第1話 18時27分の赤灯
1日5話投稿予定で
初日は
18:30 / 19:00 / 19:30 / 20:00 / 20:30
に投稿予定です
よろしくお願いします
午後六時二十七分。榊司は退勤カードに親指を置いたまま、第一ダンジョン搬出口の赤灯を見上げた。
未登録ゲート反応。警報三回。管理課では「帰宅取消の鐘」と呼ばれている音だ。
葛葉市役所ダンジョン施設管理課の仕事は、探索者を強くすることじゃない。死なせず、遅らせず、納品を止めないことだ。ところが現場は、毎日逆の順番で壊れていく。搬出口で詰まる。承認印が遅れる。封鎖判断が遅れる。事故未遂が増える。残業が膨らむ。
「今日も二時間コースか」
誰かの諦め声に、榊は短く息を吐いた。
榊がこの課に来て三週間。前職は民間物流の改善担当だった。数字で詰まりを見つけるのが仕事で、最後は数字より長時間労働が勝って会社を辞めた。ここへ来た理由は一つだけだ。現場を回しながら、人を潰さないやり方を証明するため。
彼は倉庫から大型ホワイトボードを引きずり出し、油性ペンで三本線を引いた。
入場確認、搬出処理、封鎖判断。工程を横に、担当を縦に置く。作業券を磁石で貼り、止まった箇所だけ赤丸で囲む。
「また儀式かよ」
総務古参が鼻で笑う。
「違います。渋滞の地図です」
榊は券番号を読み上げる。
「A-12、承認待ち。B-03、封鎖待機。C-07、書式差し戻し」
周防凪が券束を抱えて駆け寄った。
「榊さん、同じ書類が二系統で回ってます」
「どっちが先に承認されてる?」
「時間帯で逆転してます」
逆転は事故の前兆だ。榊は真壁課長へ内線を入れた。
「承認経路を一本化したいです。三十分だけ実験運用で」
『規程外だぞ』
「はい。だから実験扱いでログを残します。失敗したら即時で戻します」
『責任は?』
「私が起案書で持ちます」
受話器の向こうで紙がめくれる音。真壁が低く答えた。
『三十分だけだ。数字が出なければ止める』
榊は無線を開く。
「全班へ。番号呼称に統一。口頭割込み禁止。止まった理由は理由コードで記録」
理由コードは仮運用だ。R01承認者不在、R02書式不備、R03搬送遅延。現場に「曖昧な言い訳」を残さないための最低限の辞書。
最初の十分は混乱した。班名で呼ぶ癖が抜けず、返答が遅れる。だが復唱を入れると指示が揃い始めた。
「B-03封鎖、復唱」
『B-03封鎖、了解』
「A-12承認回付、復唱」
『A-12承認回付、了解』
怒鳴り声が消える。待機列が短くなる。搬送の衝突が減る。三十分経過時点で、封鎖待機は半分以下になっていた。
真壁が現場に降りてくる。
「途中結果は?」
「待機平均二十六分→十五分。事故未遂は現時点ゼロ」
「根拠ログは残してるな?」
「端末と手書きで二重です」
この課のルールでは、規程外運用は結果だけでは通らない。誰が、いつ、何を判断したかを追える形で残して初めて“正当化”できる。面倒だが、ここを飛ばすと後で改善が全部無効化される。
四十七分後、警報解除。打刻端末は18時57分を示した。いつもの二時間残業は発生していない。
現場に歓声はなかった。代わりに休憩室で誰かが笑った。「まだ帰れる時間だ」という、半信半疑の笑いだ。
榊はログサーバーへ結果を保存する。事故未遂、封鎖待機、搬出遅延、残業突入率。改善前後の差分を同一画面に並べ、最後に警報詳細を開いた。
発生位置、魔素濃度、遮断完了。
そして末尾に、台帳にない文字列。
EXT-Relay-KZ09。
葛葉市の設備台帳に存在しない中継ID。内部機器だけでは出ない経路だ。つまり、誰かが外から触っている。
榊はスクリーンショットを暗号フォルダへ保存し、提出用にメモを付けた。
『台帳未登録ID。外部経路の可能性。要監査照合』
退勤口へ向かう途中、スマホが震える。差出人不明。
『定時で帰りたいなら、地下配管図を見るな』
榊は画面を閉じ、足を止めた。
脅しは、見るべき場所を教える案内でもある。
帰宅後、彼は机で改善ログを再整理した。現場で使える数字だけを残し、感情語を削る。査察へ出す文書に必要なのは怒りではない。反論不能な順序だ。
最後に、明日の実施項目を三つ書いた。
第一、理由コードを本運用化する。
第二、R02とR03の削減策を班別に出す。
第三、KZ09の発生時刻と庁内通信を突き合わせる。
終わらない残業は忙しさの結果じゃない。
終わらせると困る誰かが、仕組みのどこかで維持している。
榊は時計を見る。23時18分。
今日は帰れた。
だが、勝ったとはまだ言えない。
翌朝、榊は改善前後の差分を課内へ共有した。事故未遂は七件から四件、封鎖待機は平均二十六分から十五分、残業突入率は九割から五割へ低下。数字だけ見れば小さな勝利だが、管理課ではこの程度でも珍しい。
「昨日だけだろ」
総務の古参が言う。
榊は画面を拡大した。
「偶然なら、詰まり位置は毎回変わる。昨日は三回とも同じ箇所で止まりました。原因が固定なら対策も固定で効きます」
周防が補足する。
「搬送班の往復距離、私の歩数計で二割以上減ってます」
真壁は資料を閉じ、短く告げた。
「試験運用を今週いっぱい継続。正式運用化は査察結果次第」
“査察結果次第”は、役所で最も重い条件だ。数字が出ても、書類が揃わなければ改善は消える。榊はそこを見越して、前夜の時点で監査提出フォーマットに合わせた控えを作っていた。
午後、来栖が管理課へ現れた。
「KZ09の件、資料を見た。台帳不一致だけでは弱い。時刻系ログと突き合わせろ」
「了解です。同期失敗の時刻帯を抽出します」
「それと、感情語は削れ。査察文書は怒りを書かない」
榊は頷く。前職で学んだのは改善手法、今学んでいるのは“通す言葉”だ。正しいだけでは採用されない。反論不能な順序で並べる必要がある。
終業十分前、周防が搬出口裏の配線ラックを指差した。
「ここ、昨日までなかった中継器が付いてます」
刻印は削られ、型番は読めない。だが端子配列は時刻同期機器と一致していた。榊が写真を撮った直後、遠隔遮断が掛かったように電源が落ちる。
「抜かれた」
周防が唇を噛む。
誰かが現場の改善を観察し、証拠が取られそうになると装置を消す。敵は偶発ではない。
榊は写真データを三重保存し、真壁へ共有した。
「管理課だけでは追い切れません。査察連携を前提に動きます」
真壁は珍しく即答した。
「やれ。責任は課長名で持つ」
権限線が一本通る。榊はその一本に、今日の数字と明日の証拠を載せることにした。
退庁時刻は19時12分。昨日より遅い。それでも榊は焦らなかった。
短く帰ることが目的ではない。明日も再現できる形で帰ることが目的だ。




