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彼と彼女の迷宮えれじい  作者: 三澤いづみ
第一部 『彼と彼女の出逢い、あるいは地下迷宮の魔』
10/62

十、剣士と魔術師



十、



 多少の無茶は気にするつもりはなかった。

 剣一本でどんなモンスターとも渡り合う。それがソエモンの役割だ。アーシャの無茶に付き合うことは既定路線で、それに文句などない。


 が、ここまで性急な探索行は想定していなかった。それまでの慎重さからすると随分と強攻策に出たものだ。斜め後方をついてくるアーシャの表情を盗み見た。

 焦っている様子はない。必要な分だけ緊張して、あとは力を抜いている。

 酒場でマイセンに情報提供をした後、荷物を買い込み、それから武器屋に向かった。


 そして町外れの迷宮へと向かい、まだ三時間ほどしか経っていないのに地下五階に辿り着いた。前回二人で潜った、あのかなり順調な速度ですら遅く感じる、極端な強行突破である。

 確かに危なげなく進めている。現実に無傷のまま、なんとかなっている。


 流れとしてはこうだ。正面の敵はアーシャが魔術の乱発で焼き殺し、それ以外の敵はソエモンが斬り殺す。その流れをほとんど足を止めず、ひたすら最短ルートを進み、何ら躊躇無く完全なルーチンワークとして行っているだけである。

 派手な戦闘を繰り返している。どこからかおびき寄せられたかのように、魔物の数も普通よりずっと多い。


 大波が寄せてくるかのごとく集団が次から次に湧き出してくる。まず中心に向かってソエモンが切り込む。続いてアーシャが前方をまとめて吹き飛ばす。爆炎のさなかを躍り出て、ソエモンが撫で切りにしていく。アーシャが周囲を焼き払う。この繰り返しだ。


 ソエモンも顔を引きつらせる程度には膨大な数だ。現状、他の冒険者パーティーが迷宮内に潜っていない状況も猛攻に拍車を掛けている。前回の地下二階でオークやウルフの集団が軍勢として現れたように、今回は同フロアのモンスターすべてが続々と集まってきている。


 ソエモンとて、アーシャの手腕を信じられなければ、こんな馬鹿げた状況を見た瞬間、とっとと迷宮から脱出を計る事態である。

 ワンテンポずれたら窮地に陥る。というか普通は死ぬ。

 逃げ場も無く、とにかく前に進むしかない。しかし前方には数え切れないモンスターが押し寄せている。大量のモンスターに囲まれるのは、それだけで致命的である。一般的な冒険者だと囲まれた時点で対処仕切れない。


 モンスターの手数が増えて、攻撃を防ぎきれなくなった時点でまず詰む。

 二人は一般的な冒険者でない。ソエモンだけでも、アーシャだけでも、この場で足を止めれば死は免れない。しかし前衛と後衛というかたちでパーティーが機能すると、これがなんとかなってしまうのだ。地下六階までならすでに一人で潜った経験のあるソエモンも、仲間の存在の大きさを実感する。


 どれだけ腕の良い冒険者も処理能力を超えた物量には最後には押し潰される。人数で言えばたった一人の違いだというのに、同時に対処出来る相手の数が桁違いだった。

 それを為せるのは傍らにいるのがアーシャだからだ。

 希有な腕の魔術師だ。攻撃魔術の行使の速度、精度、すでに相当な量を消費したはずだが、未だに魔力が尽きた様子もない。


 隙を見せたらソエモンへの合図だ。視線が動いたら次の動きが始まる。絶え間のない猛攻勢に対し、息を吐く暇はほとんどないとはいえ、傷一つ負わずに正面突破だ。

 状況が逼迫しているせいで細かな指示など無いが、想定しているルートが分かる。ソエモンは存分に剣を振るって、立ち塞がるもの、横槍を仕掛けてくるものを切り捨てる。


 上の階でもそうしたように地下五階には巨大なハウルベアを始めとして巨大なハチ、巨大なクモ、首刈りウサギにスケルトン集団など、大量の屍を後ろに積み上げてゆく。

 軽口を叩く暇は無い。アーシャが魔術の詠唱に忙しいからだ。遺物のナイフを使ったエジアラと、炎の矢の魔術フラメロを細かく使い分け、合間に爆破魔術を織り交ぜていく。

 帰り道で余裕があれば魔石を拾いたいと迷宮に潜る前にぼやいたが、確かにこの場で稼ぎを増やしている余裕は皆無だった。


 全部を相手にしているとキリが無いから、階段までのルートを塞ごうとする最低限の数だけを駆逐しているのだが、たったそれだけで五十匹を優に超えている。

 地下五階から下に降りる階段に辿り着いた。前に出たアーシャが振り返って、騒がしく追いかけてくる数十匹のモンスターめがけて、それを撃つ。


「火焔の渦よ、荒れ狂え。〝フラム・ル・フラン〟」


 強力な攻撃呪文は唱えてから発動までにタイムラグがある。ソエモンは、無防備になったアーシャを庇う位置で、発射された巨大なハチの針を切り払った。

 およそ二秒。モンスターの大群が突っ込んでくるには十分過ぎる時間だった。

 アーシャは手前に発生した渦巻く炎、数メートルにもなる巨大な灼熱に向けて。


「〝エジアラ〟」


 エリアルナイフの呪文で風を撃ち込んだ。

 通路を丸ごと塞ぐ炎熱地獄が、そのまま無数のモンスター目がけて指向性を持って爆発した。まるで燃え盛る雪崩の一過だった。

 溶岩が押し流すような熱気と阿鼻叫喚の悲鳴と断末魔。


 それらすべてがモンスターを焼き殺していく。モンスターは基本的に、階を跨いだあとは追いかけてこない。あくまで基本的に、だ。怒りに目が眩んだモンスターは魔力の濃度など考えずに追いかけてくることもあるし、現状の地下迷宮の状態からすると普段とは違う行動が増えていてもおかしくない。

 アーシャは後顧の憂いを断つ意図で、ここで一発ぶちかましたのだ。


「……魔力の残り、大丈夫なのか」

「ちょっと疲れたけど、問題ないわよ。ただ、万全を期すために少し回復したいから……地下六階ではペースを落とすわ。守りはソエモンに任せてもいい?」

「あれだけやって問題ないってのも凄まじいな」


「魔石はなるべく拾う方向で」

「予備か」

「ええ。リア伯母さんと会ったときに魔力切れは困るし、戦闘になって、その帰り道ですっからかんだと笑えないし」


 シルバーウルフが五匹、顔を見せた。吠えることさえ許さなかった。核を外して斬ったが、それでも一撃だ。

 五匹の死体からアーシャが手早く魔石を回収している。


 その合間に一息吐いて、ソエモンは手にした剣の状態を眺めた。頑丈な剣である。岩のような肌を切っても、あの黒い太陽を斬っても、刃こぼれ一つ無い。

 もちろん気をつけて使ってはいるが、これまで使ってきた店売りの長剣、片手剣のどれより丈夫だった。

 調息しつつも警戒は怠らず、ソエモンは武器屋でのやり取りを思い返した。



 トルテの店に立ち寄った。頼んだ剣がすでに出来上がっている、わけがない。

 注文したのは命を預ける武器である。

 元より一朝一夕で出来るようなものではない。アーシャは別行動となった。待ち合わせ場所は地下迷宮の入り口前である。準備に念を入れるため、買い込むべきものがもう一つあったと酒場に向かったのだ。


 店内に他の客はいなかった。エクレアが店番をしていた。はたきを持って展示してある武器の埃を払っている。女性らしい所作なわりに、剣や槍なども手慣れた様子で扱っている。


「あら、いらっしゃいませ」

「調子はどうだ」

「私のですか?」

「……いや、頼んだ剣は順調かと」

「そこはウソでも私を気に掛けないと。モテませんよ?」


 エプロン姿のエクレアは、くすくすと笑っている。トルテの姿は見あたらない。何やら金属の音が聞こえるから、奥で作業しているのだろう。


「ええと、剣ですね。実は、あんまり順調じゃないみたいです」

「そうなのか」

「お父さん、あれで凝り性で、負けず嫌いですから。なるべく希望に添うものを、それでいて名高いカタナに遜色ないものを……って昨日はずっと頭を抱えてたんですよ。で、ようやく作業を始めたところです。私としても、そんなお父さんのことは嫌いじゃないんですが」


 頬に手を当て、にこやかにため息を吐かれた。ソエモンは反応に困った。


「ご心配なく。約束の期日には間に合わせるはずですよ。それで、今日はどうしました? いくらなんでも様子を見に来るには速すぎますし」


 さすがに商売人だ。ちょっとした違和感を見逃さない。


「実は……ちょっと剣を診て欲しいんだが」

「先日買っていただいたあの重い剣ですか? まさか、何か不備でも。あのとき見た限りだと問題は無かったはずですが……」


 エクレアが心配げに呟いた。剣を鞘ごとカウンターの上に置いた。革製の鞘はところどころ穴が空いている。中程の部分は剣がそのまま見えているくらいだ。


「どうしたんです、この鞘」

「ちょっと溶かされてな」

「……なるほど」


 何か言いたげだったが、ぐっとこらえたエクレアは、鞘から剣を引き抜いた。

 やたらと重い剣だが、さすが武器屋の娘。取り落としたりはしなかった。


「な、なるほど」


 若干、持っている手が震えている。じっくり剣の状態を観察していた。毎日のように武器に囲まれているのだ。まるっきり無知であるはずもない。

 一通り眺めると、小さなハンマーで叩いて音を響かせたり、置いて刃筋を見たり、エクレアは色々と試している。


 ソエモンは普段、剣の手入れは寝る前にしている。剣が痛んでいるかは、おおよそは見れば分かるが、どこまで行っても使う側である。迷宮のなかで斬れぬはずのものを斬った。少々無茶な使い方をした自覚はある。質の悪い剣なら、とっくに折れ曲がっている。

 別行動する直前、想定している探索行の内容を聞かされた。無茶だが、不可能ではない。語られた計画にはそれだけの説得力があった。しかし準備を怠るべきではない。


 やることに変わりはない。剣一本抱えて、上手く暴れ回る。

 それだけの話だ。自分一人なら、わざわざ武器屋に寄ることはなかった。ソエモンの目には剣に異常は無いと見えていた。だが、一応、エクレアに確かめて貰った。


「一応聞きますけど、これ、どんな使い方をしたんですか」


 簡潔に語った。雷の塊や、岩の硬さの肌を斬ったことを。

 ひどく呆れた顔をされた。


「多少モンスター由来の素材が混ざってますけど、基本的には鋼です。重くて誰も使いこなかっただけで、お父さんも頑丈さには自信があると断言してたくらいですし」


 前置きを踏まえて、エクレアが困惑した顔で視線を厳しくした。


「今のところ問題ないです。ただ、剣は岩を斬るものじゃないですし、ましてや雷を斬れるようには出来てません。そんなことをして問題が無いのがすでにおかしいです」


 口調がいやに静かだった。


「ええと」

「ソエモンさんは腕に自信があるようですが……剣には限界があるんです。鉄の剣で木刀は斬れますが、逆は無理ですよね。打ち合ったら木刀が折れるか、木刀ごと身体を斬られるか。私からは……斬る対象を見極めて使ってくださいとしか言いようがありません」


 ソエモンはむ、と動きを止めた。言っていることは分からなくもない。

 木刀で鉄の剣を斬れるとしても、気をつけようと思わせる懇懇とした声だった。


「分かった。気をつける」


 剣に異常が無いならそれでいい。これで安心して無茶が出来るというものだ。


「ソエモンさん」

「……ん?」

「あまり心配させるようなこと、しないでくださいね。鞘は……交換しておきます。今なら丁度良い大きさの鞘がありますし」


 エクレアは気遣わしげに微笑んだ。それから、ソエモンに鞘に収めた剣を返してきた。

 自分だけを心配してくれるかのような、とても心のこもった眼差しだった。


「ちなみに本心は」

「良客候補は逃しません。お父さんが適当なので、私が頑張って稼がないと!」

「俺は良客だったのか」

「良客はアーシャさんの方です。……見た感じ、ソエモンさん、あんまりお金に執着無いみたいですし。ひたすら真っ直ぐ突っ走る、うちのお父さんと似たタイプですから」


 くすくすと笑う。

 本音はよく分からないが、心配してくれているのは事実だろう。

 ソエモンは礼を言って店を出た。



 アーシャには幼い頃、普通の遊びに興じていた記憶は、ほとんどない。

 名門に生まれた子供が厳しくしつけられるのは当然だったし、家族の中に、それに異を唱えるものは一人としていなかった。


 いや、アーシャの才能がもう少し大人しければ、違う生活もあった。わずか三歳で、魔術師として大成するであろうことは誰の目にも明らかだった。

 魔術は才能を必要とするが、その本質は技術であり、ある種の学問でもある。

 学び始めるのは早ければ早いほどよい。やわらかな脳に、無垢な身体に、未熟な精神に、魔術の神髄を叩き込むのに時間はいくらあっても足りない。


 幼いアーシャはフェルマータ家に伝わる魔術を、赤の門に存在する技術を、来る日も来る日も絶え間なく学ばされ続けた。

 遊びと称して行われるのは訓練だ。たとえば炎の矢を的に当てる遊戯。正確さと速度を競うものだった。他にも燃えている炎を後から操作する魔術や、赤の門が占有する小迷宮で弱いモンスターと戦うこともあった。


 幼い頃は疑問を持ったことはなかった。赤の門の支配地か、フェルマータ家の敷地内。それがアーシャの世界のすべてだった。

 早熟ではあった。様々な書物に目を通し、本を読みあさり、知識を蓄えるうち、アーシャは自分がひどく狭い世界に生きていることを自覚した。


 だからといって困ることはない。不幸と感じたことはそれまで無かった。

 何もかもが当たり前で、それしかなかったからだ。


 七歳を超えた頃から、赤の門に所属している魔術師との交友が増えるようになった。

 家にも、組織にも、彼らにも、いくつもの思惑があったのだろう。イシュテリアと初めて会ったのは、アーシャが五歳の頃である。伯母であると紹介された。


 イシュテリアは、忙しいひとであった。

 赤の門に所属する魔術師は、各地に派遣されていた。

 たとえば高名な冒険者から請われて。たとえば迷宮都市で見つかった遺物の研究に。モンスターの生態調査の主任として。

 各人の能力に見合った仕事を割り振られていた。階梯の高い幹部ともなると相応の待遇と報酬で招かれることもままある。


 イシュテリアは、数少ない幹部の中でも特に戦闘に秀でた魔術師だった。体術、武技も使える上に、赤の門では攻撃魔術の講座を開くほどの実力者である。


 当時のアーシャは並の魔術師と腕を競える程度には研鑽を積んでいたため、専属の師を付けてもらえることになった。

 天才と言われるアーシャを導けるだけの、実技も、学術も、どちらも一流の師匠。それがイシュテリアだったのだ。



「アーシャ。次は火炎をいかに有効に扱うか、その実例を見せよう」


 真紅のローブを格好良く着こなして、自分より背の高いイシュテリアは、アーシャにとって憧れの存在だった。

 イシュテリア・テセラ・フェルマータ。齢三十歳の、美しく聡明な伯母だった。

 才能だけで言えば、アーシャの方が上だったはずだ。でなければ百年に一度の天才と呼ばれたりはしない。しかし未完成の才能は、完成した努力にはまだ届かない。


 模擬戦闘や試合でイシュテリアと争って、アーシャが勝てる回数は十回のうちわずか一回、それもアーシャに分のある魔力量に物を言わせた力押しだけだった。

 体術を教えてくれたのも彼女だ。


 いつの頃からか腰に差していたカタナを振る姿こそ見たことがないが、ナイフの取り回しは巧みだった。だから剣術も嗜んでいると認識していた。

 魔術師としての尊敬ばかりでもない。


 あまり人間味のある対応をされた記憶のないフェルマータ家の家人よりは、血の通った人間として扱われたことも、イシュテリアを親しく思う一因となった気がしている。


「アーシャ。あまり魔術師然とした振る舞いをするべきではない。染みつくとぬぐえなくなるぞ。日頃から、もう少し対応の仕方を考えた方がいいな」

「どうしてかしら?」


「そのままだと、嫁に行けなくなる」

「……あたしの場合、婿を取ることになるんじゃ」

「フェルマータの家から出て行く可能性も、一応は考えておくんだ。未来がある以上、あらゆる可能性は検討に値する。実際にそうなるかどうかは別にして、だが」


「リア伯母さん」

「なんだ」

「恋人はいるの?」

「……いるように見えるのか」

「ごめんなさい」


 自分の経験に即した忠告であった。謝りながら、アーシャは震えた。イシュテリアの眼差しはどこか遠くを見据え、ひどく悲しげであったからだ。

 それから数年、アーシャはイシュテリアに師事した。


 イシュテリアは教え方も上手かったし、知識量もアーシャが舌を巻くほどだった。知らないことは聞けば大体答えが返ってきたし、時折どこかに足を伸ばしては、冒険者として活動していた土産話を聞かせてもらったりもした。


 穏やかに時は流れて、アーシャが十歳になった頃、イシュテリアが家を訪ねてきた。持ってきた話は名誉なもので、両親はいたく喜んでいた。

 実力は充分以上だとして、アーシャを幹部に推薦してくれたというのだ。

 特例として、十歳にして秘術継承の儀式を行うことになったとのこと。


 この頃にはイシュテリアと試合しても、五分以上の勝率を保てるようになっていた。研究者としての実績こそほとんどないが、魔術師は、赤の門でも上から数えた方が良いほどの実力を知らしめていた。

 どのみち赤の門の幹部となることは既定路線だった以上、それを早めることに否定的な意見はほとんど出なかったらしい。


 とはいえ、やはり年齢が年齢である。異例の早さだ。

 やっかみの声はあったが、イシュテリアが黙らせた。便宜を図り、根回しをして、アーシャのために面倒を片付け、すっかり手順を整えてしまった。

 儀式のために秘宝を持ち出す許可も得て、残るは日程の調整だけ。

 そんな状況で、イシュテリアは慌ただしいなか、アーシャと顔を合わせた。


「リア伯母さん! その、……ありがと」

「いいんだ。君のためだけじゃないからな」

「えと」

「私は、私のために動いた。そういうことだ」


 イシュテリアは薄く笑った。

 そして数日後、アーシャは炎の卵に触れ、それまでの日々は崩れ去った。



 思い出に浸っているのか、イシュテリアの情報を再確認しているのか、自分でもよく分からなくなったアーシャは、酒場に戻ってきた。

 マイセンの姿はすでに無い。あの情報で稼ぐつもりなら時間との勝負だからだ。めぼしい相手にさぞ高く売りつけていることだろう。


 昼食には若干早いが、何組かのパーティーが店内で話し合っている。彼らは朝から迷宮に潜らずに、時間をずらして行動するつもりなのだろう。

 見覚えのある顔を見つけた。


「こんにちは」

「こ、こんにちは」


 困ったような顔で挨拶を返してくる若い男に、アーシャは笑顔を見せた。


「あ、こないだのすげー女ッス!」

「馬鹿野郎!」


 同じパーティーか。隣のテーブルで朝からステーキを頬張っていた男が、アーシャを見て叫んだ。隣にいた似たような格好の男が慌てて口を塞いだ。


「すんません、すんません」

「……いや、良いんだけど」


 珍しい反応ではある。彼らに対して被害が出る行動を取った覚えもないが。アーシャが首をかしげると、少し雰囲気の違う中年の男が腰を上げた。


「騒がしくしてすまんな。気にしないでくれるとありがたい」

「ええ」


 騒ぎを大きくするつもりもないし、特に気にすることでもない。なかなかやる、とアーシャの目には映ったこの中年の男は、振り返って一喝した。


「メシぐらい静かに食えんのかお前ら!」

「オサノフさんの声が一番でっかいッスよ……」

「俺はいいんだ。俺は」


 どすんと音を立てて座った。それだけで微妙な空気が刷新された。

 へえ、とアーシャは多少感心したが、顔には出さなかった。良い先生がいる。冒険者にとって得難い道標だ。死出の旅路になりかねない分かれ道を、熟練者は経験によって見分ける。それでも避けがたい落とし穴が存在するのは仕方のないことだが、彼らは恵まれている。

 師匠の質は、弟子の質に影響する。アーシャは口元を綻ばせる。


「ん、なんだ?」


 オサノフと呼ばれた男をじっと見つめると、怪訝そうな顔をされた。


「いきなりで悪いんだけど……あなた方の持っている魔石、売ってくれないかしら」

「なに」


 酒場に引き返したのは、魔石を買い集められないかと考えたからだ。

 平均的な魔術師に比べてどれほど膨大な魔力量を誇るアーシャであっても、無限に魔術を使い続けることなど出来はしない。


 しかし、予備の魔力として魔石を使えば話は別だ。魔石とは無色の魔力である。他人のアーシャの魔力を使うことが出来ないように、モンスターの体内を巡る魔力も、アーシャが勝手に利用することは不可能だ。


 核を中心に結晶化した魔力、すなわち魔石はそうした色が付いていない。自分の魔力として使うことが出来る、未だ所有者のいない魔力なのである。

 浅い階層で入手出来る魔石など雀の涙ほどのものだが、それでも大量にあれば保険として持っておくには十分である。


 手持ちもあるし、前回前々回に探索したとき拾い集めた分もある。時間が余っているなら迷宮内を回って集める手段もあるが、そこまでゆっくりしていられるとは思えない。

 あくまで予備だ。魔石の魔力を用いることは効率が悪い。手持ちを全て使っても、自前の魔力の一割にも満たないだろう。逆に言えば、普段より一割余計に使えるのだ。交渉開始である。そう思ったアーシャだったが、オサノフは首を横に振った。


「どうして?」

「相手が違う。交渉するなら、リーダー相手にしてくれ」


 六人パーティーを見回した。一人ずつ。オサノフの顔に視線を戻す。

 不敵な笑みがある。

 軽く頷くと、今度は最初に挨拶を交わした若い男に目を向けた。


「あなたがリーダーね」

「え」


 驚いているリーダーに、アーシャはもう一度繰り返した。


「魔石を売って欲しいのよ。どう?」

「ロロ。どうする?」


 オサノフが、意地悪そうに若い男――ロロに声を掛ける。


「どうって、オサノフさん。そりゃあ」

「お前がリーダーなんだから、お前が決めろ」


 オサノフが肩をすくめた。あまり時間を掛けないでほしいなあ、と思いつつ、アーシャは事態の推移を見守っている。

 ロロは言葉を詰まらせたが、やがて顔を引き締めた。

 覚悟をした瞬間を狙い澄ましたかのように、オサノフが口を開いた。


「と、言いたいが……今回は相手が悪いわな。迷宮都市の相場でいいのか」

「一割増しでいいわよ。無理を言ってるのはこっちだし」

「俺たちからすりゃあ、手数料無しで換金してもらうようなもんだぜ」


 この町では魔石は換金できない。ギルドの出張所もなく、そうした産業もない。足を伸ばして別の町に行けば換金の手立てはあるが、相場からは幾分落ちる。行くところに行けば相応の稼ぎになるからと、彼の指示でこまめに拾い集めていたのだろう。

 アーシャからすれば、見込み通りだ。


「足下を見ないだけで十分な取引だもの。どれだけあっても即金で払うわ」

「おう、言ったな?」


 それまで控えめな態度だったオサノフは、いきなり獰猛な笑みを浮かべた。


「おうスタンリー。全部持ってこい」

「え。ええと。全部ッスか」

「話は聞いてただろう。全部だ。溜め込んだ魔石を全部運んでこい。ああ、いや、一人じゃ持てないか。ならフィッジも連れてけ」

「俺一人で持てるッスよ。あれくらい」

「三十キロ近くあるだろうが」

「でも、それならオサノフさんより軽いッスね」


 笑いながら、オサノフが叫んだ。


「早く行ってこい!」



 スタンリーは数分後、ひいひい言いながら戻ってきた。

 中身の喧しい大きな袋を背負っている。辿り着いたスタンリーは倒れ込んだ。

 剣を差し、鉄製の胸当てや臑当て、腕や肩の防具もそのままだから、相当の重量だったはずだ。せめて装備を脱いでから運べば良かったのにとアーシャは思ったが、今更なので何も言わなかった。


 袋をテーブルの上に置く。縛ってあった紐を開いた。

 彼らの溜め込んでいた魔石は、凄まじい量だった。一週間やそこらの量ではない。噂が出回る前から彼らは潜っていたはずだ。魔石は普通の石よりは重いから、そこまで場所を取るわけではなかったが、持ち運ぶのは大変だったことだろう。

 スタンリーの荒い息を横目に、オサノフがにやりと笑った。


「即金で払うんだよな」

「ええ」


 アーシャは笑顔で頷いた。


「この量だと、このくらいの値段でいい?」

 提示した価格は一割増しに、さらに色を付けたものだ。オサノフが吹き出した。

「手持ちでそんなにあるのか?」

「半分ほど宝石で良いならこの場で払えるわ。全部金貨が良いなら、急いで宿に預けてる分を持ってくるけど」


「うちのロロに見本を教えるつもりだったが、あんたのが数段上手だな。あの量を見て顔色ひとつ替えねえしよ。……宝石と金貨、半分ずつで頼む」

「良い取引だったわ。ありがと」

「見たかお前ら。これが冒険者だ。見習えとは言わんが、ちゃんと知ってろよ」


 オサノフは笑った。愉快そうに。そしてロロを見つめた。


「次からはお前がやれよ」

「え……いや、オサノフさん。いやいやいや」

「安心しろ。こんなのは滅多にいねえから……いや、そうでもないか?」


 困り果てているロロに、アーシャは約束の代金を支払った。オサノフなら目利きも出来るだろうし、相場も分かるだろう。

 量が量だ。小銭稼ぎという額ではない。しばらく遊んで暮らせる額面である。


「確かに頂戴した。毎度あり」


 そしてアーシャは魔石の詰まった袋を担ぎ、酒場から去った。

 遠く歓声が聞こえてきたが、振り返らなかった。



 待ち合わせ場所である迷宮の入り口に到着すると、様子がおかしかった。

 かなりの数の冒険者たちが困惑したように立ち往生している。

 荒くれも多い人種だ。怒鳴り合っている連中もいれば、苛立ちから今にも掴み合いになりそうな者もいる。その一方で冷静に様子見をしているパーティーや、らちがあかないと判断して町へと戻っていった一団もあった。


 共通するのは、迷宮内に入ってしばらくすると、全員が出てくることだ。

 騒ぎ立てている者もいる。仲間と相談している者もいる。


「ねえ、何があったの?」

「行けば分かるんだが……進めないんだよ。変な壁みたいなもんがあってな。先に進もうとすると押し戻されるっていうか、引き戻されるんだ。階段を下りて、少し歩いたところでそんな状態になるから、何も出来ない」

「教えてくれて感謝するわ」


 この場にいる冒険者の中にはアーシャ以外の魔術師もいた。

 冷静な表情である。面倒くさそうに地上部の遺跡の壊れた壁に寄りかかっている。


「おっ。同業者か。……へえ、そのローブは赤の?」

「あたしのことはどうでもいいでしょ。それより、入れないの?」

「見たとこ、ありゃあ魔力を持ったものを通さない壁だね。僕もさ、一発だけ攻撃魔術ぶっ放したけど、それだと破れなかったから……とりあえず昇ってきたんだ」

「魔力持ちを通さない壁、ねえ」


 ソエモンが言っていた地下三階にあった仕掛けと同じだろう。これもイシュテリアの仕業かもしれない。この状況下では他の理由よりは可能性が高いはずだ。


「通れないことにむかついて、その透明な壁にメイスを投げ込んじゃったヤツがいてさ。メイスはそのまま通り抜けて、本人は通れない。そいつ、普段使いの武器を手放す羽目になっちゃって荒れてるよ。今も階段の下でぎゃあぎゃあうるさいんじゃないかな」

「そ」

「つれない反応だね。赤らしいっちゃ赤らしいけどさ。で、破る手段はあるの?」

「そうねえ。飽和するまで攻撃魔術を連発するとか」


「誰がやるのさ、それ。言っとくけど僕はやらないよ。頑張って壁を破って、他の連中が消耗しないまま迷宮に潜るとか、考えただけでも馬鹿らしいし」

 面倒だと見切ったこの魔術師の考え方は、ある意味では正しい。やはり冒険者、他人より自分を優先するのは当然で、もとより生き馬の目を抜くような世界である。

「ま、一度見てきたら? キミ、僕より格上の魔術師みたいだし。もっと簡単な方法が見つかるかもしれないしさ」


「そうさせてもらうわ。情報ありがと」

「待った。赤の門所属だよね。なら今の情報のお返しとして、ひとつ聞きたいんだけど」

「若干違うんだけど……言える内容ならいいわよ」


「あのイシュテリアがここにいるって本当? 随分前に死んだって聞いたけど」

「死んでなかっただけでしょ」

「それもそうか。ってことは、秘宝の話も本当なのかな。どうしようかなぁ」


 アーシャを呼び寄せるための情報だが、他の魔術師も食いついたらしい。死人が再び活動している。失われたはずの赤の門の秘宝。

 この二点だけでも捨て置くには大きすぎる話だ。


 噂が流れ出した時点で、アーシャはかなり迅速に動いた。だが、これから続々と他の魔術師組織も人員を送り込んでくる可能性がある。横槍を入れられるのは不愉快だった。

 と、そこまで考えて、目の前の彼が口にした表現が妙に気に掛かった。


「……待って。あのイシュテリアって、どういう意味」

「おや、赤の人なのに知らないの?」

「年齢を考えてよ、年齢を」


 実際にはもっと若く中枢に関わる予定だったが、誤解させるには十分だ。

 彼もああなるほど、と納得した。


「そのくらい若いと知らないんだね。そりゃそうか。イシュテリアが死んだって話が出たのも四年くらい前だし、一番有名だったのはもっと昔だし。世代が違うか」


 彼は語り出した。


「赤の門のイシュテリアって言えば、迷宮都市でも有名な冒険者の一人だよ。二人パーティーで深くまで潜っては、たった一度の冒険で、いくつもの遺物を手に入れて帰る。まあ六人パーティーが基本だからね。人数が少ないってだけで目立つんだけど、トップクラスの冒険者には少ないわけさ」


 彼は腕を組んだ。


「でもまあ、あるとき仲間……っていうか、相棒が死んで、それからは冒険者としての活動はほとんどしなくなっちゃったらしいけどね」

「相棒って」


 訳知り顔で、言われた。


「男女の二人組なんだから、そういう関係だったんだろうね。魔術師と、剣士。お似合いの二人だったって話さ。ま、死んじゃったら、もうどうしようもないんだけど」


 それから語られた皮肉混じりの話は、あまり頭に入らなかった。

 イシュテリアについて初めて知った内容だ。色々と好き勝手に話してくれた彼にお礼を告げ、アーシャは無数の冒険者たちから離れた場所に歩いて行った。


 頭上には晴れ渡った空が広がっていた。

 壊れた遺跡の敷地内からも遠ざかり、ひとの気配の少ない場所で、思索に耽る。


 冒険者として活動していたことは知っていた。無名では無いとも予想していた。しかし相棒がいたなんて聞いたことがない。二人組でパーティー組んでいたなんて、イシュテリアの口から聞かされたことは一度も無かった。


 その組み合わせを知った瞬間、自分とソエモンとに重ねてしまった。アーシャは、ありえないと思いながらも、想像を止められない。


 もし、秘宝『炎の卵』が、アーシャの想像する機能を持っていたとしたら。

 イシュテリアが考えたこと。願ったであろうこと。それを仮定して、逆算して、秘宝にその力があると考えてしまえば、すべては繋がる。


 実感は無い。もしソエモンが死んだら、自分が何を考えるのか。そこに至るまでには長い時間がかかるだろう。自分と彼は、初めて会ってまだ一週間も経っていないのだ。

 たったそれだけでイシュテリアの想いを推し量ろうだなどと烏滸がましい。


 アーシャは自覚している。しかし発生しうる感情を計算にいれて、想定しうる事態をすべて勘案すれば、それは確かにあり得ることだと、冷静な魔術師としての感性が囁き続ける。

 炎の卵。見た目から、そうした名称であると思っていた。

 使い方が分からないと、思い込んでいた。

 知っていた。言われていた。秘術を継承するものだと。


 秘術の継承とは何か。

 記憶だ。長い歳月によって積み重ねられた技術の集大成は、人間の記憶によって保存されている。書物だけでは記しきれず、表しきれない、個人の経験や知識であるそれを、他者に継承させる。

 記憶を、技術を、人格を、継承させる。


 なぜ卵なのか――新たに、生まれるからだ。

 炎の中で再誕するもの。不死鳥のごときそれ。死者を新たな人間として再生させる。生きている人間に使えないのは当然だ。生者を殺さずして再誕させることは出来ない。

 アーシャは青空の下で、己の思考が止めどなく流れ落ちる音を聞いた。

 無数の歯車が動き出し、深淵の向こう側の、ひとつの答えに辿り着くのを知った。


 イシュテリアは、その『相棒』を再誕させようとしている。

 魔術師であれば誰でも知っている。死者蘇生は、不可能であると。

 失われた文明の最初期、魔導が周知されるより以前に、クローンという技術があった。

 人間を複製するという、許されざる技術が。


 しかし複製は完全ではなかった。素質や外見が同じだとしても、全く同じ人間になることは絶対にあり得なかった。再現が不可能な環境こそが人間の個性を形成する。肉体が同じ状態であったとしても、性格や性質、記憶や技術、後天的な何もかもが、同一の人間を生み出すことを許さなかった。

 あるとき魔術が登場した。魔力という新しいエネルギーと、未知の技術の最果て。既存の科学と組み合わせることによって新たなる道を切り開くことになり、やがてその栄華の果てに呆気なく滅びる文明。その残り香が、遺物だ。


 アーシャは自分の考えが間違いであることを祈った。だが、否定する根拠が、どうしても思いつかなかった。そんな遺物が、何らデメリットもなく使えるはずがない。

 もし容易く用いられるものであれば、イシュテリアはとっくに使っている。アーシャを待ち構える必要は無い。


 ならば、何かを引き替えにして、発動するに違いない。

 呼び寄せた理由、アーシャである必要があるのか。

 もしかしたら、無いのかもしれない。三日という期限を切られた。あれは、アーシャでなくとも三日後には目処が立つという意味だったのではないか。

 いったい何が起こる。


 アーシャは考える。すでに必要な情報の欠片は揃っているはずだ。

 魔術を行使するときのように、正しい順序でその構成を組み立てる。

 カチリ、と歯車が回る。欠けていた部分に嵌るもの。

 アーシャが好ましいが、アーシャでなくとも構わない理由。


 噂は広まる。死んだはずのイシュテリアの存在と、秘宝である炎の卵。それを求める者は冒険者。特に魔術師だ。イシュテリアを知っている魔術師の組織が、凡百の魔術師を送り込んでくるはずがない。

 狙いは、それだ。


 アーシャか、アーシャと同じくらい実力ある魔術師を呼び寄せる。

 最深部におびき寄せて、やって来た魔術師を利用する。何人もの実力者に踏み込まれればいくらイシュテリアといえど勝ち目は無い。……本当にそうだろうか。

 他の組織と手を携えて協力して、なんてことはない。

 赤の門の秘宝を入手しようと試みるのであれば、秘密裏に、あるいは独自に、それを為そうとする。迷宮内では六人パーティーが基本だ。


 狙って来ることが予め分かっているのであれば、やりようはいくらでもある。

 一度で良いのだ。

 使う魔術師は、たった一人でいいのだ。

 アーシャであれば確実だ。それを確かめるための儀式だったのかもしれないと、今なら分かる。イシュテリア自身でも、起動することは可能かも知れない。


 しかしそれでは望みは叶わない。

 死者との再会をするには、自分の命を失ってしまっては無意味だからだ。

 さらにアーシャは仮定する。秘宝を使うにあたって、アーシャが必要なのは何故か。これなら分かる。必要なのは、実力ある魔術師の死だ。

 炎の卵が自ら認め、次代に継承させるに相応しいと判断するような魔術師が。


 アーシャは、首を振った。

 まさか。ならば。


 その場合、イシュテリアの望みは――

 アーシャは分からなくなった。


 破綻している。

 最後の一点で思考が停止する。アーシャは推測した大半が正しいだろうと考えた。ならば、ソエモンを道連れに、あえて死地に飛び込む必要など果たして存在するのか。

 アーシャは息を吐いた。まるであの悲劇の後のように、自分自身は変わっていないのに、周囲のすべてが書き換わってしまった感覚。


「すごい顔をしてるな」


 ソエモンが、目の前にいた。来たことに全く気がつかなかった。

 アーシャは表情を変えなかった。いつもの笑顔を浮かべるには余裕が足りなかった。混迷の最中にあった。縋るような眼差しだけは避けた。

 そこにいるのは己の相棒だった。守ってほしいと、そう願った相手。お前が欲しいと、アーシャに告げた男だった。


「色々と面倒なことを考えてたのは見れば分かるが」

「見てたの?」

「さっきからずっと。百面相してたが」

「……ソエモンは乙女の心をもう少し理解した方がいいと思うわ」


「そう言われてもな、剣の素材にも色々あるだろ。木で出来た剣。青銅の剣。鉄の剣。鋼の剣。ってことはだ、乙女心ってやつも結構、それぞれに差があると思うが」

「ふうん。で、ソエモンの見た感じ、あたしの心は何製よ」


「黄金だな。やたらと柔らかいが、投げつけるとかなり重い」

「……褒めてるの? それ」

「それほどでもない」

「ちょっと!」


 馬鹿な言い回しに、少し笑った。


「なあ、アーシャ」

「何よ」

「斬るべきか、斬らざるべきか、それが問題なわけだ」

「どっかで聞いたフレーズね」

「……お前が決めろ」


 声は真剣だった。何に悩んでいるのかなど、ソエモンに分かるはずもない。しかし、これはアーシャの問題だ。

 そうだ。

 決めるのは、アーシャでなければならなかった。最初から分かっていた。悩みも迷いも自分のものだ。心は自分だけのものだ。


 他者のそれを背負うことは許される。手伝うことも。

 仲間とはそういうものだった。


「じゃあ、ソエモン」


 声は弾んだ。言葉はこれ以上なく物騒なものなのに、告げる心は軽やかだった。


「あたしのために、斬って」

「任せろ」


 その声の心地よさに、アーシャは微笑んだ。


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