第十六話:黄昏少女
鈴音は、気の晴れない日々を過していた。
学校へ行っては帰る、行っては帰るの繰り返し。何事も無く、淡々と続く毎日。それは昴が逮捕され、父より「長くかかりそうだ」と聞いた日から始まった、つまらない毎日。
昴の家へとレコーディングへ行く日々が、新曲の完成を心待ちに過す週末が、どれほど輝き充実していたか。それを今更ながらに実感させられて、他に何をする気も起らずダラダラと時間が過ぎるのを待つだけ。
そして今日もまた、暇潰しの友であるテレビの前に居座り、学校から帰った制服姿のままで、お菓子を片手にボンヤリと画面を眺める鈴音。
テレビに出て笑いを取っているのは、島山昭助。確か昴がキライだと言っていた芸能人だ。
「スバルさん、今頃何してるんだろ? ちゃんとゴハン食べてるのかなぁ……?」
思い出される昴の笑顔。もう彼とは一ヶ月以上も会っていない。鈴音も関係者という事で、面会を禁じられている為だ。
子供の頃に昴と出会って以来、これほど長く離れ離れになったのは初めての事。同時に、これほどの長期間に渡って歌わなかった事も初めてだった。
健太郎からは「暇なんだったら勉強でもするか、歌の練習しとけ」と言われているのだが、こんな憂鬱な気分ではとても歌う気にはなれない。勉強など、もっての他だ。
早く時間が過ぎないかな……。
明るい笑い声を響かせるテレビの前でそんな事ばかりを考えていると、ふいに聞き覚えがあるメロディーが流れた……気がした。
「あれ? 今の……」
キョロキョロと周囲を窺う鈴音。
空耳だろうか? いや確かに聞いた事のあるメロディーが流れている。ゆっくりとした流れではあるが、小刻みに配された音が波打って繋がり、疾走感を生む。幾度と無く聞いたこの曲は……。
「『ギフト』だ!」
弾かれたように顔を上げ、鈴音は今日初めてテレビに注意を向けた。
点けっぱなしとなっていたテレビでは、昭助からの紹介を受けた若い女性歌手が『愛が宇宙を救う』のテーマソングをお披露目しようとしている所だ。
画面に『歌声を愛にかえて』とのタイトルテロップと共に、作詞・作曲、島山昭助の文字。そして聞き覚えのある『ギフト』のメロディー。
「これって……」
最初は偶然の一致かと思った。だが、曲が歌詞の部分に入り、疑いは確信へと変わる。
テレビで『歌声を愛にかえて』として流れているのは、昴と鈴音のオリジナル曲『ギフト』そのものだ。
歌詞の所々や、高音、低音で音の変化する難しいメロディーには変更が加えられていたが、それ以外の部分は鈴音の記憶と全く同じ。特徴的なサビに至っては、完全に一致している。
「同じ曲……だからスバルさんが捕まった?」
ここ一ヶ月、ほぼ停止状態にあった鈴音の脳が活動を再開する。
昴が捕まった理由を、鈴音は知的財産権の侵害であると父から聞いていた。詳細は知らないが、現状とあわせて考えると『ギフト』に盗作の疑いが掛けられての逮捕だったのだろう。
だが鈴音は知っている。『ギフト』が盗作では無い事を。特に歌詞に関しては、その大半を鈴音も一緒になって考えたのだから間違いは無い。
「うん、スバルさんは無実。という事は……」
誰かが『ギフト』を見つけ、自分の曲として発表したいと欲したのだろう。『ギフト』は自分の曲だと嘘を言い、証拠をでっち上げて警察まで動かして、法的に奪い取ってやろうと考えたのだ。
そしてまんまと昴は逮捕され、『ギフト』は『歌声を愛にかえて』として全国のお茶の間に流れた。これで世間の大半は『ギフト』を誰かの……島山昭助の曲として認識しただろう。
鈴音がそこまで考えた時だ。
「あ~、見ちまったかぁ……。ま、その内言おうとは思ってたんだけどさ」
多少の後悔を含んだ、思慮深い声がした。健太郎だ。
いつの間に帰っていたのか鈴音のすぐ横に立ち、一緒になってテレビに視線を送る。
「…………」
「…………」
無言の二人。ただテレビだけが、いまや『歌声を愛にかえて』となった『ギフト』を流し続ける。
多数の電飾で彩られたステージの上。眩いライトが明滅し、白煙が吹き上がる。そこで声を張り上げる若い女性。歌唱力には定評のある、新進気鋭の歌手だ。音を外す事無く、難しい箇所も勢い良く歌い上げている……しかし。
「少し変……かも」
ぽつり、と鈴音が呟いた。
微かな違和感。曲と歌との間に生じる不協和音が、耳の端を掠める。
「そりゃ、そうだろ」
応える健太郎。
「『ギフト』はスバルが、鈴音の為に作った曲だ。他人が、お前より上手く歌えるワケ無ぇだろ」
その言葉に、鈴音の脳裏へ鮮やかに蘇る『ギフト』を作っていた二ヶ月前の記憶。
全体のメロディーを覚え、歌っては撮り直し、修正しては歌うを繰り返した日々。
歌詞について話し合い、メロディーを合わせ、行き詰まりつつも前進して、ようやく一番だけを完成させた。
そしてニロニロ動画に投稿して、好評を得て……。
「……お父さん」
テレビでは、歌手が二番を歌っていた。
オリジナルの『ギフト』では未完成だった部分が、手の届かない場所で改竄されて日本全国に流れて行く。
「わたし……悔しいよ」
震える声。
「ごれ……わだしの歌なのに……スバルざんの、曲なのにぃ…………!」
テレビの中で喝采を浴びる島山昭助と女性歌手を他所に、マンションの一室には少女の悲しげな嗚咽が聞こえていた。