体力の浪費だったわ」


 元に戻ってくるしかない、無駄な遠回りだった。他のモンスターが出てこなかったことだけが不幸中の幸いだ。結局時間を無為にしただけだから、気分は晴れなかったが。

 二匹が揃っているそこは、多少の大きさを備えた広場だった。


「斬るぞ」

「ええ」


 天使もどきも、鬼もどきも、すでにアーシャとソエモンの姿を目に捉えている。

 距離がまだある。が、猶予という意味では相手にとっても同じことだ。


「〝ラニクド〟」

「いきなりかッ」


 天使もどきが微笑んだ。

 膨れあがった雷撃が、ソエモン目がけて降り注いだ。


「触れざる守りよ、壁となれ。〝マバ・フラバ〟」


 アーシャが唱えた呪文が、目の前に不可視の壁を作り上げる。

 高位の防御魔術だ。あの、魔力を通さない壁と似ている。

 違うのは物理現象と化した一切をシャットアウトする点だ。


 雷撃は一切二人に届くことなく散らされた。

 防がれた雷撃が弾け飛んでそのまま消失した。ぐるうああああああ。とうなり声。

 それとほぼ同時にマバ・フラバの効果時間が終了する。

 隙を縫うようにして、ソエモンが飛び出そうとしたが、アーシャが視線で止めた。鬼もどきがその場から動かず、口を大きく開いた。


 叫び声に混じって〝ダグ・バマルド〟と聞こえた。黒い太陽が、ばしりと炎熱を吹き出しながら巨大化していく。そこに〝ラニクド〟と天使もどきの声が響き渡る。

 バチバチと高圧の電流が跳ね回るなか、漆黒の雷球がどんどん危険な気配を増していく。あと数秒で爆発するという直前、アーシャは叫んだ。

 現状どうしようもない。一端退いて、それから攻略法を考えてから再挑戦だ。


「撤退!」

「了解!」


 ずざざざざッ、と音さえ残すような見事な撤退劇だった。

 十字路を曲がり、数メートル進んだあたりで大爆発の衝撃に吹きとぼされた。通路を伝って爆風が押し出されてきたのだ。


 咄嗟に受け身を取って転がる。

 聞くだけでも足が竦む凄まじい爆音である。二匹いるにも関わらず、容赦なく行使された白と黒の雷と爆風とが、何もかもを蹂躙し破壊し尽くすように、長らく荒れ狂っていた。


 あんな破滅的な攻撃魔術を開けていない場所で使う時点でおかしい。普通は自分も被害を受けるから躊躇うものである。これで敵が無事だとすると、非常に面倒なことになる。

 耳がきぃんと鳴っているが、それをこらえて確認するために通路を戻る。


 残響がひどい。壁に跳ねるようにして電撃の名残が残っている。空気が焼け焦げる臭い。そして恐ろしげな叫び声。

 アーシャは見た。

 作り出した破壊の雷によって、自らを焼き焦がした二匹の姿を。


「ええと」

「説明、頼む」


 今見た光景に納得のいく説明はひとつしかなかった。


「天使の雷撃が鬼を。鬼の黒い太陽が天使を。自分の雷には耐性があったけど、自分で作ったものじゃない雷には耐えられなかった……と」

「ありえるのか」

「普通はないわよ。普通のモンスター同士ならね。ただ、どう見ても同じ場所にいる連中じゃないから……そこに気づかなかったんじゃないかしら。あるいは二つの魔術が変な反応を起こして、想定してたより強烈な威力になったとか」


 攻略法を考えるつもりだっただけに、妙な沈黙が二人のあいだに生まれた。


「強敵だったな」

「ええ」


 そういうことにした。

 二人は死にかけた二匹にトドメを刺して、魔石を拾ってから先に進んだ。

 他にもキメラや氷の巨人といった強敵が次から次に襲いかかってきたが、なんとか切り抜けて地下十階への階段に到着した。


 一休みしてから、階段を下りて、しばらく歩いた。

 地下十階はあろうことか一本道だった。モンスターも出現しなかった。油断を誘って奇襲を仕掛けてくる可能性もあるから気は抜けない。


 拍子抜けするほど、あっさりとそこに辿り着いた。

 その部屋の前でアーシャは立ち止まった。ソエモンは、ぐるりと周囲を見回した。


 扉は閉まっている。鬼気迫る気配が、にじみ出している。

 その部屋に魔術師イシュテリアがいることは間違いなかった。



 迷宮の最深層にある部屋は、それまでのいかにもな様相とはまるで異なっていた。

 アーシャが他の迷宮に挑んだときも、最深層だけは、いきなり別の世界に紛れ込んだ気分になったことを覚えている。

 その迷宮によって変わりようは様々で、洞窟めいた暗い迷宮の一番奥が生物の体内じみたグロテスクな場所だったこともあるし、塔の形をした迷宮をひたすら登りきった先に長閑な空中庭園が広がっていたこともある。


 今、アーシャが扉を開け放った部屋は、研究室のようだった。

 真っ白な壁と、やわらかな照明。


 いくつものケーブルが繋がった科学的な設備も揃っている。長年使い込んだことの分かる本棚が壁際に置いてあり、乱雑に資料の積み重なった事務机も見える。

 その光景に入り交じって魔術的な道具がいくつも置いてある。


 ざっと室内にあるものを確認する。

 炎の卵は見当たらない。

 奥にもう一部屋あるのが分かった。そちらの部屋に置いてあるか、それとも。

 周囲を先に観察していたが、視界の中心には、立ち尽くすイシュテリアを捉えていた。アーシャが室内の様子を見ているあいだ、それをわざわざ待っていた。


 不意打ちをしてこなかったし、こちらからも仕掛けなかった。

 アーシャを大人びさせた顔立ちのイシュテリアは、うっすらと微笑んでいた。一言目から攻撃をしてくる様子はないにせよ、隙があることを意味しない。


 この部屋で戦闘になることを忌避している可能性もあるが、それならば部屋の外なり、上の階で待ち構えていれば済む話だ。あまり期待するべきではないだろう。


「早かったな、アーシャ。もうしばらく時間が掛かると思っていたが」

「そうね。ちょっと急いだから疲れたわ」

「何故来た?」


 自分で呼び寄せておいて、ひどい言いぐさである。

 アーシャは睨んだ。

 肩をすくめられた。優しい伯母が、可愛い姪に向けるような顔で、口を開いた。


「さっさと逃げ出す手もあったはずだ。君は頭が良い。感情を理性で押さえ込める。私を放置しても君には大きな損は無かったはずだ」

「聞かせて」

「質問が残っているのか。おおよそは把握したから、ここに来たのだろう?」


 アーシャは、かすかな懐かしさと、寂しさを胸に抱きながら、視線を合わせた。

 ソエモンは傍らで控えている。伯母と姪の、あるいは魔術師同士のやり取りが一段落するまでは襲いかかったりはしない。剣は鞘に収めたままだった。

 表面上は穏やかな様子で、会話は進む。


「あたしのこの推測が正しいのかどうか」


 半ば確信を抱きながらも、アーシャは一つずつ、ゆっくりと語って聞かせた。

 イシュテリアの口から聞き出すまでは、すべては推測でしかないとしても。

 何を求めて秘宝『炎の卵』に手を出したか。

 そして、アーシャを呼び寄せた理由を。



 アーシャの推察を聞き届けたイシュテリアは、表情を変えなかった。

 薄い微笑を浮かべたままである。眉ひとつ動かさなかったのは、アーシャが語る内容が正しいからなのか、それとも真実とはほど遠いと内心で嘲笑っているのか。


 イシュテリアが相棒だった剣士を失ったこと。

 秘宝を使うにあたっては、アーシャのような魔術師の命と引き替えになること。


 そして、イシュテリアの望みについて。

 辿り着いた答えを語っている暇がなかったために、隣で聞いているソエモンも初めて知る話が多かったはずだが、こちらも、ぴくりとも表情を動かさなかった。


 語り終えてからしばらくして、イシュテリアは笑い声を上げた。ひどく楽しそうな明るい笑い声。あるいは明るすぎて、どこか悲痛な笑い声だった。 


「師としては弟子の成長を喜べばいいのか、それとも恐れればいいのか。よく推察だけでそこまで明確に話を作れるものだ。私としても驚愕せざるを得ない」

「なら」

「それが真実かどうかを、どうして私が答えると思うのか。冥土の土産だからと、ペラペラと真相を語る黒幕がいてもいい。どうすれば私の狙いが達成できなくなるのか、その手法まで鮮明に明かしてしまうのも面白い。……しかし、だ。可愛いアーシャ。君の言葉には仮定があまりに多すぎる」


 イシュテリアは教え諭すような優しい声だった。


「私は君の辿り着いた答えが正しいとも、間違いとも言わない。私を殺すことで秘宝が起動してしまうかもしれない。私の望みはもっと別かもしれない。答えが定まらないのであれば、君は他の可能性を考えて、どこかに躊躇が出来るかも知れないからね。そして君の考えが決定的に間違えていれば、私の望みの達成はその分だけ容易くなる」

「答えを教えて目的を果たす前に逃げられたら……妨害される可能性が増える。そんな愚は犯さない、と。イヤね、あたしみたいな小娘相手にちょっと慎重過ぎるわ」


「ちなみに私が死んだ時点で、この迷宮が崩落するような仕掛けがしてある」

「はったりでしょ」


 即座に言い返したが、イシュテリアは目を細めただけだ。


「そうかな? 信じるも信じないも勝手だが、君は可能性に縛られるだろう。頭が良いのは大変結構だが、真贋のはっきりしない情報が増えると弱い。考えるべき内容が増えすぎると、処理しきれなくなるのは君の弱点だ。人間である以上、出来ることには限りがあるということでもあるが」


 舌戦は負けた。

 アーシャは苦虫をかみつぶした気分だったが、顔には出さなかった。


「ところで、私からもひとつ聞いて良いだろうか」

「何よ」

「恋人じゃないとは聞いたが、彼には、もう抱かれたのか?」


 ソエモンの顔を反射的に見そうになって、こらえた。


「つまり、女にされたのか、ということなのだが」

「説明されなくても意味くらい分かるわよ」

「……まだか」


「挑発のつもり?」

「いいや。ごく単純な興味、いや、心配だな。可愛い姪のことなのでな」

「これから殺すつもりなのに?」

「私の発言から、仮説の根拠を引き出そうとするのは悪くない」


 ここで無力化して捕らえるだの、まだ生かしておくだの、そういった答えが返ってくれば、アーシャの推察が裏付けられると考えたのだが、見抜かれていた。

 ソエモンは完全に無言でこの問答が終わるのを待っている。


「質問の答えになってないわ」

「戦闘が終われば分かるさ。そちらの御仁も、すでに戦う気でいるようだしな」


 微笑が消えた。残ったのは、鋭い眼差しと、恐るべき気配。

 どちらから仕掛けるか。

 その探り合いに先んじて、イシュテリアが声を響かせる。


「さて、アーシャ・セッテ・フェルマータ。私はもう止まるつもりはない。やっと望みが叶うところまで来た。悪く思うなとは言わん。私を止めたいと思うならせいぜい抗うが良い。だが、私は強いぞ?」


 フルネームで呼ばれたのは、訣別の意思の表れだろう。


「分かってるわよ。リア伯母さん」


 アーシャは微笑んだ。絶対に躊躇わないと決めた。

 どんな結末が待っていようと、これが最後だと、そのつもりで名を呼んだ。



 試合のごとく開始の宣言などあるはずもない。殺気が弾けた。その瞬間、ソエモンが一瞬で距離を詰めイシュテリアに斬りかかっていた。


「〝エジアラ〟」


 呪文を口にしたのは、アーシャではない。

 イシュテリアが真紅のローブの内側に隠し持っていた、彼女のエリアルナイフだ。便利な道具を使うのは相手も同じだった。


 咄嗟に身を躱したソエモンだったが、速度は殺された。

 イシュテリアは一歩だけ下がって、


「炎の矢よ、弾けよ。〝フラメロ〟」


 と呪文を唱えた。ソエモンの進行方向を邪魔する形だ。


「炎の矢よ、撃ち抜け。〝フラメロ〟」


 アーシャが魔術を撃ち込み、相殺する。

 相殺した、つもりだった。イシュテリアの唱えたそれはアーシャによる炎の矢が当たった瞬間、取り込むようにして大きく膨れ、そのまま詠唱通りに弾け飛んだ。

 ソエモンが身体を捻って、その火炎の爆発を避けた。


「なるほど。良い動きだ。だが、甘いな」

「そうかしら」


 淡々とした声で詠唱が響く。リズムと抑揚、そして力ある言葉。目に見えない魔力を魔術師は見えざる手によって操る。

 まるで数式に数字を入れていくように、魔力の加減乗除を繰り返す。魔術師がかくあるべしと望んだ通りに、世界には新たなる現象が発生する。


 狙ったのは、イシュテリアの背後だった。

 アーシャの声が響き渡る。


「赤き怒りよ、焼き尽くせ! 〝フレム・ベル〟」

「それが甘いと言っている。〝エジアラ〟」


 魔力が形を変え、溢れる炎を生み出そうとしている。その中核となる部分を見極めて、イシュテリアが風を撃ち出す。猛烈な炎となって背後から襲う赤い輝きは、どろりと溶けて別の場所へと流れ込んでいった。

 イシュテリアに掠りもしない。


「〝エジアラ〟 炎の槍よ、つらぬ……ッ」


 次の手を打とうとしていたイシュテリアに、ソエモンが斬りかかった。


「ふっ」


 呼気。それから凄まじく固いものに鉄を叩き付けた音がした。イシュテリアの手にはカタナが握られていた。弾き飛ばされたソエモンは、それを油断無く見据えている。

 いや、近づきあぐねている。いつの間にか、エリアルナイフは彼女の手の中にない。カタナを両手で絞るようにして、そのまま構えを取る。

 カタナを立て、身体に寄せている。


「八相の構えか」


 ソエモンが、ようやく声を漏らした。カタナについて聞き出そうとするかと思われたが、さすがに戦闘中である。自重したようだ。


「流派は」

「知らんよ。加えて言えば、私のこれは見様見真似だ」

「……独学で、よくぞそこまで」


 純粋な感嘆の声だった。

 一太刀しか合わせていないというのに、ソエモンは腕について見抜いたらしい。アーシャはイシュテリアが本気でカタナを振る場面を見たことがない。堂に入っているとしか思わなかったが、本職の剣士からすれば、その程度、ではないのだろう。


「ふむ。そういえば名乗っていなかったか」

「俺はソエモン。見ての通り、剣士だ」

「イシュテリア。魔術師だ」


 緊張は高まるが、手は休めた。アーシャが魔術を撃ち込む隙を窺っているが、それを許してくれる相手ではない。


「剣士を名乗っても良いくらいの腕前と見たが」

「本物を前にして、それを名乗れるほど……私は恥知らずじゃないつもりなのでな。どうせ君も剣狂いなのだろう?」

「剣に狂ってるうちは、極めるとは言わん」

「違いない」


 言葉は軽く、しかし呼吸は鋭かった。

 仕掛けたのはイシュテリアだ。室内は雑多に色々なものがある。いくらかの障害物も。二人がいる場所にはスペースがあるが、しかし大きく避けるには向かない。先ほど乱れ飛んだ炎の魔術の余波が紙の資料に燃え移ってる。

 炎の赤い明るさに照らされて、三人の影が伸びていく。影が揺れるより早く、イシュテリアはソエモンの間合いに飛び込んでいた。


 カタナと、重い片刃の剣。

 剣を振るう。打ち合わせる。弾かれる。弾く。繰り返し繰り返し、一進一退が続く。

 互いの立ち位置を変え繰り広げられるのは、間合いの削り合いだった。どちらの一撃も、まともに当たりさえすれば致命傷となる。


 アーシャは割り込めない。狙いを定めた魔術も、撃ち込むだけの停止がない。

 ソエモンを後ろから撃つことは避けたかったし、この争いでソエモンが斬り負けるとも思えなかった。だから状況が変化する瞬間まで辛抱強く待っていた。


 チッ、と刃が掠めたのはどちらが先か。

 両者の腕から足から、血が滲む。しかし薄皮一枚ほどを斬られただけだった。長く続いた間合いの奪い合いは、いつまで続くのかというアーシャの視線を受けて、不意にその形を変えた。

 声だ。〝エジアラ〟と響いた声。


 ソエモンは飛び退った。ローブに隠れた部分から、イシュテリアの腕を伝うような動きで風の弾丸が放たれた。

 均衡が崩れた。それを見逃すイシュテリアではない。追撃は三度。上段。切り返し。そして音速の突き。


「言っただろう。私は魔術師だと」

「分かって、る!」


 切り払い、弾き、最後は踏み込んですり抜ける。辛うじて回避したそこに、噛みつくようなイシュテリアの笑み。

 口を開く。告げるのは、死をもたらす呪文。


「〝ラニクド〟」


 別の遺物を持っていたのだろう。おそらくは指輪だ。カタナから片手を離し、その空いている指先を突きつけられた。天使もどきが使ったほど大きな雷球ではない。丁度握り拳ほどの大きさで、だからといって雷撃の威力が弱いわけもない。

 ソエモンはそれを避けなかった。アーシャが備えていた。イシュテリアが切り札を切った。そう判断した。


「〝マバ・フラバ〟……ソエモン、今よ!」

「逸ったな? 〝ジ・エッダ〟」


 呪文と同時に真紅のローブをふわりと広げた。

 その内側に張り付いていた何かが、明滅する光を放った。


 これも遺物だ。防御呪文マバ・フラバによって雷撃を防ぎ、ソエモンがイシュテリアを横薙ぎにしようとした。その動きを読み切っていたかのように眩い光が跳ねた。


 放たれたのは衝撃を伴った閃光だった。ソエモンがまともに受けたが、そのまま受け身を取って横に転がることで事なきを得た。しかし距離を離された。流れるような動きでイシュテリアがカタナを収め、片手を前に押し出すような仕草を見せた。

 指の隙間から見通すような瞳が、炯炯と眼光を瞬かせる。


「どうした、その程度か」


 静かな口調で言われた内容に、アーシャは答えなかった。


「ソエモン。無事ね?」

「……ああ」


 すぐに立ち上がり、剣を構える。


「純粋な剣の腕では勝てないのでな。まさか卑怯とは言わんだろう?」

「問題無い」


 ソエモンが荒くなった息を整えている。アーシャが僅かに前に踏み出す。充分以上の距離を保ってはいるが、魔術戦となればこの程度の距離では無いに等しい。

 目の前の魔術師の難攻不落ぶりに、自分の切り札が通用するかどうか。


「ソエモン。時間を稼いで」

「ふむ。攻めきれないと悟って……奥の手でも使うのか」


 イシュテリアの言葉に、アーシャは不適に笑い返した。


「どうだか。お代は見てのお楽しみ、っと」


 待ち構えていた以上、この部屋は間違いなくイシュテリアの領域だ。消耗戦になったら不利なのはアーシャたちである。

 短期決戦を狙うべきだ。それは双方に共通する認識だった。

 返事もなく、ゆらりとソエモンが動いた。


「〝ラニクド〟」


 牽制の雷撃。それをソエモンが剣で弾いた。どういう原理でかは分からないが、攻撃魔術を無理矢理打ち返している。


「〝エジアラ〟」


 即座に風の一撃がソエモンの身に迫る。

 吹き飛ばされるか、体勢を崩すか、あるいは部分を抉られるか。軽いように見えて案外威力のある一発を、床を踏みしめての一閃で断った。

 イシュテリアは驚いた様子も無く、すぐさま次の一手を選んでいた。


「赤き闇よ、汝を捉えよ。〝ダフレム〟」


 呪文を唱えた直後、イシュテリアの手からこぼれ落ちた暗黒の雫。その黒は床に落ち影じみた平面となる。

 するすると素早い動きで獲物に這い寄っていく姿はまるで蛇だ。毒蛇のような動き方でソエモンの足下に絡みつく。

 より正確には、ソエモンの影に紛れ込んだ。


 ソエモンは剣を構えたままだ。近づいてくる影を見守った。

 己の影に混ざって、ダフレムの呪文の影と見分けが付かなくなった瞬間。自分に繋がる影がすべて暗い炎となって、起き上がる動きのまま襲ってきた。


 避けようとしても影は追いかけてくる。影は繋がっている。その影から炎が噴き出すようにして、ソエモンを焼き焦がそうと燃えさかる。

 カッ、と目を見開いたソエモンは、浮き上がった己の影に鋭い斬撃を与えた。

 焔に彩られた赤い影を、当たり前のごとく斬り飛ばしたのである。



 剣を振るい、赤い影を断ち切ったソエモンは、そばから聞こえる声を聞く。

 耳朶を打つその詠唱は、まるで歌のような、祈りのような、何かが込められたものだ。

 アーシャの瞳はイシュテリアを見据えている。


 しかし、どこか忘我の境にある。詠唱を邪魔しようと再び撃ち込まれた魔術を、ソエモンは横から力尽くで斬り捨てる。自分だけなら時間を稼ぐのは難しくないが、守り抜くとなると骨が折れる。


 イシュテリアの目には焦りはない。ただ冷徹に無防備なアーシャを狙う一矢を再度。

 いや、その炎の矢は目くらましだ。影に紛れて風の一撃を重ねる。ソエモンは縦横無尽に駆けながら、婉曲な動きをして回り込んできたそれを防ぎきる。


「〝ラニクド〟」


 今度はソエモンを狙った雷を斬り弾く。守りに徹するのも、そろそろ限界だ。


「血の流れよ。炎の輝きよ。汝は燃えさかるもの。汝は美しきもの。今より汝に与え、やがて汝から奪うもの」


 アーシャの目が赤く輝いた。そんな気がした。

 妨害が間に合わないと決断したようで、イシュテリアは別の動きに変えた。ソエモンは巻き込まれては適わないと、安全地帯であるアーシャの背後に己が身を投じた。


「赤をすべてに。すべては赤に。〝フレイ・ズ・アスタ・ラスタ〟」


 呪文が、響いた。

 部屋を満たしたのは赤い光だ。灼熱の輝きだった。一瞬遅れて凄まじい烈風が吹き荒れ、その赤光が生み出した破壊の跡を遡っていく。

 控えめに言ってもこんな狭い場所で使う威力ではない。


 階下の間抜けな二匹を非難できる状況ではない。何もかもが灼熱に呑まれた。まるで溶岩が流れたあとだった。研究室めいていた部屋は無惨極まりない状態になっている。原形を留めているものはただのひとつもない。


 迷宮の壁さえ、いくらか高温に炙られて溶け爛れている。長い詠唱が必要なだけのことはある凄まじい破壊力だった。これほどの威力が必要な場面はそうないし、あれだけ長いと実戦で使う機会もほぼない。なるほど、使われたら一巻の終わりだ。


 防ぐ手立ても思いつかず、ソエモンは呆れた。

 アーシャは肩で息をしている。今にも膝を突いてしまいそうな姿だ。額に汗を浮かべているのは、室内を漂う熱気のせいだけではない。余裕があるなら、追い打ちを掛けるべく無理矢理にでも口を動かしているはずだ。


 だから、ソエモンは剣を手に取る。

 まだ終わっていない。だんだんと煙が晴れてくる。赤い輝きはすでに去った。灼熱は眼前にあるすべてを飲み込み、赤い暴虐の限りを尽くしたが、イシュテリアの姿は残っていた。

 無傷ではない。これだけの威力を真正面から受けて、それでもなおさしたる被害が無かったとすれば、多少は絶望的な気分になる。


 しかしダメージは通った。真紅のローブはあちこちが焼け焦げ、黒く焦げ跡を残している。防ぐために能力を超えた使い方をしたのだろう。

 彼女の手にしていた遺物、エリアルナイフと指輪は、床に落ちて音もなく崩れ去った。ローブの内側に隠し持っていた光を発するそれも見当たらない。


「奥の手は……それで終わりか」


 泰然とした態度は崩さなかった。アーシャと同じくらい、あるいは更に消耗していることは傍目にも明らかだったが、しかし折れる様子は皆無だった。


 まだ、向こうにも切り札が残っている。

 それがなんとなく分かってしまい、ソエモンはどうしたものかと考えた。

 イシュテリアが重たそうに腕を持ち上げ、アーシャを指し示す。


「……炎の槍よ、焼き払え。〝フラメ・ゼラ〟」


 アーシャはそれに防御魔術を使おうとしたが、ふらりと身体がよろめいた。

 すぐさま判断を変え、身体ごと横に転がった。アーシャのいたすぐそばを、火炎の槍が高速で貫いたが、辛うじて直撃はしなかった。


 ソエモンは反応出来なかった。呪文を唱えながら、イシュテリアが再びカタナを抜いて斬りかかってきた。体力が削られているはずなのに、動きに鈍さは感じられない。

 キィン、キィンと澄んだ音。斬り結んでいるうちに、イシュテリアが探るように視線を彷徨わせた瞬間があった。


 ソエモンがここぞとばかりに剣を突き入れる。惜しくも、防がれた。イシュテリアは勢いに逆らわず、後方に飛び退った。イシュテリアが息を吐き出した。アーシャが体力や魔力の回復を図るあいだ、ソエモンが守り続ける構図が、目的の達成の一番の障害であるとついに認識したらしかった。


「君は、邪魔だな」


 完全にソエモンを潰す気になった。ゆっくりと立ち上がったアーシャに、今から大技を仕掛ける余裕が無いのは明らかだった。もし他者の目を欺くためだったとしても、動きがあればイシュテリアが気づかないわけがない。

 間合いの問題からソエモンを後回しにしていたが、優先順位を上げたようだ。


「猛き炎よ、疾く溢れよ。〝ド・フラメ〟」


 眼前に広がったのは、これまでの技巧に満ちた使い方からかけ離れて、猛烈な炎を噴き出させるだけの魔術だった。片方の腕を挙げ、手のひらをソエモンに向けている。その手のひらから凄まじい勢いで火炎が放射されている。


 あくまで近づけないだけだ。ソエモンを牽制するためだった。

 その呪文を継続しながら、もう片方の手を、まるで指揮者のごとく振り上げる。

 魔術師イシュテリアが素早く唱える。


「血の流れよ。炎の輝きよ。汝は熱く滾るもの。汝はおそるべきもの。今より汝を満たし、やがて汝を渇かすもの」


 細部は異なる。しかし、それは先ほどアーシャが使った大魔術に似ていた。

 歌い上げるような律動。宣告のごとき声の響き。何か大いなるものが蠢く気配。

 違うのは、先ほどのアーシャのそれが視界一面を灼熱地獄に変えるもので。

 今、生み出されようとしている赤は、おそらく消し炭も残さず蒸発させる威力だ。


「我が手のごとく、ものみな赤く染まるべし。〝フレイ・ラ・ハスタ・ラスタ〟」 


 イシュテリアの振り下ろした指先から、詠唱とは異なり、白い炎が生まれた。

 炎の形をしているが、赤くない。ゆらゆらと、真っ白な雪のような、雲のような、そんな印象の炎である。


 純白の炎はソエモンに向かって、ゆっくりと近づいてくる。


 不意に、床に散乱した机の破片が燃えている部分を掠めた。火勢の強かった赤色の炎が、白い炎に触れた部分から、音を立てて燃やし尽くされた。後には何も残らなかった。

 炎さえも焼き尽くす白い炎。


 現実にはありえざるものが、そこには確かに存在していた。速度そのものはさほどでもない。突然高速になるのでもなければ、ソエモンなら当たり前に避ける。


「あらゆるものを燃やし尽くす原初の火だ。防御魔術ですら、そのまま燃やす。避けたければ避けても良いが、君が避けたらアーシャに向かうぞ。あの体たらくで、果たして逃げ切れるかね?」


 挑発であることは分かっていた。ソエモンは、剣に手を添えた。すべきことも、彼には分かっていた。



 頭脳労働はアーシャ任せと思っても、ソエモンにも読み取れることは多々ある。

 イシュテリアは死ぬかもしれない攻撃魔術でアーシャを狙ってはいるが、確実に殺す手段は取っていない。それこそ、本気で殺したければこの部屋に来る前に致死のトラップでも仕掛けておけば済んだ話だ。


 だからアーシャは生きたままで。最低でも、死んだ直後の体が必要なのだろう。

 一方でソエモンを生かしておく理由は見当たらない。殺す気は満々だったはずだが、アーシャを巻き込む形になるのを嫌がっただけであろう。ここで避けても白い炎をアーシャに本気で当てるとは考えにくい。原型どころか影も形も残さず焼き尽くす炎だ。

 むしろ細心の注意を払って当てない努力をするだろう。あからさまに過ぎる、この上なく適当な罠である。


 しかし、剣士をよく理解した一手でもあった。

 ソエモンは足を止め、片刃の剣を頭上に振り上げる。それは上段の構え、天の構えと呼ばれる動き。別名を、火の構えとも言う。

 防御を棄てた、攻撃のための動きだ。

 白い炎はゆらめきながら、だんだんと近づいてくる。触れてはならない。炎とは名ばかりの死の抱擁である。ソエモンが回避した直後を狙って、次の魔術が行使されるだろう。あるいは回避せずに立ち向かうことも予測しているかもしれない。


 問題は無い。

 ソエモンは、己が剣と一体になったか感覚を味わった。

 そんなものは錯覚である。剣は、人間が振るうからこその剣である。


 剣は剣でしかない。剣士は人間でしかない。

 いくつもの業があり、心得がある。すべてを掌中に収めたわけではないが、いっぱしの剣士を名乗れる程度には腕を上げた。

 秘剣と呼ばれる業がある。奥義と呼ばれる術がある。口伝たる心得がある。


 しかし、すべてはただ斬る一念に集約される。あらゆるものは、斬れるのだ。燃やす概念そのものである白い炎。だが、それが斬れぬという道理があろうか。

 そこに在るならば、剣士に斬れぬものなど、あろうはずがない。


 ――秘剣、焔。


 振り下ろされる一閃は、須臾であった。

 上から下への斬閃一鳴。火の構えより生み出される剣閃、ゆえに焔。技そのものに大きな工夫があるわけではない。達人が剣を振る速度を上げ、やがて修練の果てに行き着く極地だった。


 逃れることを許さず、防ぐことさえ適わぬ一振りは、ついに秘剣と呼ばれる。究極の炎とも言える白い炎に相対するのに、焔の名を冠した秘剣とは皮肉が効いている。


 白い炎は二つに断たれた。

 形を失い、赤く染まり、力尽きたように弱々しくさざめいて消えた。

 イシュテリアはどこか呆然とその光景を眺めていた。


 が、それも一瞬。即座に次の魔術を唱えるため、声を響かせようとして。


「〝エジアラ〟」


 アーシャの声が割り込んだ。狙い澄ましていたため、一瞬だけで十分過ぎたのだ。

 風の弾丸が、イシュテリアの腹部にまともに直撃した。が、は、と空気が喉から漏れるのを聞き届けることさえせず、アーシャはいつの間にか握っていた杖を振る。


「炎の矢よ、撃ち抜け。〝フラメロ〟」


 即座に追撃をする。


「〝エジアラ〟〝エジアラ〟〝エジアラ〟はぁ……っ、はぁ、はぁ」


 イシュテリアは、ついに斃れた。


「ぐ、は……」


 口から血を噴き出しながら、床に転がり、それでも反撃を試みようとする。その執念を恐ろしく感じながらも、ソエモンがとどめを刺した。剣を縦にし、心臓部分を貫いたのだ。

 即死してもおかしくない状況で、イシュテリアは未だ生きていた。回復用の遺物でも持っているのか、あるいは余剰魔力を用いて無理矢理傷を塞いで生き存えているのか。


 もはや反撃の余力は残っていないようだが、ここから盤上をひっくり返す一手を持っていないとも限らない。ソエモンが容赦無く首を刎ねるか、頭をかち割るかを検討したところに、息をするのも辛そうなアーシャが、足取り重く、しかし急いで近づいた。


「わ、私の……負けか……」

「……ええ。そして、あたしたちの、勝ちよ」

「な、なぜ、負けたんだろう、な」


 呼吸を整えてから、ゆっくりとアーシャが言った。血塗れで床に倒れ伏し、今にも死ぬ直前であるイシュテリアを、静かに見下ろして。


「リア伯母さんは一人、あたしたちは二人だったから。たぶん、それだけよ」

「そ、そう、か」


 肺もやられたのか。

 息も絶え絶えで、言葉も途切れがちなまま、彼女が声を漏らす。


「ねえ。本当に死者蘇生なんて、出来ると思ったの?」

「あ、アーシャ……君も、いつか、分かるだ、ろう。たいせ、つな、ものを、失ってみれば。その、とき、君は、きっと、あの、秘宝を、使おうと、する……必ず、だ。必ず、君は、あれを使うだろう……はは、ははは、はははははは……」


 虚ろな笑い声が、何もかもが破壊され崩壊した室内に、静かに響き渡った。

 イシュテリアが息絶えるまで、笑い声はただ響き続けた。悲しく、寂しげに。



 アーシャはイシュテリアが死亡したのを見届けて、いくらかの魔石を使って燃やした。自前の魔力はほぼ空だ。

 後一歩、何かが違えば、骸を横たえていたのは二人の方だった。

 周囲を見回して、何の異常もないことを確認してから、小さく呟いた。


「やっぱりブラフだったみたいね」

「何がだ」

「リア伯母さんが、自分が死んだらこの迷宮が崩落するって言ってたでしょ」

「……そういえば」

「嘘だって気づいてトドメを刺したんじゃなかったの?」


 呆れられた。いや、微妙に顔が引きつってもいた。


「アーシャも止めなかっただろうが」

「あたしの場合、嘘だと思う根拠はあったわ」


 ソエモンは軽く咳払いして誤魔化した。色々と感じるところはあるのだろうが、アーシャはイシュテリアの亡骸からカタナを回収し、ソエモンに手渡してくれた。

 奪い取った形になるが、これも供養だ、といつかのような詭弁で済ませる。


「なあ、アーシャ」

「なに?」

「イシュテリアは、本当に死者蘇生をするつもりだったのか?」


 真実は闇の中だ。しかしアーシャの語った内容には説得力があった。単なる駆け引きではなく、それを言い当てていたと思ったのだ。


「さあね。結局、細かい部分の質問にはちゃんと答えてくれなかったし。ただ、リア伯母さんの願いはどうやっても叶わなかったと思うわ」

「……なに?」

「秘宝『炎の卵』で生み出せるのは、結局のところ、同じ記憶を持った他人だもの」


 当たり前に語られたのは、残酷な事実だった。アーシャはつまらなそうに続けた。


「もしリア伯母さんの計画通りに全部上手く行っていたとしても、いつか破綻していたと思うわ。蘇生ではなく、あくまで継承なのよ。他にも問題は山積してるわ。遺物の機能は高位の魔術師を想定しているのに、剣士の死体がそのまま適用出来るかどうか。死後何年も経過したあとで、読み取るべき記憶がそのまま保持され続けているのか……考え出したらキリがないわよ」

「そこらへんの問題を解消してあった可能性は?」


「あるわ。あるけど……考えてもみて。いくら遺物、いくら秘宝だからって、そんな都合の良いものが存在していたと思う? 後世の魔術師が解決出来る問題なら、魔導文明当時にすでに改善されているはずよ。いくつもの代償を支払って、死者蘇生の真似事が出来るかも知れない。そのくらいが精々でしょうね」

「……なら」


「リア伯母さんには、もうそれしか残ってなかったんでしょうね。望みが完全に叶わないと頭では理解しても秘宝に縋るしかなかった。……大丈夫よ。あたしに止めて欲しかったんだ、みたいな勘違いはしてないわ。死ぬまで止まれなかったでしょうし……今回が失敗に終わっても、似たようなことを繰り返しただろうから」


 アーシャは、感情のこもらない声で続けた。


「ねえ、ソエモン」


 声は、弱々しかった。


「あたしを……守ってくれて、ありがとう」

「ああ」


 気のない返事だ。自覚しているが、他に言いようが無かった。

 アーシャは一度小さく頷いて、それから目を向こうに向けた。

 いくつもの残骸に阻まれた先に奥への扉がある。二人並んで、そこに向かった。



 最後の最後で罠がある可能性も考えて、一応気をつけて扉を開いた。

 部屋の雰囲気は同じだった。研究室の続きのような場所だ。


「あった……わ、ね?」


 部屋の奥に台座がある。初めから用意されていたかのような、ここだけ迷宮の続きである風の色合いと造形の台座だった。

 秘宝、炎の卵。

 その隣には氷漬けになっている男の死体があった。


「……イシュテリアの、相棒だった剣士」

「なるほど。生きていたときは強かったんだろうな」


 先ほど死闘を繰り広げたイシュテリアをして、修練を重ねたとしても見様見真似であれだけの腕だったのだ。本来のカタナの持ち主はそれ以上に違いなかった。


「どうする?」

「そこの赤いゴミは壊すわ。リア伯母さんが知ってたってことは、どこかに使い方を調べる手段があるってことだし、後腐れが無いように壊した方が世のため人のため、そして何よりあたしのためでしょ」

「それを持ち帰れば、赤の門とやらに帰れるんじゃないのか?」

「別にいいわよ、今更」


「他の組織に持ち込むって手もあるが」

「売り払ったら大金にもなるわね。でも、これを残しておいたら、いつか使いたくなる日が来るかもしれない。そしてリア伯母さんの轍を踏むなんて、ぞっとしない」

「後悔しないか」


「するわ。人間である以上、別れは何度も訪れるものよ。いつか、あたしは悔やむ日が来るでしょうね。でも、きっと、この手のものが世の中に溢れてたから……かつての魔導文明は崩壊したんでしょう。ソエモンはこの秘宝、残しておきたい?」

「壊せるならここで壊しておくべきだろうな」


 アーシャは魔力が心許ない。壊す役目は、ソエモンにお鉢が回ってきた。


「ただの遺物じゃないから、相当に固いわよ。斬れる?」

「どれ、試してみるか」


 カキン。

 とりあえずで振った剣は、呆気なく弾かれた。


 ガギン。

 本腰を入れて、全力で斬ったが、罅一つ入らなかった。


「……斬れないの?」

「いや、剣が壊れる可能性があるんでな」


 振るのが躊躇われた。先ほどまでの戦いで酷使し続けてしまった結果、もう一度無理をさせたら確実に破損する。

 ソエモンの感覚にはひしひしと伝わっていた。


「さっきのカタナ使いなさいよ」


 ふむ、と待望のカタナを抜いた。銘は入っていない。しげしげと眺める。

 美しい刃だ。柄も鍔も鞘もすべてが調和が取れている。

 氷漬けの死体に軽く頭を下げて、それから構える。

 空振りをした。振り心地を確かめるつもりで。アーシャの目が、厳しい。


「なにやってるの? もしかしてカタナでも無理ってこと?」

「そういうわけじゃないんだが」

「斬れないとは、言わないわよね」


 ソエモンを見つめる目が据わっていた。


「……仕方がない、か」


 覚悟を決めた。

 全身全霊の力を込めて、天の構えより、斬鉄の要領で秘宝『炎の卵』を両断する。

 カタナであれば、斬れるだろう。

 斬ったあとどうなるかは、別問題だが。


「――せいッ!」


 台座の上の赤い宝玉、炎の卵と呼ばれるそれに、えいやと一太刀浴びせた。

 秘宝は、真っ二つになった。


「……あ」


 カタナも、真っ二つになった。


「お、おおお……」


 アーシャがあちゃーという顔をした。ソエモンは折れたカタナの柄を握りしめ、うめき声を漏らしながら腕と肩を震わせていた。

 予想はしていた。というか、秘宝を両断すれば、このカタナが折れることはほぼ確信していた。


 どれだけ腕が良かろうと、斬りにくいものはある。斬ってしまえば、武器が耐えられないものがこうして存在している。胸中には、長く使いたい欲があった。名も知らぬ剣士の形見でもあるはずのそれの重さに、思うところもあった。


 しかしアーシャが秘宝をその手に取らない選択をした。ならば、ソエモンが同じことをしないわけにもいかない。


 カタナを惜しんで、斬るべきを斬らずでは、あまりに格好悪いではないか。

 惜しい。もったいない。ようやく手に届いたものを、みすみす手放した。

 後悔している。

 ものすごく後悔はしているが、それで良いのだと、ソエモンは思った。


「うおおおお……」


 だから苦悶の声を挙げることくらいは、許して欲しいと、完膚無きまでに折れたカタナを切なく見つめながら、彼はひたすらうめき続けるのだった。




 二人が地下迷宮から脱出を果たしたのは、十数時間後のことだった。

 ソエモンの手に残った剣も尋常ではないダメージを受けていたし、氷漬けの死体を火葬したアーシャは、使い果たした魔力の回復も覚束なかった。

 来たときの何倍も時間を掛けて、まるで普通の冒険者がするかのように、ゆっくり一歩ずつ踏みしめながら、モンスターを避け、罠を避け、安全な道を探りながら、果てしない帰路を歩いていった。


 帰り道を進む途中、他の冒険者パーティーと二度ほど顔を合わせた。

 妙な気を起こされても困るため、笑顔で挨拶して通り過ぎた。二組いた相手方はどちらも何か恐ろしいもので見たかのような顔をしていた。


 地下一階まで辿り着いたときには、アーシャは煤まみれだった。あれほどかき集めた魔石はひとつ残らず使い切り、もう煙も出ない有様だった。

 ソエモンも傷だらけだ。疲労困憊で今にも倒れ込みそうな状態で、両者ともに満身創痍のまま地上へと顔を出した。


 ちょうど、夜明けの時刻だった。

 真っ暗な夜空が、ゆっくりと明るさを取り戻していく。


「……お疲れさま、ソエモン」

「ああ。アーシャもな」


 ついに、地下迷宮からの帰還を果たしたのだ。

 二人はそれを実感しながら、なんとなく空を見上げた。随分と長く見ていなかった地上の空を。


 ひどく暗い闇のなかから、立ちこめた雲を紫に、橙に、染めていく光があった。

 暁の光はだんだんと色を濃くし、まるで炎のごとく雲を朱く染め上げ、頭上に広がる世界をどこまでも眩く照らしていくところだった。



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