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狂気の魔法  作者: 波方 真季


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第60話 最高の女


焼け付くような胸の昂りに激しく突き動かされながら、彼女のすべてを奪い尽くすように、部屋の気温を一気に引き上げていく。


ゆりの瞳が愛に溶け、うわ言のように繰り返す。


心の深みに触れるたび、ゆりの声が震え、指先がシーツを掴んだ。


その胸の奥で小さな震えが広がり、微かな拍動が重なっていく。

司はその表情を確かめるように、ゆりの髪を掻き分けて頬に触れた。


途切れ途切れの呼吸の中、込み上げる想いに反応するように跳ね上がり、涙を零して司を見上げる。

目の前の彼女が、何度も何度も限界を超えていく様子を、司はまるで壊れゆく神像を抱くかのように、丁寧に味わっていた。


なんて素晴らしい、この極上の表情。


ゆりはやっぱり誰よりも最高の女だ。

顔も身体も、表情も仕草も、何もかも全てが容赦なく骨の髄まで虜にさせてくる。


この数年間、他の女を抱く機会もあった。

けれど、どんな美女や、どんな艶やかな女を抱いても、ゆりの良さを越える者には一度も出会えなかった。


いや、数年の話しじゃない。

過去の人生数えきれないほど経験した日本人や欧米人の女達、全てを並べたとしてもゆりは圧倒的異質で群を抜く。


外見の幼さや素朴さ奥ゆかしさからは想像もつかないような、深く妖艶な表情やその甘い所作。


若さ弾ける張りに満ちていた身体には、艶やかさに磨きが掛かり、その少女のような輪郭の内側に潜む、燃え尽きるほどの魔性の魅力に魂ごと吸い上げられるよう。


支配者のゆりも、従順なゆりも、その両方が、同じくらい抗えない。

抜け出せない程に沼らせる。


自分の頭がおかしくなり、過ちを犯してしまった過去に寄り添いたくなってしまう程、狂い、病み、正気を失ってしまう理由に納得する。




この女は、人を狂わせる。




蓮も自分も。

最初に手を伸ばしたのは確かに自分達であり、加害者だった。




だけど今となっては……




もはや、堕とされた側の被害者だ。





何度も繰り返される衝動に、ゆりの意識は真っ白に塗り潰された。

壊れた人形のように焦点を失った瞳。

垂れ下がった目尻からは涙が溢れ、ゆりは縋るように司へゆっくり腕を伸ばした。


「…蓮…もっと….…来て……あぁ…蓮………」


夢の中にいるように、燃え盛る愛の熱に溶けていくその顔は、まるで現実を超えた幻。

その陶然とした表情が、司の胸を鋭く射抜いた。


司の脳裏に、あの映像の断片が閃光のように蘇る。


(蓮っ…抱っこ…ちゅ…ちゅーして…蓮っ…)


蓮に抱きしめられ、何度も縋りつきながら、狂おしいほどに愛を求めていたあの姿。

司はそれを思い出した瞬間、身体の奥で何かが爆ぜる。


狂ったように震えているゆりの映像に何度心を奪われたか。

何度脳内で、蓮の姿に自分を重ねて己の昂りを慰めたか。


その瞬間。

蓮の魂が、司の身体へ降りて、憑依する。


両腕を伸ばして、求めるように誘うゆりの仕草に導かれ、司は吸い込まれるようにその腕の中へ沈んでいき、その身体をぎゅっと抱きしめた。

指輪が輝くゆりの左手に、自分の右手を重ねて指を絡める。


司は、ゆりの呼吸に合わさるようにゆっくりと揺れる。

ふたりの温もりが触れ合うたび、胸の深いところで熱が絡みながらまるで嚥下しているように司を飲み込んで、奈落へと引き込み包み込んでいく。

離れたくても離れられない。

引き返せなくなるほど、絶対に離すまいと強くしがみつくような熱に、理性が溶かされていった。


ジワジワと腹の底から、感情の臨界が喉元まで這い上がる。


「…ゆり…はぁ……愛してるよ……あぁ…」


遠のく意識の中で、司はゆりの耳元に唇を寄せて、その言葉を熱い吐息とともに流し込んだ。

ゆりは左手に絡められた指をぎゅっと握り返し、司へ必死でしがみつく。


「…はぁ…愛してる…あぁ…蓮……愛してる…」


溶け合う言葉。

錯覚の中で交わるふたつの名が、どちらの現実にも属さない愛の形を描いていく。




愛で満たされた幸福感より気持ち良いものはない。

愛はどんな麻薬よりも、最高の媚薬。




耳元に顔を埋めたままの司へゆりはそっと横を向く。

求めるように頬へと触れた唇に、司はすぐに応じた。

唇が重なり、息が溶け合うと、司は頭を持ち上げて正面から唇を落とした。


愛の色でいっぱいの溶けきった瞳が心を軋むほど揺さぶる。


押し当てられる唇と吐息の合間に、途切れ途切れの愛の言葉が零れる。

二人はお互いに、熱い視線を絡めながら愛を囁き合う。


蓮に魂を奪われた司が、意識の彼方で叫んでいる。


悔しい。

悔しい。

悔しい。


快楽にこれだけ抗えなくさせても、その心には蓮しかいない。

煮えたぎる嫉妬と屈辱が、瞬く間に奇妙な恍惚へと変わっていく。


こんなにも、この上ない最高の屈辱感は………




尋常ではないほど癖になる。




まるで、罰として与えられた快楽そのもののように。


司は、屈辱と高揚の境界で身体を震わせながら、その感情の奔流に押され、やがて緩やかに力を失った。






二人の長い深呼吸だけが、まだ熱を帯びた空気を優しく包み込んでいく。

外の世界の音が、遠くかすんで消えていった。


暫くの静寂。

ゆりの胸の上下に合わせて、司の体温もゆっくりと落ち着いていく。


「…………いや……」


ぽつりと、ゆりが呟いた。

その声は、抗うようでもあり、切実な願いのようでもあった。


司が顔を上げる間もなく、ゆりはその身体を押しのけ、反転するようにして自ら上体を起こした。

そしてそのまま、司の胸の上に覆いかぶさるように手をつき、彼を押し倒す。


ゆりは一度確かめるように、微かに鼓動している司の熱を視線で追い、そっと二人を隔てる境界から解き放ち、唇を寄せていった。


「…いや……もっと……お願い…蓮…………」


何度も何度も、自分の中で力を失っていった蓮の感触を恐れるように、ゆりは司の熱へ縋った。


今にも泣きそうな顔で、切なさを滲ませながら必死に繋ぎ止めるように司を包み込む。


そんなゆりの姿に、異常なまでの執着心を司は感じた。




可哀想に……




抗うことはせず、哀れみと温もりを込めて、ゆりの頭を優しくそっと撫でる。


ゆりの心の赴くままに、全てに寄り添い包み込むように、司は静かに身を委ねた。


ゆりの唇が、懸命に熱を求める。

その想いに、司はたちまち昂りを取り戻していく。


司の呼吸が徐々に荒くなり、声の端が熱を含み始める。

ゆりの頬にもほんのりと薄紅が差し、先ほどまで泣きそうだった目尻が、蕩けるように垂れ下がっていった。


ゆりは顔を上げ、熱に浮かされたように司の胸元へと唇を寄せる。


身体の奥が熱を帯び、司は再び天井を仰ぐように昂る。

その様を見ながら、ゆりはうっとりと瞳を細め、熱い吐息を胸へとかけた。


司の胸に唇を寄せながら、片手はそっとベッドの脇に投げ出されているものを探り当てる。

もう一方の手は、なおも司の熱を離さず、鼓動に縋るように包み込んでいた。


微かな音が空気を切り、その指先が二人の隔たりの境界を整えようするその仕草に導かれるように、司は両手をゆりの手に重ねた。


境界を引き終えると、司はゆりの肩をガシッと掴んだ。

次の瞬間、胸元から押しのけるように身体を起こし、そのまま背を向けさせて、主導権を取り戻すようにゆりをベッドへと導いた。


「……ゆりは………大好きで仕方ないんだなぁ…」


ゆりの背中に、司の影が重なる。


「………早く…お願い……」


全身に感じる司の熱の圧に、ゆりの欲望が再び競り上がり、肩を震わせながら頭を項垂れ懇願する。


「…お前は本当に…強欲な女だな…!」


挑発めいた声と共に次の瞬間──


想いと想いがぶつかり、弾ける空気が張り詰めたまま揺れ、熱が混じる息遣いが交わり合う。

理性を手放し、ふたりはまた深く堕ちていく。


ゆりの身体が細かく震え始める。

その震えが司の全身を駆け巡り、理性をひとつずつ、静かに削っていく。


ゆりは身体を支える全身の力が抜け落ちるように頭をベッドへ沈め、まるで抗えないようにその渦へと身を委ねていた。


ゆりの意識は、もはや時間の流れを正確に掴めない。

何度も波のように押し寄せる感覚に、思考は削ぎ落とされ、残ったのは「縋る」という衝動だけだった。


ゆりが目の前で崩れていくその光景は、司に全てを掌握した気分をもたらせた。

司の胸に陶酔を伴い、呼吸の間隔すら狂わせた。


「…っは…どうしたんだよ……ゆり……っ起き上がる事も出来ないか…!」


司はゆりの腕を掴み寄せた。

ベッドに沈むゆりの肩を持ち上げると、ぐっとその背中へ距離を詰めた。

その震えが、まるで支配の証明のように司の胸を高鳴らせた。


彼女が壊れていくたび、司の内側では、長年抱え続けた屈辱と執着が甘美な陶酔へと姿を変えていく。


ゆりは、自分が何度も崩され、それでもなお「足りない」と縋っていることに気づきながら、止まる術を完全に失っていた。


司は、その崩れゆく様を一瞬たりとも見逃さなかった。

揺らぐ呼吸、力を失った視線、何度も限界を越えてなお、なお求めるその在り方。


熱を帯びた呼吸が交錯し、ゆりの身体が宙に浮くように揺れた。

二人の快楽に溺れる声は熱く部屋に響きわたる。


ゆりは朦朧とした意識のまま、司を探すように顔を上げた。

その瞳が合った瞬間、二人の呼吸が絡み合う。

司は首を傾け、唇を重ねた。

熱を求めるように、互いの息を奪い合う。

すでにどちらの熱なのか境界は曖昧で、意識の輪郭がぼやけていくほど、二人は深く、終わりのない快楽へと沈んでいく。





二人の熱は一晩中溶け合った。





遠くの空から薄明かりが差し始めた頃には、ベッド脇に投げ出されっぱなしの箱の中身は、静かにその半分を失っていた。




その後二人はそれぞれ一旦自宅へと戻り、何事もなかったかのような顔で、それぞれの職場へと向かった。









夕刻。

現場仕事を引き上げたゆりは、事務所で欠伸をしながらパソコンに向かっていた。

薄く充血した目を擦りながら、淡々と報告書を打ち込む。

すると、ふわりと香るコーヒーの匂い。

ふいに背後から伸びてきた手が、そっとホットコーヒーをデスクに置いた。


「……桐生さん」


振り返ると、そこにはスーツ姿の司が立っていた。

ネクタイを少し緩め、どこか柔らかな表情でゆりを見下ろしている。


「今日は早く帰宅して….ゆっくり休んで下さい」


その穏やかな声音が、ゆりの心の奥をふっと撫でた。

昨夜の熱とはまた違う、静かなぬくもりが満ちていく。


「……………そうですか…」


ゆりはふと視線を落とし、ぽつりと呟く。


「……?」


含みのあるゆりの呟きに司は首を傾げた。


「かしこまりました。今日は大人しく、“帰宅して休みます”」


冗談なのか本気なのか、今夜も一緒に過ごそうとしていたかのような物言いに、司は思わず苦笑した。


「ところで桐生統括。」


ゆりは椅子をくるっと横に向けながら、わざとらしく整えられたビジネス口調の声色で続けた。


「代表が明後日、ロンドンから帰国しますが…」


片手をデスクに添えたまま、口元だけ僅かに笑みを浮かべながら司を斜めに見上げた。


「明日、統括のスケジュールはどうなってますか?」


ビシッとジャケットを纏い、清楚な佇まいのゆりから飛び出した意表を突く言葉に、司の胸は一瞬弾んだ。

そのゆりの表情には、どこか艶めいた余韻が、まだ微かに残っている。


司は胸の高鳴りを隠すように、ゆっくりと姿勢を正す。


「……後ほどメールします。」


短く告げて司は振り返ると、欠伸を噛み殺しながら夜の疲労の名残をほんのりと滲ませ、その場を後にした。





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