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狂気の魔法  作者: 波方 真季


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25/55

第25話 大勝利



──ああ、このまま…もう……。



意識が真っ白になりかけた、その瞬間。


コンコン──


「桐生様、本社より報告書が届きました」


張り詰めた空気に、司の喉が詰まる。


「……っ!」


ゆりは咄嗟に自らの手で司の口を塞いだ。


ドックン、ドックン、ドックン、ドックン──


心臓が耳の奥で鳴り響く。

互いの胸から漏れる鼓動の音。

直前で奪われた焦燥なのか、部下が尋ねてきたことによる危機感なのか。

すべてが入り混じって、司の心臓は暴れ狂うように脈を打っていた。

肩で息をするほど荒ぶる呼吸は、ゆりの手で塞がれた口から漏れ出すこともできず、鼻からひゅうひゅうと細い空気が逃げる。

耐えきれず震える身体。

それを押さえつけるように、ゆりの指先が司の顎を強く抑えていた。


「桐生様、失礼します」


ガチャガチャ──。

扉のノブが揺さぶられる。


「あれ、空いてない……どこへ?」


ツカツカツカ……。


遠ざかっていく靴音。


……沈黙。


次の瞬間、二人は同時に、胸の奥から大きく息を吐き出した。


「……っはぁ……」

「……ふぅ……」


押し殺していた呼吸が一気に解き放たれ、互いの胸が大きく上下する。

緊張と焦燥と、未だ途切れない熱。


この瞬間、ゆりの胸の奥で、黒い種のような思考が芽吹いた。

それは瞬く間に形を取り、彼女の瞳に狂気の色を宿す。


「ねぇ…司ぁ……」


ゆりは、ぞっとするほど静かに、しかし底冷えするような笑みを浮かべた。

その笑みは甘美さを纏いながらも、悪魔そのものの嗜虐を孕んでいた。


「もし、私がこのまま…」


ゆっくりと視線を落とし、司の手錠と足枷を示す。



「これの鍵を持って、この部屋から出て行ったら……どうするぅ?」



「……っ!!」


その言葉は、司の胸を氷で突き刺すように鋭く響いた。


司の頭の中に、ありありとした光景が描かれる。

拘束具に縛られ、放置されたまま、幹部応接室で発見される自分の姿。


社会的死。


その文字が司の脳裏に焼き付いた。

今まで積み上げてきた地位も、権威も、尊厳も、すべてが一瞬で瓦解する。


そしてその全ての「鍵」を握っているのは、目の前で妖しく嗤うゆりだった。


「ねぇ…私今……一瞬で司を社会から捻り潰せるねぇ♡」


ぞっとするほど甘美に、ゆりは囁いた。

その声は、愛を語る恋人のそれではない。

人の命運を弄ぶ悪魔の声。


ゆりの全身を駆け巡るのは、快楽に似た昂揚。

絶頂の瞬間に匹敵する、いやそれ以上の衝撃が脳髄を焼きつける。

電流が駆け抜け、アドレナリンが溢れ出し、脳内から甘い汁が滴り落ちるような。

やめられない。

癖になる支配の堪らない快感。


「…ゆりさんっ…それは…流石にそんな事は…ねぇ…いくらなんでも…」


司の声は震えていた。

いつもは冷静沈着な男のはずなのに、今はただ獲物を前に怯える獣に等しい。

両手首は手錠に繋がれ、足元の自由を奪われ、誇り高き権力者の面影は欠片もない。

顔面は蒼白に染まり、唇はわななき、今にも死の淵に立たされる者の表情を浮かべていた。


その震え、怯え切った瞳。


すべてが、ゆりにとっての最高のご褒美だった。


「いくらなんでも…なに?出来ないって言いたい…?」


突然、ゆりの声色が一瞬で変わった。

先ほどまで無邪気に笑っていた少女の面影は消え、そこにあるのは恐ろしく冷え切った刃のような鋭い眼差し。



狂気だ。

完全に狂ってる。

そんな事は正気じゃない。


でも目が……怖過ぎる。



「…お願い….します……っ」


権威も、誇りも、すべてを投げ捨てて。

司は膝を折りそうなほど震えながら、かすれ声で縋りつくように懇願した。


「置き去りにしないで下さい…何でも言うことを聞きます…どんなことでもします…ですから……っ鍵を、開けて下さい……っ」


涙が目尻に滲む。

屈辱と羞恥に打ち砕かれ、恐怖に縋りつくしかない男の姿。

かつての権力者の威厳は完全に崩れ去り、そこに残されたのは“奴隷”そのものだった。


ゆりは冷えた瞳のまま、小さくひとつ溜め息をこぼすと、無言で立ち上がる。

足音も静かに、だが確実に司のデスクへと向かっていく。


その手が置かれたのは、黒光りする司のノートパソコン。

パタンと画面を開き、背後を振り返ることなく、短く告げた。


「……はい、パスワード」


「……………qX94r7V ──…」


途切れがちな声で、司は観念したように答える。

彼の頭にはもう、抵抗の二文字すら存在しなかった。


到底、無理だ。

彼女をコントロールしようなんて考えが、根本から間違っていた。


例え世界が逆に周ろうと。

天地がひっくり返ろうと。

この人にだけは、永遠に敵うことはない。


この世界でただ一つ。

この俺でさえ思い通りに出来ない。

唯一の存在。


「フォルダ…削除っと。ゴミ箱ー…削除。えーと次は…ダウンロードデータ削除でしょー…」


驚くほどサクサクと削除作業を進めて証拠を葬り去っていくゆり。

迷いなくカーソルを操る姿に、司は愕然とした。


普段の仕事ぶりから頭の回転が速いのは知っていた。

そこに加えて、こんなにもコンピュータに詳しいとは。

完璧で、冷酷で、それでいて無邪気に笑う。

支配者でありながら少女の顔をも持ち、知性と美貌と可愛いさを兼ね備え、そして今は権力者すら無力に縛り上げている。


非の打ちどころがない。


「んで次はぁ…あ、バックアップか!ほら司、アカウントのID言って」


「……………Rk72v5Lmーー…」


拘束されたまま、人形のように。

辱めを受けながら、個人情報を剥がされ、言われるがままに口を割らされる。


正真正銘、本物の奴隷だ。


「よしっと!任務完了かなっ♪」


パタン、と軽やかにノートパソコンを閉じる。

振り返ったゆりの笑顔は、無邪気な少女のように輝いていた。

抗う気力すら削がれていく。

その完璧さに、さらに惹かれてしまう自分がいる。

司の胸の奥で、悔しさと同時にどうしようもない愛しさが溶け合っていった。


その瞬間──ゆりの頭の奥底で、悪魔が囁いた。



(今、この瞬間の司を動画に収めたら……?)



スッと視線がスマホへ落ちた。


(そうすれば、私は二度と絶対的支配を脅かされる不安に駆られることはない。それどころか、蓮の立場だって救え──……)


考え掛けたところで、ゆりはその思考を力ずくで断ち切り、自ら思考を強制的に遮断させた。


唇がひとりでに震え、慌てて噛みしめる。

心の奥底からにじみ出たその言葉に、誰よりも自分自身が怯えていた。



違う。

守りたいとか、そんなんじゃない。

蓮なんて──どうでもいい。



そんなの最低な人間がやることだ。


吐き気を催すほどの嫌悪がこみ上げる。

自分が心底軽蔑してきた、“脅しで思い通りにする”あの人種と同じ発想を一瞬でも抱いてしまったことに。

あんなにも嫌な思いをして、ようやく動画を消したばかりの自分が。

それを「武器」に利用しようと考えるなんて自分に対して反吐が出そうだ。


ゆりは振り返ると、駆け寄って司の手錠と足枷の鍵を慌ただしく外した。

金属の音がカチャリと鳴った次の瞬間、彼女は全力で司の胸に飛び込んだ。


「司…っごめんね…嘘だよ、全部嘘っ…怖かったよね…ごめんねっ」


震える声で繰り返し謝りながら、ぎゅうっと腕を回して抱きしめる。

そしてたっぷりの愛情を込めて司の唇に、ちゅーーっっっと力いっぱい唇を押し付けた。


震える声で繰り返し謝りながら、ぎゅうっと腕を回して抱きしめる。

そしてたっぷりの愛情を込めて司の唇に、ちゅーーっっっと力いっぱい唇を押し付けた。


ちゅ、ちゅ、ちゅっと、何度も何度も角度を変えては重ね、やがて互いの呼吸が絡み合い、司の思考はゆりの温度に溶かされていった。


「…いいんです…こうして…あなたは解放してくれたから…」


司の安堵が溢れ出る声。

その言葉に、ゆりは涙が滲みそうな勢いで答える。


「するに決まってるでしょ…っ大切な司だもん」


そしてゆりは再びきつく抱きしめて司に唇を重ねた。


地獄の底に突き落とした直後に注がれる、甘すぎるほどの愛情。

狂気と優しさが背中合わせで注ぎ込まれる。

精神は揺さぶられ、感情はぐちゃぐちゃにかき乱され、恐怖と安堵と快楽が混じり合う。

カオス過ぎる精神状況に、司は思考停止した。


ゆりは、堪えきれない衝動に突き動かされ、ソファに身を投げ出し、腕を伸ばして司を強く引き寄せる。


拒むことなく、すべてを受け入れる姿勢。


放心状態で思考を止めていた司は、不意を突かれたように目を見開き、一瞬だけ動揺の色を浮かべた。


「…いいんですか?ゆりさん……」


低く震える声が、熱と緊張を孕んで空気を震わせる。

その問いかけに、ゆりは強い瞳で真っ直ぐに、熱い視線で司を見つめた。


「うん…!よしっ」


いつもの合図。

短いその一言に、司の理性は一気に決壊した。



その先に待っていたのは、言葉を失うほどの混濁だった。



与えているのか、奪われているのか。

境界は溶け、主と従の区別すら曖昧になっていく。


司の意識は、熱と圧と感情の奔流に呑み込まれ、

思考は次々と削ぎ落とされていった。


恐怖も、羞恥も、抵抗も。

残っていたはずの理性さえ、いつの間にかどこかへ消えている。


ただ、ひとつだけ。


自分は今、完全に彼女のものだ。


その理解だけが、胸の奥に重く、しかし甘く沈殿していった。


支配されているという事実。

抗えなかったという記憶。

そしてそれを拒めなかった自分自身。


甘さと残酷さが幾重にも折り重なり、司の心は静かに、しかし決定的に折れていく。


司の中に残ったのは、達成感でも解放感でもない。

「もう戻れない」という、奇妙な安堵だった。


彼は理解してしまったのだ。

この関係の行き着く先も、自分の立ち位置も、

そして、彼女がどれほど危険で、どれほど甘美な存在かということを。


ゆりの腕の中で、司は静かに息を整える。

その瞳に宿るのは、恐怖ではない。


完全に手放した者だけが持つ、従順な静けさ。


もう、逆らう理由はなかった。

逆らえる未来も、想像できなかった。



完敗だ──。



誘惑、背徳、屈辱、羞恥、可愛さ、強さ、恐怖、甘さ。


この短時間で、一体どれほど多くの彼女の魅力を、全身の根底から刻み込まれたのだろう。

あれだけ執着して司の脳裏に焼きついていた“蓮との映像”は、衝撃的なまでに一気に弾け飛んだ。


いま司を支配しているのは、ゆりその人の姿だけ。


ゆりもまた、蓮との過去の記憶を上書きするように、心も身体もすべてを司で満たしていく。

身体は司に奥底まで侵されながらも、支配する側としての確信に酔いしれていた。



この瞬間、ゆりの圧倒的な勝利が確定した。



彼女の描いた作戦は、寸分の狂いもなく、全て見事な成功を収めたのだった。



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