第七話:恋はみずいろ
鉄製の黒いフライパンが振られる度、白かった米が赤茶色に染まって行く。
「うん、そう。鈴音ちゃん、ウチにいるから……いや、自分からは電話したくないって言うからさ……お前、ケンカでもしたんだろ?」
携帯電話を肩と耳の間で挟み、右手でフライパンを操りながら左手で調味料を加える昴。分量を細かく量るような事はせず、塩コショウは適当に数回振り掛け、ケチャップは思い切り握って雑に回し掛ける。
「夕飯、適当に食わせたら送って行くから……ああ、心配すんな。じゃ、またな」
慣れた動作で携帯を切って、フライパンを火から上げる。そして用意してあった大皿に移し、彩り程度にパセリを振りかけた。先日、鈴音が料理を手作りした時に余していた物だ。
これで完成。
「ほい、お待たせ。海鮮チャーハン」
そう言いながら昴が音楽室の扉を開けると、用意された小さなテーブルの前で、腹を空かせた仔犬のようになった鈴音が満面の笑顔で彼を出迎えた。
――ここは昴の部屋、いつもレコーディングをしている通称、音楽室。そこを少し片付けて、小さな折り畳みテーブルを置いての夕食。
幾度と無くこの部屋で顔を合わせていた二人だったが、ここで一緒にゴハンを食べたのは今日が初めて。互いに仕事や学校を終え、食事を済ませてから会うのが恒例となっていたからだ。
「お?……お、おいしい……!!」
「そう? そりゃ良かった」
あまりの美味しさに全身を震わせ、感動と共に口から漏れ出した鈴音の心からの感想を、事も無くサラリと受け流す昴。その態度は暗に、この程度であればいつでも作れるよ……という彼の自信を物語っている。
部屋に戻って昴がスーツを脱いでから二十分程度。そんな短時間で調理したとは思えない完成度と味の良さだ。
海鮮チャーハンと昴は言ったが、どちらかというとパエリアに近い。一口大のイカや貝、そしてエビがふんだんに入った、ケチャップ炒めゴハン。これをチャーハンと言ったのは、お米がパサッと仕上がっていたからなのだろう。
「おいしい……スバルさん、これ美味しいですよ!」
鈴音はもう一度言った。大事な事だから、二度言った。
「ん~、でもこれ鈴音ちゃん、イマイチだと思わない? ケチャップの味が強くなりすぎた気がする」
「え……!?」
謙遜だとしても、こんな美味しい物をイマイチだと言ってしまうなんて……! 驚愕に目を見開く鈴音。この男はどれだけ味に厳しいというのか! この海鮮チャーハンに比べたら、前に自分が作った炒めニンニク親子丼など生ゴミ同然。よくもまぁ昴は平気な顔で食べたものだ。
過去の、調子に乗っていた自分が思い出されて恥かしいやら情けないやら……陰鬱な気分となってしまう。
「ところで鈴音ちゃん、オヤジとケンカしたんだろ?」
女としてのプライド的な物や、その他心の色々な部分にダメージを受けて若干ヘコんだ鈴音の様子を、なにやら違う意味に取ったらしい昴が、唐突に切り出した。
「いっ? え、その……ケンカというか……」
しどろもどろで答える鈴音。
どうやら昴は、鈴音が父親とケンカした事について、自分に相談があるのだろうと踏んでいるようだ。鈴音はその事に気がついた。
確かに父である健太郎と少し口論はしたが、昴に相談する程の事でも無い。料理の美味しさで頭から弾き出されてしまう程度の、小さな親子喧嘩だ。
そもそも鈴音が昴の元を尋ねたのは、彼女自身も言葉にするのが難しい、どこか衝動的な想いに駆られての事だった。多分、歌フェスで自信を喪失したであろう昴を、少しでも励ましたい……そんな想いが生んだ、会いたいという気持ちだったのだ。
だが実際に会ってみてどうだ?
昴は落ち込んだ様子も無く、ちゃんと会社にも行っていたようだ。そして自分よりも遥かに手際良く料理を作り、若輩である自分の悩みを聞いてくれようとしている。
彼は、鈴音が感じていたよりもずっと大人の男性だった。
マンガや小説で見るヒーローのように、失敗したら周囲に当り散らし、イジけて何もかも放り出すような無責任な人間では無い。失敗や挫折で傷付き、酷い傷を負ったとしても……痛みを堪えて倒れる事無く踏ん張って、歩き続ける事の出来る、強い大人の男性だった。
「え、僕に才能が無いって? 健太郎が言ってた?」
自分の出る幕じゃなかった。
そう感じた鈴音は、昴の好意に甘えて父と口論になった時の事を話した。
昴には才能が無いと言われた事。事実が……全力で作った曲が、箸にも棒にも掛からない事がそれらを裏付けていると言われた事。
そんな事を言えば昴が傷付くかもしれないとは考えたが、それでも良いと思った。そうすれば自分に頼ってくれるかもしれない……そんな無意識での感情が、彼女にそうさせた。
「ま、鈴音ちゃんのオヤジが言う通りだよ。才能無いんだろうね、僕」
あっさりと言って、微笑んだ昴。鈴音の目論みは、あっさりと崩れ去った。
「全く、口悪いよなアイツ。本当に弁護士かよ」
食器を片付けながら、昴はそう言って笑った。無理をしている様子は無く、本当に自然な笑顔だ。
昴は腹が立たないのか? 才能が無いと言われて平気なのか? 鈴音は悠然と佇む彼へ、たどたどしい口調でそう問いかける。
「まぁ、面と向って言われたら多少はムッとするだろうけど……」
食器を洗って戸棚に仕舞い、二人分のコーヒーを持って音楽室へと戻ってきた昴。彼は鈴音の隣に腰を下ろすと、強く言うでもなくごく自然な調子で、鈴音にだけ聞こえるように言ったのだ。
「今の僕は、鈴音ちゃんと音楽を作ってる事が楽しいから、才能がどうとか、とかどうでも良い……かな?」
高みへと上り詰める事を諦めているわけではない。だが今は、二人で一歩ずつ進む事が楽しくて仕方ないのだと昴は言った。
以前は歌ってくれる者が誰も居らず、作曲してもイマイチ張り合いが無かったが、今は違う。
「自分の曲を鈴音ちゃんに歌ってもらって、ちゃんとした形になった時の嬉しさみたいヤツ。あの感覚を覚えちゃったら『才能無いから止めちまえ』って言われても、止められないよ」
昴の語る感覚は、鈴音にも漠然と感じる事ができた。
小学生の時だっただろうか? 父に連れられ、始めて昴の曲に歌を入れた時だ。
完成した曲を聴き、胸が震えた。そしてその曲は鈴音が歌う為だけに作られた、自分たちだけの曲だと聞かされた時、この上なく興奮した事を覚えている。
幼い鈴音はもう一度昴に曲を作って欲しくて、彼の歌姫になりたくて。必死に歌の練習を重ね、父に何度も昴の所へ連れて行けとせがんだ。
「そう考えると僕が音楽続けてるの、鈴音ちゃんに歌って欲しいからって事になるなぁ……イマイチ、冴えない曲ばっかりで申し訳ないけど」
苦笑いを浮かべてコーヒーを啜る昴の言葉を、鈴音は何度も首を横に振って否定した。
「そんな事ない! イマイチなんかじゃありません!」
そして隣に座る昴の方へと向き直り、きっぱりと言う。
「私、スバルさんの曲、大好きです!! ずっと……ずっと歌いますから!」
突然の大声に少し驚いた為か、それとも別の理由があったのか。胸の鼓動が早くなるのを自覚する昴。その高鳴りが落ち着いた頃、自分へと向けられる真っ直ぐな瞳の真摯さに押し出されるようにして、無意識の言葉が口から漏れた。
「……ありがとう」
その時、二人だけの、二人のための曲が流れた……そんな気がした。