第五話:ふたりの旅路
見上げれば、頂点が霞んでしまう程の高層ビル。低層階には各種テナントが入り、高層階は高級マンションとして売りに出されている。もちろん入り口には厳重なセキュリティが掛けられており、不審者は元より関係者以外の出入りが厳しく制限されている。
「ただいま~」
そんなマンションの一室。指紋認証式セキュリティ扉を開けて我が家へと戻ったのは、可愛らしいワンピースで着飾った鈴音だ。
「いよぅ、おかえり鈴音!」
リビングにて、ソファーで寝転んでいた健太郎がビール片手に振り返る。ガラステーブルの上にはビールの空き缶が三つ。良い調子で飲んでいるようだ。
「あれ? お父さん、そんなに飲んじゃって……今日はもう仕事無いの?」
真新しいパンプスを脱ぎながら問う鈴音に、父である健太郎は空いた手をヒラヒラさせて応答する。問題ない、と言いたいようだ。
「ところでスバルの奴は? 一緒だったんだろ?」
「ん……今日はもう帰るって。家の前まで送ってくれたんだけどね」
「ンだよ、愛想の無ぇ奴だなぁ。たまには寄って行けよぉ」
鈴音が部屋着に着替えてリビングに姿を現すと、健太郎は五本目の缶ビールを開けた所だった。
「まだ飲むの、お父さん? あんまり強くないんだから、程ほどにしてよね」
「オレの事は良いんだよ! そんな事よりどうだった、歌フェスは?」
父からの問い掛けに、一瞬表情を強張らせる鈴音。だがそれも一秒にも満たない刹那の事。彼女はすぐに「凄かったよ」と答え、考えを巡らせるように目を伏せて、ゆっくりと言葉を続けた。
「色々凄かったんだけど……まずは人の多さかなぁ? 何人くらい居たのかわからないけど、開場の二時間前なのに凄く長い行列が出来てたんだよ」
つい先程まで、鈴音は昴と連れ立って『ニロっと歌フェス・ザ・ベスト』なるイベントに参加していた。
二ヶ月前、大盛況の内に幕を下ろしたウェブイベント『ニロっと歌フェス』。
千曲近い応募の中から、人気の高かった上位二十曲が選出されCDアルバムに収録されるのだが、今日二人が足を運んだ『ザ・ベスト』は、それを記念してのイベントだった。
「ステージに何枚もスクリーンがあってね、動画と一緒に曲が流れるの。で、歌い手の人たちが実際にステージの上で歌うんだよ、本物のアイドルみたいに」
喋りながら、会場で配っていたであろう案内チラシをテーブルの上に広げる鈴音。案内図やイベント提供元の広告に混じり、ステージの進行案内もあった。
娘の言葉に耳を傾けたまま、黙って進行案内表を取り上げる健太郎。そこにはステージで披露される楽曲、全二十曲が順番に並んでいた。
「やっぱり、画面越しに聞くのとは迫力が違うね。私、なんだかブルブルしちゃったよ」
身振りや手振りを交え、会場の様子や流れた歌について語る鈴音。健太郎は頷き、相槌を打ちながら話が途切れるのを待って、娘があえて避けて通った話題に踏み込む。
「で……スバルは何て?」
沈黙。
長い、沈黙だ。
「えっとね……レベルが違う、って」
少し沈んだトーン。抑揚の無い声で鈴音は父にそう伝えた。
イベント会場の最前列。ステージライトの熱気を感じながら、そう言って肩を落す昴の姿が思い出される。
「音の質とか基本的な技術以前の着想やセンスが自分より数段上だ……とか、そんな感じの事をスバルさんは言ってた。私には良くわからなかったけど……」
「……そっか」
鈴音が声を枯らし、昴が目を腫らせて作り上げた渾身の一曲は、玉石混交の中にあって一度の脚光も浴びる事無く、その他大勢の中に紛れて消えた。
曲に対する感想も、批判すらも皆無。歯牙にも掛けられなかったといった所だろう。多く集まった曲の一つといった意味で、枯れ木も山の賑わいという言葉だけが唯一の救いだった。
「ねぇ、お父さん。今日のイベント……行かない方が良かったのかな? スバルさん、ちょっと落ち込んでたみたいだし」
「ンな事ぁ無ぇ」
自分たちをランキング表から弾き出した曲がどんな物か実際に聞いてみろ。そして「そんなものか」と鼻で笑ってやれ――。
そう言って、二人に今日のイベント行きを進めたのは健太郎だ。
昴は最初あまり乗り気では無かったようだが、父と娘にステレオで説得されてしぶしぶ了承したのだ。
鈴音にしてみれば、曲が落選して落ち込んでいるであろう昴に、賑やかな場所がせめてもの気晴らしになるのでは? との気持ちが強かったのだが、逆効果となってしまった事を否めない。
「でも、まあ仕方無ぇよ。スバルのヤツ……才能無ぇし」
「ちょっ! お父さん!?」
温くなったビールを煽り、ソファーでゴロリと寝返りを打つ健太郎。娘から浴びせられた不満の声を軽く受け流し、軽い調子で続ける。
「アイツ、自分でも言ってなかったか? 才能無いって。鈴音、お前だってそう思うだろ?」
「そんな事……私はスバルさんの曲、好きだもん!」
ムキになって言い返す鈴音。しかし健太郎は至って冷静だ。
「お前が好きなのは勝手だけどな。何を言ったところで、結果が証明してらぁな」
「……言いすぎだよ、お父さん。あんまりそんな事ばっかり言ってると、わたし……怒るんだからね!?」
顔を真っ赤にして怒りを露わにし、勢い良く立ち上がる鈴音。そして「お父さんのバカ!」との捨て台詞を残し、小さなクッションを投げ付けて自分の部屋へ。
バタン! と力任せに閉められたドアが、彼女の怒りを良く表現していた。
「怒るんだからってオマエ、もう既に怒ってんじゃねぇか」
残ったビールを飲み干す健太郎。
「おいおい、スバルよう……お前のせいでオレ、どんどん娘に嫌われちゃってんじゃん」
ソファーへ顔を伏せ、投げ付けられたクッションを腕の下に敷いて目を閉じた。
「そろそろ、かっこいいトコ見せてくれよな……」