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Can't Take My Eyes Off You

作者: あびす

 彼女の瞳は綺麗だった。

 とても鮮やかな、金色の瞳。

 自分はその瞳が、大好きだった。


『次はー、グレル東ー。グレル東に停まります』


 車掌の言葉で、男は眠りから覚めた。いくら故郷が近いからといって、幼馴染のことを思い出すとは。自分もヤキが回ったのかもしれない。

 列車が駅のホームに停まった。少しして、男が扉から吐き出される。見た目は二十歳ほどで、左足が不自由なのか、びっこを引いていた。

 改札の駅員に切符を渡し、駅から出る。駅前であるが、周囲に建物は少ない。田園風景のおかげか、閑散というよりは長閑な雰囲気だ。

 男はこの地の空気を確かめるかのように深呼吸をすると、荷物をたすき掛けに背負い、少しずつ歩きだした。彼の皮膚は浅黒く焼けており、左足以外は引き締まっていた。

「やぁ、お兄さん。しんどそうやねぇ」

 唐突な女の声。振り返ってみると、そこには半人半馬ケンタウロスの女性がいた。まだ若く、活発そうな感じがする。

「どこまでなん?」

「どこまで?」

「目的地よ。あはは、よかったら乗せてこうか?」

 女が人懐っこく笑った。男としては願ったりな話だが、あまり金に余裕はない。

「……グレルまでだが、手持ちはないぞ?」

「お、一緒んトコやん。ほな、乗せてったるよ」

 女は笑って、地面に伏せた。彼女の馬の体の背中には荷物がいくつかくくりつけてあり、どうやら買い出しの帰りのようだ。

「帰るついでやねん。お金んことやったらえぇよ。あはは、これも人助け、人助け」

 女はなおもけらけらと笑っている。どうやら本当に善意からの行動のようだ。ならば、それを踏みにじるのも悪いだろう。

「じゃあ、お言葉に甘えて……」

 男は女の背中に足を揃えて座る。男が座ったのを確認すると、女は立ち上がり、足を進めた。

「ほな、行こかー」

 思わぬ形で楽ができた。女が運んでいる荷物に目をやると、どうやら衣料や雑貨のようだ。

「お兄さんはアレなん? 兵隊さんやったん?」

「……まぁ、そうだったなぁ」

「あはは、やっぱし。なーんか疲れてはるから、そんな気ぃしたんよ。最近は戦帰りの兵隊さんが多いわぁー」

 そう、男はほんの一月前まで兵隊であった。

 一月前に、休戦という形で戦争が終わり、多くの兵士が故郷へと帰っていった。男もそのうちの一人である。目的地であるグレルは男の故郷だった。徴兵で離れて、今年で三年になる。

「足、悪そうやね」

「悪いも何も、義足だよ」

「え、義足なん? それでグレルまでって、お兄さん無茶しよるわー。普通に歩いてっちゃ一時間ぐらいかかるんにー」

「そうだな。うん、ありがとう。本当に助かったよ」

 男は義足になって半年近く経つ。歩くことは慣れているし、元々兵隊だったので、体力はある。それでも、グレルまでの距離を歩くのは少々辛いものがあった。そんなわけで、女の申し出は願ったり叶ったりなのだ。

「あははー、お礼を言われるこっちゃないわー。善意やもん、ぜ・ん・い」

「そっか。じゃあ、ありがたく受け取っとくよ」

「せやせや。気にせんと受け取っときぃな。あはは」

 女は笑い上戸なのか、また笑っている。そういえば、女の口調には訛りがある。明らかにグレルの訛りではない。

「そういえば、えっと……お姉さんは」

「あはは、ナルルでえぇよー」

「じゃあ。ナルルさんはこの辺の人じゃないな。ラグン辺りの出身かい?」

「せやねぇ。こっちには疎開して来とるんよー。……まぁ、グレルは居心地えぇからなー。あはは、こんまま住みついてまいそうやわー」

 ラグンといえば、この間の戦争で最前線となった地域だ。

 酷い戦争だった。ラグンはこの国で五指に入る規模を持つ都市だったのだが、地形が変わるほどの砲撃で、町並みは完全に焼け野原となり、軍属・一般人を問わずに多くの血が失われた。戦況は一進一退が続き、敵国も自国も大量の血を失った。そして、お互いに何も得ないまま、戦争は終わった。

 男はつくづく思う。多くの戦友と、三年という時間と、己の左足を失ってまで得た物が、このかりそめの平和だけだというのなら、本当に無駄な戦争だった、と。

「お兄さんも」

「ギリアムでいい」

「あはは、ようやっと自己紹介終わったなぁー。ギリアムさんはグレルの出身なんやね?」

「そうだな。グレル生まれ、グレル育ち」

「お、生粋のグレル人っちゅー訳やな。さっきも言うたけど、グレルはえぇとこやねぇ」

「誰がえてこだ」

「あはは、お兄さん、返し方知っとるなぁ」

 えてこ。ラグンの方言で、猿のことだ。

「ラグン出身の奴がよく言ってたからな。……あ、悪い、話の腰を折ったな」

「えぇよー。グレルはえぇとこって言いたかっただけやもんな」

「誰がえてこだ」

「あはは、そこで被せるかー?」

 ナルルは笑い上戸なのか、よく笑う。彼女の楽しそうな笑い声は、聞いていて楽しくなれる。ギリアムは自然と笑顔になっていた。

 笑うことなんか、久しぶりかもしれない。

 しばらく世間話を交わしていると、グレルの町並みが見えてきた。田舎町であるが、田舎であるが故に疎開も多いらしく、昔よりもずいぶんと賑わっているようだ。

「……あ、ここまででいいよ。ありがとう」

「ホンマ? んじゃ、足下気ぃつけてなー」

 ナルルがしゃがんだので、ギリアムはナルルの背から降りた。ギリアムが降りたのを確認すると、ナルルは笑いながら立ち上がる。

「あはは、だいぶかるなった。ギリアムさん、見かけよりも重いなぁー」

「……ふふふ、よく言われるよ」

「じゃー、ウチはこれで。あ、ウチはそこを右に曲がったとこの『フェンテ』って喫茶店で働いとるから」

「なんだ、営業か?」

「あははー、ちゃうちゃう。ギリアムさんみたいな男前に来てもらえると嬉しいなぁー、っちゅーだけ」

「誉めても何も出ないぞ? ……フェンテなら知ってる。まだやってたんだな。うん、後でお邪魔するよ」

「ホンマ? あはは、じゃ、おめかしして待っとくなー」

 フェンテは徴兵される前、よく行っていた喫茶店だ。そのため、店主とも顔なじみである。彼女―三年前は老婆だった―が元気にしているか、少々気になる。それに、ナルルの善意とはいえ、ここまで運んでもらったのだ。何かお返しをするべきだろう。

「それじゃ、さっきはありがとう。本当に助かったよ」

「あはは、ウチもギリアムさんと話せて楽しかったわー。ほなねー」

 ナルルは手を振ると、フェンテのほうに歩いていった。

「さてと……」

 ギリアムは背伸びをして、三年ぶりの故郷を歩く。町並みはほとんど変わっていない。

「あ、ギリアム君じゃない。帰って来れたんだね」

 すると、顔見知りに声をかけられた。実家の近所に住んでいた中年女性だ。

「あ、どうも。まぁなんとか帰って来れましたよ」

 中年女性はギリアムの左足を見て、顔をしかめた。ズボン越しとはいえ、義足だということはよくわかる。

「……大変だったみたいだねぇ」

「まぁ、命があっただけで儲け物ですよ」

「そっちのほうに歩いてるってことは、家に向かってるのかい?」

「えぇ、まぁ」

「……そうか、知らないんだねぇ。あたしがとやかく言う事じゃないけど」

 中年女性がしかめっ面を浮かべた。何に対しての表情なのか、よくわからない。

 彼女と別れると、家が見えてきた。懐かしの我が家。思い出の詰まった我が家。妙に静かで薄暗いのが気になるが、玄関の前に立つ。

『管理物件 入居者募集中』

 玄関は堅く閉ざされていて、こんな貼り紙が貼ってあった。静かなのも納得である。

「……あー、おばちゃんが言ってたのはこのことかぁ……」

 ギリアムは思わず頭を抱える。両親の体調が思わしくないとは聞いていたし、父親が死んだことも手紙で知っていた。

 だが、この展開は予想外。

 おそらくは母親に何かがあって、空き家となったこの家を親戚が売り払ったのだろう。休戦間際のゴタゴタで手紙が来なかったことは十分に考えられるし、ギリアムは親戚と折り合いが悪い。だから、あまりしつこく連絡がなかったのかもしれない。

 ギリアムは盛大にため息をついた。家に帰るのは帰省の第一目標だったのだが、こんな形で終わるとは。仕方ない。情報を集めるついでに、第二目標に取りかかろう。

 まぁ、休憩してからでも遅くはあるまい。ギリアムはフェンテへと足を進めた。

 しばらくして、店に着く。小さくて地味な店構えは昔のままだ。実家があのザマだったので、なんだか安心する。

 入り口の扉を開けると、ドアベルが涼しげな音を立てた。

「あ、いらっしゃー……い?」

 店員の少女がこちらを向く。

 彼女の肌は薄い緑色で、頭には髪ではなく無数の蛇が蠢いている。濃い色眼鏡をかけているため、目元はわからないが、鼻筋と口元はどこか幼い感じがした。

 彼女は少数民族であるゴルゴン族だ。そして、彼女の面影は見覚えがあった。

「……お兄ちゃん!? ギリアムお兄ちゃんだよね!?」

 少女がこちらに駆け寄ってきて、サングラス越しにこちらを見つめている。

「……その声、やっぱり。……久しぶりだね、ミリィ」

 ミリィ。四歳下の幼なじみで、自分によく懐いていた少女。

 そして、自分に好意を抱いてくれていた少女。今回の帰省の第二目標だったのだが、こんな形で見つけるとは思わなかった。引っ越したと聞いていたのだが。

「ちょっと見ない間に、おっきくなったな。それに、ここで働いてるとは思わなかった」

 久々の再会なので、彼女の成長に少し感動しつつ、ミリィの頭を撫でる。彼女の頭にいる蛇が心地よさそうに大人しくなった。彼女本人の反応はというと、赤面して俯いている。

 そして、こちらの胸にしがみついて、泣き出した。

「お、おい、ミリィ」

「ふえぇ、よかった、ホントによかったよぅ……!! すごく、すっっごく心配したんだよ!?」

 この反応は嬉しいが、店内とはいえ恥ずかしいことに変わりはない。ミリィと自分の他に客がいないのが救いといえば救いだ。

 とりあえずミリィの背中をさすってあげると、彼女は少し落ち着いたようだ。ギリアムの胸から離れて、少しはにかむ。

「……あ、ごめんね。つい、何て言ったらいいかわかんなくなっちゃって……」

「何や、何の騒ぎなん?」

 店の奥から、ナルルが訝しげな表情を浮かべて出てきた。先程までの普段着ではなく、店の制服なのか、ミリィと同じエプロンと、馬の体をすっぽりと覆うような長いスカートを穿いている。

「ミリィちゃん、どないしたん?」

「あ、ううん、なんでもないよ!!」

 先程までの動揺を悟られまいとしているのか、慌てて頭を振るミリィの様子はどこかおかしかった。

「……そうだよ、なんでもない」

「お、ギリアムさんやんか。来てくれたんやね」

「え、二人は知り合い?」

「あはは、それはコッチのセリフやって。駅からここまで運んで来たんよ。足悪くしとるみたいやったからな」

「え、お兄ちゃん、足悪いの?」

「まぁ、そうだな。とりあえず座らせてもらえるかい?」

「うん、お好きな席にどうぞどうぞ。どうせ万年貸し切り状態なんだし」

 ミリィが自虐的に笑った。店内を見渡してみれば、確かに他の客はいない。

 それじゃ遠慮なくと、店の奥のボックス席に腰掛ける。少しして、ミリィが冷たい水を持ってきた。

「じゃ、ご注文をお聞きしますね?」

「……じゃあ、コーヒーを一つ」

「はーいっ」

 ミリィがカウンターの向こう側に駆け込んで、コーヒーを淹れ始めた。その表情は真剣そのものだ。

「なぁ、ミリィちゃんとはどんな関係なん?」

 すると、ナルルが耳打ちをしてきた。

「うーん、幼なじみかな。俺が戦争に行くちょっと前まで、よく面倒見てたんだ。戦争が始まってから、両親の都合で引っ越したってとこまでは知ってたけど、ここにいるとは思わなかったよ」

「へー、そうなんや。古い付き合いっちゅー訳やなぁ。あはは、大変やったろ? あの子はそそっかしいとこあるからなぁ」

「うん、そこは否定しないな」

 昔のことを思い出して、ギリアムは少し笑う。色々と大変だったが、まぁ楽しい日々ではあった。

「もう、ナルル! お兄ちゃんは私のお客さん!!」

「何やのん、お客さんはみんなのもんやろー?」

 ナルルは笑いながらカウンターの中に入る。彼女と入れ違いに、ミリィがコーヒーが乗ったお盆を持って出てくる。その手元は少し震えていて、なんだか凄く危なっかしい。

「はい、コーヒーです。これ、私のオゴりだから」

「そっか。じゃあ遠慮なくいただくよ。ありがとう」

 ミリィに一礼して、コーヒーを啜る。コーヒーなんて飲むのは久しぶりだし、昔と変わらぬ懐かしい味だ。ほっと一息つく。

「うん。おいしい」

「ホント!? よかったぁ……」

 ミリィが微笑んだ。

「それにしても、ミリィももうサングラスをかける歳になったんだなぁ……」

「そうだよ。えへへ、これで私も大人の仲間入り!」

 ゴルゴン族には瞳を見た者を石化させるという能力があり、その力が表れ始める十五歳以降はサングラスをかけるよう義務づけられている。サングラスをかけるのは、ゴルゴン族にとって成人の儀式のようなものだ。

「にらめっことかやってた時期が懐かしいな。今だと間違いなくアウトだよ」

「あはは、そうだね。……それで、どうかな、これ。似合ってる?」

 ミリィがサングラスを指差しながら微笑んだ。色の濃い女性物のサングラスだが、童顔であるミリィにはいまいち似合っていない。

 思い出してみれば、ミリィの瞳は綺麗だった。ゴルゴン族特有の、金色の瞳。一部のラミア族にも金色の瞳を持つ者はいるが、ゴルゴン族のそれはとても鮮やかなものだ。かつて迫害されていた頃には、その瞳を目当てに殺される者もいたという―大半のゴルゴンは、絶命とともに石化の力を失う―。

 ギリアムはミリィの瞳が好きだった。それが見られないとなると、少々残念でもある。

「まぁ……悪くはないと思うよ?」

 とりあえず、お世辞を言っておく。ミリィはお世辞ということに気付いていないのか、笑顔を浮かべた。まったく、世間知らずな娘である。ギリアムは少し笑って、コーヒーカップをテーブルに置いた。

 置いたのはいいが、カップを持っていた右手の指がうまいこと動かない。

 まさか、また症状が始まったというのか。

「……お兄ちゃん?」

 ミリィの問いかけとともに、指が動いた。

 最近はだいぶ収まってきたと思っていたが、やはり世の中甘くなかったようだ。

「……大丈夫だよ。久々にコーヒーなんて飲んだから、感動してなぁ」

 ミリィに心配を抱かせないよう、笑顔を浮かべる。

「うふふ、オーバーなんだから」

 ミリィがくすくすと笑う。よかった。彼女にだけは心配をかけさせたくないから。

「そうそう。お兄ちゃん、お家のこと……知ってる?」

「……あぁ。さっき行ったよ。『管理物件』って貼り紙がしてあったけど、何かあったのかい?」

 ミリィは悲しそうな、それでいて哀れみの混じった表情を浮かべ、ため息をついた。

「そっか。……知らないんだね」

「ミリィは知ってるのかい?」

 ギリアムの問いに、ミリィは頷きで返答をした。なら、本当のところが知りたい。

「……何があったのか教えてくれるかい?」

「……あたしも細かいことは知らないけど……」

 ミリィは俯いたまま、言葉を進めた。

 彼女の話によると、そもそもの理由はギリアムの父が大量の借金を作ってしまったせいらしい。確かに父は賭事が好きだった。だが、自制はできていたはずだ。ギリアムが出征して、そして一進一退が続く戦況に、気持ちが切れてしまったのか。父の気持ちはさておき、父が死ぬと同時に、借金を返す当てのない母は蒸発、家は借金の抵当として差し押さえられた、ということだ。

「……なるほど、なぁ……」

 停戦前の混乱で、それを知らせる手紙が届かなかったのだろう。言いようのない悲しみと怒りを覚えるものの、そうしたところでどうしようもない。ギリアムは気持ちを落ち着けるかのようにため息をつき、コーヒーを一口飲んだ。手は十分動く。

「……大変なことになってたんだよ。町中大騒ぎで」

「めっちゃガラの悪い連中が押し掛けて来たもんなぁ。ホンマにビビってもうたで」

「そっか……。両親が迷惑をかけたな。すまない」

「い、いいよ!! お兄ちゃんには関係のないことだもん、お兄ちゃんが謝る必要なんかないよ!!」

 ミリィの必死のフォローが、少し心を落ち着けてくれた。

「……ところで、婆ちゃんはどうしたんだい?」

 なんだか重い空気になりそうだったので、話を変えてみる。以前ここの店主をしていた老婆はまだ元気なのだろうか。店先にはミリィとナルルしかいない。何かあったのだろうか。

「あぁ、最近腰をいわしはってなぁ。しばらく寝たきりやねん」

「へぇ、そうなんだ」

「年も考えんと無茶しはるからや」

 ナルルがけらけらと笑った。一方で、ミリィは何か考えているようだ。

「……どうかした?」

「ん、んーん。何でもない」

 ミリィは話を逸らすかのようにかぶりを振った。

 それからしばらく、コーヒーを飲みながらナルルと世間話。ミリィはというと、ずっと考え事をしているようだ。

 コーヒーは二杯目。これは自腹。そして、世間話のネタも尽きてきた頃。ミリィが唐突に口を開いた。

「……お兄ちゃん、これから、どうするの?」

 そう。当面の課題といえばそれなのだ。親戚の家に転がり込むのが手っとり早い解決法だろうが、両親のことで迷惑をかけているうえに、元々折り合いは悪い。その気には到底なれなかった。

 幸い、兵隊暮らしの頃の貯金はある。それに、停戦後、部隊ぐるみで装備をいくらか闇市に流し、それなりの現金を得ていた。

「……うーん。しばらくはフラフラしてみようかと思う。お金なら不足してないし」

 それが最適解か。それに、考えてみれば今後のことなどあまり考える必要はない。ギリアムは自嘲気味に少し笑った。

「……そっか。あの、お兄ちゃんがよければ、だけど……」

 ミリィがおずおずと話を切り出す。

「ん?」

「しばらく、その、あたしの家に、住まない?」

「はい?」

 意外な言葉。ナルルも同じ感想を抱いたようで、少々呆気に取られた表情をしている。

「あたしの家、狭いけど……。お兄ちゃんが暮らすだけのスペースはあるから……」

 ギリアムにこれからの目的はない。帰省の目的であった自宅は売り払われ、もう一つの目的であったミリィの姿も見ることができた。

 せっかくだ。幼なじみの好意に甘えてみるのもいいだろう。

「……ミリィさえよければ」

 そんな答えを出してみれば、ミリィは飛び上がらんばかりに喜んだ。ゴルゴン族は気持ちが高ぶると、頭の蛇の動きも活発になる。久々に見る光景に、ギリアムは思わず目を細めた。

「おー。ミリィちゃんも隅に置けへんなー」

 ナルルはといえば、楽しそうに拍手していた。からかいがいのある玩具を見つけた、といった趣だ。

「じゃ、店が終わったら案内するね! それまでここにいてくれてもいいし!」

「店はいつまで開けてるんだい?」

「まぁ、日が暮れるまでやなぁ。どうせ開店休業状態やけど」

 日が暮れるまでというと、あと二時間程度か。それならば、店先に並んでいる雑誌でも読んでいれば潰せるだろう。

「じゃ、もうしばらくお邪魔してようかな」

「邪魔するんやったら帰って」

 ナルルはくすくすと笑い、ミリィは浮かれた様子でカウンターに戻っていった。

 駅でナルルと出会って、気付いたら幼なじみと再会したうえに、彼女の家に住ませてもらうことになった。人生、何が起こるかわからないものだ。

 コーヒーを啜ろうかと思ったら、やはり右手の動きは重かった。




 ミリィの家は、古びた小さなアパートだった。少々狭いものの、二人で暮らすぶんには問題はない。

 いい若い者が、同じ屋根の下で過ごす。

 これじゃ同棲じゃないか。ギリアムは苦笑したが、ミリィが相手となれば、悪い気はしない。そう、彼女のことは嫌いではないのだ。

 一度、同棲云々の話をミリィに持ちかけたことがある。彼女は照れながらも冗談混じりに、

「そんなことを言うと睨んじゃうよ」

 と、サングラスを外す仕草をするのだった。

 ミリィの瞳が見れるのなら、別に悔いはない。それほどまでにミリィの金色の瞳はギリアムの心に焼き付いていた。

 フェンテに入り浸るか、図書館に入り浸るか。

 そんな無為な日常。兵隊暮らしの頃、待ち望んでいた日常。

 そして、自分に好意を抱いてくれていた、幼馴染との生活。

 少しずつ重くなっていく体とは裏腹に、心は軽やかであった。




 その日は唐突にやって来た。

 外は雨が降っていて、ミリィは働きに出ていた。

 ギリアムはといえば、外出する気にもなれなかったので、図書館から借りてきた本を読んでいた。

 半分ほど読んだとき。唐突にページをめくる指が止まった。動かない。そして、感触もない。

 左足を失ったときと同じ感覚。

 ギリアムは思わず立ち上がる。本が床に落ちた。そして、つんのめるように前に倒れる。受け身が取れない。石が砕けるような、乾いて、それでいて高い音がした。

 自分の指が、床に転がっている。そう、石と化した、自分の指が。

「……冗談だろ。早すぎるじゃないか……」

 肩を使って、なんとか寝返りをうつ。

 そういえば、あの日もこんな雨の日だった。

 塹壕に打ち込まれた、一発の砲弾。そして、それから立ち上った煙。

 石化ガス。

 ギリアムは左足一本を失ったものの、なんとか助かったが、戦友の数多くの石像が作り出された。そして、吸引したガスは少しずつ彼の体を蝕んでいた。軍医からは、進行を遅らせることはできるが、治すことはできない、という、死の宣告に等しい診断を受けていた。

 だからこそ、故郷に帰ろうと思っていた。一度でも、ミリィの顔を見ようと思っていた。

 それにも満足したから、そろそろ死に場所でも探そうかと思っていた矢先だった。

「……あーあ、最後に迷惑かけちまう、か……」

 両腕と右足の感覚はすでになくなり始めている。意識がなくなるのも近いだろう。

 最後にいい思いをできたことだけでも、神に感謝しないといけないのかもしれない。祈ろうにも、両腕はすでに動かないが。

「ただいまー」

 ミリィの声。店を上がるには早すぎる。ひょっとして、雨で客足を見込めないから早めに閉めたのだろうか。

 あぁ、また未練ができてしまう。

 嬉しさ半分、悲しさ半分で、懸命に玄関の方へと顔を向ける。

「……お兄、ちゃん……?」

 ミリィは部屋に入るや否や、ギリアムの状態を目にした。手にしていた夕食の材料とおぼしき荷物を床に落とす。卵が割れる音がした。あぁ、もったいない。

「お兄ちゃん!? どうしたの!!」

 ミリィが駆け寄ってきた。蛇の動きが激しい。

「……戦争で、ちょっと、な」

 石化ガスは別に新しい兵器ではない。開発された当初は各地で使われていたと聞く。だが、あまりにも非人道的であるとされ、使用を禁止するという暗黙の了解のようなものが各国の間で出来上がっていた。

 にも関わらず使用されたという今回の件は、敵国前線指揮官の暴走と聞いた。そして、講和へと話が進んでいるなか、両国を刺激するような事態にはしたくないという上層部の判断で、被害者に勲章といくらかの金を支払うとともに、この件は闇へと葬られた。

 何をすればいいのかわからないのか、ミリィはギリアムの手を握っている。すでにこの手は石になっており、感覚はなかった。だが、その光景だけでもいくらか気休めになった。

「……ごめんな、迷惑かけて……。鞄の中に、軍の連絡先があるから、そこに電話でも手紙でも送れば、なんとかしてくれると、思うから……」

 この件に関しては、軍がもみ消してくれる。除隊時にそう説明を受けた。ましてやゴルゴンの家で石になったのだ。普通の警察に連絡すれば、真っ先にミリィが疑われるだろう。

「……お兄ちゃん……」

 ミリィの声は震えていて、サングラスの下から涙がこぼれているのが見えた。自分なんかのために泣いてくれるとは、嬉しい話だ。

「……もう、どうしようもないよ。最後に一つお願い、いいかな……?」

「なぁに? できることなら……なんだってするから!」

「……どうせ石になるんだったら、ミリィの目を見て、石になりたい」

 つくづくゴルゴンの瞳は魔性の瞳だ。何年も前の瞳を、今もなお覚えているのだから。

 もう聴覚や嗅覚もなくなっていた。完全に石になるのはもう少しだろう。

 ミリィは少し躊躇した後、ゆっくりとサングラスを外した。彼女には悪いことをするが、最後ぐらいはワガママを言ってもいいだろう。

「……お兄ちゃん、これでいい?」

 彼女の瞳は綺麗だった。

 とても鮮やかな、金色の瞳。

 自分はそれが、大好きだ。

読んでいただき、ありがとうございました。

なんというか、暖めすぎて腐っちゃった、的な出来になってしまいました。

例によってナルルの関西弁は怪しいです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 久しぶりに見てみたら人外ものが増えていた もうちょっと二人の絡みがあると嬉しかったです 蛇女とラブソングをからのファンですた(ノ´∀`*)
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