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狂気の魔法  作者: 波方 真季


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第29話 魔法の絨毯


アメリカ滞在も、いよいよ残り僅か。

明日の午後には帰国の便に搭乗しなければならない。

そんな中、ストーリーテイル・パーク・アメリカでの夢のような日々も、ついに最終日を迎えていた。


「今日は風ないから、スターライトウィッシュやりそうだね!!」


胸を弾ませるゆりの声は、夕暮れの空の色に溶けて響く。


「予報できちんと風速チェックしましたから、概ね心配なさそうですよ」


司はゆりを安心させるように穏やかに微笑んだ。


二人は、初日で回りきれなかったアトラクションやショーを一日中巡り、夕暮れ時にはもう十分に遊び尽くしたはずなのに、不思議と疲れよりも名残惜しさが勝っていた。


西の空は茜色から紫へと溶け、パークの街灯がひとつ、またひとつと灯り始める。

やがて訪れる夜。

前回は強風の影響で中止となり叶わなかった夜空の物語が、今度こそ見られるかもしれない。

その期待が、ゆりの胸を高鳴らせていた。


「ゆりさん、ちょっと」


スターライトウィッシュを観覧する為、メインキャッスルエリアへ向かってパーク内を歩いていると、突然司がゆりの手を引いた。


「えっ、なになに?どこ行くの?」


案内されたのは、お客様が決して立ち入らないパークの裏側へ続く通路。

扉があるわけでもない。

ただ、人の視線が向かない建物の壁の切れ間。

目立たぬその隙間を抜けた瞬間、パークの華やかな音楽と喧騒は背後に遠ざかり、空気がガラリと変わった。


広がっていたのは、来園者の見慣れたおとぎの国とはまるで別世界。

舞台裏の広大な敷地には搬入用のトラックが並び、無機質な倉庫や施設棟が立ち並んでいる。

照明は業務用の白いランプだけで、昼のように明るいわけではないが、必要な場所をしっかり照らしている。

きらびやかなBGMも、遠くからわずかに漏れてくる程度。


初めて見る本場の舞台裏に、ゆりは息を呑んだ。

ゆりは心臓の高鳴りを抱えたまま、彼の背に続いた。


すると司は、スタッフエリアの敷地にずらりと並ぶ車の中から一台に歩み寄り、リモコンキーを軽やかに操作した。

小さな電子音とともにロックが外れる。


「ゆりさん、どうぞ。乗ってください」


スマートに助手席のドアを開き、恭しく手を差し伸べる。

その仕草に戸惑いながらも、ゆりは胸をときめかせ、誘われるまま車に乗り込んだ。


「どこ行くの?」


思わず問いかけると、司は前を向いたまま穏やかに笑みを浮かべる。


「まぁ、お楽しみに」


その優しい声色に、ゆりの心臓は鼓動を速める。


スタッフエリアの広大な敷地を数分走行したのち、車は堂々とそびえ立つガラス張りのビルに到着した。

整然と整備された駐車場に滑り込み、車体が静かに停まる。


「ここ、なに?」


期待と不安を滲ませた声で尋ねるゆり。

司はシートベルトを外しながら淡々と答えた。


「管理本部ビルですよ」


「えっ!?パークの!?」


「はい」


ゆりの瞳が一瞬にして輝きを増す。

おとぎの国の“心臓部”とも言える本場アメリカの管理本部。

その言葉に、胸の奥から込み上げる興奮を抑えられなかった。


「ゆりさん、ここからは目を瞑って下さい」


「……?」


唐突なお願いに、ゆりは一瞬戸惑った。

けれど本場ストーリーテイルの心臓部となると、顧客側には決して見せられない情報や導線、守らなければならない秘密があるのかもしれない。

そう思うと、胸の奥でざわつく期待を抱えながら、素直に目を閉じた。


司の手に導かれ、足元を確かめながらエレベーターに乗る。

耳に響く上昇音、わずかな重力の揺らぎ。

彼の手に支えられながら進むことで、不思議と恐怖はなく、むしろ胸の鼓動は高鳴っていった。

軽やかな電子音の直後、そのまま司に手を引かれて数歩進むと、扉が開かれる音。

その直後にふっと夜風が頬を撫でる。

屋外へと一歩踏み出したことを肌で感じた。


「目を開いていいですよ」


その声を合図に、ゆりはゆっくりと瞼を上げた。


目の前に広がっていたのは、夜景を一望する屋上。

眼下には光の海のように広がるパークの灯り、その中心でストーリーテイルキャッスルが宝石のように輝いている。

そして、目の前に停まっていたのは流線形の機体。


「……ヘリ……?」


屋上のライトに照らされ、黒く光沢を放つヘリコプターはまるで別世界の乗り物のように見える。


「魔法の絨毯ですよ」


司はわずかに口角を上げ、どこか自慢げに微笑んだ。

その声音には自信と余裕が滲んでいて、ゆりの胸を更にざわつかせる。


「さ、乗りましょう」


そう言って、司は何事もないかのように先に乗り込み、奥へと歩を進めた。


「え?え?」


戸惑いを隠せないまま、ゆりも後に続こうと一歩を踏み出す。


その瞬間──


「あっ、忘れてました!」


慌てたように司が戻ってきた。

そして、唐突にこちらへ手を差し出すと、少年のような笑顔で言った。


「……助けに参りました、王女様、笑」


まさに“かっこわら”という様子のふざけた口調。

スマートで冷静沈着なはずの司からは想像もつかない仕草に、ゆりは思わず吹き出した。


「ぶっ…司ってそういうことするキャラじゃなくない?笑」


意外過ぎる司の行動に、堪えきれず笑いがこみ上げる。

その姿を見て司は自分自身でも笑いながら、頑張って真顔を装い、ふざけた口調で繰り返した。


「いいから! はい! …助けに参りました、王女様!笑」


夜風に揺れる屋上で、差し出された大きな手。


これは、おとぎ話「アラジンと魔法のランプ」を題材にしたアーク映画のワンシーン。

主人公が、悪い魔法使いに攫われた王女様を、魔法の絨毯で助け出す時のあの台詞。


まさか、あの冷静沈着な司の口から飛び出すとは。

司の真面目さと不器用な照れ隠しが混じったそのギャップに、胸が熱くなる。

ゆりは小さく肩をすくめ、今度はわざと芝居がかった声で映画の王女のセリフそのまま答える。


「………“必ず助けに来ると、信じていました”笑」


少し笑いながら大げさに言葉をなぞり、ゆりはその手を取った。

次の瞬間、夜風に揺れる屋上で、二人の手がしっかりと重なり合い、ゆりは胸を弾ませながらヘリコプターの機内へと足を踏み入れた。


やがてヘリコプターは静かに浮上し、パークの上空をゆるやかに旋回した。


眼下には、煌めくイルミネーションに縁取られ光に満ちた物語の世界。

アトラクションのライトやパレードの残光が星座のように散りばめられ、ストーリーテイルキャッスルはまるで夜空に浮かぶ宝石のように輝きを放っていた。


長年の夢だった本場ストーリーテイルパーク。


その全景を、こんなにも間近で、しかも空から見渡せるなんて。

胸の奥が熱く震え、目頭がじんわりと熱くなる。


その瞬間──


「〜〜♪!!」


夜空いっぱいに音楽が流れ出した。

同時に、漆黒のキャンバスを切り裂くように数百機のドローンが一斉に舞い上がり、光の粒が瞬時に星座のような軌跡を描き出す。


虹色にきらめくラインが空に広がり、やがてそれはお馴染みのアーク作品アニメーションのシーンへと形を変えていく。

人魚のプリンセスが海を泳ぎ、勇敢な冒険者が剣を掲げ、可愛らしい動物たちが手を取り合って踊る。

音楽は映画の名曲のメドレーへと移り変わり、その一つひとつが観る者の心を震わせる。


「わぁ…っ!」


ゆりは胸の奥からこみ上げる声を押し殺せなかった。

まるで花火と光が、自分のすぐ隣で舞っているかのよう。

同じ高さで、手を伸ばせば掴めそうな距離で、物語の夢が夜空いっぱいに広がっていた。


司はそんな彼女の表情を、目を細めて見つめていた。

光と音に包まれ、無邪気に瞳を輝かせるその横顔は、どんな花火よりも眩しかった。


突如ふと、ゆりの頭に疑問がよぎり、視線を司へ向ける。


「でも、ストーリーテイル上空のヘリ遊覧って、確か禁止されてるよね?アメリカではオッケーなの?」


「いいえ。もちろんアメリカでも禁止ですよ」


「え……じゃあ、どうやって……?」


驚きに声が震える。

二日前のあの夜、悔しくもウィンドアウトになって花火が見られずに酷く落ち込んだ。

それから今日のこの瞬間までの時間、司とは肩時も離れずにずっと一緒に過ごしてきた。

一体いつの間に、どんな手を使ってこんな特別なサプライズを用意できたのか。

不思議で仕方がない。

胸の奥で疑問と戸惑いが揺れる。


その時、大輪の光が空いっぱいに咲き、ゆりと司の顔をカラフルに染め上げた。

司はその光に包まれながら、少し得意げにゆりを見た。



「……ちょっとした、魔法ですよ」



その一言は、花火よりも鮮烈にゆりの心を撃ち抜いた。


目の前に広がるのは、眩すぎる夜空のファンタジー。

大音量の音楽、色とりどりの光の雨、そして隣にいる司のあまりにも素敵な言葉。

そのすべてが重なって、胸の奥の堰が決壊する。


「………っ」


こらえきれずに頬を伝う涙。

すすり泣きながら、窓の外に釘付けになる。

煌びやかで、夢のようで、信じられないほど幸せな光景に、只々心を奪われていた。


やがて音楽が静かにフェードアウトし、最後の一発が夜空を照らし尽くすと、花火は幕を閉じた。


空に残るのは、煙と、ほんのり色を帯びた残光。

そして、ヘリコプターの中に訪れる静けさ。


余韻に包まれたその沈黙は、ただの空白ではなかった。

言葉を超えて二人の心を満たす、甘く切ない「魔法」の余韻そのものだった。


「……おとぎ話しのような魔法のひと時を、本当にありがとうございました」


涙を拭いながら、ゆりは溢れる心からの感謝でいっぱいになり、司へ深々と頭を下げる。

その姿に司は静かに微笑み、涙で濡れた頬へ愛おしそうに手を添えた。


「あなたのための魔法使いになれたこと…私も心から嬉しいです」


花火の残光に照らされたその優しい笑顔は、あまりに温かく、あまりに眩しくて。

ゆりは司の表情に心を奪われ、吸い寄せられるように司の唇へそっと口づけた。


胸の奥で暴れ出す熱はもう抑えられない。

どうしようもなく彼を求めてしまう自分を止められない。


締め付けられるような胸の苦しさに駆られて、ゆりは司の首へ腕を回した。

司も堪らずに彼女の背を強く抱きしめ、深く、激しく舌を絡める。


ヘリの機内は二人の熱い吐息で満たされて、窓の外に広がる夜景さえ霞むほど。

とろけるように甘く、熱く、狂おしいほどに求め合う口づけは、ビルの屋上に到着するその瞬間まで、止まることなく続いた。





アークグローバルエンターテイメント直営ホテルの最上階。

広々としたスイートルームのバルコニー。


ゆりは「最後にパークの景色を目に焼き付けたい」と言い出し、二人は就寝前のひとときをバルコニーで過ごしていた。

光り輝くストーリーテイルキャッスル、流れるように続くイルミネーション、来園者たちの笑い声が微かに風に混じる。

それはまさに物語の余韻そのものだった。

夜風が柔らかく頬を撫で、目前に広がるパーク全景の光が宝石のように瞬いていた。


「あー…帰りたくないなー……」


手すりに両腕を乗せ、うっとりと夜景を眺めながらゆりが呟く。


「絶対言うと思いました」


司は静かに微笑んだ。

けれどその声には、自分も同じ思いを抱えているのが隠し切れなかった。


アメリカ滞在最後の夜。

明日の午後には帰国の便へと搭乗する。

それを知っているからこそ、今見える光景すべてが、余計に胸を締め付けた。


「まぁ言うよね。…普通にしんどい」


名残惜しそうに煌びやかなパークの全景を目に焼き付けるゆりの横顔は、まるで夢から覚めたくないと願う子どものように純粋で切なかった。


「……夜明けが来ないで欲しいって、初めて思いました……」


ふと、司が低く呟く。

その声色には、抑えきれない哀しみと未練が滲んでいた。


「……クリスマスシンフォニーへ行った夜に……ゆりさんが眠りたくないって言っていた気持ち、今ならわかります」


視線は遠く、光り輝くストーリーキャッスルの先へと向けられていた。

彼の言葉は、夜風に乗ってゆりの胸へ深く突き刺さった。

ゆりはしばし黙し、パークの夜景を見つめながら小さく呟いた。


「それでも……明けない夜はない…」


“明けない夜はない。”

本来なら希望を込めて語られるはずの言葉。

けれど今、この瞬間に口にされたそれは、夢の終わりを意味する悲しい言葉。


日本へ帰国すれば、こんなふうにずっと一緒に過ごすことは叶わない。

人目を避け、限られた時間を縫うようにして逢瀬と別れを悲しく繰り返して行く。


それが夢から醒めた後に待っている二人の現実だった。


司は、抗えない想いを抑えるように、ゆりをぎゅっと抱きしめた。


「………海の魔女と契約が交わせるのなら………私が海の底へ沈んでいきます………」


その切ない声が、夜風よりも強く胸を締め付ける。

抱きしめる腕に込められた熱は、愛しさと痛みとをすべて押し込めたかのようで、逃げ場もなく伝わってきた。


もう駄目だ。

これ以上は。

もっと歯を食いしばらないと、胸の奥底に強引に押し込めている何かが、今にも暴れ出しそうな感覚。


私は弱さなんて滲ませない。

脇目も振らず、我が身を顧みず、ここまで生き抜いてきたんだから。


ゆりは司の胸からそっと顔を上げると、優しく司の頬に手を添えた。


「……だめだよ…司は陸の世界で、陽の光を浴びて生きていかないと」


言葉に乗せたのは、強さを装った笑顔。

けれど張り裂けそうな胸の痛みは消えない。

この胸の苦しさの正体が何なのか、知ってしまえばすべてが壊れてしまう。


だからゆりは、その真相から無理矢理目を瞑るように自らの心を真っ黒に塗り潰す。





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