第二話:私だけを見て!
息苦しい。
扉はぴっちりと閉め切られ、窓には分厚いカーテンが引かれている。光、空気、音……それら外界からの情報を殆どシャットアウトした薄暗い室内。そこに昴と鈴音は居た。
古いシーリングライトに見守られ、パソコンのディスプレイを食い入るように見つめる二人。
「どうですか?」
「ん……まぁ、まだなんとも……」
二人が見ているのはインターネットの有名動画共有サイト『ニロニロ動画』だ。
動画や楽曲を自由に投稿、閲覧する事が出来る上、再生された回数を自動でカウントしてくれる。またそれらに対し気軽にコメントを付ける事が可能で、簡易的なコミュニケーションツールとしても機能する優れものだ。
そういったアレコレが好まれたのか、ニロニロ動画は若者を中心に絶大な人気を誇り、同種の共有サイトでは最大勢力。実質的な業界標準となっている。
そして昴と鈴音も、以前よりのニロニロ動画愛用者。
今も完成したばかりの歌を投稿し、その動向を見守っている所だ。
「再生数は伸びてるんだけど……コメントが付かないな」
椅子に浅く腰掛けてパソコンの画面を操作する昴。その後ろでは鈴音が不安そうな表情を見せる。
ニロニロ動画において投稿されたばかりの動画や楽曲は、新着という特別扱いを受ける。その間は閲覧者の目に止まりやすくなり、自然と再生数も増える。事実、二人が投稿した曲も順調に再生数を伸ばしていたのだが……。
「……ダメだ。新着から漏れた途端に、再生数も止まった」
増えなくなった数字を前に、がっくりと肩を落す鈴音。そして昴も彼女に聞こえないよう、小さな溜息をついた。
いつもの事なのだ。
新着という事で注目され、最初こそ多くの人に再生されるものの、それ以降は押し寄せる他の作品に埋もれ、忘れられてしまう。
これは昴と鈴音だけに限った事では無い。ごく一部の人気がある楽曲や動画を除き、大半は二人が投稿した物と同じ運命を辿る。プロの作った作品でさえ大量に売れ残る現代。素人の作った曲に注目する酔狂な人間は、そういないという事だろう。
何か話題性でもあれば良いのだけど。
毎回、再生されなくなった曲を前に昴は思う。
曲にはそれなりの自信がある。鈴音の歌だって申し分無い。となれば、後は見せ方……プレゼンの方法次第という事になる。
今のように映像無しの歌をただ流すのでは無く、プロモーションビデオのように映像と連動させたりすれば、興味を持ってくれる人が増えるはず。
「……あ、見て! スバルさんっ!」
思考の海に潜っていた昴の意識を、鈴音の声が現実に引き戻した。慌てて画面を見てみれば、これまで白紙だったコメント欄に短い文字が入力されている。曲を聴いた人から、待望のコメントが寄せられたのだ。
「何て書いてありますか!?」
期待に目を輝かせて画面に擦り寄る鈴音……が、コメント欄を読んだ瞬間、その表情が凍りつく。
『おっぱい、うp希望』
ただ一言。コメント欄には、それだけが書かれていた。
「……死んじゃえッ!!」
鈴音の怒声が室内に響き渡り、首に掛けられていたタオルがディスプレイへと投げ付けられる。続けて『ヘンタイ!』だの『スケベ!』だの『最ッ低!』だのといった怒りの言葉が、昂った感情と共にこれでもかと吐き出された。
「そう怒るなって、いつもの事じゃないか。興味の無い奴は、わざわざコメントなんかしない。って事は、少なからず僕たちの曲に興味持ってくれたんだよ」
昴はいつもの台詞で鈴音をなだめ、自分自身の淡い期待も消去するように努めた。
『最高』『神曲』『フェイバリットソング』……そんなポジティブな言葉で溢れかえるコメント欄。数える暇も無いほどのスピードでグングンと増える再生数……そんなの、自分たちには有り得ない事だとわかっている。
だが考えずにはいられない。
プロの作った物には劣るとしても、二人で作った歌は一定以上のクオリティには達しているはずだ。それならば、もっと興味を持ってもらえたら……多くの人が聴いてくれれば、高く評価してくれる人が現れるのではないか? そうすれば、あるいは……もしかして……。
「もっと人目を引ければ……」
ぽつりと呟く昴。
おっぱい……は流石に無いとしても、歌い手である鈴音の姿を見せる事ができれば、閲覧者の興味を引ける。そうすれば間違いなく再生数は増えるだろう。
昴がチラリと横目で確認してみれば、顔をほんのりと紅潮させて眉を吊り上げる鈴音の姿が目に入る。未だ怒りが収まらない様子だ。しかし、そんな状態であっても彼女は可愛らしい。贔屓目を抜きにしても、決して他人に劣るような事は無いだろう。
——もし鈴音ちゃんが露出多めのコスプレでもして歌い踊てくれたりなんかしたら、再生数ウナギ登りだろうな——。
そんな思考が一瞬だけ昴の頭を過ぎった、その時だ。
「……スバルさん」
怒りに熱く燃えていた鈴音の声が、いつの間にやら氷点下を感じさせる冷たいものに変化していた。そして凍てつくような冷たい視線が昴を射抜く。
「今、なにかイヤらしい事を考えませんでした?」
「……!?」
何故わかる!?
慌てて首を左右に振る昴。
「ふぅん……そうですか? それなら良いんですけど」
焦る昴の心を見透かしているかのように、鈴音は一呼吸置いて続ける。
「例えば、私にちょっとエッチなコスプレさせて動画にすれば再生数伸びるだろうな……とか考えてませんでしたか?」
「……!!」
どうしてそこまで具体的に思考がバレる!? もしこれが女のカンというヤツだとするならば、女は全員エスパーか何かと同じではないか。怖すぎる!
「いや滅相も無い! そんな事……」
戦慄に震えながら昴が言いかけた時だ。鈴音が声のトーンを落とし、ボソボソと呟いた。
「まぁ、スバルさんがどうしてもっ!……って言うのなら私、そういうの頑張ってみても……」
最後の方はボリュームが小さくなりすぎて何を言っているのか聞こえなかった。聞き取ろうと俯いた顔を覗きこんでみれば、拗ねたように口を尖らせ、ふっくらとした頬を真っ赤に染めている鈴音の顔。
昴はこの時、ようやく理解した。
曲作りを主に担当し、基本的には裏方である昴と違い、鈴音は表舞台の最前線で歌を届ける立場にある。そんな彼女にとって「コスプレしてでも注目されたい」発言は、すぐさま自分へと跳ね返ってくる、相当の覚悟が必要な台詞であったはずだ。
だがそれでも、恥かしい思いをしてでも、多くの人に自分たちの歌を聴いて欲しい。鈴音は、心よりそう願っている。
そんないじらしい少女の想いを間近で感じ、昴は自身の不甲斐無さを痛感する。
「いや……鈴音ちゃんがそんな事をする必要無いよ」
昴はそう言うと、小柄な少女の頭を、指先で軽く撫でるようにして叩く。
悪いのは、僕だ。
物作りに携わっている以上、注目を集めたいと願うのは至極当然の欲望だろう。だがその欲望の抗い難さ故に当初の目的を忘れ、道を逸れてしまう。何をしてでも目立ちたい、と。
「僕たちは、これまで通りでやろう。ユーザーの反応は薄いかもしれないけど、コスプレで人気になっても仕方ないもんな。ちゃんと歌を評価してもらわないと」
俺がブレてどうする。しっかりしろ、大人だろ? 伊達に中年やってるワケじゃないんだろ?
自身の心を叱咤し、昴は二人が進むべき道と、目指す場所を改めて確認する。安易な方向に流されない強さを。大人の男としての責任感を。迷いがちな若者を導ける経験を身に付ける為に。
「……そうですね。わかりました、スバルさん」
大きな手の下で微笑む鈴音。その表情に、先程までの憤りや戸惑いは無い。
「私、頑張って歌いますね!」
「ああ、僕も……一緒に頑張ろう」
照れ臭そうに見つめあい笑顔を交わす二人。
その傍らで気付かれる事無く、新たに書き込まれたコメントがひっそりとディスプレイに表示される。
『オレ、この曲好きだ。もっと評価されるべき』