第5話 終わらない残業の正体
1日5話投稿予定で
18:30 / 19:00 / 19:30 / 20:00 / 20:30
に投稿する予定です
よろしくお願いします
深層第三区画で、時計が同時に三つの時刻を示した。
18:02、18:44、17:59。
「クロックイーター反応!」
周防の無線が割れる。
黒い影は大きくない。人影ほどの塊が配線ラックへ触手を伸ばし、同期信号を喰っていた。破壊力は低い。だが運用系を壊すには十分だ。時刻が崩れれば、承認順序が崩れ、責任線が消える。
榊は即断する。
「全班、端末時刻を捨てる。外部時計基準。手入力二重記録、指示は必ず復唱」
制度上、これは通常運用ではない。だが緊急時暫定手順として事後承認が取れる形を、榊は前夜に査察条件へ組み込んでいた。
「A-31封鎖、18時11分、復唱」
『A-31封鎖、18時11分、了解』
「B-14搬送、18時13分、復唱」
『B-14搬送、18時13分、了解』
猪狩班が囮素材を三点配置して魔物を封鎖弁前へ誘導。封鎖班は赤通路、搬送班は黄通路、帰還班は青通路。第2話で導入した動線が、ここで初めて“命を守る地図”になる。
同時刻、地上の臨時監査室では来栖が資料を並べ替えていた。
時刻異常ログ、R04旧書式、TKR-38鍵ID、不審箱のラベル偽装、そして今まさに入ってくる二重時刻記録。
鷹城は腕を組んで言う。
「現場を回すには現実対応が必要だ。理想で運用はできない」
真壁が返す前に、榊が濡れた制服のまま会議室へ入った。深層からの直帰だ。
「現実対応の名目で、現場を壊していたのはそっちです」
榊は提出箱から一枚引き抜く。端末時刻と外部時刻の差分表。時刻攪乱下でも、復唱ログと手入力記録を突き合わせれば指示経路は復元できる。
「契約条項18、記録改ざんまたは改ざん相当の運用干渉が認められた場合、委託契約の即時停止が可能。要件を満たします」
査察官が来栖へ確認する。
「証拠連鎖に欠落は?」
「ありません。時刻系・書式系・アクセス権限系が接続しています」
真壁が上申書へ署名し、契約管理課が受理印を押す。
鷹城メンテナンス、契約一時停止。
会議室は静かだった。歓声はない。勝利というより、ようやく最低限を取り戻した感覚だ。
榊は椅子へ腰を下ろす前に、周防へ無線で確認した。
「深層、収束したか」
『はい。負傷軽傷二名、帰還完了。復唱ログも保存しました』
榊は目を閉じ、一秒だけ息を整える。現場が生きて戻ったことを最初に確認する。改善は数字で証明できるが、命は戻らない。
会議後、来栖が封筒を差し出した。
「中央監査特命。未登録ゲート全件提出命令」
榊は一覧をめくり、最後の行で指を止める。
第二庁舎地下ゲート。
「ここは十年前に埋設廃止されたはずだ」
「公式記録ではな。だが監査台帳では“現役”だ」
存在しないはずの入口が、運用上は生きている。
終わらない残業の正体は忙しさじゃない。終わらせると困る誰かが、入口を残し、時刻を歪め、責任線を切っていた。
時計を見る。22時03分。
今日は定時に帰れなかった。
それでも榊は、無駄な残業だと思わなかった。今日の遅れは明日の再現性へ変わる。改善は“今日だけ勝つ”ためではなく、“明日も壊れない”ためにある。
周防が会議室のドアから顔を出す。
「提出箱、もう一つ作りました。中央向けと庁内向けで分けます」
「助かる。読む相手が違うなら、並び順も変える」
来栖が薄く笑った。
「やっと監査の言葉が分かってきたな」
榊は封筒を閉じる。次は地下だ。現場改善で見えた亀裂の先に、十年分の運用改ざんが埋まっている。
戦場は、まだ終わらない。
契約停止の通知文が回ったのは翌朝六時だった。庁内チャットには「本当に止めたのか」「現場が回らなくなるぞ」という短文が並ぶ。止める判断はいつも恐い。だが、止めないまま壊れる方がもっと高くつく。
榊は管理課ホワイトボードに二列を書いた。
停止で失うもの。
停止しないで失うもの。
左列には納品遅延、手続負荷、現場の混乱。
右列には事故再発、責任線消失、慢性残業、離職。
「どっちが重い?」
榊が問うと、誰もすぐには答えなかった。先に口を開いたのは猪狩だった。
「右だ。現場は右で死ぬ」
周防は中央監査向けの提出箱を抱えたまま言う。
「提出順、昨日と同じで行きます。時刻異常→書式→鍵ID→現場証言」
「それでいい。読む側の逃げ道を減らす順に」
来栖が追加資料を持ってくる。入退室記録の抜粋だ。倉庫裏通路の白飛び時刻と、委託側メンテ端末のアクセス時刻が重なっている。
「一致率は?」
榊が聞く。
「現時点で八割。偶然では苦しい数字だ」
制度戦で重要なのは、百分率そのものより、反証の難しさだ。八割一致に時刻改ざんログが重なれば、相手は“無関係”を言い切れない。
午前十時、臨時ブリーフィング。真壁が各班へ方針を示す。
「停止期間中は代替委託へ段階移行。無理な稼働再開はしない。焦って戻すな」
総務が不安を漏らす。
「予算が持ちません」
榊は資料を差し出した。
「事故再発時の停止損失試算です。再開を急ぐほど赤字が増える。短期の遅延を受けたほうが、月次損失は小さい」
数字が会議室を静かにする。感情論は否定されやすいが、試算は否定されにくい。
昼、深層の巡回で周防が足を止めた。
「ここ、配管図にない分岐があります」
壁面の塗装を剥がすと、旧規格の配線管が現れた。刻印は消されているが、接続方向は第二庁舎側を向いている。
榊は写真を撮り、来栖へ送る。
『地下ゲート関連の実配線痕を確認。現地検証要請』
返信は即座に来た。
『受理。中央監査同席で現地開封を手配する』
開封――その言葉だけで、管理課の空気が変わる。見えない疑いが、見える手続へ移る。
夜、榊は提出箱を二つ持って庁舎の外へ出た。空は冷えている。時計は21時47分。定時ではないが、今日の遅れは“壊れたまま働いた遅れ”じゃない。
周防が並んで歩きながら笑った。
「残業してるのに、前よりしんどくないですね」
榊も小さく笑う。
「理由がある残業は、まだ改善できる。理由がない残業が一番危ない」
第二庁舎の地下は、明日開く。
終わらない残業を作っていた入口が、やっと現場の視界に入ってきた。




