第一章 承の舞・17
「橋聖ッ!」
扉が開くと同時に室内に響き渡った呼び声に、同時に動かされる湖底と炎。
「橋聖!アンタ、あたしの汗と涙の結晶である華蘭と無駄にしたんだって!?」
宿屋となっている二階に続く階段の傍ら、店の最奥に橋聖の姿を認めたそばかすの少女は、怒り心頭といった体で賑やかな室内を大股で歩いてきた。
「あれを作るまでにどれだけの工程があると思っているの!?五回や六回じゃないんだよ!」
橋聖の前に仁王立ちするや否や、その顔面に指先を突きつけて矢継ぎ早に言葉を投げつける少女。
「茹でて、蒸して、乾かして、潰して、濾して…その他色んな苦労を重ねてやっとあの香水は出来上がるの。それを…たかが一人の女の為に無駄にしただって?」
噂というものは案外早く伝わるものらしい。それが顔が広い相手に関したものならば口に上る人数も多いというもので、尾ひれ背びれが付いた噂は、果たして今では何処まで広がっている事やら。
「ふざけるんじゃないよッ!その女、ここに連れておいで!」
文句の一つでも言ってやらないと気が済まないと、怒りに任せて喚き散らす相手に、この分だと町外れの婆さんまで知っていそうだなぁ、などと内心で苦笑していた橋聖は、恐る恐るといった様子で指差した。
「アゲハ。もう、いる」
「ぇえ!?」
怒鳴りつけていた勢いそのままで橋聖の示す方へと顔を向けたアゲハは、文句を言おうとした状態のまま固まった。
目の前で繰り広げられる一方的な罵倒劇を見守っていた深緑の双眸。深い知性を感じさせる宝石のような瞳には、問うように小首を傾げた凪の頬を金髪が撫でる様子に頬を染める様子のアゲハの姿が映っていた。