第一章 承の舞・20
「さて。おい、こら。そこの飲んだくれ共!寝るんだったら自分家で寝な」
どうやら厨房から出てきた本当の目的は、中央を陣取っている炭鉱労働者の団体を追いやる為だったらしい。女将の張りのある催促を背に聞きながら、凪は未だ座ったままの橋聖へと最上級の礼をとった。
「助けてくださり、有難うございました」
「あ…いや…」
胸の前で手を組んだ最敬礼に、橋聖は思わず立ち上がっていた。背筋を伸ばし、慣れない様子ながらもお辞儀を返してくる。
「紡がれし糸が交わったなら、また」
そんな彼に柔らかな微笑みと再会を願う言葉を残し、凪は踵を返す。
「またおいで、凪」
背中を追ってきた女将の優しさに頷きを返し、凪は外に出た。見上げた空は朔の日の為にその夜天の支配者を欠き、瞬く星々は足元を照らす光としては些か頼りない。それでも暗闇に慣れてしまえば歩けない程の闇ではなく、所々から洩れてくる民家の灯りも手伝って、扉越しに微かに聞こえてくる喧騒に笑みを零した凪は、危なげない足取りで今夜の宿と決めた建物へと向かって歩き始めた。
「結良」
昼間は旅人や商人、地元人で賑わう表通りも、自然の摂理に従って眠りに入る夜は行き交う影はなく、何処か寂寥感すら漂う夜の世界を歩きながら、凪は呼びかける。
「聞いていた?」
『…源命水。荒れるぞ、この街は』
耳元で返された的確な指摘に、いつの間にか姿を現した猫の白い毛を優しく撫でた。




