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狂気の魔法  作者: 波方 真季


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第47話 罪と天罰


翌日、二人は早速それぞれの親へと連絡を入れた。


蓮は、まず蘭子に電話をかけて、ゆりにプロポーズをしたことを報告した。

電話口での蘭子の喜びようはひとしおで、本家にて親族らへの顔合わせの段取りが組まれる運びとなった。


そしていよいよ、次はゆりの父親へ。


「………なんか緊張するな…」


スマホの画面を見つめながら、ゆりの掌はじっとりと汗ばむ。


幼い頃に母を亡くし、それからは父一人子一人で生きてきた。

男手ひとつで、愛情深く自分を育ててくれた父。

そんな父に、結婚の報告をしたらどんな反応を見せるだろう。

胸の鼓動がいやに大きく響いた。


「こーゆうのは勢いでいくんだよ、勢いで」


隣の蓮が、あっけらかんと背中を押すように言う。

その言葉に勇気をもらい、ゆりは深呼吸をひとつして発信ボタンを押した。


父は、いつも通りの声色で電話に出た。

そのあまりに変わらぬ調子が、かえってゆりの胸をぎゅっと締めつけ、緊張を煽った。


「お父さん、あのね…その…お父さんに、ご紹介したい人が…おりまして」


《……………そうか……》


ゆりの一言だけで、父はすべてを察したようだった。

短い沈黙の後、低く掠れた声が返ってくる。


「だから……近いうちに…ご挨拶に伺わせていただきます」


自然と畏まった言葉になってしまう。

父に対して、普段なら決して使わないような丁寧口調。

それほどまでに、この瞬間は特別だった。


《……わかった…》


わずかに震える父の声。

その向こうから、鼻をすする音が確かに聞こえてきた。

涙を堪えながら絞り出すように、父は続ける。


《……お父さんはいつでもいいから…二人の都合の良い時に来なさい》


電話越しに溢れ出る父の感情が、胸にじんわりと伝わってきて、ゆりも思わず涙ぐんだ。

声にならない思いを胸に抱きながら、通話を終えてそっとスマホを置く。


「…どんな感じ?怒ってなかった?」


蓮は涙を浮かべるゆりの表情を覗いて心配そうに聞いた。


「全然…っむしろ…喜んでるっぽかったよ!」


「まじで?よかった!」


安堵と喜びの混じった声を上げると同時に、蓮は勢いよく両腕を広げて彼女を抱き寄せた。

その胸に飛び込むようにしてゆりも笑顔で抱きしめ返す。


二人の心臓の鼓動が重なり合い、未来へ続く道を照らすように響いていた。

これから始まる二人の新しい人生に胸を弾ませ、二人は静かに、けれど確かにその喜びを分かち合った。







それからというもの、二人は毎晩のように重なり合った。


互いを求める熱はいつだって激しく、肌と肌が絡み合えば心もまた強く結ばれていくように思えた。


けれど。

どうして。


胸の奥では溢れんばかりに愛しているのに、絡まり合う熱はいつも最高点に達する直前で、まるで何かに奪われるようにふっと消えてしまう。

残されるのは、甘美な余韻と共に滲む虚無感だった。


「ああ…ぅっ…はぁ………」


ゆりは、蓮を強く引き寄せるように顔を寄せ、その存在を確かめるように優しく包み込んだ。


近すぎる距離。

吐息が混ざり合い、互いの熱だけが、逃げ場を失っていく。


しかし昂ぶりが頂へ近づいたその瞬間。

またしても、全身の力がスーッと抜け落ちていく。

駆け上がるはずの感覚が、途中で断ち切られる。


喉までせり上がっていた声も、吐息も、何もかもが尻すぼみになり、ただ虚ろな余韻だけが身体に残る。


それでも、ゆりは離れなかった。


祈るように、心の底から愛でるように、優しく寄り添うように愛情を注ぎ続けた。


「…くそ…っなん…で………」


掠れた声と共に、蓮の胸の奥をどうしようもない焦燥と自己嫌悪が覆い尽くしていく。

心ではこんなにも求めてるのに、応えられない現実に、ただ自分を責めるしかなかった。


やがて蓮は、完全に力を失った。

ゆりはその唇をそっと離し、潤んだ瞳で彼を見上げる。


「……ゆり…ごめん…っ」


謝罪の言葉は、自分を責める痛みと情けなさに震えていた。


「ううん…私は大丈夫。でも……蓮のことが心配」


ゆりはゆっくりと起き上がり、蓮の頭を優しく撫でる。

その眼差しは愛おしさに満ちていて、責めるどころか、ただ彼を包み込もうとしていた。


その優しさに、蓮の胸は張り裂けそうになる。

思わず彼女を強く抱きしめた。


ゆりが欲しい。

触れたい。

すべてを委ね合いたい。

一緒に辿り着きたい。


毎日、頭の中はゆりでいっぱいなのに。

こんなにも渇望しているのに。


絶対に何かがおかしい。

身体がまるで自分のものではないみたいで、心と身体が切り離されたように、全く思い通りにならない。


「……明日の月一検診で……先生に聞いてみようかな……」


掠れる声でそう呟いた蓮の横顔は、悔しさと不安で陰りを帯びていた。







そして翌日。

蓮の病院の日は、従来通り非番にしているゆりが一緒に付き添った。

二人は月一回の外来リハビリと検診のため、病院を訪れる。


静かな診察室に、医師の落ち着いた声が響いた。




「…射精障害ですね……事故の後遺症でしょう」



その言葉は、蓮の胸にズシンと重たい錘のように落ちてきた。


「……射精……障害………?」


声にならないほど小さく、掠れた声が唇から漏れる。

耳に届いた言葉を何度も頭の中で繰り返しても、現実感が追いつかない。


医師はカルテに視線を落としたまま、言葉を選ぶように少し間を置いた。

そして落ち着いた声で、淡々と、しかし丁寧に続けた。


「……心肺停止の時間があったために、脳に低酸素の影響が出ています。視床下部や下垂体といった、ホルモンや性機能を司る部分がダメージを受けると、性欲や精子をつくる機能、あるいは射精そのものに影響が残ることがあります」


蓮の肩が小さく揺れた。

冷静で理路整然とした説明なのに、その言葉は刃物のように胸の奥を抉った。


「さらに…事故の外傷や長期の臥床によって、骨盤周囲の神経が損傷する場合もあります。勃起の神経と、射精を司る神経は別の経路です。勃起は保たれていても、射精に関わる神経が損傷していると、途中で感覚が抜けてしまい、射精に至れないという現象が起きるのです」


静まり返った診察室に、医師の声だけが落ちていく。

隣に座るゆりは、硬直したままの蓮の横顔を見つめ、息を呑んだ。

その拳がわずかに震えているのを見て、胸の奥が痛んだ。


「……また、長期の入院生活や精神的なストレス、あるいは治療に用いた薬の影響が残っている場合も考えられます。筋力や心肺機能が戻っても、心理的な要因や自律神経の乱れで、途中で力が抜けるように反応が途切れてしまう方もいらっしゃいます」


“途切れてしまう”

その言葉が頭の中で何度も反響する。

それは、まさに自分の身に起きていることだった。


理屈では理解できる。

けれど、男としての誇りを根底から突き崩す説明に、蓮の胸はズキズキと痛みを増していく。


「…どうすれば治るんですか?」


蓮の掠れた声に、医師は静かに頷いた。


「治療については、薬によるホルモン補充、神経機能を助けるためのリハビリや生活指導、場合によっては心理的なアプローチが有効です。ただ…すぐに完全に元通り、というのは難しいかもしれません」


現実を告げる声は決して冷たくはなく、むしろ柔らかく配慮に満ちていた。

けれどその優しささえも、蓮の胸には重く響いた。


俯いたまま、膝の上で拳をぎゅっと握りしめる。

“治らないかもしれない”

頭の中でその言葉がぐるぐると渦巻き、押し潰されそうになる。


「いつかは戻るんですよね?絶対に、一生このままってことは無いですよね……?」


縋るような思いで、蓮は絞り出すように言葉を投げかけた。

その声は震え、掠れていた。


医師は一度ゆっくりと息を整え、カルテから視線を上げて、二人をまっすぐに見つめた。

言葉を選ぶように、静かに続ける。


「……性機能というのは非常に複雑で、脳の指令系統、脊髄や末梢神経、血流、ホルモン分泌、そして精神的な要因まで、複数の仕組みが関わっています。今回のように事故の後遺症で射精に障害が出た場合、一部の方は時間をかけて回復されますが、残念ながら、改善が見られないままの方もいらっしゃいます。」


衝撃的な言葉に、診察室に重たい沈黙が落ちた。

時計の針の音さえ聞こえるような静寂。


蓮の胸の奥に、鋭い痛みが走った。

ゆりは思わず手を握りしめ、俯いた彼の横顔を見つめることしかできなかった。

何か言葉を掛けたかった。

でも、どんな言葉も薄っぺらく感じて、喉の奥で消えた。


沈みゆく空気の中で、医師は声を和らげて続けた。


「…ただ、鳳条さんの年齢や回復力の速さを考えると、希望は十分にあります。ホルモン治療や神経リハビリ、心理的ケアなどを組み合わせて、少しずつ体の反応を取り戻していくことは可能です。焦らず、一緒に取り組んでいきましょう。」


そんな医師の呑気な言葉など、今の蓮の心には微塵も響かなかった。


「俺たち結婚するんですよ!そんなに長い間出来なかったら…ゆりも20代後半なのに…っタイムリミットがあるんです!何とかならないんですか!」


「蓮…っ落ち着いて!」


ゆりが慌ててその手を握る。

蓮の声は震えていた。

焦りと不安が混ざったその叫びは、抑え込んでいた恐怖が溢れ出したようだった。


医師はしばらく黙って蓮の言葉を受け止め、深く頷いた。

そして、真剣な表情のまま穏やかに口を開いた。


「……お気持ちは痛いほどわかります。ですが、医学的に“何とかなる”という即答は難しいのです。」


冷静で、誠実な声。

けれどその響きは、現実の冷たさを突きつけるように重たかった。


「ただ、妊娠を望まれる場合、方法は性交だけに限りません。精子の質や数に問題がなければ、採取して人工授精や体外受精に用いることも可能です。射精障害があっても、医学的に子どもを持つ可能性は残されています。」


「……子どもを……持つ可能性……」


蓮はかすれた声で繰り返した。

希望のような言葉だったのに、その先に続いた説明が、再びその希望を打ち砕いた。


「ただし…事故や心肺停止による影響で、精巣そのものがダメージを受けている可能性も否定できません。血流が途絶えたり、ホルモン分泌を司る脳に障害が残った場合……精子自体が作られていない、ということもあるのです。」


「……っ」


蓮は思わず息を呑んだ。

心臓がひとつ、大きく脈打ったあと、妙に静かになった。


「その場合は、採精しても“空っぽ”という結果になることがあります。ですので、今後は血液検査でホルモンの値を調べ、必要に応じて精巣そのものに精子が存在するかどうかを確認する検査を行っていくことになります。」


医師の声はあくまで冷静で、淡々としていた。

だが、その一言一言が蓮の胸に鋭い杭のように突き刺さっていく。


視界が滲んだ。

それが涙なのか、ただの現実逃避なのか、自分でもわからなかった。

ゆりの手の温もりだけが、唯一、壊れそうな現実の中で蓮をギリギリ支えていた。


「今すぐ調べてください!!」


その声は怒号というよりも、必死な悲鳴に近かった。


医師は一瞬だけ目を伏せ、ゆっくり頷いた。

そして慎重に言葉を選びながら答えた。


「はい…すぐに調べることは可能です。ただし、“すぐに”といってもいくつかのステップがあります。検査そのものは当日中にも始められますが、結果が出るまでには一定の時間を要します。」


カルテをめくる音が、やけに大きく響く。


「まず、血液検査でテストステロン、LH、FSHなどのホルモン値を調べます。これでホルモン分泌系が機能しているかどうかの手がかりを得ます。次に、精巣超音波検査などで精巣や精巣上体の状態を観察し、物理的な損傷がないかを確認します。そして最後に、必要であれば精巣精子採取法などの検査を行い、実際に精子が存在するかどうかを調べることになります。」


そこで一度、医師は言葉を区切った。

わずかに息を整え、ためらうように続ける。


「ただし、その採取検査は局所麻酔や小手術になる場合もあります。リスクは小さいですが、ご本人とご家族に十分説明して、同意を得てから進める形になります。」


「………ふざけんなよ…」


蓮の喉の奥から、低い唸り声が漏れた。

ギリギリのところで保たれていた理性が、音を立てて崩れていく。


「さっきからてめぇは…呑気なことばっか言いやがって……!!」


「蓮、やめて!」


ゆりの声も届かず、椅子を弾き飛ばすように立ち上がる。

蓮の声が診察室に響いた。


「今すぐにやれって言ってんだろ!!やりゃいいんだよ!!そんな説明なんかどうでもいいんだよ!!やれよ…!やれっつってんだよクソジジィ!!!」


「いい加減にして!!蓮っ!!」


ゆりが慌てて立ち上がり、蓮の腕を掴んだ。

暴れ出しそうな勢いの彼の身体を、必死に押さえ込むようにして引き止める。


蓮の胸は上下に波打ち、呼吸が荒く、目の奥には涙が滲んでいた。

怒りというより、絶望の叫びだった。


医師は、静かにその姿を見つめていた。

責めるでも、怯えるでもなく、長年患者の痛みを見てきた者の目で。


「……お気持ちは、わかります。必ず、できる限りのことをします。」


穏やかな声だった。

けれど、それが余計に蓮の胸を締めつけた。


「……っ」


淡々とする医師のその声に、震える拳を握りしめたまま、唇を噛み、視界を歪ませた。

その瞳の奥で、何かが壊れていく音がした。


「……蓮……っもういいから……」


ゆりは蓮の腕を引きずりながら、なんとか診察室の外へと導く。

扉の前で振り返り、深く頭を下げた。


「すみません…今日はこれで失礼します」


そう言って、ゆりはポイッと蓮の背中を押し出すようにして外へ出すと、静かに扉をスライドさせて閉めた。


——カシャン。


その小さな音だけが、診察室に残った。







病院帰りのリムジン車内。


蓮は無言のまま、肘をついて窓の外を見つめていた。

車窓を流れていく街の景色は、いつもよりもずっと遠くに感じる。


「……………」


ただ、呼吸だけが静かに響く。

重たい影が、彼の全身を覆っているようだった。


その空気を振り払うように、ゆりが明るい声を上げた。


「……あっ!ちょっとスーパー寄りたいなっ!」


声のトーンを上げ、わざとらしいくらいの笑顔を作る。


「本家から上質なひき肉が届いたの!だから今日は、蓮の好きなロールキャベツを作ろうかなぁ〜って思って!」


その明るさには、どうか少しでも彼が笑ってくれますように、というそんな想いが滲んでいた。


「え?あぁ……」


ほんの一瞬だけ、蓮が顔を上げる。

だがその声は、どこか遠くから響くような虚ろさを帯びていた。


ピッ。


「スーパー寄って」


そのひと言だけで、車内マイクに淡々と指示を出すと、再び無言で視線を窓の外へ戻す。

そこには、手の届かない距離に閉ざされた背中があった。


ゆりは、そんな蓮の横顔を見つめながら、小さく息を吐いた。

笑顔のまま、そっと両手を膝の上で握りしめる。


これまで、どんなに辛くてもずっと笑顔で彼を支えてきた。

今回も諦めなければ、きっと乗り越えられる。


車がスーパーの前に停まる。

ゆりはドアが開くと同時に笑顔を作り、振り返った。


「すぐに済ませるから、ちょっと待っててね!」


無理に明るく響かせた声。

蓮がわずかに頷くのを確認してから、ゆりは外へ降りた。


——バタン。


ドアが閉じられると同時に、車内は一気に静まり返った。

蓮は無言で前を見据えたまま、拳を強く握る。





これは、天罰だ。


これまで、幾度も女を搾取してきた。

欲望のままに手を伸ばし、心を壊し、何もかも奪ってきた。


ゆりと出会ったあの日もそうだ。

無垢な瞳で見上げてきた彼女に、残酷な仕打ちを与え、深い傷を刻みつけた。


そんな自分が、いけしゃあしゃあと。

彼女と幸せになれるはずがない。


許されるわけが、ない。


非情な手段で散々、快楽を我が物にしてきた自分。

その自分が、今こうして快楽を奪われる。


それは、あまりにも皮肉で、あまりにも見事な制裁だった。


その事実を突きつけられた瞬間。

胸の奥底に押し込めていた後悔が一気に溢れ出した。

焼けるような痛みとともに、積年の罪が押し寄せてくる。


当然の結果。

当然の報復。

当然の天罰。


そう納得しようとすればするほど、ゆりと共に歩むはずだった幸せな未来が、遠く、霞んでいく。


まるで、目の前から光がゆっくりと消えていくようだった。






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