第一話 承の舞・5
「―――貴方は?」
一度は手にした包帯を結局元の場所に戻し、起こした椅子に腰をおろした橋聖へと唐突な問いが投げ掛けられる。
「え…?」
「名前。私は名乗ったのだから、教えてくれるのでしょう?」
ああ、名前か。
「…橋聖だ。閣橋聖」
淡く微笑む凪に、深い溜め息を一つ吐くことで動転した気を鎮めた橋聖は、手を差し出した。軽く握り返してきた手は、やはり冷たかった。
「どのような字を?」
「橋に聖と書いて、橋聖」
返答に離された手が顎に添えられる。考え込むようなその様子にどうしたのだろうかと橋聖が口を開く前に、あぁと、意味ありげな声が薄い唇から洩れた。
「きょうせい――…豊饒の神の名ですね」
驚きに瞠られる赤い瞳。
『キョウセイ』とは確かに詞深神話に登場する豊饒の神のことで、その土地の言葉で『巨焼』、つまり炎を表す。しかし、詞深神話は北方のごく一部にのみ伝わっている神話で、橋聖の育った村周辺の者達しか知らないはずだった。
それなのに、何故、彼女がその名を知っている。
先程の遣り取りで解けかけた警戒心が再び橋聖の中に芽生える。自然と鋭さを増した視線が未だ考え込んでいる相手を射抜いた。
「お前…」
「民俗学者」
何者なのかと、困惑と警戒が入り混じった橋聖の言葉を遮ったのは、朗々とした声音だった。