第十五話:傷だらけの人生
なるほど、シャバの空気はウマイと聞くが、これは確かに……。
「ウマいなぁ……」
呟き、大きく背伸びする昴。久々に足を下ろした外の世界は、留置場から出てきたばかりの彼の目に、どこか輝いて見える。
突然の逮捕から約一ヶ月。ようやく拘留期間を終え、保釈される運びとなった昴の姿がそこにあった。
といっても無実が証明されたわけでは無く、一ヵ月後には裁判所で第一回の公判が行われる予定となっている。そこから一年以上にも及ぶであろう長い裁判期間を経て、判決が下されるというわけだ。
「とりあえずアパートに戻るか」
ノタノタと歩き出す昴。
どうにも現実感が無い。オリジナル曲『ギフト』が高評価を受けた辺りから、未だ夢の中に居るのでは無いかとさえ思える。
「というか、これが夢だったらなぁ……」
ボソりと呟く。留置所で独りだった為か、随分と独り言が増えてしまった。
逆に減ったのは睡眠時間と体重だ。毎晩、明け方に浅い眠りを僅かな時間しか取れず、その為なのか体重は七キロも減った。
「仕事、どうなったんだろ? 席、まだあるかな」
健太郎の手配で仕事は有給扱いになっている筈だ。しかし一ヶ月もの間、警察沙汰で欠勤した従業員を何の咎も無く受け入れる大らかな会社など、日本に数えるほどしか無いだろう。良くて減給、悪ければ……。
「クビ、か? 貯金も無いし、マジでどうしよう?」
困り果て、足下だけを見て歩く事しばし。昴の身体は、いつの間にか自宅アパート前に立っていた。
見慣れた風景、見慣れた建物。一ヶ月程度の留守であったにも関わらず、くたびれたオンボロアパートが酷く懐かしく感じる。
ギシギシと鳴る階段を登る内、気持ちは多少なりとも上向きになる。留置所で夢見た安らぎの我が家が、すぐそこに待っているのだ。
しかし――。
「……な、なんだコレ?」
ドアを開け、我が家へと戻った昴を待っていたのは、滅茶苦茶に荒らされた室内だった。
戸棚の中身は全て引っ張り出されて床に散乱し、その上には割れた食器が積み重なっている。
「……そうだ! 音楽室……っ!」
お手製の防音扉を開けて、慌てて飛び込んだ音楽室。
するとそこには……何も、無かった。鈴音と二人、コツコツと音を練り上げた思い出の部屋は、何の面影も無い、単なる空き部屋となっていた。
警察に押収されて元より無かった楽譜やパソコンを始め、キーボードやアンプ、スピーカー、マイクといった機材、ご丁寧にケーブルの類まで一切が消え失せている。
「一体、どうなっ……?」
ふと目線を上げれば、目に入るのはガムテープを貼った上で割られた窓ガラス。
「おいおい……よりによって、このタイミングで空き巣かよ」
溜息と共に、その場へ崩れ落ちる昴。
「冗談だろ……もう、泣きてぇよ」
弱り目に祟り目。頭に浮かぶのは、そんな言葉だけだった。
――その頃――
「お、コレやな、いわゆるソースとかいうモンは」
自室にて、薄汚れたノートをペラペラとめくる昭助。そこには五線譜が引かれ、しっかりとした文字で解読不能な記号が所狭しと描かれている。
「音符か? なんやよぉわからんけど、専門家が見たらわかるやろ。しっかし何冊あるんや……」
昭助の足下に高く積まれた、同じようなノート。表紙に刻まれた日付は、二十年近く前から始まっている。
「コツコツと頑張ったんやなぁ……泣かせるで。よし、俺に任しとけ。お前の……いや、俺の作った曲で日本中を感動させちゃるわ!」