第一章 転の舞・4
手を引っ張ってくるアゲハに半ば引きずられる形で足を進めた凪の深緑の双眸が、ちらりと、背後を一瞥する。その瞳が宿す警戒の光は視線が前方へ戻されると同時に掻き消え、お薦めだという店の前でようやく凪はアゲハの手から解放された。
「ここは、昨日の…」
「そ。女将さんの手料理食べちゃったら、他の所じゃもう満足しないよ」
それ程に美味しいのだと笑い、扉を開けて中に入ろうとしたアゲハの背を凪は呼び止めた。
「ごめんなさい。先に行っていてください。どうやら、忘れ物をしてきてしまったみたいです」
「え?あたしも一緒に行こうか?」
「大丈夫。見当はついていますから」
すぐに戻ってくると言い置いて、凪は心配そうなアゲハに片手を上げて来た道を戻った。少し進んだ所で背後を振り返り、彼女が店の中へと入った事を確認する。
「結良」
呼びかければ、即座に左肩に温もりと重さを感じる。
「何人だと思う?」
『十…いや、十二か』
先程からずっとこちらの後をつけてきている気配の人数に、凪は軽く肩を竦めた。雑踏の中をゆっくりと歩きながら、肩に乗った白い猫と不自然に思われない程度の音量で会話を続ける。
「確か…近くに池があったと記憶しているけれど」
『そこを曲がった先に』
結良の案内に従い、凪は大通りから外れた一本の路地へと入る。歩く距離が長くなるにつれて民家はまばらになり、視界を緑が埋めるようになれば、小さな森林の中へと入った事を教えてくれる。
恐らく、真夏の水不足や森林火災に備えて人工的に造られたのだろう。申し訳程度の柵で囲まれている池の畔で凪は足を止めた。緩慢な動作で背後を振り返れば、結良の指摘通り、十二の影がそこにいた。