第ニ十三話:ギフト(full ver)
突然トラックの荷台に現れた赤いドレスの少女に、会場は混乱の坩堝と化した。
あれは誰なのか? 一体何が起こるのか? 観客たちは口々に騒ぎ立て、混乱は収まる事を知らず広がって行く。
「早ぅ取り押さえんかい! 何をしとんのやオマエら!!」
最も先に事態を把握したのは昭助だった。このままではマズイ事になる。直感的にそう感じた彼は、指揮下のスタッフへ突撃指令を下す。
足止めを食らっていた青いシャツのスタッフたちも、昭助の怒鳴り声に反応して体勢を立て直し、鈴音のトラックへと再度迫る。だが赤いシャツを着た人々がスクラムを組み、真紅の防波堤となって青い波を押し返した。彼らはトラックの周りをぐるりと囲み、身体を張って外敵から歌姫を守る。
『鈴音さん、今です!』
イヤホンから聞こえる指示。
鈴音は緊張に震える脚をしっかり踏ん張りなおすと、混乱する人々の波を越えた先、眩いステージに立つ昭助とmimiyを真っ直ぐに指差し、高らかに言い放った。
「あなたがたの『歌声を愛にかえて』は、私の歌『ギフト』を奪い、改変した偽物です!」
突然現れた少女の言葉に、会場が大きくどよめく。
「それを今、ここで証明します!!」
「……チッ!」
小さく舌を打つ昭助。
まさか生放送中に仕掛けてくるなんて。取るに足らない小物に思いがけず足を引っ張られた気分だ。
偶然ネットで見かけた素人の曲など、奪い取った所で誰が文句を言う物かと思ったが、少々認識が甘かったようだ。
アホな観客どもは小娘の気迫に飲まれて判断力を失っている。今ここで有る事無い事ぶち上げられたら、火消しに時間がかかってしまう。なんとか口先で言いくるめないと!
「ナニを言うてんのキミ? 偽物とか意味わからんわ。『歌声を愛にかえて』は、俺が作った俺の曲やって。もう何回もテレビで……」
「違います!!」
マイクを片手に軽快な調子で語りだした昭助の声を、鈴音の声が掻き消した。
「『ギフト』は、スバルさんが私の為に作ってくれた、私の歌ですっ!!」
小柄な少女が放った裂帛の気合。それが百戦錬磨を誇る昭助から言葉を失わせ、mimiyを数歩下がらせる。
それと時を同じくして、鈴音の足下から勢い良く吹き上がる純白の煙。そこを色とりどりの光が、リズムに合わせ軌跡を伴って鮮やかに舞い踊る。
「すはっ……!」
鈴音が、大きく息を吸い込んだ。
前奏が終り、歌が始まる。
「――あともう少しで届いていた――」
会場全体に、澄み切った歌声が広がる。
広い会場に響き渡る程のボリュームだ。相当な大音量であるはずなのだが、真紅のドレスを身に纏う少女の声は清々しく力強く、心地良い音量で聞く者の中へと滑り込んでくる。
観客のざわめきが消えた。
誰もが……観客もスタッフも、昭助やmimiyですらも。鈴音が歌う完全版『ギフト』に耳を奪われ、言葉を失った。
決して速くは無いテンポ。だが空を舞う燕のような鋭さで、会場の澱んだ空気を切り裂き、モヤモヤとした気分を吹き飛ばしてくれる。
「……っ! な、ナニをボンヤリとしとるんや! mimiy、オマエも歌い返さんかい!」
「わ、わかりました」
ようやく我に帰るmimiy。そうだ、自分だって飛び立つ翼を失うわけにはいかない。
「ボリュームを最大まで上げて! あの程度の声量なら、アタシの方がっ!」
指示を受け、地響きがするような振動と共に、青いスピーカーが雄叫びを上げた。
mimiyの歌声。それは鈴音とは違う力強さを持った、安定感と重厚感に溢れる魅力的な響きでもって会場へと広がった。
『歌声を愛にかえて』は盗作であり、彼女自身もその事に薄々気付いてはいたが、mimiyはプロの歌手であり、相当な実力者である事に変わりは無い。
彼女の遠く響くような歌声に、鈴音に魅入られていた人々が次々に我へ帰り、mimiyへと声援を送り出す。
そして――。
『それがアナタからの――』
「ギフト――」
「気持ち――」
一番が終わる。
観客を挟み、会場を二分して競い合う二人の歌姫。
歌声では僅かに鈴音が上回っていたが、それ以外のダンスパフォーマンス等においてはmimiyが大きく上回る。
「はぁっ、はぁっ……」
間奏が流れる中、深く呼吸を繰り返して上がった息を整える鈴音。緊張と慣れない環境が、少女から急速に体力を奪って行く。
練習通り、普段の……いや、普段以上の実力が出せていると思う。だが『ギフト』が自分の歌だと証明するには、まだ足りない。もっと、もっと何かを……!
そんな鈴音の焦りを象徴するかのように、ハプニングは突然起った。
「……っ!?」
鈴音周辺にあったライトの幾つかが、パチンと小さな音を立てて消えた。同時にスピーカーの半数も、ゴムが切れたような音を残して沈黙する。
この時、強い負荷を受けたケーブルの何本かが焼き切れるという事態が発生していたのだが、そんな事をステージ上の鈴音が知る由も無い。
薄暗くなった照明。ボリュームを減じたメロディー。対するmimiyのステージは相変わらず、煌々と眩い輝きと共に力強い重低音を響かせている。
『鈴音さん! 必ず復旧させますから、それまで粘って! 歌うんです!』
イヤホンからの声に、ハッとする鈴音。既に、二番が始まっていた。
慌ててリズムを取り、音を合わせようとする。だが、うまく行かない。音程を合わせようとスピーカーの音に耳を澄ませる度、故障した機材からの雑音とmimiyの強烈な歌声が邪魔をする。
早く、早く歌い出さないと! 焦りが、彼女から歌を奪う。
どうすれば……どうしたら? 背中に嫌な汗が滲む。
次々に消えるライト。萎んで行くボリューム。あらゆる機材が不調を訴え、マイクさえも単なる鉄塊と化した。
真っ暗になったステージの上。何も出来ず立ち竦む鈴音。絶望が首をもたげ、取り返しかけた『ギフト』が、どんどん遠ざかって行く。
『あ~……えっと、まぁつまり……本当の意味で鈴音ちゃんの専用曲って事。鈴音ちゃんが良くわかんなくても、思い切り歌えば曲が合わせてくれるから』
暗闇の中、昴の声が聞こえた……気がした。
優しく、諭すような声色。聞くだけで安心できる、暖かな響き。
昴は捨てなかった。多くの物を失い疲れ果てた時であっても、音楽だけは捨てたりしなかった。そんな彼から贈られた曲『ギフト』。
思い切り歌えば、曲が合わせてくれる。
そう言った彼の言葉を信じ、深く深く息を吸い込む鈴音。そして……。
「――続く毎日が、どんなに険しくぬかるんでいても――」
響き渡る声。
これまでよりも大きく高く、心の隅にまで届く透明で力強い歌声。
マイクも通さないアカペラであるにも関わらず、その歌はあらゆる障壁を貫いて人々の耳へ届いた。
昴に全てを預けた鈴音の、全精力を傾けた歌だ。
そして、その時を待っていたかのようにトレーラーに設置されていたスピーカーの何台かが復帰する。曲が流れ出し、更には照明が灯り、夕闇の中に真紅の少女を浮かびあがらせた。
「――側にいる。ただそれだけを誓って共に――」
心に響く歌声。
全力を振り絞る鈴音の為、スタッフもまた必死の努力を続けていた。
自らを壁としてトラックを守る者。油塗れで予備電源を稼動させる者。火傷を負いながらも焼き切れたコードを繋ぎ直す者。
これ以上、何者にも邪魔はさせない。歌声を止めさせやしない。そう心に誓って。
そして、そんな彼らの動きは次第に周囲へも影響を与えて行く。
名も知らぬ誰かが、トラックを守る輪に加わった。無事なコードを持ってきてくれた。予備電源の移動を手伝ってくれた。その中には、青色シャツを着た者も居る。
誰かに言われたからではない。自分がそうしたいと思ったから、心のまま、正しいと思った事に力を尽くす。
「――それが私からの、ギフト――」