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狂気の魔法  作者: 波方 真季


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第57話 ドリームシープ


それからゆりは、その後も何度か電話越しで司に凍える心を温められた。


普段会社で顔を合わせても、二人は何事もないかのように涼しい顔で接する。

冷静な表情で言葉を交わし、周囲には決して悟らせない。

しかし一瞬の視線の交錯に、その脳裏にはいつでも画面越しに映る相手の甘く危険な影が付き纏う。

ほんの一拍遅れてくる視線の熱に、心臓の鼓動が狂い始める。

何食わぬ顔ですれ違うだけでも、身体の奥が反応して全身を熱くさせてしまう。


その異様な関係は、互いの欲望を日に日に増大させていく。


蓮の心を守るため、ゆりが必死で抑え込み続けてきた熱は、静まるどころかさらに日常までも蝕み始める。

心も体も、抑えきれないほど渇いていく。


本当に、蓮としたい。

蓮と、実際に本物で繋がりたくて堪らない。




繋がりたい繋がりたい繋がりたい。




狂いそうな程の止まらない欲望に、ゆりは全身を覆いつくされ、日に日に追い詰められていった。

その願いが罪であることを知りながら、ゆりはもう止められなかった。







そして、蓮がロンドン出張へと旅立つ前夜。


これから一週間も蓮と会えなくなる。

それは、想像していた以上に、ゆりの心をえぐった。

胸の奥にぽっかりと穴が空いたような寂しさ。

会えない、触れられない、声も聞けない。

ただそれだけのはずなのに、息が詰まるほどに苦しい。


それなのにどうして、彼の温もりを感じられないんだろう。

こんなにすぐに、一番側にいるのに。


近くにいるのに、もの凄く遠い。


手を伸ばせば触れられるはずなのに、なぜか届かない。

まるで、どこか遠い世界の人みたい。


ゆりは一人きりのベッドで、凍えそうな身体を自らの腕で抱きしめた。


せめて、彼の体温を感じるだけでも許されないだろうか。

彼の香りに包まれながら、彼の腕の中の温もりを焼き付けたい。


このまま会えない日々が続いたら、心が凍ってしまいそう。


ゆりは、ゆっくりとベッドから起き上がる。

蓮を求める身体は、自らの意識とは無関係に動き出して、そのままそっと寝室を出ていく。

思考ではなく、魂の奥底から、「会いたい」「触れたい」「繋がりたい」という願いが身体を動かしていた。

何かに取り憑かれるかのように、廊下へ歩みを進め、向かう先は蓮の寝室だった。


この夜。

彼の腕の中に包まれることができたなら、たとえ明日、どれだけ遠くへ離れても。

自分の心は、きっと壊れずにいられると思った。


カチャ…。


静かに蓮の寝室の扉を少しだけ開けると、ベッドの中で休んでいた彼が、すぐに顔をこちらへ向けた。


「…ゆり?」


名を呼ばれた瞬間、ゆりの喉の奥がつんと痛くなる。

ゆっくりと扉を開ききりながら、か細い声で呟いた。


「………寂しい…」


その言葉に、蓮は小さく息を呑んだ。

そして困ったように、けれどたまらなく優しい笑みを浮かべると、

そっと両腕を広げてくれた。


その瞬間、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。

ゆりはもう、迷うことなくその腕の中へと飛び込んだ。


「……俺も……すごく寂しい。」


囁くような低い声が、ゆりの耳元で震える。

蓮は、全身で彼女を包み込むようにきつく抱きしめた。

何度も頭を撫で、頬を寄せ、あふれるほどの愛情を言葉ではなく温もりで伝えてくれる。


ゆりは、蓮の胸に顔を埋めたまま、彼の心音と体温にじんわりと満たされながら、唇を震わせた。


「……行かないで……蓮……」


掠れた声がようやく零れると、喉の奥から熱いものがせり上がってきて、瞳に涙が滲んだ。


そんな彼女の髪に、蓮はそっとキスを落としながら、愛しさが隠しきれない声で言った。


「……ゆりを小っちゃくして……ポケットに入れていきたいよ………」


ぴったりと重なった二人の身体は、どこにも隙間がなかった。

たとえ明日から遠く離れるとしてもこの瞬間、二人の愛はすべて詰まっていた。


今夜なら。

蓮は、少しは受け入れてくれるのではないだろうか。


こんなに愛し合っている。

こんなに、離れる事を惜しみ合っているのに。

それでもずっと、触れ合うことは許されなかった。


今であれば。

ほんの少しだけでも。


一瞬だけでも、蓮と繋がれるのではないだろうか。


ゆりは、彼の胸に埋めていた顔をそっと上げた。

潤んだ瞳のまま、まっすぐに蓮を見つめ、震える手でそっと蓮の頬に触れる。


そして、迷うことなく唇を寄せていく。


蓮もまた、ゆりの気持ちに吸い寄せられるように目を閉じ、そのまま静かに唇を重ねた。



触れた瞬間、ふたりの世界が優しく震えた。



音も言葉もない、ただ唇と唇の温もりだけが交差する静かなキス。

けれどそれは、今まで交わしてきたどのキスよりも深く、重く、切なかった。


次の瞬間、蓮の唇が静かに離れた。

名残惜しさを押し殺すように、そっと距離を置く。

そしてゆりを再び抱き寄せると、一度だけ、柔らかな髪に静かにキスを落とした。


蓮の指先が、ゆっくりと彼女の頭を撫でる。

愛おしさと、どこか諦めのような哀しさを含んだ動きで。


まるでなだめるように。

まるで誤魔化すように。


心を騙して、触れなかったことにするかのように。


そうやって、優しく愛を注いで。

そうやって、何も言わず、何も望まず、只々私を抱きしめて。

そうやって、あまりにも優しすぎて、また好きにさせて。


また私を惹かれてさせて。

また私を期待させて。

また私の心を苦しめる。


寂しい。

こんなにも密着しているのに、どうしてこんなに遠いの。


彼の心はすぐそこにあるのに、その熱は、私の奥底までは届かない。


蓮の腕の中で、体温に包まれているはずなのに、凍えるように冷たくて。

満たされているはずなのに、心の奥底で何かが渇いている。


もっと、もっと近くに行きたい。

触れ合うだけじゃなく、混ざり合って、溶けて、境界のない場所でひとつになりたい。


煮えたぎるほどの熱で、私の冷え切った奥を溶かしてほしい。

蓮の全部で、私の全部を、焼き尽くしてほしい。

じゃないと、この寂しさは消えない。


どんなに愛を囁かれても、どんなに優しいキスを重ねられても、私の渇きは癒えないままで。




今夜は、きっと違うと信じたいのに。




蓮の背中へと回していたゆりの手は、そっとシャツの裾へと指を滑り込ませる。

直接、体温に触れたくて。

もっと近く、もっと深く、もっと強く、彼の熱をこの手のひらで感じたくて、求めるように背中を這わせた。


「……っ」


蓮は静かに眉を寄せた。

数秒の沈黙。

その間、蓮は何も言わず、ただじっと耐えるように動かなかった。


けれど、やがてそっと手を伸ばすと、ゆりの腕にに優しく触れ、迷いを抱えながらその動きを静かに止めた。




そして、何も言葉を発さないまま──


ゆりの腕を、ゆっくりと背中から引き抜いた。





ただ、そっと優しさで包み込むような動作だった。




嫌だ。

嫌だ、嫌だ、嫌だ。


触れたくて仕方がないのに。

優しい愛で包み込まれるだけじゃ、もう足りない。


身体の奥から、内側から、深くまで、蓮の愛を感じたい。


もっと強く、もっと激しい愛で私を求めてよ。


あんなふうに、何度も言ってくれた。

「可愛い」って。

「堪らない」って。

「最高」って。


嘲笑いながら、私の貞操心を壊したくせに。

強引な愛で、私を攫ったくせに。

ずっと私を好きなようにして、こんなに私にさせたくせに。


あの頃みたいに、悶えるように、私の可愛さに震えてよ。

あの頃みたいに、理性を吹き飛ばしながら、どうしようもなくだらしなく、私の全てに、狂うほどに溺れてよ。


獣のように自分を貪る蓮の姿がフラッシュバックする。

頭の中の蓮が、獲物に喰らいつくかのように自分を求めた記憶が全身を覆い尽くす。


ゆりは、胸の奥を焼き尽くすような衝動に突き動かされるまま、その場で仰向けになった。

そして、蓮の腕をそっと掴む。


震える両手で、彼の手を導くように持ち上げ、自分の最も奥深い痛みへと、その温もりを静かに引き寄せた。


「……はぁ……はぁ………蓮………お願い……」


震える声が、夜の静寂を切り裂くように響いた。

潤んだ瞳で、ゆりは蓮を見上げた。

その目には、理性と本能の境界が薄れていく危うさが滲んでいる。


懇願するように、ゆりは震える手を伸ばし、蓮の指先へ自分の指を重ねた。


そして、熱を求め限界まで枯渇した苦しみに、祈るように自らの力を込めた。


お願い。

どうか、一度だけでいい。

今夜だけ。


でなれば私は。





取り返しのつかない過ちを犯してしまう。




「…ゆり……お前………」


次の瞬間、蓮の低く落ちた声が、ゆりの耳元に落ちてきた。







「自分の寝室に戻れ」






その言葉に、呼吸が一瞬にして止まった。



何が起きたのか理解するよりも先に、ゆりの瞳が丸く見開かれる。


頭の中が、真っ白になった。


脳裏にあった全ての感情と期待が、一気に音を立てて崩れていく。


目の奥で震えるように揺れた瞳は、次の瞬間、涙に滲んだ。


自分を見下ろす蓮の顔は、怒っているわけでも、責めているわけでもなかった。


ただ、酷く苦しそうで、どうしようもなく悲しい顔をしていた。


優しさの仮面をかぶった拒絶が、ゆりの胸を深く深く切り裂いた。





────────。





蓮は、怖かった。




ゆりの手が、自分のシャツの裾から滑り込んで、背中を這い始めたその瞬間。

胸の奥底から、ざわざわと這い上がるような、不穏なざわめきに包まれた。


理性と本能、心と身体が、同時に激しく軋み合う。


なのに、それでも。

それでもなお、ゆりのことが堪らなく愛しかった。


蓮は、祈るようにその華奢な身体を、両腕にぎゅっと抱きしめた。


どうか、この腕の中で、彼女をずっと感じ続けさせてほしい。


どうか、この温もりが壊れませんように。

どうか、彼女の涙が、熱が、揺らいでしまいませんように。



頼むから。

止まれ。

止まれ。

止まってくれ。



どうかこのまま、ずっと一緒に側にいて。

ゆりの側で、朝を迎えさせて欲しい。


蓮は、祈るような思いで、ゆりの背中に添えられた手を、そっと引き離した。





だけど、神様は。

俺の願いなんて。

1ミリも聞こうとはしてくれなかった。






「……はぁ……はぁ………蓮………お願い……」




ズシンッと胸の奥に、重たくのし掛かる錘のような感覚が、蓮の心臓を押し潰す。


赤く染まった頬、垂れた目尻、熱を孕んだ吐息。

潤んだ瞳で縋るように見上げてくる、ゆりの顔。


本当に、とてつもなく──

どうしようもないほどに。




なんて可哀想なんだ。




こんなにも苦しそうで。

こんなにも辛そうで。


この先へ進めば、またきっと、彼女をひどく傷つけてしまう。


蓮は、ゆりが力無い自分に唇を寄せて、縋るように見つめて一生懸命、泣きそうに、切なそうに、苦しそうに、その身体を震わせる姿が瞼に浮かぶ。


あんなにも渇望して、苦しげに求めている状態で、あれほどまでに欲しがるゆりの姿に対して、傍観したまま、何も与えてやらずに飢餓させる。




誰が、どうして、そんな残酷な事が出来るのか。




なんて不憫な。

なんて可哀想な。

なんて哀れな。




こんなに愛しい人に、そんな辛い仕打ち、俺には絶対に出来ない。




「…ゆり……お前………」



ごめん。

ゆり、本当にごめん。

お前を、心の底から、誰よりも愛してる。





出来る事なら、ゆりと朝まで一緒に過ごしていたかったよ。






「自分の寝室に戻れ」






その言葉が、空気を裂いた瞬間だった。


ゆりの顔から、スッと熱が引いていくのがわかった。

頬を染めていた赤みも、潤んで揺れていた瞳の光も、みるみるうちに色を失っていく。


そして、蓮を見つめていたはずのその視線は、ほんの僅かに逸れて、何かを諦めるように、静かに天井へと向けられた。


「……ごめんなさい…」


掠れた声で、かろうじて発されたその言葉は、無表情のままの顔に似つかわしくなく、あまりにも小さく、あまりにも切なく、消えるように宙へ溶けていった。


蓮はただ、動けなかった。

何も返せないまま、ただ一点を見つめているだけだった。


ゆりは静かにベッドを降りると、何も言わず寝室の出口へ向かい、そのまま扉を開けて暗い廊下の中へ、すっと姿を消した。







ボンッと自分のベッドに身を投げて、枕に顔を埋めた瞬間に、ゆりの堪えていた涙が一気に流れ出た。


また私は自分に負けた。

また私は蓮を傷つけた。


あんなに傷ついた顔をするなんて。

あんなに辛そうな顔で、苦しそうに私を見て…




私に…触れる事すらしてくれないんだね……




信じることが、いつからこんなにも痛くなったんだろう。

願い続けることが、どうしてこんなにも残酷なんだろう。


もう無理なんだ。


そんな状態で、どう頑張ったところで、蓮と繋がれる日がいつか訪れるなんて事はありえない。


信じていても、どうする事も出来ない事なんて、この世の中には沢山ある。


願い続ける事が、耐えられなくなる事だって当然ある。


きっと、これは、そうゆう事なんだ。

神様が、そっと教えてくれたんだ。


ゆりはこの夜、静かに悟った。

もう一生、このまま二度と──




蓮とひとつになることは、叶わないのだと。








そして蓮は、朝一のロンドン行きの便に乗るため、まだ夜が明けきらない薄明のなか、静かにスーツに袖を通し、身なりを整えていた。


すると、廊下から聞き慣れた軽やかな足音が近づいてくるのが聞こえた。


思わず顔を向けると、そこには眠たげな表情のまま、ゆっくりと歩いてくるゆりの姿があった。


「おはよう。もうすぐ出るよ」


そう言いながら、蓮はいつものように自然と両手を広げる。

まるでそれが当たり前かのように、ゆりをその胸に迎える準備をする仕草。

そしてゆりも、迷うことなく蓮の胸元に飛び込み、その背に腕を回して、ぎゅっと抱きしめ返した。


「……わかってる。だから起きたの」


静かな声だったけれど、その言葉には、眠気よりも強い想いが滲んでいた。


抱きしめ合った二人のまま、蓮の胸の奥から苦しげな声が零れとされた。


「…ごめん…昨日…一緒に寝てやれなくて」


その言葉に、ゆりは小さく首を振る。

胸に顔を埋めたまま、震える声で答えた。


「ううん。約束を破ったのは私だから…ごめんね…」


どちらも、何も悪い事なんてしてないのに。

お互い誰よりも大切なのに。

心の底から愛し合ってるのに。


どうして抱きしめ合いながら、こんなにも傷ついた表情で、いつも謝り合わなきゃいけないんだろう。


「あ、そうだ……これ。」


ゆりはそっと蓮の胸から離れると、片腕に下げてきた小さなパークのショップ袋を開いた。


中から取り出したのは、手のひらサイズの「ドリームシープ」のぬいぐるみ。


ストーリーテイルパークの人気キャラクター、旅立つ大切な人へ贈る、夢の中で想いを運ぶあの夢羊だった。


「私は小っちゃくなれないから、蓮のポケットには入れないけど…蓮が寂しくないように、この子を私だと思ってね。」


その優しい笑顔に、蓮の胸が熱くなる。

ドリームシープを受け取った瞬間、こみ上げるものを抑えきれず、蓮は目を閉じて、ドリームシープの口元にそっとキスを落とした。


「そんなの…一週間で100回以上ちゅーしちゃうな」


「やだ、嫉妬しちゃうっ」


「じゃあ帰ってきたその日に、ゆりには1000回ちゅーする。」


その言葉を聞いた瞬間、サッとゆりは蓮の首へ腕を回した。


「今してよ」


眉を寄せて、少し拗ねたように、

でもまっすぐに蓮を見つめながら。


その瞬間、二人の距離は音もなく縮まり、蓮の唇は、ゆりの唇に──ちゅ、ちゅー……と深く触れた。





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