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第一話

この町には、昔から“噂”が多い。


誰が言い始めたのかもわからないまま、妙に具体的で、妙に信じたくなるような噂たち。




夜の校舎を歩くと、背後に誰かの足音がついてくる。


踏切で黄泉帰った子どもが名前を呼んでくる。


鏡を覗くと、自分ではない“誰か”が微笑む。


路地裏には液体の坊主が這い、街灯の下には女が立ちすくむ。




子どもたちは怖がり、大人たちは笑い飛ばす。


だが、誰も確かめようとはしない。


この町の噂は、笑うには少し具体的すぎて、忘れるには少し生々しすぎる。




そしてもうひとつ、最近になって囁かれ始めた噂がある。




――「夜の町で、銀の鎌を持った女の子を見た」




黒い制服を着た、影のような少女。


月に照らされるたびに、鎌が微かに光を返すという。


彼女は怪異を狩っている。


あるいは怪異そのものだ。


噂する者によって説明は違うが、口元をこわばらせるところだけは同じだった。




この町は噂で満ちている。


そして、噂はときに本物として歩き出す。




夜が深くなるほど、静かな影が伸びていく。


少女はその影を踏んで歩くようにして、路地の奥へと消えていく。




誰も知らない。


この町の噂が、ただの“作り話”ではないことを。




そして――


その噂を、終わらせて回る少女がいることを。




銀の鎌を肩に掛けた少女は、今日もまた、誰も気づかぬまま町の闇へと溶けていった。

噂する者によって説明は違うが、口元をこわばらせるところだけは同じだった。


この町は噂で満ちている。

そして、噂はときに本物として歩き出す。


夜が深くなるほど、静かな影が伸びていく。

少女はその影を踏んで歩くようにして、路地の奥へと消えていく。


誰も知らない。

この町の噂が、ただの“作り話”ではないことを。


そして――

その噂を、終わらせて回る少女がいることを。


銀の鎌を肩に掛け四年生の ハル が、噂の路地へ行くことになったのは、放課後の夕暮れだった。


クラスで流行っている「恐怖チャレンジ」で、

カードを引いた人が“バナナの匂いの路地”で写真を撮ってくるという遊びだ。


ハルはくじ運が悪い。

よりによって、最恐と噂の場所を引いてしまった。


「お前、行かなかったら罰ゲームな」

「大丈夫だって。あそこ、ただの狭い路地だろ?」


友達は笑い飛ばす。

だけど、笑う目の奥に少しだけ“行きたくない気持ち”が見えた。


(……みんなだって怖いんじゃん)


そう思いながらも、ハルは弱みを見せたくなくて、

「行けばいいんだろ」と言ってしまった。た少女は、今日もまた、誰も気づかぬまま町の闇へと溶けていった。

夕飯を食べても、胸の奥がざわざわして眠れない。

宿題をしても手が止まる。

時計の針はゆっくり進み、町が少しずつ静かになっていく。


ハルは窓の外を見てため息をついた。


(行かなきゃ……)


チャレンジは“今日中に”というルールだ。

友達からのグループチャットには、

「まだ?」

「ハル、逃げるなよ」

とメッセージが並んでいた。


スマホを握りしめ、ハルは思い切って家を出た。

町灯りの下、人気のない道を歩く。

犬の遠吠え、知らない家のテレビの音。

普段なら気にもしない小さな音が、やけに近く感じる。


角を曲がるたび、胸がぎゅっと縮む。


(別に……ただの噂だよな)


そう言い聞かせるたび、誰かに見られているような感覚が背中を刺した。


やがて、噂の“バナナの匂いの路地”が見えてくる。


路地は細く、街灯が奥まで届いていない。

遠くの影が、少し揺れたように見えた。


ハルはスマホを取り出し、

「サッと写真だけ撮って帰ろう」

と自分に言い聞かせる。

一歩踏み込んだ瞬間、空気が変わった。


ふわりと、甘いバナナの匂いが漂った。


「え……?」


思わず立ち止まり、鼻を近づける。

確かに、甘い匂い。お菓子のような、やさしい香り。


(本当に、噂どおり……?)


だが、路地の奥は真っ暗で、

風もないのにゴミ袋がわずかに揺れていた。


そのとき、

“ぴちゃん”

と、水滴が落ちるような音がした。


ハルはビクッと肩を震わせ、音の方向に目を向ける。


足元に透明な液体が広がっていることに気づいた。


(なにこれ、雨……?)


路地の天井は乾いている。

液体は地面からじわじわと滲み出し、

まるで生き物のように広がっていた。


ハルは後ずさりしようとしたが、

靴底がぬるりと滑った。


「ひっ……!」


そのときだ。


耳元で、

まるで誰かがすぐ横にいるかのように——


「……さみしかったの?」


と囁く声がした。


甘く、優しい。

けれど、底に冷たいものが潜んでいる声。


振り向いても誰もいない。


なのに足首だけ、

ぬるっとしたものが締めつけるように絡んでいる。


「や、やだ……やだ……!」


液体は触手のように伸び、

ハルの足を奥へ奥へと引きずり始めた。


そして、影の奥で、

溶けたような坊主頭がゆっくりと形を成していく——。


「いやだ……! たすけて……!」


 叫び声は路地の壁に吸い込まれていくように弱々しく、誰にも届かない。

 ぬるりとした触手は、足首からふくらはぎへと這い上がり、冷たい“感触”だけが確かなものとして残る。


 影の奥で、坊主頭の輪郭がぐにゃりと歪んだ。

 皮膚の境目が曖昧な、ゼリーのような質感。

 目のあるはずの位置に黒い穴がぽつりと開き、こちらを見ている。


 ぬちゃ……ぬちゃ……。


 液体に似た音が、ハルの足もとから不気味に響く。


「や……やめ……!」


 後ろへ逃げようとしても、足はどんどん飲みこまれるように沈む。

 ハルの視界がゆれる。涙で滲む。

 影の奥の“ぬるぬる坊主”が、手を伸ばすように形を変え、ハルへと近づく。


 その瞬間だった。


 ふわり、と路地の空気が変わった。

 今まで鼻を刺していた湿った腐臭が、かすかな甘い香りに上書きされていく。


 ——バナナの香り。


 柔らかく、どこか懐かしくて、安心するような香り。

 恐怖で硬直したハルの胸が、ほんの少しだけ軽くなる。


「そこまでにしときなよ」


 路地の入り口から声がした。

 澄んだ少女の声。

 だが、声に乗っている気配は大人びていて、迷いがない。


 ぬるぬる坊主の動きがぴたりと止まる。

 黒い穴のような“目”が、ゆっくりと声のほうへ向いた。


 ハルは涙を拭いながら顔を上げる。


 薄暗い路地をすべるように歩いてくる影があった。

 街灯からほとんど光が届かないのに、その姿だけははっきりと浮かび上がって見える。


 長い髪が揺れ、バナナの香りがふっと広がる。

 右手には、月光を反射して銀色に輝く“鎌”。


(……女の子……?)


 なのに、足音がしない。


 地面すれすれを滑るように近づいてくる。


 ぬるぬる坊主は、少女を見た瞬間、全身を泡立てたように震わせた。

 体表がぶくぶくと盛りあがり、苦しそうに縮む。


 少女はハルを見ず、まっすぐぬるぬる坊主を見据えた。


「この子に触っちゃだめでしょ」


 言葉は柔らかいのに、次の瞬間、鎌が空気を切った。


 ——シュッ。


 銀色の弧が闇を裂く。

 鎌が触れる寸前、ぬるぬる坊主の体はまるで水面のように形を崩し、避けようとする。


 だが、遅い。


 鎌の縁がぬるぬる坊主の“腕”をかすめただけで、

 ぬたっとした液体が飛び散り、路地の壁に貼りつく。


「ギ、……ィ……!」


 声とも音ともつかない悲鳴。


 少女は一歩踏み込むたびに、影に溶けるように姿を揺らし、

 重さのない動きで鎌を振る。


 ぬるぬる坊主は路地を這い回り、ハルの足を離すと、奥へ逃げ込もうとする。


「逃がさないよ」


 少女は囁いた。


 バナナの香りがふっと強くなる。

 その香りが触れた瞬間、ぬるぬる坊主は全身を縮こまらせるように震えた。


 少女は素早く駆け、鎌の柄の部分でぬるぬる坊主の“頭”を叩きつけた。


 ——ドンッ。


 衝撃でぬるぬる坊主は壁に激突し、その形を保てずに床へぐじゅりと崩れ落ちる。

 影が薄れ、体が溶けるように小さくなっていく。


「今日はここまで。もう出てこないよ」


 少女は淡々と言うと、鎌を肩に担ぐ。

 バナナの香りが路地に満ち、ぬるぬる坊主の残滓は霧のように消えていった。


 ハルは震える足を必死に支えて立ち上がった。


「あ、あの……!」


 少女を呼び止めようとすると、

 彼女はふっと振り返り、声だけが近く響く。


「こんなところ来ちゃだめだよ。今日は……たまたま間に合っただけ」


「たまたま……?」


「うん。運がよかっただけ。

 じゃあね、ハルくん」


 名前を呼ばれた瞬間、ハルは息を呑んだ。

 聞いたことのない声。見たことのない少女。

 なのに、自分の名前を知っている。


 少女は影の中へと消えていく。

 その身体が薄れていき、最後にふわりと甘い香りだけが残った。


 気が付くとハルは、路地の入り口の地面に座り込んでいた。

 スマホは手の中にあるのに、写真を撮った記憶はない。

 少女の顔も、よく思い出せない。

 ただ、バナナの香りだけが胸に残っている。


「……たすけて、くれた?」


 呟いても風は答えず、夜の静けさだけが戻っていた。

翌朝。


 ハルは学校へ向かう道を歩きながら、胸元を何度も嗅いだ。

 昨日の夜にまとわりついた甘い香りは、もう完全に消えてしまっていた。


(ほんとに……夢じゃないよな)


 足に残る鈍い痛みだけが、昨夜の出来事を証明していた。

 けれど、思い出そうとすると、頭がぼんやりする。

 あの少女の顔も声も、輪郭がぐにゃりと歪んでしまう。


(誰だったんだ……?)


 教室に入ると、さっそく友達が集まってきた。


「おいハル! 昨日どうだったよ!」

「写真は? ちゃんと撮った?」

「お前、本当に行ったんだろうな?」


 通学路のざわめきよりも大きな声。

 ハルは慌ててスマホを取り出した。


 カメラロールを開く。


 ——写真は、一枚もなかった。


「……あれ? 撮ったはずなのに……」


「うわ、やっぱ行ってねーんだろ」

「ビビって帰ったんじゃね?」


「違うって! 本当に行ったんだよ!」


 ハルは思わず声を荒げた。

 昨夜の恐怖が蘇るように胸がざわつく。


「じゃあ、何があったんだよ?」


「それは……」


 言葉がつまる。

 ぬるぬるした怪物。

 足を掴んだ触手。

 そして、バナナの匂いと少女——。


 思い出そうとしても、頭の奥が霧に包まれたように霞んでしまう。


(言えない……っていうか……思い出せない……)


 そんなハルの反応を見て、周りの子たちは俄然興味を持ち始めた。


「なにそれ、マジで何かあったんじゃね?」

「え、ハルの顔が本気じゃん」

「やっぱ“あの噂”マジだったんだ!」


 ざわ……ざわ……。


 クラスの空気が変わる。

 誰かが口を開いた。


「昨日さ、別の班のヤツらが言ってたんだけど——」


 皆が息を呑んで耳を傾ける。


「バナナの匂いのあとに、“笑ってる女の子の影”を見たって」


「え……?」


 ハルは心臓が跳ね上がるのを感じた。


「その影が通ったあと、近くにあった看板の裏に……

 “変な液体”がべっとりついてたってよ」


 その瞬間、クラスの空気がひやりと冷えた。

 子どもたちの背筋に、ぞくっと電気が走る。


「じゃあ……本当に何かいるのか?」


「きのうのハルの話とつながってね? 液体とか」


「なあ、それさ……

 バナナじょって名前で広まってんだって」


 新しい呼び名が、子どもたちの口から自然と生まれる。


「影だけ見える謎の女の子」

「ぬるぬる坊主を倒した」

「困ってる子どもを助けにくる」

「けど、顔は誰も覚えてない」


 ハルは唇を噛む。


(違う……“バナナ女”なんかじゃない……)


 でも、言葉にできない。

 あの少女の存在が、名前すら、思い出と一緒に薄れていく。


 黒板の前、休み時間のざわめき。

 さっき生まれたばかりの噂が、どんどん独り歩きしていく。


子どもたちが「バナナ女」の噂で騒ぎ立てていたその頃、

 町の外れの廃ビルの屋上に、ひとりの少女が立っていた。


 風がそっと髪を揺らし、

 銀の鎌が月の光を薄く反射する。


 ——さっちゃんだ。


 眼下には賑やかな夕方の町。

 しかし彼女の視線は、そのはるか奥。

 暗がりが濃くなるエリアへと向けられていた。


「……近い」


 短い言葉。

 路地裏を漂う気配に、さっちゃんの眉がわずかに寄る。


 ぬるぬる坊主など、彼女からすれば児戯同然。

 あれは、町にうごめく“噂の破片”にすぎない。


 けれど、いま感じるこの冷たい空気は違う。

 肌に触れた瞬間、薄く切り裂かれたような鋭さがあった。


 ひゅう、と夜風が吹く。

 遠くで犬が吠える。

 その声が急に途切れた。


「また……一つ、消えた」


 さっちゃんは屋上の柵に手をかけた。

 目を閉じ、深く息を吸う。


 鼻先をかすめるのは、鉄の匂い。

 乾いた血のような、古びた金属のような——

 そんな冷たく刺す匂い。


(間違いない……“あれ”が動いてる)


 さっちゃんは静かに鎌を握りしめた。


 口裂け女。


 他の怪異とは生まれ方が違う。

 噂が勝手に歩き出したのではなく、

 人の恐怖そのものが身体を持った“本物の闇”。


 ただの都市伝説ではない。

 町の噂を喰い、力を増していく存在。


「早く見つけないと……」


 さっちゃんの表情は、いつになく硬い。

 彼女ほどの怪異狩りが、眉をひそめるほどの相手。


 そのとき——


 町の中央、商店街の裏あたりで、何かが“割れるように”音を立てた。


 ぱん。


 風船の弾ける音のようで、

 けれど、それよりずっと重くて嫌な手触りの音。


 さっちゃんはすぐに反応し、屋上の縁へと跳ぶ。

 影に足を滑り込ませると、その姿は闇へ溶けるようにして消えた。


 最後にふわりと漂う、甘いバナナの香りだけを残して。


 ——町では今日も噂が生まれる。


 だが、誰も知らない。


 本当の脅威は、もうすぐそこまで来ていることを。

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