王子様の婚約者は、とんでもない阿婆擦れの悪女なのよ
王太子殿下の婚約者、エライン公爵令嬢は阿婆擦れの悪女だ。
男好きで毎晩の様に違う令息達と関係を持っており、数え切れないほどの男達が誑かされてきた。気性は荒く、気に入らない者を甚振り、拷問のような仕打ちをし、愉快げに笑う。さらには、気分次第で使用人をクビにし、幾人ものメイドや侍女達を紹介状も持たせず不当解雇してきた。かなりの派手好きで、毎日のように商人を呼び付け、ドレスや宝飾品を買い漁る強欲な女だ。
とにかくエラインは、恐ろしい毒婦である。
「……とまあ、我が娘エラインに、呆れる程、いい加減な誹謗中傷をしてくれたではないか」
公爵家で開催された夜会にて、主催者である公爵は冷徹な視線を一人の令嬢に向けていた。
その隣に立つ令嬢の父親の男爵の顔は蒼白で、立っているのがやっとであった。
「男爵よ、エラインと其方の娘はどこぞで同席をした事があるのか?」
「い、いえ。我が家は末端の弱小貴族。畏れ多くも閣下の御息女が出席なされる夜会や茶会に出入り可能なはずが御座いません」
「であれば、なんの根拠もなく憶測であのような発言を繰り返していたのだな」
建国より王家の忠臣として国を支えてきた公爵家は、王国貴族の最上位であり、また、当代の公爵の妻は帝国の皇女だ。その娘であるエラインは最も高貴な血筋を誇る令嬢で、王太子とは政略による婚約であったが、幼い頃より親交があり関係は良好である。
そして、来年には王太子との婚姻となる予定であるが、下位貴族の中でエラインに対する噂が流れた。
噂の元を辿ると、一人の令嬢が茶会やサロン、慈善活動での集会、夜会などで、これらの話を広めていた。
それが男爵の娘であったという。
「お、恐れながら申し上げます。む、娘がそのような出鱈目を吹聴したとは、とても、とても思えません。何かの間違いでは御座いませんでしょうか?も、もし、万が一、話題に上げたとしても、誰かから聞いた嘘を鵜呑みにしてしまったのではないかと愚考致します」
「ほう。だが、残念だが、多数の証言が揃っておる」
公爵が視線をやると、執事が書類の束を男爵に渡す。それには、日時、場所、同席した者の名前まで記された調査結果。中には男爵の見知った者の名前もある。そんな、馬鹿な。
男爵は自分の娘がそんな愚かな真似をしたなど信じられなかった。
ある日、雲の上の存在でしかなかった公爵家から夜会の招待状が届いた。驚いたものの、このような機会は二度とない。招待状には娘の名もあった。未だ婚約者のいない娘に良縁を得る事が出来るかもしれないと、淡い期待をして参加する。
しかし貴族と言っても末端も末端なので、この夜会に参加するような高位貴族とは知り合いもいない。豪華絢爛の公爵家の夜会に圧倒され、ホールの端で驚くほど美味いワインを飲んでいると、娘は美しい令息達にダンスへと誘われた。代わる代わる楽しそうに踊る娘を見守っていると、休憩となったらしく、令息達だけでなく令嬢達も集まり、娘が中心となって歓談が行われていた。
娘の社交性の高さには驚かされる。もしかしたら、高位貴族の令嬢との交友関係や、本当に縁談が期待できるかもしれないな、などと夢想していたのだが。
それが気が付けば、公爵が現れ、娘と自分が呼び付けられ、このような事態に陥っている。
「つい先程、其方の娘と会話していた彼らも、反吐が出るような話を聞いたと言うが?」
公爵の言葉を聞いて、娘とダンスを踊っていた令息やお喋りに花を咲かせていた令嬢達も頷いた。
娘を見ると顔は青く小刻みに震えて、手袋の上から爪を噛んでいる。それは幼い頃の癖で、悪戯や失敗が露見した際、嫌と言う程見てきた。
男爵は悟った。
会った事もない、殿上人に、将来の王妃となるエライン嬢に対し、不敬罪とも言える所業を行ったのは、間違いなく娘だ。
男爵は床に張られた大理石に這いつくばる。
「大変、大変申し訳御座いません。お詫びのしようも御座いません。当家は爵位をお返し致します」
「なっ! 何でっ!」
男爵の言葉に反応したのは娘だった。
***
男爵令嬢が王太子と出会ったのは偶然だった。
崇高な思いではなく、ただ、友人達が行っているからという理由で、気が向いた時にだけ参加している慈善活動。不用品や自分達で刺した刺繍などを販売するバザーに、王太子がお忍びで視察に訪れた。
小説の中から抜け出してきたかのような美丈夫、優雅で気品ある仕草、それでいて、王太子は気さくに下位貴族である自分達にも接してくれた。
「この百合は誰が刺したのかな?」
王太子が手に取ったそれは刺繍が得意な従姉妹が刺したハンカチだった。糸だけではなく、ビーズも縫い付けられた見事な一品。
「アタシです!」
咄嗟に名乗り出ると、王太子は蕩けるような微笑みを向けた。
「美しいな」
「えっ、そんな……大した事ないです」
容姿には自信があったが、王子様、それも王太子殿下に褒められ、舞い上がるような気分に包まれる。
「これは私が戴いても良いだろうか?」
「は、はい!」
自分の刺繍を欲しがるなんて、もしかしたら……
熱くなる胸を抑えて、見つめ返す。
「ありがとう」
なんて事なの、王子様がアタシを求めている。こんな事が起きるなんて。ああ、これから、どうなってしまうの?
ところが、王太子は普通に帰った。
いや、きっとすぐに迎えに来るはずだ。
ところが、待てども待てども迎えは来ない。
いや、まずは文が届くのだろう。
ところが、待てども待てども便りは届かない。
「何言ってるの? アンタなんか相手にされるはずないじゃない」
散々、惚気を聞かせてやった友人は嫉妬を募らせたのか、そんな意地悪を言ってきた。王妃になったら、牢屋にぶち込んでやろう。
「てか、アンタ、従姉妹の刺繍を自分のだなんて嘘ついて図々しいのよ。それに、王太子殿下には婚約者がいるのよ」
「何ですって!」
「なによ、知らないの?」
王太子にはすでに婚約者がいるという。なんて事だ、彼が迎えに来れない理由は、その泥棒猫が邪魔をしているに違いない。
「許せないわ」
だが、自分は美しいだけの、ただの男爵令嬢。王太子を助ける力はない。ならば、彼を縛り付ける女の正体を皆に知らせよう。
そして、その真実が世間の知るところになれば、王太子の婚約者には相応しくないと世論が動くだろう。
男爵令嬢はあらゆる場所に出掛けては、王太子の婚約者の悪評を流した。
「そんな話は聞いた事ないけれど」
「一体、誰から聞いたのよ」
「滅多な事言うもんじゃないわ」
だが、友人達の反応は今一だった。それでも、王太子のために、自分と王子の真実の愛のために、男爵令嬢は訴え続けた。
そんな中、届いた高位貴族からの招待状。
「王子様に会えるかもしれない」
精一杯めかし込んで訪れたが、王太子の姿はない。しかし、幾人もの美しい令息からダンスに誘われた。断るのも勿体無いので、一緒に踊る事にする。
彼らの振る舞いは自分の知る男達と比べものにならない程、優雅で、まるでお姫様のように扱ってくれた。休憩中は自分よりも高位の令嬢達に囲まれたが、その女達も自分を立てて会話を盛り上げるので悪い気はしない。
特に、その令嬢の集団の中心的な女が聞き上手で、話していると気分が良い。驚くほどの美貌の持ち主で、身に付けている宝石もドレスも飛び抜けて高級品と分かる。鼻持ちならない女かと思ったが、気に入った。王太子と結婚して王妃になったら、侍女にしてやっても良いだろう。
また、その女は王太子と知り合いだと言う。なら、この女から王太子の婚約者の真実を伝えるようにすれば良いと考えた。
だから教えてやったのだ。
王太子の婚約者の真実を。
そうしたら……
「まさか、面と向かって暴言を吐かれるとは思いませんでしたわ」
その女こそが、王太子の婚約者エラインだった。
***
父親は這いつくばって言った。
「爵位をお返し致します」
「なっ! 何でっ!」
ほんの少し、悪口を言っただけだ。たった、それだけの事で、何故、平民に落とされなければいけないのだ。
「どうしてよ、父さん! どうしてアタシ達が平民にならなきゃいけないのよ!」
「黙りなさい!」
「だって!」
「我が家の爵位は元々は公爵家から賜ったものだ」
男爵家は、公爵家の親戚である伯爵家の寄子だ。元を辿れば、主家である伯爵家から分家として興した家である。
「公爵家のお嬢様を愚弄する者がいる家に爵位を持つ資格はない」
「そ、そんな……」
***
「無礼打ちにしてやれば良かったのに」
「慶事の直前ですから、恩赦を与える事にしましたの」
王宮のバラ園にある東屋で、王太子と婚約者である公爵令嬢はティータイムを楽しんでいた。
王太子の婚約者エラインは才色兼備かつ品行方正、淑女の鑑と言われる令嬢だ。その彼女に突如、不快な噂が立った。しかしながら、エラインを知る高位貴族はあり得ないと信じる事はなかった。
彼女はお妃教育のために、すでに王宮に住まいを移していたし、男遊びに勤しむなど不可能だ、王宮の侍女を勝手に解雇も出来ないし、ドレスや宝石は自ら買い漁らなくても、令嬢を溺愛する王太子と彼女の父である公爵が競うようにプレゼントしている。
エラインを知る者の仕業ではないし、内容があまりにも馬鹿げていた。そうとは言え、放置する事など出来ない。
少し探れば、弱小貴族の娘が吹聴している事が判明した。せっかくなので、小うるさい羽虫も黙らせるべく、エラインの父と協力して、見せしめのために利用してやったのが、先日の夜会だ。
男爵家は爵位返上と財産の殆どを慰謝料の支払いにし、国外追放となった。元男爵家一家は僅かながらの金銭を持って国を出た。だが、本人はその程度で済ますわけにもいかない。
元男爵令嬢は開拓地で無期限の強制労働となった。働いて得た賃金は全てエラインへの慰謝料となる。解放されるかは5年に一度の審査を通ればだが、最終決定はエラインではなく、王太子の判断で決定が下る。王太子は、恩赦をくれてやるつもりはない。だが、第一回目の審査まで生きながらえるかどうかは不明だ。
「これで無責任なデマを吹聴する連中も、少しは減るかな」
イケメンに話しかけられて勘違いした女の末路。
SNSの誹謗中傷を題材にした漫画を読んでたら思い付きました。有名人や芸能人に誹謗中傷して開示請求&訴訟、慰謝料。現代社会だから、それで許されるけど、なーっぱでやらかしたら?
王太子は男爵令嬢の事を覚えてません。慈善活動のバザーの視察巡りをしていた際、毎回、何かしらの物は購入していたので、特に記憶に残るような事ではありませんでした。




