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おくりもの  作者: かっぷ
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第四話:がんばれ、おねいさん

 真っ黒な空に、ボンヤリと星が瞬く静かな夜。街灯も疎らな路地を独り歩く、若い娘の姿があった。

 片手には食料の入ったビニール袋を下げ、鼻歌混じりで夜道を行くその少女――白地鈴音。彼女の足取りは羽のように軽く、荷物片手である事が嘘のようだ。


「ふふんふぅ~ん……元気を出して行こうよ~……」


 最初は足音よりも小さなボリュームであった鼻歌だが、次第に大きく、終には歌詞付きとなって暗い路地に響き始める。

 それは鈴音が上機嫌の時、思わず口ずさむ古い歌。歌う事が好きになる、そのきっかけを作った大事な歌だ。

 それはまだ鈴音が今よりもずっと小さく、小学校に上がる前の話。

 父に連れられ遊びに行った、昴の家。そこで鈴音は、その大事な歌と出会う。

 大人の会話に混じれず退屈をしていた幼い鈴音に、昴がピアノで伴奏をつけながら歌を教えてくれた。聞いた事は無いけれど、とても簡単なリズムで、明るい調子の歌だった。

 その歌が気に入った鈴音は昴の演奏に合わせ、ノリノリのダンス付きで歌い上げる。そして興味津々でもって尋ねたのだ。

 これは何の歌なの? と。

 今になって思えば、子供の退屈凌ぎになればと、昴が即興で作った適当な曲だったのかもしれない。しかし――。


『この歌は、鈴音ちゃんの歌だよ。キミだけの歌さ』


 かつての昴が言った一言は、小さな鈴音の胸に凄まじい衝撃を伴って受け入れられた。

 自分だけの曲、自分だけの歌。みんなで歌う童謡や、誰もが歌うアニメの主題歌では無い。他の誰の物でもない、自分の為にだけ作られた、自分専用の一曲。

 凄い! と大声を上げた鈴音は、思わぬ贈り物に大ハシャギして飛び跳ね、辺りを走り回って喜んだ。そして興奮冷めやらぬまま、大きな声で元気良く言ったのだ。


『わたしに、もっと歌を教えて! スバルの歌、いっぱい歌うから!!』


 その時からだ。彼女が歌の大好きな娘になったのは。そして昴の歌姫となったのも、その時から。


「ららら全部飛び越えぇ……っ。……げふん!」


 荷物をぶんぶん振り回し、半ばスキップしながら調子良く歌っていた鈴音だったが、行く手から自転車に乗った女性がやってくるのに気付いて咳払い。慌てて口を噤む。

 そんな鈴音の横を、わずかに笑顔を見せながら通り過ぎる自転車の女性……どうやら聞かれていたようだ。


「あぁ……また、やっちゃった」


 鈴音は呟き、独り赤面する。このパターンで何度恥をかいたか知れないが、どうにもこの癖だけは治らない。

 だがある意味、丁度良いタイミングだ。


「まだ起きてるかなぁ?」


 彼女が鼻歌と共に足を止めた場所は、古びたアパートの前だった。ちらりと見上げた部屋の窓には未だ明りが灯り、部屋の主がまだ起きている事を示している。どうやら食料が無駄になる事は無さそうだ。

 点滅する蛍光灯の下を潜り、アパートの二階へ。富永と書かれた表札の前までやってくると、おもむろにドアノブを捻る……あっさりと開いた。


「スバルさぁん? 鍵掛けとかないとダメじゃないですかぁ……まったく、もうっ」


 玄関にて挨拶代わりの声を上げ、鈴音はずかずかと昴の部屋へ踏み入って行く。

 何度も訪れた小さな部屋。用意されている自分用のスリッパに履き替えて、短い廊下を進む。読み散らかした雑誌が多少散らばってはいたが、男の独り暮らしの割にはキレイに片付いているといえるだろう。漂う独特のニオイが、この部屋に来た事を再確認させてくれる。


「夕食、またカップ麺だったのかな」


 玄関から繋がる台所。洗い場に置かれたカップ麺のゴミを横目に、鈴音は扉で仕切られた奥の部屋を目指す。いつも昴とレコーディングを行っている部屋、通称音楽室だ。

 この部屋に出入りするときは、なるべく音を立てないように。

 二人で決めたルールに従って、鈴音は吸音材の貼られた、お手製防音扉のノブにそっと手を添える。そして、ゆっくり回すと……ガチッ、と固い感触。鍵が掛かっているのだ。


「玄関は開けっ放しなのにね」


 苦笑して、ポーチから取り出した合鍵でドアを開く……と、僅かに開いた隙間から溢れ出した音の波が鈴音の肌を叩き、一瞬で部屋いっぱいに充満した。

 聞き覚えのあるフレーズ、そして声。昨日の夜に録音した、昴と鈴音の新曲だ。

 何度も何度も、聞き飽きる程に聴いた曲であるはずなのだが、耳にするたび胸が高鳴りテンションが上がる。鈴音は小躍りしたくなる衝動を堪え、そっと音楽室へと踏み込んだ。


「スバルさん」

「ん? あれっ」


 音楽に満たされた室内。昴は声を掛けられてようやく、鈴音がやってきた事に気付いたようだ。向き合っていたパソコンを軽く蹴り、椅子ごと回転して部屋の入り口へと向き直った。

 挨拶もそこそこに、鈴音は昴の側へと歩を進める。一日ぶりに、間近で見た彼の顔……眠そうな両眼の下に隈を作り、髪はぐしゃぐしゃ無精ヒゲ付き。およそ若い娘に見せるような姿では無い。せめてもの救いは、スエットの上下だけはしっかりと身に付けていた事だろうか。下着だったりしたら、目も当てられない所だ。


「どうしたの鈴音ちゃん、こんな遅くに。オヤジが心配するぞ?」


 流れる音楽のボリュームを下げながら昴が言った。咎めるというよりも、一応確認しているといった口調だ。


「お父さんには、ここに来るって言ってあります。それより……」


 鈴音が昴の肩越しにパソコンの画面を覗き込む。そこには小さな五線譜と様々な棒グラフが表示されており、素人には理解不能な記号や各種ボタン、ツマミが並んでいる。

 そして画面端にズラリと並ぶデータファイル。それら全て、中身が音楽である事を示すアイコンとなっている。そして日付順に整理されたファイルの一番上……今日のタイムスタンプが押されたファイルの名前は『新譜(仮)』。


「どの辺りまで進みました?」

「九分九厘、って所かな。もう少し曲の精度を上げておきたくて……まだ締め切りまで時間あるし」


 壁に掛けられたカレンダーへ、同時に目をやる二人。『ニロっと歌フェス締め切り』と書かれた日付までは一週間。より正確には六日と半日の時間がある。


「ふむ……まだ、しばらくかかる……と」


 鈴音は呟くと、椅子に腰掛ける昴へと視線を移す。

 なんだか一ヶ月前に比べ、痩せたように思える。やつれたと言うべきだろうか? だが、それも無理の無い話。日中は会社、夜は音楽。仕事の繁忙期と重なっていた事もあって、ここ最近昴の生活は相当ハードな物になっているようだ。

 以前は頻繁に自炊している姿も見られたのだが、最近は台所の使用頻度が極端に低下している。それに反比例して増えたのが、カップ麺を食べた形跡。三十を越えると太りやすくなるからジャンクフードや油物は避けると言っていたはずなのに。


「はぁ……」

「どうしたの、鈴音ちゃん?」


 これ見よがしに溜息を付いて見せた鈴音。その隣で昴が、キョトンとした表情でギコギコと椅子を揺らす。ここ数日ですっかり小汚い中年男性へと変貌した彼は、多分、自分がやつれている事になんて気付いてもいないのだろう。

 鈴音は思った。この人はダメだ、と。

 彼をこのままにしておいたら、曲の完成を待たず身体を壊して倒れてしまう。自分が心を鬼にして昴の体調管理をしなければ。その為に今日はここへ来たのだから!


「ところでスバルさん……ちゃんとお風呂入ってます?」


 言って、昴へと向き直る鈴音。椅子に腰掛ける彼を自然と見下ろす形になる。


「えっ!? い、いや今日は、まだ……後で入ろうかな、とは……」


 突然の問い掛けに言い澱む昴へ、鈴音は「やっぱりね」との台詞で追い討ちを掛ける。


「ご、ゴメン。もしかして……クサかった?」


 若い娘の指摘に何か思い当たる事でもあったのか、昴は慌てた様子で自分のスウェットに鼻を当て、ニオイを嗅ぎはじめた。大のオトナが体臭を気にするその姿はどこか情けなく、何かに怯えているようにも感じられる。


「スバルさん、ゴハンはどうなんです? まだなんじゃないですか?」

「さ、さっきラーメンを……」


 消え入るような声で返答し、昴が椅子の上で大きな図体を縮込める。叱られている子供のようだ。


「そんなんじゃダメですよ! 体調崩して音楽どころじゃ無くなっちゃいます。ゴハン用意しますから、お風呂に入って来て下さい!」

「えっ……いや、でも……もうちょっと曲をイジってから……」

「いますぐ、です!!」


 風呂場を指差し、キッパリと言い放つ十七歳。そして弾かれたように立ち上がり、駆け足で脱衣所へと向う三十六歳。

 やがて風呂場のドアが閉まり、シャワーの音が聞こえ始めて……鈴音は指差していた手を下ろした。


「なんだかスバルさん、怯えてたような? それほど強く言ったつもりは無いんだけど……?」


 顔が怖かったのだろうか? パソコン画面に反射する自分の表情を様々な角度から検証し、鈴音は首を傾げる。優しく諭すつもりだったのだが、どこかで間違えただろうか? 男性の扱いというのは、ことのほか難しい。


「まぁ、いいか」


 適当に納得出来た所で、台所へと向う。

 持参したビニール袋から食材を取り出してシンクへ並べ、携帯で目当てのウェブページを呼び出した。


「えっと、炒めニンニク親子丼のレシピは……」


 そして携帯片手に、真剣な表情で包丁を構える。

 風呂場で髪を乾かす昴の元へ、香ばしいニンニクの香りが漂ってくるのは、もう少し後の話となる。

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